「かわいい~! プニプニしてる~!」
スライムに踊りかかったユールさんは、緩み切った笑顔で撫で回し始める。
面食らった状態のまま視線を村長さんに移すと、彼はテーブルに肘をついて頭を抱えていた。
どうやら、ユールさんがこの状態になることを知っているようだ。
「つぶらな瞳~! 青色の体~! ちょっとひんやりしていて――ハッ!? し、失礼しました!」
僕たちが驚いていることに気付いたユールさんは、スライムから手を離してそそくさとテーブルから降りていく。
彼女は顔を真っ赤にし、しきりに頭を下げていた。
「孫が申し訳ありません。この子はスライムのことを非常に気に入っておりまして……。用事で村の外に出かける時などには、誰かがそばにいないと自らスライムに近寄って行ってしまうほどなのです……」
村長さんが苦言を呈すほどに、スライムのことが好きなのだろう。
現に、ユールさんはテーブルの上を移動するスライムを見つめ続けている。
まだ触れ合い足りないようだ。
「えっと……。その子は抱いても大丈夫……ですよね……?」
「う、うん。大丈夫だと思う」
動揺のせいか、ナナがわざわざ質問をしてきた。
まあ、この状況で混乱するなという方が難しいか。
「ほんとですか!? それでは!」
言うが早いか、ユールさんはスライムを奪い取るかの如く抱き上げた。
よっぽど、触りたくてしょうがなかったようだ。
「……申し訳ございません」
「い、いえ。スライムが可愛いというのは確かだと思いますし、良いことだと思いますよ」
頭を下げる村長さんに対し、ユールさんのフォローを行う。
好きな物があることは良いことだ。
誰かに迷惑をかけたり、悪影響を与えたりしなければ、心行くまで楽しむべきだろう。
現に彼女はとびっきりの笑顔を見せている。その笑顔を曇らせたくはない。
「では話を戻すとして……。このスライムを村に置きたいということでしたが……」
「ええ、許可をいただけないでしょうか……」
村長さんは顎に手を当て、思案を始める。
顔色をうかがうに、かなり風向きは怪しそうだ。
「一つ質問を。なぜ、村に住ませようと考えたのでしょうか? ケガが治りきったら野生に返すでも良いではないですか」
「それは……」
村長さんの質問に言いよどむ。
確かに、彼目線で見ればケガが治ったら野生に返せばいいだけの話であり、村に住まわせようとする心理は理解できるものではない。
だが、僕たちにもモンスター図鑑を作成するという目的がある。
これを説明せずに場を切り抜ける方法は――
「モンスターは一度人と共に暮らしてしまうと、野生に戻ったとしても他の仲間たちから迫害されることがあるそうです。それに、この子は既に仲間から攻撃を受けています。そんな状態で野生に返すのは、危険と判断したからです」
ナナが出してくれた答えに、コクコクとうなずいて同意する。
彼女がいてくれて助かった。
「救った命を散らされてしまう可能性を考えると、確かに保護した方が良いかもしれませんね……。しかし、モンスターを村に入れるということになりますので、私の一存だけでは決められません。皆に話を聞き、賛成を得られなければ……」
一つの集落を治める立場の者として、村長さんの考えは正論でしかない。
無理を言っているのは僕たちなので、スライムと共に暮らすメリットを何かしら提示しなければならないが、残念ながら彼らのことを知り始めたのはごく直近。
とても彼を納得させられるような言葉は――
「確かに最初は恐れられるかもしれませんけど、きっといつか、村の人たちもこの子のことを好きになってくれると思います! 私は賛成しますよ! こんなに可愛いんだからね~!」
スライムを撫でまわしながら、ユールさんが賛成意見を出してくれた。
いつかは好きになってくれる――か。
「村長さん。少しお時間を頂けないでしょうか?」
「時間……ですか?」
「はい。僕たちはこれから、スライムを村の方々から認められる存在に育てます。それができた時、この子を村に住まわせることを認めていただけないでしょうか」
このスライムが村の一員に相応しい存在になれるよう、僕たちが導いてあげれば良い。
それまでは僕たちの家から外に出すことをしなければ、村人に被害が出ることもないだろう。
「ユールさんを見てください。スライムに害意があるのであれば、こんなに仲良くできるはずがありません。つまり、人と共に暮らせる可能性があるということです」
本当に悪意を持った存在であるのなら、ユールさんに懐くことなどないはず。
