「ああ、こらこら。勝手に外に行こうとしないでってば」
スラランを育てる許可を得てから数日後。彼はすっかりケガが良くなったようで、あちこちを跳ね回るようになっていた。
元気になってくれたことは喜ばしいが、こうも動き回られると進むと考えていた作業も思うように進まないものだ。
「スララン、遊ぶのはもうちょっと待ってて。もう少し調査を進めたいからさ」
廊下へと続く扉に体当たりをしているスラランを抱き上げ、なだめながら作業机の上に連れて行く。
ところがいままで動けなかった反動なのか、彼はすぐに机の上から飛び降りてしまうのだった。
「しょうがないな……。じゃあ、先に遊ぼうか。ほら、スララン。ボールだぞ~」
床の上に小さなボールを転がすと、スラランはそれを追いかけて体当たりをする。
それを繰り返す様子を見ながら、資料を作成しようとするのだが。
「失礼します。あらら、楽しそうですね」
机に戻るよりも早く、ナナが部屋の扉を開けて現れた。
仕事中にスラランと遊んでいる姿を見られたわけなので、慌てふためく。
「あわわわ……。ノックしてよ、もう……」
文句を言いつつも羽ペンをつかみ取り、作業をしていた様子になるように取り繕う。
もちろんそれには何の意味も無く、クスクスと笑われてしまうのだった。
「何度かノックはしましたよ? 返事がなかったので、何かあったのかなって思って扉を開けてみただけです」
「うげ……。全然気づかなかったよ……。思った以上に、スラランとのやり取りに夢中になっていたんだなぁ……。それはそうと、何か用事があるんじゃないのかい?」
このままでは余計なボロが出てしまいそうなので、強引ながら話を変える。
ナナはボールを追いかけ続けるスラランを見つめながらこう言った。
「お客様です。ユールさんがお見えになっていますよ」
「ユールさんが? なるほど、スラランへのお客様ってことだね」
以前、必ず遊びに行くと言っていたので、まず間違いなくスラランに会いに来たのだろう。
これだけ元気なのであれば、会わせても問題はないはずだ。
「分かった、スラランを連れてリビングに行こうか」
ボールと格闘していたスラランを持ち上げ、扉を抜けてリビングへと向かう。
そこにはそわそわした様子を見せるユールさんの姿があった。
「こんにちは、お邪魔しております!」
「こんにちは、ユールさん。さあ、立ってないで座って、座って」
挨拶を交わしながら椅子に座るように勧めつつ、スラランをテーブルの上に乗せる。
彼も知っている人がやって来たことに喜んでいる様子だ。
「スラランこんにちは~。元気になった~?」
早速スラランと触れ合い出すユールさん。
ところが、彼は触れられるよりも動き回りたいらしく、彼女の手の中でもがいていた。
「あんまり触りすぎると、スラランも嫌がっちゃうかもしれませんよ」
「た、確かに……! う~! やっぱりダメです! スララン~!」
ナナから注意を受け、慌ててスラランから手を離すのだが、触れ合うことを諦めきれなかったらしく、今度は頬ずりをし始める。
そんなこんなでスラランを堪能し続けるユールさんを交え、僕たちはのんびり雑談をすることにした。
「ダメですよ、ソラさん。自宅といえど、家を壊したりなんかしちゃ」
「分かってはいるよ……。だけど、研究する場所もない上に、それを準備するお金もないからさ……」
現在の話題は、自宅の研究室を破壊したことについて。
地下室か別館でも作りたいところだが、いまの僕たちでは難しい。
資金の問題だけはどうしようもないのだ。
「私たちがお願いした研究ではありますけど、次に部屋を壊したら外で実験をしてもらいますからね。重要な目的ではありますけど、落ち着いて休める場所を失うことの方が問題ですから」
「わ、分かってる。問題が起きないように、ちゃんと調査、準備してから実験するよ」
これから冬に変わっていくというのに、外で実験などできるわけがない。
この家を用意してくれた、魔法剣士ギルドの面々にも申し訳が立たないので、問題が発生した時の対処を考えておかなければ。
まあ、一番に考えるべきは問題を起こさない方法なのだが。
「あははは……。気を付けてくださいね。あ、そうだ! 忘れていました!」
