「はふぅ……。結構しんどい道だね。岩だらけだし、湿度が高いせいかコケが多くて滑りやすいよ」
「この先も道は険しいですし、この辺りで休憩を取りましょうか。はい、スララン。お水だよー」
翌日。僕とスラランは、ユールさんの案内でスライムたちが新たに暮らす場所を探していた。
森の中に既に入っているが、山に近いせいか地面に岩が多く歩きにくい。
モンスターがあまり住んでいないと言っていたが、彼らもこの環境では暮らしにくいのかもしれない。
「幼い頃、お父さんに連れられてこの秘密の森に遊びに来たことがあるんです。そのお父さんも、おじい様に連れられてここまで来ていたそうなんですよ」
大きな岩に腰かけたユールさんは、スラランに水を与えながら、子どもの頃の思い出を語りだした。
三代そろってこの森まで来ていたとなると、彼女の一族にとって、この森は大切な思い出の場所なのだろう。
「ご両親は、被害を受けた他の集落の支援をしに行っているんだったよね?」
「はい。時々手紙が送られてくるんですけど、帰ったら秘密の森にピクニックに行きたいって書いてありました。スライムだらけの森になったら驚かれちゃうかもしれませんね」
笑いながら話を続けるユールさんだが、その目には少しだけ寂しげな光が灯っていた。
アマロ村は、五年前の事件で奇跡的に被害を受けなかった村の一つ。
撃退に成功したというわけではなく、この村にはモンスターが襲ってくる素振りすらなかったそうだ。
そのおかげで各地の集落が機能不全に陥らず、少しずつ元の形に戻れているのだから、幸運なことだったのだろう。
「そうだ。ソラさんにいくつかお聞きしたいことがあるんですけど、いいでしょうか?」
「構わないけど……。どうしたの?」
ユールさんは、いつになく真剣な表情を見せてくる。
何か気になることがあるようだが。
「五年前、あなたとナナさんは傷心の状態でこの村にやってきましたよね? そうなってしまった原因が事件にあるというのも耳にしました。だというのに、なぜスライムたちのために行動しようとしているんですか?」
なぜスライムたちを助けようとしているのか、その理由をユールさんは知りたいようだ。
心に浮かび上がってきている思いを言葉にするために、脳を全力で働かせる。
僕がスライムたちを助けたい理由、それは――
「スライムたちが、五年前の僕たちと同じだと分かったから、だよ」
言葉として口に出すと同時に、五年前の記憶が呼び起こされる。
僕たちは大切なものを奪われ、心が傷ついた状態でこの村にやって来た。
スライムたちは大切な住処を奪われ、傷つきながらもこの土地にやって来た。
僕たちと彼らは同じ部分があると分かったから、彼らのために行動したいと思えたのだ。
「それと同時に、彼らに償いをしたいっていうのも理由かな。僕は彼らのことを知ろうともせずに退治してしまった。危機を未然に防ぐために行動したわけだから、間違いではないんだろうけどね」
スライムたちが巨大スライムと成り、僕たちに襲い掛かってきた時点で、村を襲おうという目論見があったのは確実だと思っていた。
だがそれは僕の勝手な憶測であり、ただただ僕たちを追い払おうとしていただけだった可能性もあるのだ。
「彼らの仲間を倒した手前で言えることじゃない。でも、僕と同じ……。いや、それ以上の苦しみを受けたかもしれない彼らを助けたいんだ。それが僕のいまの気持ちだよ」
モンスター図鑑を作るためだけではなく、同じ土地に生きる者としてスライムたちのことを助けたい。
嘘偽りない、紛れもない僕の気持ちだ。
「ソラさんにスライムを傷つける意思が少しもなくて良かった。ごめんなさい、試すようなことを聞いてしまって……」
戦いに身を置く人物が、本当にスライムたちを救う意思があるのか不安に思っていたのかもしれない。
申し訳なさそうにうつむくユールさんの姿を見て、複雑な思いに駆られた。
「できればもう一つ、教えていただけませんか? 五年前、私たちの村はモンスターに襲われず、平穏無事に過ごせていました。あの時、あなたたちに何が起きたんですか?」
「何が起こった……か……」
他意が無いことは何となく分かる。
だが僕は、あの日のことを話して良いのだろうか。
「この質問をしたことで、あなたを苦しませていることは何となく分かっているんです。でも、あなた方のスライム同盟の一員として、どうしても知りたい。教えていただけませんか?」
「スライム同盟……? そんな同盟を打ち立てた記憶はないんだけど……」
同じ方向を見ている者同士、お互いを知り合いたいという気持ちが強いのだろう。
ならば教えるのも良いかもしれない。
知ってもらうことで、あの悲劇を繰り返さずに済むかもしれないのだから。
「機密事項もあるから全部は言えないけど、僕たちに何が起き、感じたことくらいなら教えてあげられる。それでいいかな?」
