「すまない、さっきはつい取り乱してしまった。あれはわざとじゃないんだ」
「わざとだったら大問題ですよ」
会計を済ませてカフェを出た俺と入奈は駅前の時計台広場でそんな話をしている。お腹がいっぱいになってしまったためひとまずここで休憩中だ。
「まあ、でも無事に欲しいキャラが手に入って良かったですね」
「一人だったら無理だったから本当に助かった」
「この借りはどこかで返してくださいね」
「ああ、任せろ」
入奈は元気よくそう返事を返してきた。何をしてもらうかはまた追々考える事にしよう。そんな事を考えていると突然尿意がやってくる。先程コラボメニューを食べていた時に水も結構飲んだためそれが原因だろう。
「ちょっとお手洗いに行ってきます」
「いってらっしゃい」
俺は駅の中にあるトイレへと向かい始める。まだ通勤ラッシュの時間ではないのでそんなに混雑はしていない。
「そう言えば入奈がヴァンパイアスレイヤーに興味を持ったのって俺がおすすめしたからじゃなかったっけ……?」
確か前世では俺が持っていた漫画の一巻を入奈に貸した事がヴァンパイアスレイヤーにハマったきっかけだったはずだ。
一体何故前世と違っているのだろうか。もしかしてこれがSF映画で何度か耳にした事があるバタフライエフェクトというやつだろうか。実際に大学生になるまで関わった事が無かった入奈とこうやって交流しているわけだし。
「……まさかとは思うけど俺のせいで人類が滅亡したりしないだろうな?」
SF映画では過去に逆行した主人公が前とは違う行動をしたせいでその後とんでもないトラブルに発展する展開はよく見る。
「いや、俺の行動が変わったくらいでそんな事にはまずならないか」
歴史の教科書に出てくるような偉人ならまだしもただの高校生でしかない俺の行動が前と変わった事なんて誤差に過ぎないだろう。それからトイレで用を足して入奈が待っている広場に戻る俺だったがそこではトラブルが発生していた。
「ねえ、どうしてくれんの? あんたのせいで飲み物が台無しになったんだけど」
「そ、それはあなたが歩きスマホをしていたのが原因だと思うのだが……」
「私のせいみたいな口ぶりだけどさ、あんたがそこに立ってなかったらこんな事にはなってなくない?」
入奈はギャル風の女性から激しく詰め寄られて完全に萎縮している様子だ。恐らく歩きスマホをしていた女性が入奈にぶつかって飲み物をぶち撒けたと言った状況だろう。どう考えても完全なる言い掛かりだ。だから俺は入奈を助けに入る。
「あの、すみません。これ以上うちの連れに絡まないで貰っても良いですか?」
「この女がぶつかって来なかったらわざわざ絡んでないわよ」
「ちなみに氷室先輩はこの人にぶつかったんですか?」
「いや、私は立ってただけだ」
「じゃあ悪いのはあなたですよね?」
俺は女性に対してはっきりとそう言い放った。すると女性は凄い剣幕で怒り始める。
「うるさいわね、悪いのは私じゃないって言ってるでしょ」
ターゲットを入奈から俺に切り替えた女性は次々に罵詈雑言を浴びせてくるが、ブラック企業で飛び込み営業をやっていたおかげでこのくらいは痛くも痒くもない。
ブラック企業サラリーマンとして飛び込み営業をしていた時の方が開口一番に人格否定をされたり水やコーヒーをぶっかけられたりしていたためはるかにきつかった。
そんな事を思い出しつつこのトラブルの場をどうやって収めようか考えていると女性の口にしたとある言葉を聞いて黙り込んでいた入奈が反応する。
「……有翔に向かって死ねと言いました?」
「ええ、言ったわよ。こんな奴さっさと死ねばいいわ」
女性が相変わらず悪態をついた次の瞬間、入奈の雰囲気が一瞬にしてガラッと変わった。さっきまでの入奈とは違い瞳には漆黒の闇しか映っておらず体からは禍々しいオーラが出ているかのような錯覚すら感じる。
まるで猛獣を前にした草食動物のような気分だ。そんな異様な入奈の様子を見てさっきまで怒鳴り散らしていた女性も真っ青な顔をしている。
「私ならともかく有翔に向かって死ねというのは流石に許せない」
入奈がそう言って詰め寄ると女性はその場に尻餅をついた。さっきまでの威勢は無くなり完全に戦意を喪失している状態だ。これ以上はオーバーキルにしかならないと判断した俺は入奈を連れてこの場を離れる。
「……そろそろ落ち着きましたか?」
「ああ、迷惑をかけてすまなかった。ただ有翔に死ねと言われたのがどうしても許せなくてな」
ようやくいつものテンションに戻った入奈だったがさっきの光景が頭にこびりついて離れそうにない。今世の入奈を絶対に怒らせないようにしようと強く心に決めた。