僕たちのやり取りに苦笑を浮かべていたユールさんが、席から立ち上がって近くの窓へと歩み寄っていく。
何かやるべきことでもあったのだろうか。
「最近、スライムの数が増えているんじゃないかっていう噂があるんですよ。一斉に同じ方向に進む子たちを見たって言う人もいるみたいで」
「数が増えているうえに、同じ方向に向かうスライム……? この辺りで見た記憶はないなぁ……」
「そうですか……。ここからならその子たちの姿が見つかるかな~って、思っていたんですけど……」
探すのを諦めたのか、ユールさんは窓から離れて椅子に戻ってきた。
彼女がいなくなった窓に近寄って外の様子を調べてみるが、そこから見えたのは風に揺れる穏やかな草原の姿だけだった。
特に変わった様子もなく、モンスターらしき影も見つけられない。
「もし、そのスライムたちを見つけたらどうされるんですか?」
「もちろんプニプニです! 見つけたスライムたちみんなをプニプニするんです!」
ナナの質問を聞き、全く恐れる様子も見せずに言い放つユールさん。
僕たちは呆れつつも、さすがに危険だからやめてくれと彼女に釘を刺す。
数時間後。夕焼けで赤く燃える草原を、ユールさんは名残惜しそうに村へと戻っていくのだった。
●
何か柔らかいものがぶつかる音が聞こえてくる。
振り返ると、スラランが窓に体当たりをしている姿があった。
どうやら外に出たいようだ。
「もう夜遅いよ? 今日はもう終わり。また明日遊ぼうね」
ナナがスラランを抱き上げ、彼の寝床に連れて行く。
不満げにしていたものの、暴れだすようなことはしなかった。
「それにしても、スライムが増えているかも……か。ユールさんが言っていたことも気になるし、図鑑も進めなくちゃいけない。明日は野生のスライムを調査しに行こうかな」
「大丈夫なんですか? スライムとはいえ、数が集まれば危ないと思いますけど」
「遠目に調べるだけだし、戦うことが主目的じゃないから大丈夫。危険を感じたら、戦うよりも先に君に報告するさ」
テーブルの上に散らばるスラランのおもちゃを片付けながら、明日の予定を話し合う。
さすがにスライムたちが集まる場所に乗り込む気はない。スラランを見つけた時と同じように、草葉の影に隠れて調査をするつもりだ。
とはいえ、何かしら不審な動きをしているのであれば、処置をするつもりではあるが。
「さて、片付けも終わったし、休もうかな。ナナもいつまでも薬を作ったりしちゃダメだからね?」
「わ、分かってますよ。いま体調を崩したら、たくさんの人に迷惑を掛けちゃいますから、無理はしません」
慌てるナナの返事を聞き、笑いながら洗面台に向かって歯を磨く。
再びリビングに戻り、家族たちに就寝の挨拶をする。
「お休み、ナナ。スラランもおやす――って、あれ? スラランがいないよ?」
「え? スラランならそこに――」
寝床にいるはずのスラランがいない。
ナナも異変に気付き、部屋内の捜索を始めてくれる。
「玄関の扉は大丈夫。窓も閉まってる……」
戸締りを確認するが、どこもカギがしっかり掛けられている。
だが、スラランの姿が見えないことには変わりない。
「スララン? スララン?」
ナナと共にテーブルの下やキッチンを探していると、突如猛烈に嫌な予感がした。
もう一つ、外へと出られる場所があることに気付いたからだ。
「あそこの穴は仮とはいえ塞いである。けど、そこを破壊してスラランが外に出て行ってしまったら……?」
素人同然の仮修理なので、衝撃を受ければ外れてしまう可能性は十分にある。
スライムの柔らかな体からは想像しにくいが、体を引き延ばしての体当たりは結構な威力があるので、耐えられないかもしれない。
「ナナ! 研究室を見てくる! 君はここでスラランを探していて!」
ナナに指示を出しつつ、研究室に続く廊下を駆けてゆく。
その道中にも、スラランの姿は見当たらない。
「数日後に修理が入るからって、適当に済ませるんじゃなかった……!」
後悔しても後の祭り。研究室にスラランが近づいていないことを祈ろう。
研究室の扉に近づき、仮の修繕をした扉を調べるのだが。
「壊されてる……」
修繕に使った木材は床に落ち、スラランなら問題なく通れる穴がむき出しとなっていた。