次の日、僕と浅井が施設の偵察を終えて帰っている途中の事である。
「村瀬」
浅井は僕の背後でぽつりと呟いた。
「村瀬は、俺の事どう思っている?」
浅井はいつものトーンで云った。
僕は思わず振り返り、彼のクマだらけの目元を見つめる。
「いきなりどうしたの?」
「こういう話は何て言うんだ? 雑談か?」
質問の意図が分からなかったが、僕は言う「雑談の域は出てはいないからそうだよ」
「じゃあ雑談だよ。何か芯の通った疑問があるわけじゃない」
浅井はいつもの仏頂面でそう云うので、不気味に想いながらも僕は背中を向けて進み出した。
「そうだな。冷静で頭が良い仲間だと思っているよ」
「そうか。俺はあまりそう思ってない」
「どういうこと?」僕は草を踏みながら尋ねる。
「俺は自分が分からなくなっているのかもしれない」
「ほう」
「なあ村瀬、俺は何なんだろう。誰かと共に歩くだけで虚しくなる気がする。誰かと一緒に言葉を交わすだけで違いを思い知らされる。浅井亀太郎は、一体何者なんだろう」
「まるでポール・ゴーギャンの絵画みたいなことを言うじゃない」
「俺はそっちより『人の子』が好きなんだが」と浅井は苦笑する「……ああ、俺は人間の初歩的な部分が分からなくなっている。これはなんていうのだろう」
僕は歩きながら、心に従って言葉を放つか、それとも脳で考えて物を言うか考えてみる。
浅井亀太郎という男は難しい男に見え、その実は単純かつ明快な人物だ。
だが問題はその男の心が未成熟であるという点。
気持ちだけなら僕も同胞だ。
「……」
心に従う事にした。
「君は浅井亀太郎だよ。君がどういう孤独を持ち、何を感じて何に顔をしかめるのか、僕にはわからない。君に僕の孤独が分からないように、君に僕の地雷が分からないように。君と僕、僕と君は、同胞でありながら同一人物ではないだろう? だから、君は君だし、僕は僕なんだ。つまり、何者であるかを決めるのは君なんだよ」
「俺は浅井亀太郎か。でも、何だろうな。時折分からなくなるんだ。後学の為に聞かせて欲しい。悲しいとき、お前は何をする?」
僕は言い淀んで視線を巡らせる。
「元気になることをするよ」
「例えば?」
「ご飯を食べるよね」
「ああ」
「友達と雑談する」
「ああ」
「甘いものも食べちゃうかも」
「……それで?」
「散歩を何度かして、本を読んだり景色を眺めたり、新鮮な空気を吸ったり」
「それは何をしているんだ?」
「気を紛らわせているんだよ」
そう。徹頭徹尾、僕も彼女もこうしていた。人生とはその営みの連続。
「つまり、苦しいや嫌という悪感情は自分の中で巡らせるしかないのか?」
「巡らせて飼い慣らす。それが出来なければ吐き出して、飼い慣らす方法を模索する。もしそれを悪意と括れるなら、もしそれを弱さと括れるなら、律することはたやすい。自分の中でのたうち回る蛇に名前を付けるんだ。何でもいい。悪意なら悪意として、弱さなら弱さとして付き合って、処理するか共存を選ぶ」
「そこまで利口に飼い慣らせる自信がない場合は?」
「そうなって初めて僕の出番だよ。なあ、人生を豊かにする素晴らしい手段は何だと思う?」
「なんだ?」
「友人だよ」
浅井は息を呑んで考え込む。僕はそれを見届けて、前方に意識を向ける。
彼の暗黙知が解明され、彼の体に浸透することを、僕は願った。
その日の夜、浅井が皆のいるところで中村を呼び出した。
中村は何かをやらかして叱られると思ったのか顔面蒼白とさせたが、二人が帰って来たのは深夜の一時だった。
正反対とも言える二人。浅井亀太郎と中村慎太郎。
きっと浅井は何かを見つけ、語るために中村を呼んだのだろう。だって帰って来た二人の顔は、どちらも幾分か晴れている気がしたからだ。
その後、浅井は久しぶりに自身のスマートフォンを起動していた。
彼は僕の隣で、所々小声すぎて聴こえなかったがこう呟く。
「――村の――確認――お前が――問題――逃せ、――てラ――文書――せa.k.a ルネ・マグリット」
準備は整った。僕らは武装を再確認してその日を待つ。