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追憶の夢

 暗闇の中、白い光に誘われて目を開く。

 大地は一面白で覆われ、頭上からは真っ白な粉がしんしんと落ちてくる。


 真っ白な大地と粉の正体は、どうやら雪らしい。

 見上げると、空には雲一つない美しい夜空が広がっていた。


 空から落ちてきている雪は、どこか遠くから風で吹き飛ばされてきたのだろう。

 冷え切った空間だというのに、不思議なことに寒さや冷たさは感じない。


 正面に目を向けると、白い粉雪が大地に穿たれた穴に落ちていく様子が見えた。

 それは地平の彼方まで続いており、底には寒さで凍り付いた川らしきものがある。


 どうやらこれは大きな穴というわけではなく、崖になっていると言った方が正しいかもしれない。


「……ふぅ、さすがに寒いや」

 背後から何者かが近寄ってくる気配がしたため、全身をぐるりと動かして振り返る。


 振り返った先には、黒髪の少年が一人で歩いてくる姿があった。

 彼は僕に気付く様子も見せずに崖の先端に移動すると、ゆっくりとその場に腰を下ろす。


 そして何度か小さくため息を吐いた後、天に顔を向けるのだった。


「あ! やっぱり、ここにいた! おにいちゃーん!」

 声に振り返る間もなく、フードを被った子どもが僕の体をすり抜け、少年に向かって走っていく。


 子どもが僕の体をすり抜けたことに驚くも、声がのどから発せられることはなかった。

 動くこと自体はできるようだが、足元の雪を踏みしめても音がならない。


 僕の行動が起因となって、何かが起きることはないのだろう。


「きれいなお星さま~! ねえ、おにいちゃん! なんでお星さまはひかってるの?」

 遅れてやって来た子どもは少年の隣に座り、彼のことを見上げている。


 その子のあどけない表情や小柄な体躯を見るに、まだ七歳――いや、五歳にも満たない幼児のようだ。

 おにいちゃんと呼ばれた少年は、質問をした子どもに顔を向けながらこう言った。


「物に火が着いて明るくなるのと同じだよ。お星さまも燃えて、明かりを出しているから光って見えるんだよ」

「じゃあ、じゃあ、お星さまもとってもあついの? どのくらい?」

「う~ん、どのくらいって言われても……。もしお星さまに近づけたとしたら、僕たちなんてあっという間に燃えちゃう……かな?」

 少年の答えを聞いたことで、子どもは恐怖に囚われたらしく、怯えた表情を浮かべる。


「大丈夫だよ。お星さまは僕たちからずっと離れた場所にいるから、燃えちゃうなんてことは無いさ。むしろ、晴れた日は一番大きく見えるお星さまが温めてくれるでしょ?」

「それって、たいようさんのこと? そっか! たいようさんももえてるからあったかいんだ!」

 恐怖の表情から一転、子どもは納得がいったと言いたげな表情を少年に見せていた。


「でも、これくらいなら本を読めば書いてあるよ? 蔵書室にもその本は置いてあるし」

「本きらーい。おにいちゃんからお話きくほうがおもしろいもん!」

 子どもは満面の笑みを浮かべて少年を見上げるが、彼は困った様子の表情を浮かべだす。


「それだと、いつか村の外に出ていく時に大変だよ。いまの内に、ちゃんとお勉強しておかないとね。僕もそのうち旅に出るわけだし」

「うー……。おべんきょうはやだし、おにいちゃんがいなくなるのもやだよ……。あ! わたしもおにいちゃんといっしょにたびにでればいいんだ!」

 子どもは不満げな言葉を口にしていたが、突如として嬉しそうな表情を見せつつ少年の膝の上に移動した。


 だが、彼は小さく首を横に振り、諭すような口調で言葉を紡ぐ。


「……ダメだよ。十二歳になるまで旅に出ないっていうのが決まりでしょ? 君を連れて行くことはできないよ」

「なら、わたしがじゅうにさいになるまでまっててよ! わたし、おにいちゃんといっしょにせかいをみてみたいの!」

 子どもは少年にせがむが、彼がうなずくことはなかった。


「それだと、今度は僕が旅に出るのが遅れちゃうじゃないか。大丈夫、僕が旅に出るまで毎日一緒にお勉強を見てあげるから」

「でも、おにいちゃんがたびにでたあとは……?」

 子どもは悲しそうな表情を少年に向け、ささやくような声で訴えかける。


