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30 32/2003

 やあ、と友くんがおっとりとした顔で右手を上げて近づいてくる。

「おはよう、村瀬くん」私が言う。

「おはよう」友くんは首を傾げて云う。

 友くんは私が座っていた階段の隣に腰を下ろす。一応、それなりのエチケットなのかひと一人分の空間を作っていた。私はそういう友くんの気遣いに気が付くと感心した。

「こんなところで会うなんて、奇遇だね」と友くんは云いながらお弁当を広げる。

 私は軽くそれを肯定して自分もお弁当を広げる。確か、私のお弁当はとても愛らしいクマが描かれたピンク色の弁当だった気がする。でも、最近はそのピンク色が女の子らしすぎるなとも思っていた。そう言う事を考えていたものだから、たまたま目に入った友くんのお弁当に意識が持って行かれた。

「村瀬くん、男の子なのにピンク色のお弁当なのね。珍しい」

 私が意外そうに呟くと、友くんは驚いた顔になった。

「うふふ。確かに珍しいよね。教室でこのお弁当を使っていると、ほら、うるさい男子とかが」

 名前は憶えていないけど、そういうどうでもいいことで騒ぎ立てる男子が二、三人いたことを思い出す。

「私もピンク色だし、いいと思うよ」

「でも君は女の子じゃないか」

 私はかぶりを振る。

「そうだけど、でも最近は何となく、ピンク色が自分に合っていない気がするの」

「その感覚はよくわかるよ」友くんは自分のお弁当を見下ろす「僕のこのピンク色の弁当は単純に、一つ上のお姉ちゃんのおさがりだからなんだ。本当は僕だって黒か青がいいんだけど、うちはお金がないから」

 私は相槌を打つ。

「でも僕だってね」

 友くんは前方を見る。この校舎の階段には、外が見られる少し大き目な窓があった。その先にある街を、友くんは薄い目で眺めているように感じた。

「子供のころはピンク色のお弁当に憧れていたんだ」

「そうなの?」

「子供ながら、回りの友達と違うっていうのは特別に見えていたんだよ」

「特別?」

「そう。特別って嬉しいと思わない?」

 私は少し考えてから、頭を縦に振る。

 特別。その言葉は一見したとき、特に喜々としたものを感じなかった。が、父のカメラが自分にとっての特別に当たると気が付いてからは、確かにと思い始めた。

「そういえば――」友くんは私の方を見る「僕って最近クラスに来たからさ。あまり友人関係? とか知らないんだ」

 彼は覚束ない言葉を積み上げている。

「うん」

 私はこくりと頷く。

「君は誰と仲がいいの?」

「私、友達がいないの」

「嘘だ」友くんは目を揺らして微笑する「いなさそうな子にはこういう質問しないように気を付けていたのに」

 友くんは肩を落とす。それを口に出さなければ素晴らしい配慮だと思った。

「ふふ、嘘だよ」私は可笑しく笑って諧謔をもてあそんだ。

「やっぱり」私が訂正すると、友くんは安心したように表情を和らげた。

「村雨さんと中村くんとは特別に仲がいいよ。非行に走るくらい」

 友くんは吃驚した。

「……非行って煙草とか?」

「想像に任せるよ」

 試しに蠱惑的に微笑んでみると、友くんは「もう」とほっぺを膨らませた。

 今思うと、この頃からやっぱり私は、彼の事が気になっていたらしい。どうしてか説明するにはあまりに記憶が欠落しているけど、少なくとも私と彼の周波数がとても近い所にある感じはしていた。

「あ、ちょうどいいな。村雨さんと中村くん二人と仲いいなら聞きたいんだけど」

「なぁに?」と私は箸でトマトを口の中に入れた時に話しかけられる。

「あの二人って付き合っているの?」

 トマトを吹き出しそうになった。酸っぱいトマトがなおの事、口内で広がった。

「……そう見える?」

 友くんは頷いた。私はまた可笑しくて笑った。

「あれで付き合っていないんだよ」

 と私は真相を暴露すると、友くんは洒脱な顔を浮かべて。

「だと思った。いつもいがみあっているもんね」

 楽しそうににっと口角を吊り上げた。

 村雨と中村くんが次の日に告白をしあって付き合い始めたことは、そのときの私や友くんには知り得ない事だった。

 時間が経ってお昼休憩が終わりかけるとき、私は先に食べ終わってから階段を降りて振り返った。

 薄く青みがかった階段の上から数えて四段目に座る友くんを見て、私はカメラを構えた。

 友くんはやっぱりどこか控え目だったから、彼はポーズなどをとらず、おおらかな彼をそのまま続行してくれた。

 だからそのとき撮影できた写真は、まるで私がはなからその場所にいなかったような雰囲気を残していた。そして青みがかった光を受けながら、自然体でいてくれた友くんに、私は特別な何かを抱いた気がする。

