「お、大きい……! こんなに大きなオークがいるなんて……!」
「よりによって森の主が現れるなんて……! これはまずいな……!」
姉弟を連れてナナの所に逃げ戻り、森の主の巨体を見上げる。
何度かこの森に来たことはあったが、主を見るのはこれが初めてだ。
森の中に入る用事はそうそうないうえ、入ったとしても主が暮らしている森の深部に行くことなどないからだ。
「魔力を感じる……! ソラさん! 森の主は洗脳魔法で操られているようです!」
「なるほど、男たちが笑っているわけだ……。ということは……」
森の主の足元周辺を睨みつけると、何者かの影がうごめく。
その影の正体は、先ほど僕が泉に吹き飛ばした男だった。
息を荒げている様子を見るに、森の主を誘導するために全力で走ってきたと言ったところか。
「ハッハッハ! どうだ! コイツが俺たちの隠し玉だぜ……!」
「おい! 休憩してないで、さっさと攻撃指示を出せ!」
「てめぇは俺たちが戦っている間、気絶してたんだからな! 後で覚えておけよ!」
僕たちの背後でロープに縛られている男たちが、森の主を誘導した男に対して文句を発した。
早く助けろと言うのであれば分からなくもないが、後ほど仕置きをするとまで言い出すとは。
良くも悪くも行動しているのは彼だけだというのに、良いご身分だ。
「わ、分かってるよ……。ふぅ……。お前の相手はあいつらだ」
男は森の主に指示を出し、攻撃に巻き込まれまいと離れた場所に移動する。
彼の指示を受けた主は僕たちを見定めると唸り声を上げるのだが、突然頭を押さえながら呻きだす。
ずいぶんと苦しそうだが、これはもしや。
「ぐ……! やっぱり、俺なんかじゃ……!」
想像通り、主を操っている男が苦しそうに膝をついている。
いまの内に戦いの準備と、姉弟を――
「レイカ、レン。君たちは森の外に逃げるんだ」
「そ、そんな……! ソラさんたちを置いて逃げるなんて……! 私たちも戦います!」
レイカは僕の指示を受け入れず、短剣を抜き取って戦う意思を見せる。
だが、さすがに今回ばかりは心が乱れることはなかった。
「ダメ。レンがさっきまで捕まっていたせいで、精神的に摩耗してる。それに、君の持ってる短剣じゃどう考えても戦力にならない」
大型のモンスターと戦う訓練を、レイカたちが受けているとは考えにくい。
厳しいようだが、現状では足手まといの何物でもないのだ。
「でも、でも……!」
それでもレイカは首を大きく横に振り、僕の服を掴んで離れまいとする意思を見せる。
彼女のその行動に意義を唱えたのは、他でもない弟のレンだった。
「姉さん……。ソラさんの言う通り、僕たちでは二人の足手まとい。いるだけ邪魔」
「そ、そんなこと……! そうかもしれないけど……!」
レンは僕の言葉に同意し、レイカを森の外へと通じる道に連れて行こうとしてくれる。
弟からの進言と行動に対して彼女は反論しようとしていたため、約束を思い出させることにした。
「レイカ、約束したよね? 危なくなったらすぐに逃げるって。いまの僕たちでは君たちを守り切ることができないかもしれないんだ。だからお願い、逃げて」
「約……束……」
レイカは納得しきれていない様子の表情を見せたが、服を握る力は弱まっていた。
彼女の意思が変わってくれたことに安堵しつつ、今度はレンに声をかける。
「頼むね、レン。姉さんを守ってあげて」
「うん……」
レンはコクリとうなずき、森の外へと繋がる道へと駆けていった。
彼のその姿を見て、レイカも僕たちのそばから離れていく。
「……分かりました。外に出たら、力になってくれそうな人を探してきます……」
「うん、そうしてくれると嬉しいよ。一応ギルドに応援をお願いしてあるから、もし森の外で見かけたらここまで案内をしてあげて」
レイカは僕のお願いにうなずくと、レンの後を追いかけていく。
