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40 1240/2003

 時間は私達に合わせてくれない。

 私がどれだけ答えを出せずに悩んでいても、どれだけ時間が無くて困っていても、時間は必ず訪れる。

 夜の帳が降り、太陽が東から上ってくる。

 それから何度か大人たちの話し合いが行われたものの、一向に決断はできなかった。

 実質的なリーダーである私が、色んな事を焦らず順序立てて考えていることが、その遅れを作っている。

「うい、お疲れ」

 と肩を軽く押したのは村雨くんだった。

 夜ご飯を食べ終わって一人で落ち着けるお気に入りのラウンジでゆっくりしていると、対面の椅子に座ってきた。

「お疲れ様。そっちはどうだった?」

 私は労う気持ちを籠めて声色をやわらかくする。

「もう少しだな。飲み水の確保はだいたい完了した。あとは、利便性かな」

「長谷川さんとは問題ない?」

 村雨くんは「全然」と平気そうに云った。

「それならよかった」と私は背もたれにもたれて脱力する。

「それで」村雨くんも脱力して空を仰ぐ。「そっちはどうなんだ」

「どうって?」

「斎藤楓」

「ああ」

 私はどっと肩に重いものが伸し掛かった感覚があった。

「もう少しなんだ。もう少しで決めきれそう」

 と、どっちつかずの気休めを吐き出した。

「別に殆ど流れでお前が避難所責任者っていうことになったけど、しんどいなら辞めてもいいと思うぜ」

 村雨くんは静かに云う。

「私って、そんなに頼りないかな?」

 とあまり自虐にならないように言ったつもりだ。

 村雨くんは頷く。

「小動物みたいな可愛い奴だよ。それに責任って言葉があまり似合ってねえ」

「そんな村雨くんだって、さいしょ、父親似合ってなかったよ」

 「うッせ」と村雨くんは体を起す。私は長い溜息をつく。

「弱音ばかりじゃいけないでしょ。ここには子供もいるし、大人である私達が面倒を見なきゃいけない。私はやり遂げたいよ。出来る事なら」

 ふと横のガラス張りに目線を逸らした。

「でも一人前じゃない私は、やっぱりそれなりに悩み切るしかないみたいでね。ぱっと大きな決断を下すことができないんだ」

「超人候補が聞いてあきれるな」

「そう言われると、何だか人外みたいで気乗りしないね」

 私は苦笑いする。村雨くんは「はっ」と吐き捨てるような音を出す。

「結局、そっち超人計画については、どう思っているんだよ」

 私は思案顔をする。

「超人計画については、明後日また斎藤楓と会う時に決めきろうと思う。時間がないことは分かっているつもりだけど、でもやっぱりいくら考えても判断材料が少ない。だから、もう一回会って見極めるつもり」

「あんさ」

 村雨くんは口を大きく開ける。

「ケチをつける気はないんだけど、傍から見てて今のお前は少し変だよ。何を思い悩んでいるんだ?」

 私は吃驚する。彼の方を見る。

「……分かる?」

 村雨くんは頷いて両腕を組んだ。

「俺で良いなら、言ってみろよ」

「君が黒いスポーツマスクをしてなくてよかった」

「お前がそのネタ知っていることが驚きだ」

 私は少し沈黙を置いてから、短く息を吐いて肩をすくめる。

「……まさか、あの中村くんに相談をする時が来るなんてね」

 「俺は村雨だっ」と村雨くんは口を尖らせて云う。

 私は彼の変わらなさに安堵して、脳内で渦巻く様々な事をひとつひとつつまびらかにし、言葉を選んでまとめていく。

「佐々木くんたちについても、ふんわりとどうするか決めているんだ」

「ほう」

「でも決めきれないというかね。あまり踏み切れないんだよ。どっちつかずなのは百も承知なんだけど、本当のそうなのか確証がないし、もし間違えたらと思うと」

「ん」彼は相槌を打つ。

「超人計画については、何となく私が候補みたいにされちゃったけど、そんなのよくわかんなくて。斎藤楓に訊いてもどうして私なのか答えてくれなかったし、私以外のここのメンバーの話をしたときも、何となく受け入れてくれなさそうだなって」