それどころか、既に僕が退治しているはずなのだ。
「責任はすべて僕が持ちます! どうか、お願いします!」
頭を下げ、村長さんに懇願する。
すると、ナナも同じように頭を下げてこう言った。
「私も同じ気持ちです! きちんと育てていきますので、どうかお願いします!」
僕と同じ思いを抱いてくれたことに安堵する。
耳に届くかは分からないが、小さく感謝の言葉をつぶやいた。
「頭をあげてください。あなた方の覚悟、しかと受け止めさせて頂きました」
村長さんは椅子から立ち上がり、ユールさんのそばに移動すると、彼女が抱いているスライムをなで始める。
その表情に嫌悪感は抱かれておらず、幼い子どもを見守るような穏やかなものだった。
「あなた方の元で、スライムを育てる許可を出します。ただし、必ず村の一員としてふさわしい存在に育て上げてください。失敗した場合、このスライムを退治し、あなた方も然るべき罰を受けて頂きます。それが条件です」
「……! ありがとうございます! きちんと、大切に育てていきます!」
「ソラさんたちなら、きっと大丈夫です! スライムと暮らせる日々を楽しみにしながら待っていますね!」
頭を下げる僕たちの姿を見て、村長さんはハッハッハと笑いだし、ユールさんは喜びだす。
これで図鑑を作りやすくするための準備が一つ整った。
後は冒険者ギルドからも許可を――
「ところで、このスライムは何というお名前ですかな?」
村長さんの言葉で、大切なことを忘れていたことに気が付く。
これから共に暮らすというのに、スライムの名前を考えていなかった。
図鑑を作るためとはいえ、あまりにも薄情だろう。
「う~ん、名前……。急には思いつきませんね……」
腕を組んで考え込み始めると、ナナも同じ行動を取りだす。
彼女もパッとは思いつかないようだ。
「じゃあ、じゃあ! 私が決めてもいいですか?」
僕たちの様子をしばらく見ていたユールさんは、自信満々の様子で右手を挙げる。
スライムを育てると決めた僕たちが名付けるべきではあるが、こんなに可愛がってくれる人が名を付けてくれるのであれば、スライムも嬉しいだろう。
彼女に名付け親となってもらうよう、お願いすることにした。
「分かりました! そうだね、君の名前は――」
ユールさんが考えてくれたスライムの名前に、僕たちは大きくうなずくのだった。
●
「良かったですね。一時的とはいえ、許可が下りて」
村長さんの家を出た後、全ての用事を終えての帰宅途中。
小さくなっていくアマロ村をちょくちょく見つめながら、村での出来事をナナと振り返っていた。
「村長さんとはきちんと話ができたけど、ギルドのはどうなんだろうね……。あんなにあっさり終わるとは思わなかったよ……」
村長さんの時と同じように、冒険者ギルドのマスターとも話し合いを行ったのだが、二つ返事で終わりとなってしまった。
もちろん容姿など、念のために確認することはあったのだが。
「まあまあ。すぐに終わって良かったじゃないですか。ね、スララン?」
ナナは自身の手の上で眠っているスライム――スラランに優しく声をかける。
彼女の声が聞こえたのか、彼は体を小さく揺らすものの、目覚めることなく眠り続けていた。
「スライムらしい名前ですよね」
「うん、さすがはスライム好きってだけあるよ。それにしてもユールさん、鬼気迫るものがあったなぁ……。明日必ず遊びに行きます! って……」
村長さんの家を出る直前、ユールさんは興奮しきった様子でそのような要望をしてきた。
スラランは負傷してすぐなので、さすがに明日は来ないでくださいと言ったが。
「その後のユールさん、ものすごく悲しそうな目でこちらを見てましたよ」
「そのうち、私もスライムを育てます! とか言い出しそうだよ……。でもそれだけ、期待されているってことなんだろうね」
僕たちがスラランをうまく育て上げることができれば、ユールさんも自身の欲求を発散できるようになる。
安全性が不確かな野良のスライムに近寄ることも減り、村長さんもより安心できるだろう。
「最初は図鑑を作成するだけだったはずなのに、スライムと一緒に暮らすことになるなんてなぁ……。少し前だったら絶対に考えられなかったことだよ。いまだ乗り越えられていないと思っているけど、変えられた部分もあるんだね」
「きっと、私たちの心も癒されていきますよ。新しい目標ができたんですから」
「そうだね。スラランと一緒に頑張ろう」
これから始まる図鑑作成の日々を思い浮かべながら、坂道を上り続ける。
一緒に歩き続けていれば、いつかきっと。