真剣なまなざしでコクリとうなずくユールさん。
そんな彼女に対し、深く深呼吸をしてから語りだす。
「僕たち魔法剣士は、ナナの故郷の村を護衛する任務を受けていたって話は知ってる?」
「はい。その時にモンスター大発生事件が起きたことで村は壊滅。ソラさんとナナさんは、数少ない生存者とも聞きました」
ある程度のことは知っているようなので、もう少し踏み込んだ説明をするとしよう。
「あの日、僕たちは大切な人たちを失った。ナナは彼女の家族と村の人たち。僕は師匠ともいえる人を失くした」
「ソラさんの師匠? その方も魔法剣士なんですか?」
「僕に魔法剣士としての生き方を教えてくれた人。あの人の技は勇ましく、襲い来るモンスターの群れを一瞬でなぎ倒すほどに強かった。多くの魔法剣士たちのあこがれだったんだ」
そんな人でも、襲い来る強大なモンスターたちに押されてしまい、最終的に僕をかばって力尽きた。
いま僕が生きているのは、あの人――ケイルムさんのおかげ。
同時に、彼が亡くなってしまったのは僕のせいでもある。
「僕はナナを連れて村から逃げ、共に傷ついた心を癒すためにこの村に来たんだ。とりあえず、話せることはこれくらいかな」
他にも多くの出来事はあったが、部外者であるユールさんに教えられるのはこれくらいしかない。
仲間と言ってくれたようなものなのに、全てを教えられないことがとても悔しく感じた。
「そんなことがあったんですね……。すみません、辛い記憶を思い出させてしまって……」
「気にしなくていいよ。辛い思いをしたのはナナも僕も同じだけど、失ったものは彼女の方がずっと多い。僕がくじけるわけにはいかないさ」
ナナは故郷と両親と村の人たちに加え、彼女自身の魔法をも失っている。
本来であれば、彼女は高位の魔法を自在に扱える魔導士だったのだが、いまでは下位の魔法しか扱えない。
比べることではないが、彼女と僕とでは痛みの大きさが違うのだ。
「守るべき人、なんですね。でも、そんなにナナさんのことを想っていて、かつお互いとても仲が良いのに、恋人とかの関係ではないんですから。不思議な人たちですよ」
「あはは。お互い救い、救われた、命の恩人ではあるけどね」
僕はナナを燃える村から救い出し、彼女は命を捨てかけた僕に進むべき道を示してくれた。
守るべき人という言葉は否定しない。
仲が良いという言葉も否定しない。
「想っているという言葉も否定しないよ。でも、この想いを僕は伝えられない。まだ、乗り越えるべきものが僕たちにはたくさんあるから」
共に同じ屋根の下で暮らしていれば、いくら僕でもナナの気持ちは理解できている。
それでもこの想いを伝え合わないのは、五年前の件がお互いの枷になっているからだ。
「勿体ないですねぇ……。絶対、お似合いのお二人だと思うんですけど……」
「ありがとう。さっきはああ言ったけど、この想いを捨てるつもりはないんだ。いつかお互いが乗り越えられた時に伝えようと思っているよ」
それがいつになるのかは分からないが、きっと訪れるいつかのために、少しずつでも進んでいかなければ。
「そうだ、ユールさん。色々教えた代わりに、僕にも一つ教えてほしいことがあるんだ。どうして君はそんなにスライムが好きなの?」
ただ単に、可愛いから好きなのだろうか。
それとも、何かしらの思い出があるのだろうか。
「昔の話ですし、ちょっと情けない思い出でもあるんですけど……。笑ったりしないでくださいね」
「う、うん。分かった」
気恥ずかしそうに頬をかき、深呼吸をするユールさん。
彼女の口から、どんな思い出話が語られるのだろうか。
「幼い頃にいたずらをして両親に叱られ、家を飛び出したことがあるんです。たった一人で村から離れたところまで行ってしまい、村がどこにあるのかわからなくなって、泣き出してしまって……」
幼い娘が一人で村の外にまで飛び出すなんて、ご両親はさぞや肝を冷やしたことだろう。
僕は――出かけることは好きだったが、一人で遠出することはなかったはずだ。
「泣きながら草原を歩き続け、このままお家に帰れないのかな……。なんて考えだした時に、あの子は私の前に現れたんです」
「あの子? スライムかい?」
ユールさんの瞳がキラキラと輝きだす。
まるで宝石を見つめる少女のようだ。
「涙を流す私を慰めようとしていたのかは分かりませんが、あの子は私の前で踊るように跳ね回り始めました。うまく跳ねられずに草原を転がったり、倒れこんでしまったり。何度も私を笑わせ、勇気づけてくれたんです」
辛い時に受けた励ましが、スライムを好きになった理由のようだ。
その気持ちは、僕にも分かる気がする。
「……本当に、スライムたちが大好きなんだね」
「はい、とっても大好きです!」
屈託のない笑顔で答えるユールさん。
