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24 833/2003

 パシャと一枚、カメラで風景を撮影していると。

「悪い、少し遅れた」と中村くんが右手を上げて合流した。

 私は首を振る。「気にしないで」

 周囲は瓦礫だらけで、過去の住宅街の気配はほとんどなくなっている。まだ形を保っている家もあるが、恐ろしいと感じるほど人の気配がなかった。

「目立って無事そうな建物は、家具をひっくり返す勢いで物色されてるからなぁ」

 と中村くんは言った。「だから」と続ける。

「壊れて危険そうな建物には、まだ物資が残っているかもしれん。幸い、瓦礫で入口が塞がっているが、中は無事そうな家を一軒見つけた」

「そこに私が入ればいいんだね?」

 小柄な私が適任ということだろう。

「ほ、本当に大丈夫かなぁ」

 中村くんは右手で頭の後ろをかきながら弱弱しく呟く。

「大丈夫だよ。任せて」

 しばらく歩くと例の家に到着した。

 赤い屋根に白い壁、どこかの庶民的なアニメに登場するような、ごく一般的な一軒家だった――かつては。

 私は塀の中に入ると、屋根が崩れ、人を串刺しにできそうなくらい鋭い鉄骨が一本、外に突き出ているのが印象的だった。

「ここから見る感じ、一階の台所はまだ潰れてねえな。そこまでいけば、何か残されているかも……」

 私は長い髪をどこにも引っかからないように団子結びにした。

 そして、身を屈めて瓦礫の中に入っていった。

「気を付けて行けよ」

 触れれば、少しの衝撃だけでまた崩れてしまいそうな緊迫感が、私のお腹の下をひんやりと冷やしていった。

 焦りは禁物。頭でそう何度も復唱しても、体は正直だった。

 だが時間をかけてゆっくり進んでいくと、あと三つの瓦礫を通り抜けるだけで、開けた部屋に出られそうだ。私は勇気を振り絞り、その三つをできるだけ安全に進み切る。

 開けた部屋に到達して立ち上がると、激しい運動をしていないのに過呼吸になった。

 緊張からの解放が、私の身体に染み渡り溶け込んでいった。

 私は深呼吸を繰り返して冷静を取り戻す。

「中に入れたよ!」

 私は声をあげた。遠くで中村くんが「無理するなよ!」と叫んだ気がする。

 到達した台所は、確かにまだ手がつけられていなかった。

 棚を開けて、使えそうなものをできる限り探した。幸いなことに、水2Lが四本、カップ麺が三つ、スープの素やガスコンロなどが見つかった。

 私は壁が薄いところを事前に中村くんと話しあっていたので、吹き抜けになっている天井から外に向かって軽い物は投げ込んだ。

 投げたものを中村くんがキャッチするという算段だ。

 カップ麺とスープの素は外に出した。

 そしてガスコンロを腕で押しながら水を1本抱え、来た道を戻る。先ほどよりは緊張しなかったが、いつ崩れるかわからない不安は、まだ仄かな緊迫を漂わせていた。

「中村くん!」

 ガスコンロと水を一本外に出した。そのまま往復して、残りの三本も救出する。

「でかしたっ!」

 私は腰を落とした中村くんとハイタッチをした。

 中村くんからしたらロータッチだったかもしれないけど。

 私が持ってきたバックパックにカップ麺やスープの素を詰め、両手でガスコンロを持ち運んだ。

 中村くんは水2Lを四本、右手と左手で抱えて持って歩いている。

「力持ちだね」

「父親たるもの、子どもがぶら下がっても安全な筋肉作りが必要なのよ」

 中村くんは得意げに云う。

 あたりはいつの間にか橙色に染まり、夕焼けが背中を焼いていた。

 そして、どこからか来た烏が、声高らかに鳴き声を反響させる。

「村雨は変わったよ」

 中村くんがぽつりとつぶやいた。

「そうだね。母親だもんね」

 私は肯定した。

「違うよ」

 中村くんはそれを否定した。

「我慢しているんだ。あいつは本当は、自分勝手に他人を振り回すような豪快な奴だった。昔、俺が無免許運転した時のことを覚えてるか?」

「うん」

「あいつさ、俺が幼稚園の頃からずっと近くにいたんだけど、その時から男子のズボン下ろしてがはがは笑うわ、サッカーで始めたての子をふるぼっこにするわで、酷い奴だったよ」

 中村くんは続ける。

「だからあいつ、だんだんと孤立していったんだ。まあ、あの性格についていける人がいなかったんだろうな」

「中村くん以外、ね」

 私が言うと、中村くんは口角を優しく上げる。

「ああ、俺以外いなかった。だからさ。違うんだよ。あれは、村雨のなりたかった母親像じゃない」

 中村くんと私の間に、何んとも云えぬ沈黙が挟まった。

「私もそう思う。辛いね」

 私は本心と対面してから、その中村くんの言葉を肯定した。

「いつか」

 食い気味に中村くんは言った。

「いつか村雨の傍若無人に、また振り回される日が来るといいな」

 中村くんは細い目でそうつぶやいた。私は小柄ながら、彼の横顔を見上げた。

 この人もきっと、村雨の横にいたからこそ、誰かに優しくなれたんだ。

 村雨が父のカメラを持っている私を見て、あの夜の非行に誘ったとき、中村くんは村雨が連れてきた私を見ても嫌な顔ひとつしなかった。

 あの非行の夜は、私と村雨と中村くんにとって、始まりの出来事だったように思う。

 世界がどれだけ時間に喰われようとあの一瞬は、私の首に下がっているカメラに残されている。写真を見返して、皆で笑える日が来てほしい。

 中村くんのことを見上げていると、中村くんの頭の上で、黒ゴマのような烏が二羽に減っていた。

 遠くで、何かが崩れ去った音がした。


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