そのまま森の外へと向かうと思ったが、彼女は木々の暗がりに入る直前で振り返る。
「絶対、無事でいてくださいね……! ソラさん、ナナさん……!」
レイカは再び走り出し、木々の間へと消えていった。
彼女の心を胸に刻みつつ、苦しむ森の主を見上げる。
「無事で……か。ちょっとしんどいかもなぁ……」
「かもしれませんね……。でも、私も共にいますから」
ナナは僕の真横に立ち、不安そうな表情を浮かべつつも戦う意思を見せてくれる。
彼女に微笑みを浮かべ、魔導書に触れる。
「うまく魔法を使えないんだったら、さっさと俺たちを助けろ! いまの内だ!」
捕まえた男たちがわめく声が、背後から聞こえてくる。
その声に反応し、魔導士の男が焦った様子で解放に向かうのだが。
「させません! ドリムル!」
一早くナナが魔法を使用する。
焦ったせいか魔導士の男は魔法をもろに受け、地面に倒れこんだ。
彼女が使った魔法は睡眠魔法なので、いまごろ夢を見ていることだろう。
「あなたを操っている魔導士は無力化しました! すぐに魔法を解除するので――」
森の主に語り掛けてみるものの、彼は大きく雄叫びをあげ、暴れ出す。
彼も彼で魔法に抗おうとしているようだが、苦しみのあまり見境が無くなっているのだろう。
彼を救うためにも、この森を守るためにも、なるべく早く解除しなければ。
「ん? 何して……」
主はひとしきり暴れると、なぜか僕たちから目をそらし、泉の近くにある大きな岩を両腕で抱きしめる。
その行動の意味を理解した瞬間、背筋を冷たいものが流れていった。
「嫌な予感がするんだけど、岩を引き抜くなんてしないよね……?」
「私も、そんな気がしています……。きっと、その岩を私たちに向かって……」
脳裏に浮かび上がってきた光景を、ナナと共有する。
その間に主は両腕に力を込め、土ごと岩を引き抜いてしまう。
「うわわ……! やっぱり……!」
主が大岩を投げる動作を行ったため、ナナの体を抱き寄せてから大きく横跳びをする。
何とか回避することに成功し、大岩は僕たちがいた場所を転がっていくのだが。
「ちょ……! 待て! お前たちが避けたら……!」
捕まえた男たちの慌てる声が聞こえてくる。
大岩が転がっていく先に見当がついた時には既に遅く――
「「「ギャアァァーー!?」」」
大岩と衝突した三人組は、繋がれていた木もろとも吹き飛ばされ、動かなくなってしまう。
ピクピクと痙攣しているので、気絶程度で済んだようだ。
「ケガはしていないかい?」
「わ、私は大丈夫です。助かりました」
地面から起き上がり、ナナと共に立ち上がる。
森の主はその巨体に見合うだけの力を持ち合わせているようだ。
これは、想像以上に苦戦を強いられるかもしれない。
「レイカたちの護衛に回っても良いんだよ?」
「何を言ってるんですか。危険性だけで見れば、森を逃げるあの子たちよりもこちらの方がずっと上です。守れというのであれば、あなたを守りますよ」
冗談交じりの提案に対し、ナナは笑みを返してくれた。
彼女にも逃げてほしいという気持ちがあるのと同時に、彼女がいなければ森の主を止められないという確信が僕にはある。
この場を切り抜けたいのであれば、彼女と共に戦うことは必然だ、
「君の力、借りるよ」
「ええ、中途半端になってしまった力ですが、自由に使ってください」
戦いへの覚悟を決めるのと同時に、森の主が再び僕たちに視線を向ける。
さて、この巨体とどう戦ったものか。
操られているとはいえ、彼はこの森の守護者であり、彼のおかげで森の平穏は保たれている。
討伐どころか、戦うことすら本来であれば避けるべき相手だ。
「さっき男たちに使った拘束魔法は、主にも効果がでるかな?」
「効果があったとしても、全身を止めることは恐らくできませんね……。体のどこか一部を止めるので精いっぱいだと思います」
先ほど男たちに使用した作戦を、森の主との戦いで流用するのは難しいようだ。
