聞いていた住所にやってくると、そこは大きなショッピングモールだった。
いつかのゾンビ映画で、こういうショッピングモールが舞台になっていた気がするなと思い浮かべる。
「ここがその先輩さんが居る場所か?」
中村くんが尋ねる。私は首を縦に振った。
「きっとね」
私たちは二人で中に入った。
案の定、入口の自動ドアのガラスは粉々になって、吹き抜けていた。
中に足を踏み入れると、あまりの荒れように絶句した。引き裂かれた家具がバリケードの役割を果たし、地面には黒色のペンキのような残酷な血痕が残っていた。
「ここでも暴徒が居たんだな」
中村くんが重い息を吐きながら云った。
私たちはバリケードをどかして奥へ進んだ。
しばらく歩いていると、オレンジ色のスプレーで書かれた文字があった。
「――『二階』」
私は文字を読み上げた。
「行ってみよう」
中村くんはバットを持ち上げて臨戦態勢をとる。
二人で止まったエスカレーターを階段のように登っていくと、遠くの方で照明が消えた気がした。中村くんがバットを両手で強く握りしめ、私は伸縮するさすまたを構えて、ゆっくり進んだ。
角を曲がると、明らかな人影が横切った。
「息を潜めろ」
中村くんの言う通りにして、私は口を手で覆う。
そして壁に背中をつけて、廃れた店舗を覗き込む。
人がいた。
先輩だった。
先輩はとても汚れていた。泥に飛び込んだような風貌だ。
私たちは怯える先輩に手を差し伸べ、落ち着かせ、ぎゅっと抱きしめた。先輩は短い息を吐いて震えている。
「何があったんですか?」
「ぃ……」
音が私の右耳を掠った。
「ひぃ……が」
先輩は温かい涙をこぼした。先輩が云っていた言葉が、徐々に脳内で形を成した。
人が人を殺していた。
ああ、村雨。あなたはどれだけ惨い世界を見たの。
そして私は、この世界をちっとも理解していなかった。
人は状況下によって獣になる。最も恐ろしいのは天災ではない。人間だ。
先輩は最後の力を振り絞って、ショッピングモールに隠れている他の人たちの存在を知らせてくれた。
私と中村くんは彼らが暴徒ではないことを聞いていたから、一人ひとり回って歩いた。
小学生くらいの女の子、会社員の男性、脱力している女性、眠っている老婆。
ここで自らの心をすり減らした人が、それぞれ自分の身を守るようにしていた。
もちろん、警戒されて会えなかった人もいた。
私たちは言葉で説得したが、彼はまったく聞く耳を持たなかった。当然のことだ。
「どうする?」
中村くんが腰を下ろして頭を抱える。
「わからない」
私は首を横に何度か振る。
でも、あまりここの状態を放っておけないと思った。
先輩のことも助けたいし、他の人たちも心配だ。
「私たちに何ができるか……」
私がそう呟くと、中村くんは間を置いてから云った。
「俺にできることは物資調達だ。力仕事全般。活字が苦手だからサバイバル本はだいたい忘れちまったが、筋肉担当ってところだな」
と中村くんは、逞しくなった自分の体格を誇張するように腕を曲げる。そして続けた。
「お前にできるのは?」
「……え?」
私はいきなり自分に同じ問いが来たことに、驚いてしまった。
「俺はずっとお前の指示で動いてきた。それどころか、村雨もお前の判断を信じていた」
――勘違いをしている。中村くんが言う『私の指示』とは、目の前にあるものをしっかりと観察すれば誰でも辿り着ける答えのはずだ。
それは、私の才能ではない。ただ、頭のアンテナが危険を受信すれば離れようとするし、ここを通るしかないと思えば通ろうとしただけだ。
「あのな」
中村くんは私の表情から感情を汲み取ったようだ。
「お前はお前が思っている以上に自立しているし、傍から見ていて泣きたくなるくらい頼もしい。分かってくれ。俺じゃ、決めきれない。俺が父親失格になってからなぜ折れていないか、お前に話したことがあったか? どうして俺がお前をここまで助けてやるか、訳を話したことがあったか?」
私は「知らない」と視線で返す。
「お前は、村雨りんの親友であり、村雨慎太郎の友達で、加えて村瀬友の恋人でもあるからだ。でもあの日、それを思い出せなくなった俺は、狂気に陥りかけた」
絶望の一幕を思い出した。
彼はあの崩れ去ったマンションの前で、恐ろしい顔になり、今にも暴れ出しそうだった。
「それを言葉で説得したのはお前だろ」
確かに、私は村雨慎太郎のことを救ったのかもしれない。
「言葉は私じゃなくても使える」
醜く私は言い訳をした。
「お前じゃなきゃ伝えられない気持ちがある」
中村くんは私を鼓舞した。
「中村くんだって」
「俺はもう中村じゃないぞ」
私は息を詰まらせた。
「……村雨くん、だって」
「俺だって?」
「言葉を使うじゃない?」
私は口から言葉を吐きだした瞬間、激しい嫌悪感がのさばった。
いいや、元々自分の事は嫌いだった。
分かっている。
彼が何を言いたいのか。彼が私に何をしてほしいのか。でも私は怖かった。自分のせいで誰かが居なくなるのが、本当に怖かった。
父が事故にあったのも、母が家に居ない時に私が熱を出したからだ。
「…………」
「なあ」
村雨くんの短い言葉が、私の心の中で激しく乱反射する。
なあ、私。何を怖がっている?
私はもっともっと、何かを貪欲に欲してもいいんじゃないか?
分からない。私は何が正しいのか分からない。怖い。時間が怖い。
何もかも取り返しがつかなくなるのが怖い。友くんだって。
はっとした。
私は村雨くんに断ってから、何かに突き動かされるようにカメラの電源をつけた。そして、これまで撮った写真を流し見し、目に留まった写真を凝視した。
近くの店舗で縮こまっている先輩の言葉を思い出す。
――「階段で座ってピンク色のお弁当を食べている男の子の写真は、構図とかそういうのが噛み合って特別感があったね」