「そうなのか?」

「難しいのかなって。宇宙空間がそう生半可なわけない。きっと強い精神性と体力が必要だと思う。どうして私なのか、分からなくなっちゃうくらい」

「ふむ」

「そして――」

 私は言おうとふと、自分の中で何が一番の重荷なのかを、そのときはっきりと自覚した。

 ああ、そうか。私はこれが一番、負担に思っていたんだ。

「先輩がね。ずっと調子悪そうなの」

「…………」

「様子が明らかにおかしいし、先輩が先輩ではないような気がする。正直、怖いかも。獰猛な何かが蠢いているみたいな」

「ふーん」と村雨くんは唸った。

 私はその時、自分が内に抱えていた数々の重い問題を言葉にするために、頭の中で散らかっていた言葉をまとめて口から出した。

 その整理は一人ではできない物な気がする。

 聴かせる相手がいて、その人を気遣う気持ちがあったからこそ、その気持ちに手助けしてもらったからこそ、問題をこうやって明確に判別することができた。

 問題を一つ一つかいつまんで語り終えた時、隠れていた大きな自分のコンプレックスが浮き彫りになった気がする。

「そういうことを考えているとね」

 私はそれを言葉にする。

「自分が普通で立派な大人ではない気がするの。この歳になって、誰かに気を遣って生きていくことを、今になって思い知らされている。怖い。そして、その重さに私は潰されてしまいそうで、苦しいの」

 まとまりのなかった感情の切れ端が、口から飛び出るときするすると台詞になっていた。

 私は自分の中に居た漠然としてよくかき混ぜられた紛雑な感情を、そのとき初めて、コンプレックスという単語に収めることが出来たのだ。

 気が付くと、肩に伸し掛かった自重が少しだけましになっている気がする。

 感情を大きな括りに収めて処理する。

 私に足りなかったある意味自立に繋がりそうなピースが、すっぽりと心にはまった感覚がした。

「そっかぁ」

 村雨くんは空を見つめながら云う。少しの間を置いて、彼は顎を上下させる。

「お前はきっと、自分で大きな決断をするのに慣れていないんだ」

「…………」

「だから困っちまうし、その困っている自分が凄く不甲斐ないように見える。でもそんなん当たり前なんだよ。人なら、自分が出来なかった体験があったら落ち込むもんなんだ。正常だよ。そしてそれは、克服できるものでもあれば、その欠陥と共に生きていく選択肢もある」

 村雨くんはぼんやりと空を見つめ続ける。

「周りを見ると分かるけど、普通とよばれるものは大多数の理想論で、普通になれと言ってる奴らも別に普通には当てはまらないほど大きな欠陥を抱えてやがる。そういう欠陥は、俺らにも少なからずあるし、その大きさによって看過できなかったり人を遠ざけたり、逆に人が遠ざかっていくことがある。でも同じ心の内の奴ら、それか、似た境遇の奴らは確かにいて、俺らはきっとそういう、自分にとっての当たり前や普通が分かる他人を探しているんだと思う」

「……自分にとっての当たり前や普通が分かる他人を探している」

 私は無意識のうちに、それを口から反復していた。

「じゃなきゃ、神様は人を一人だと死ぬようにしないはずだ」

 孤独死の実情を分かっていない。

 という無粋なツッこみは心に仕舞った。

 でも面白いなって感じた。村雨くんの言葉には彼なりの暖かさと、人生経験を感じる。

 村雨くんは少し言うのを迷ってから続ける。

「これは……っその、俺がりんと付き合う時に言った、臭い言葉なんだけどよ」

 耳を赤くしながら、村雨くんは目線を私から逸らした。

「人は皆、イトテキであれ」

「え? 意図的?」

 私が聞き返すと、悶える村雨くんは首を横に振ると咄嗟に立ち上がって、去り際にその答えを教えてくれた。

 その言葉は彼らしくもありつつ、彼なりの暖かさも含んでいて、私にとっては目が見開くほど衝撃的な、愛の言葉だった。


「人は皆、愛的いとてきであれ」


 私は去り際の村雨くんを一枚、撮影した。




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