 それとも、その時に撮れた写真が絢爛さもないのに、際立って視えたからなのか。



「……君は」

 友くんは写真を撮影した私を見ていた。首を傾げる。

「調子が悪いときって何をする?」

 脈絡のない言葉が私に降りかかった。私は戸惑いながらも、考えるポーズを取る。

「元気になることをするよ」

「例えば?」

「ご飯を食べるよね」

「うん」

「友達と雑談する」

「うん」

「おやつも食べちゃうかも?」

「それで?」

「散歩を何度かして、本を読んだり映画をみたり」

「それは何をしているの?」

「気を紛らわせている。かな」

 友くんは食べ終わったお弁当を中央に添え、包みで結ぶ。

「じゃあさ、君は調子が悪いのを誤魔化すしかないんだね」

 私は少し考えてから頷いて、口を開いた。

「答えを出さなきゃいけないって訳じゃないと思う。テストならもちろん答えを出さなきゃいけない、正しさが無きゃいけないと思うけど、私の人生に正解はないもの」

「真面目に言っているの?」友くんは本気で分からなそうに首を傾げた。

「ええ」私は頷いた。

 友くんは何度か口をぱくぱくとさせた。

「……僕にはそれは出来ないね」彼は突っぱねるように云った。

「どうして? 出来る出来ないを決めるのは自分だよ」

「それ、誰かの言葉?」友くんは眉を吊り上げる。

「さあね。きっとそうだと思う。でも大事なのは、『誰の言葉なのか』じゃないと私は思うな」

「じゃあ、何が大事なんだい?」

「それを真面目に受け取ることが大事なんだよ」

 友くんは私の言葉で微かに肩を揺らす。無理解を指摘されたような気分になったのだろう。

「君の言葉は鋭いね」

 作り笑いで友くんは背筋を伸ばす。

「じゃあさ」

 友くんは続ける。

「僕には友達が必要って言ったら、笑う?」

 私の口が少し開いた。

「恥ずかしい話なんだけど、気を紛らわせることが必要なんだ。僕は人当たりが良い癖に心が弱くてね。このままだと、何かを封じ込めて抑圧するしか、なかったかも。処世術っていうんだろう? これの不健全版みたいなのが出来上がりかけていた」

「非行でも走るの?」私は冗談を言った。

「そうかも。例えば、誰かを殺すとか」

 私はそれを冗談として受け取る事にした。

「実際にするかはさておいてね」彼は立ち上がった。「……とても恥ずかしい事なのは分かっている。でも、君にしか頼めないんだ」私を真っすぐ見ている。

「僕の友達になってくれない? 友達の感じる世界が、僕には必要なんだ」

 友くんは、とても個性的な「友達になろう」を私に送ってくれた。彼は自分がそうすることで救われるから、と云うけども……実際は、あなたみたいな人があのとき現れてくれたから、私も救われることが、出来たのかも。

 この本音はきっと、君に伝えることはないだろう。でも、君が私を見つけてくれたように、私も君を見つけたい。だから、私は、君が友達になろうと言ってくれた私を、

 崩すことはない。

 たとえ、最後は孤独になるとしても。



「こんにちは」

 私の言葉に、彼は沈黙を返す。


 *


 記憶の乱れ。


 *


 それを遠くで村雨慎太郎は見つめていた。

「――――」

 俺は彼女がどういう性格なのかを知っていた。

 彼女は一見冷静でほわほわとした女の子に見える。でもその実彼女はとても理知的であり、そしてとても臆病だ。

 臆病同士が好きになった。

 だからあれだけ時間がかかった。

 彼女とあいつが一番、時間があっという間に過ぎ去ることを、分かっていたはずなのに。

 俺と村雨はそういう二人が好きだった。そういう彼女が好きだった。だって彼女は、俺らが知る誰よりも優秀で、臆病で、人間臭いからだ。

 なあ村雨。これでいいんだよな。俺は彼女の友達として、あいつの背中を押せたのかな。ずっと階段で飯食うくらい積極的に人と関わりに行けなかったあの子の、小さな小さな背中を、少しでも押せてやれたのかな?

 俺は彼女のカメラを持ち上げて、問いかけ続ける彼女の背中を一枚、勝手に撮影した。

 そして彼女が記録した写真を一枚一枚捲っていった。

 ふと何だか自分が父親みたいなことをしているように思えて、村雨慎太郎は腹の底から乾いた笑いが込み上げて来た。


 画面には布団で眠りながら安堵したように微笑む村雨りんと、愛しい我が子が、一緒に手を繋いでいた。



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