こんなに愛してくれる人がいて本当は幸せなことのはずなのに、スライムたちはその幸せを受けとる準備が整っていない。
絶対に、変えていかなければ。
「そろそろ先に進もうか。スラランも待ちくたびれたのか遊び出しちゃったからね」
スラランはあっという間に水を飲み干しており、僕たちの会話が終わるまで近くの岩場を跳ねまわっていた。
ここには大小さまざまな岩があるので、スライムたちの遊び場としては案外良い場所なのかもしれない。
「遊んでるんじゃなくて、移動しやすいか調べてるんだよね~。私たちが休憩していたのに、偉いぞ~」
ユールさんを見つめながら、スラランは大きく飛び跳ねる。
どうやら彼女の言うことの方が正しいようだ。
単に調子よく合わせているだけなのかもしれないが。
「目的地まではあとどれくらいだろ? 午後はスライムたちを誘導する手はずを考えたいからさ」
「あと十分くらい歩けば到着ですね。ただ、これまでの行程より道が厳しくなるので、注意してください」
再びユールさんの先導を受けながら森を進む。
倒れた木でできた橋を渡り、大地の裂け目を飛び越えつつ歩き続け――
「見えてきましたよ。あそこが目的地の泉です」
ユールさんが指さす先からは、強い木漏れ日が差し込んでいた。
こちらに流れ込んでくるそれは、暗い森を不思議な紋様で照らしている。
どうやら水に反射した光が樹々に映っているようだ。
「かなり綺麗な泉なんだね。暗い森の中でここまで光が反射するなんて」
アマロ村の周辺に泉が複数存在することは知っているが、これほど綺麗な泉は初めてかもしれない。
スライムたちの新たな住処として、期待しても良さそうだ。
「到着です。この場所をスライムたちが気に入ってくれると良いんですが……」
樹々を抜けた先には、木漏れ日をスポットライトのように受け、美しく光り輝く泉が。
近寄って水の中を覗いてみると、折れた樹々の枝が朽ちずに残っていた。
透明度もすさまじく、泉の底から水が湧き上がってくる様子が見えるほどだ。
「普通の泉だったら、こんなに残ることなんてないのに……。逆に綺麗すぎるんだね」
恐らくは北の山脈関連の湧水なのだろう。
これほどまでにろ過が行われている泉ならば、軽く処理をするだけで僕たち人でも飲めるかもしれない。
「水質もスライムたちが口にするには問題なさそうだし、食べ物も豊富にありそうだ。スラランは気に入ったかい?」
僕と共に泉を見つめるスラランに声をかける。
彼はしばらくじっとしていたが、突然、大きく飛び跳ねて泉の中へと入っていった。
水の中を泳ぎ回り、水面に浮かび上がっては空を見つめる。
何度か同じことを繰り返した後、彼は地上へと戻ってきた。
「どうだろ? スライムたちは気に入ってくれるかな?」
僕の質問に対し、スラランは左右に転がり、飛び跳ねるという不思議な行動を見せる。
何度かそれを繰り返すと、大きく飛び跳ねて再び泉へと戻っていった。
「……あれはどういう意味なんだろう?」
「多分気に入ると思うって言っていますね。ただ、自分はソラさんの家の方が良いとも言っているようです」
僕たちの家と比較されても困るが、住み心地が良いと言われることに悪い気はしない。
とりあえずスラランからお墨付きが出たので、ここをスライムたちの住処の候補と考えてもよさそうだ。
「あとはどうやってここに引っ越しをさせるかだね。何匹か友好的なスライムを連れてきて、少しずつ広めてもらうのが一番だと思うんだけど」
「気に入ってくれるかどうかを知るためにも、まずは連れてきてみないことにはわからないですしね。私とスラランで、昨日会ったスライムを連れてくるのが最適でしょうか」
昨日出会ったというスライムであれば、情報を素早く行き渡らせることができるはず。
ただ、そのスライムがここを気に入らなければ悪評が広がることになるが、その時はその時か。
「君たちが会ったスライムにこの場所を見てもらって、あとはスライムたち次第だね。道中で危険なモンスターが居ないことは把握できたし、調査はここまでにして帰ろうか」
他に懸念も見当たらないので、新しい住処の調査はこれで終わりにしてよいだろう。
この美しい泉と森を、スライムたちが気に入ってくれると良いのだが。
「分かりました! スララーン! おいで、帰るよー!」
水の上でぽちゃぽちゃと浮かんでいたスラランが、一旦水の中に潜り直してから一気に陸上へと飛び上がってくる。
僕の家の方が良いと言っていた割に、彼もこの場所を気に入っているようだ。
「よし、じゃあ帰ろう。今度はスライムたちを連れてきて、この場所を見てもらおう!」
僕たちは来た道を戻り、無事に森から抜け出すことに成功した。
その後、スラランとユールさんは友達スライムに会いに行き、共に泉へ向かう約束を取り付けてくれるのだった。