青緑色のヘッドバンドで長い髪を後ろに流す黒い眼鏡をかけた女性が、カメラに惹き付けられたように顔を覗かせていた。
「見せて見せて」
先輩は私が差し出したカメラを受け取って写真の一覧を操作しながら観察する。
自動ドアが開いたので私はレジの裏から表に出て、今入店した女性の事をちらちらと見ながら開封作業を再開した。
入店した女性が雑誌をレジに持ってきたとき、学生の男の子が入店して漫画が並んでいるエリアへ進んだ。
そして女性が支払いを完了したとき、次は大学生っぽい女性が入店した。
「いらっしゃいませ」と静かに言う。
書店の中は趣ある本の匂いと向かいから差し込む日光で充満している。
私は様々な場所に特色のある匂い、そして雰囲気があると考えている。例えば校舎だったら校舎の匂い、そして活気が流れている。公民館では暖房と、どこからか漏れる仄かな埃の感じがあって、モリだと澄んだ軽い空気とさっぱりとした残照。
そして書店は本と、人の残り香。
「特典のカードが選べますが、どうされますか?」
漫画をレジに持ってきた男の子に尋ねると、男の子は悩んでから世間的に有名ではないマイナーな作品を選び、私はあまり減っていないカードをすくい男の子に手渡した。
「ありがとうございました」
「ありがとうございます」
男の子も軽い感謝を述べて書店を出て行った。
「九百五十円です」
大学生っぽい女性は男性アイドルが表紙を飾っている雑誌を持ってきた。
彼女も目線でお礼を告げ、書店を出て行く。
「へいへい」
お店からお客様が居なくなった瞬間を見計らったように裏から先輩が顔を覗かせた。
「だいたい見たよ」
裏に入ると先輩はカメラを返してくれた。
私はお礼を言ってそれをカメラケースに仕舞ってから、バッグに差し込む。先輩は体を前のめりにして云う。
「凄いじゃん。いいと思うよ、写真家」
好評だった。
先輩は満足げな笑みを浮かべてくれた。私は心の中でくすぶっていた不安が軽くなった。
「でもさ、どうして急に?」
と先輩は私の突拍子もない相談に、真っ当な疑問を尋ねた。
「私が写真家になりたいと過去に語ったことを、覚えている子が居たんです」
私はとくに包み隠さず解答する。
先輩はいつものように悪戯な微笑みを浮かべてみせた。
「へえ、それって男の子?」
「そうですね?」
疎い私は最近の弄られ方に微かな既視感を感じつつ、それに意識を向けないように心理が働いた。
「隅に置けないなぁ」
先輩はどこか違う方向を見て顔を赤らめた。
こういうのが好きな先輩なのである。
「それで、実際どうでしたかね?」
と私は話題を変えると、先輩は「ああ」と身を翻したる。
「綺麗だったり印象に残る構図の写真が多かったと思うよ。確かに昔の写真だから日常味溢れた写真もあったけど、どれも独特な雰囲気を感じたかな。それこそ、雑誌で使われている風景写真にも劣らない出来だと思ったね」
思いのほかしっかりとした評価で、私は照れ隠しで目線を逸らしてしまう。
「才能があるんじゃない?」
そんな私の顔面に、百パーセントの賛美を先輩は投げかける。
「才能なんて大それたものはありませんよ、ただ好きなだけです」
私はそう謙遜する。
「向き不向きなんて言い方を変えただけで、その実態は才能だと私は思うけどねぇ」
先輩は丸々見抜いて核心を突いた。体温が上がる感覚がある。私は自己防衛のためにはにかんだ。
「解釈次第ではそうかもしれませんね」
「特にさ」
先輩は思い出したように人差し指を立て、脳内に写真を思い出す。
「階段で座ってピンク色のお弁当を食べている男の子の写真は、構図とかそういうのが噛み合って特別感があったね」
私は肩が少し揺れた。
「そうですかね?」
「うん。人ってさ、無意識のうちに良かったなぁ、面白かったなぁを覚えていると思っているんだけど」
私はその感覚を知っていたので静かに頷く。
「その写真にはそういう魅力みたいなのがある気がしたよ。男の子の自然体な感じも趣がある。ストーリー? を感じるというかさ」
「何だか、えらくべた褒めですね」
私は耐え切れなくなって、ほっぺに赤いシールを貼ってジト目を作ったような顔で先輩を睨んだ。
「そりゃね」
先輩は右手を傾げてしたり顔をする。まったく憎い人だ。
「そうだ」先輩は両手を合わせた「試しに写真集とか買って行ったら? 勉強になるかもよ」
写真集。
「……良いですね、勉強になりますし、目に留まった物を帰り際に買ってみます」
と先輩は腰のくびれに手を当てて自信満々に「そうすると良い」と告げた。
そして両腕を伸ばして体を弛緩させると、ひとりでにレジの方へ歩いて行った。
「先輩はまだ休憩時間ですよ」
私は首を傾げる。先輩は背中越しに右手を振る。
「いいのいいの。君の写真で元気を貰ったんだ」
「元気を感じるものでしたか?」更に首を傾げる。
「今の君と写真から感じる充実感に、私はあてられたんだ」
先輩はよくわからない事を云って、レジに向かって行った。