「――と一緒にお勉強をすればいいのさ。そういえば、今日もあの子はお家で本を読んでるのかい?」

「うん……。おにいちゃんといっしょに、いろんなものを見たほうがおもしろいのに……」

 子どもの返事を聞いた少年は、大きく笑い声をあげながらその子の頭をフード越しに撫でる。


「本当に、二人は真逆だね。でも、異なる視点で知識を付けていくのは良いことだよ」

「どういうこと?」

「――は、――のままでいいってこと。さ、そろそろ帰ろう。だいぶ冷えてきたからね」

 少年は子どもを膝から降ろすと立ち上がり、大きく伸びをする。


 二人は手を握り合ってからゆっくりと歩き出すのだが、突然、子どもの歩みが止まってしまった。


「どうしたの、――?」

「やっぱり、おにいちゃんがいなきゃヤダ……。わたしもたびにつれてってよぅ……」

 子どもは瞳から涙を流しだす。


 少年はその子の正面に移動し、雪で白く彩られた大地に膝を付けながらこう言った。


「大丈夫。――が十二歳になった時は、僕も君の旅についていくよ。それまでにいっぱいお勉強をして、僕を驚かせて見せてよ」

「ほんと……? うそじゃない……?」

「うん、約束する。一緒に旅に出かけよう」

 少年は子どもを優しく抱きしめ、その子も彼の背を嬉しそうに抱きしめた。


「えへへ……。わかった! わたし、おにいちゃんをびっくりさせられるように、がんばっておべんきょうするね!」

「うん、その意気だよ。それにしても、十二歳になった――か……。きっと、もっと可愛くなってるんだろうね」

「うん! がんばって、すてきなおねえちゃんになるもん!」

 その瞬間。大きな風が巻き起こり、大地の雪を拭き散らしていく。


 風は女の子のフードをも吹き飛ばし、その内側にあったものが現れる。


「びっくりした……。すごい風だったね……」

「うん……。フードもとれちゃった……」

 フードの中からは汚れなき真っ白な髪が現れ、頭頂部には小さな白い角らしきものが生えていた。


 女の子と少年は、同じ種族の生まれではないようだ。


「風も収まったみたいだし、帰ろっか。ちゃんとお風呂に入って、温まってから休むんだよ?」

「はーい。そうだ、おにいちゃんもいっしょにおふろにはいろ!」

「一緒にかい? じゃあ、君のお父さんとお母さんに許可を貰ってからにしようか」

 二人は仲良く手を取り合って、崖とは反対の方向へと歩いていった。


 彼方には、ゆらゆらと揺れる明かりが見える。

 その光は次第に広がっていき、一面の白をさらにさらに白く包んでいく。


 あまりの白さに眼がくらみ、再度瞼を開けようとした時には――


「また、同じ夢だ……」

 見知った天井が僕の視線に入り込んだ。


 レイカたちにアマロ地方の紹介をしてから一週間が経ったが、あれから毎日、同じ夢を見るようになってしまった。

 この夢は、僕に何を伝えようとしているのだろう。


「……薄情なお兄ちゃんだな」

 あの子もそろそろ十二歳になる頃だというのに、僕はいまだに故郷に帰ることができていない。いや、帰ろうとすらしていない。


 この場所でやるべきことがあるとはいえ、約束を反故にしかけていることに気付いて心が強く痛みだす。

 だとしても、痛みを抱えている人を置いて、一人で逃げ帰ることは許されないのだ。


「名前……。何だったかな……」

 あんなに毎日一緒にいたはずなのに、名前も顔も思い出すことができない。


 荒れ狂う海を渡り、魔法剣士となり、ナナとの出会い、あの人たちとの別れ。

 故郷を旅立ってから七年、あまりにも多くのことがありすぎた。


 忘れたというより、押し流されてしまったのかもしれない。


「いまも村にいるのかな……。それとも、僕のことに幻滅して旅に出ちゃったかな……」

 大きくため息を吐きつつベッドから這い出る。


 現在の僕を見たとして、あの子は喜ぶだろうか。

 当初の旅の目的も果たせず、こんなにも変わってしまった僕のことを受け入れてくれるだろうか。


「……いつか、きっと会えるはず。その時にちゃんと謝ろう。よし! 今日も一日、みんなと一緒に頑張りますか!」

 服を着替え、頬をピシャリと叩いて気合を入れる。


 まずはいつも通り、朝食作りからスタートだ。

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