ナナの力は補助として割り切り、主の行動を妨害してもらう方が良いかもしれない。
「タイミングを見計らって、主の足に拘束魔法をかけてもらえるかい? 上手く転ばせることができれば、洗脳魔法を壊せるかもしれない。注意は僕が引いておくから」
「危険ですけど、そうするしかありませんよね……」
不服そうな表情を浮かべながらも、ナナは杖を構えて詠唱の準備を始めた。
彼女の準備が終わるまで、何としてでも森の主の注意を引き続けなければ。
「それ、行くぞ! アクセラ!」
剣を鞘から抜き取ることはせず、強化魔法だけを使用して森の主に突撃する。
突っ込んでくる僕の姿を見て、主は右腕を引いて攻撃準備を始めた。
「おっと、危ない!」
風を切るような音が聞こえるのと同時に、森の主の足元に素早く滑り込む。
背後からは轟音が響き、土煙が僕の背中を襲ってきた。
「うわ……。あんなの喰らえないよ……」
攻撃が落ちてきた場所に素早く視線を向けると、大きな穴が地面にできていた。
いくら何でもこの威力はさすがにおかしい。
洗脳を受けているせいで、普段以上の力が出てしまっているのだろうか。
「あまり時間をかけすぎるのも良くないか……。このままだと主は――うわわわ!」
ほんのわずかな時間、集中を切っただけだというのに、森の主は次の攻撃に必要な準備を完了していた。
大きく足を振り上げ、僕のことを踏み潰そうとしていたのだ。
「うわわわわ!」
身をよじり、転がりながら踏みつけ攻撃を回避する。
何とか森の主の攻撃範囲から抜け出すことができたが、主は追撃をしようと大地を踏み鳴らしながら追いかけてきた。
「ソラさん! 準備、できました!」
「了解! 僕が指示をしたら、主に魔法を使って!」
森の主の追撃をかわしつつ、ナナに指示を待つよう伝える。
主はその大きな両手を使い、僕のことを捕まえようとしていた。
即座にダメージを受けることはないが、掴まれた後のことを考えれば他の攻撃よりもずっと危険だ。
「そろそろ加速魔法が切れちゃうな……。よし、これで決めるぞ!」
掴み攻撃をかわしつつ、森の主の足元に滑り込む。
足元に入り込まれたことで、手を使った攻撃を思うようにできなくなったらしく、主は片足を大きく上げて踏み潰し攻撃をしようとする。
その隙を突いて反対の足へ思いっきり体当たりをし、バランスを崩す。
「いまだよ!」
「分かりました! バインド!」
ナナが唱えた拘束魔法は森の主の足めがけて飛んでいき、絡みつく。
バランスを崩しかけていた主は体勢を戻せなくなり、轟音を響かせつつ顔から転倒してしまった。
「よし、いまのうちに魔法を壊さないと! 主の洗脳魔法はどこにかかってるかな!?」
「頭部から首の後ろ辺りに魔力の気配を感じます……! そこを攻撃すれば壊すことができるはずです……!」
拘束魔法をかけ続けているナナは、苦悶の声を発していた。
彼女にもかなりの負担がかかっているようだ。急いで魔法を破壊するとしよう。
「エンチャント・ファイア!」
魔法を詠唱し、剣に炎を纏わせる。
素早く森の主の背中に飛び乗り、一息に魔法を破壊しようとするのだが。
「ウグッ!?」
突然伸びてきた森の主の大きな手に、捕らえられてしまう。
攻撃準備を行っていたこと、この一撃で戦いが終わることへの安堵により、つい警戒を緩めてしまった。
「ソラさん! いま助けま――」
「攻撃しちゃダメだ!」
攻撃魔法を森の主に向かって唱えようとするナナを制止する。
「何言っているんですか! そのままじゃソラさんが……!」
「分かってるさ! だけど、彼を傷つけちゃダメなんだ!」
ナナの言葉に反論しつつ、森の主の手から逃れようともがき続けるが、少しずつ握る力が強まってきているのを感じる。
このままでは骨まで砕かれてしまうのは確実なのだが。
「彼は僕たちの勝手ないさかいに巻き込まれているだけなんだ! 傷つける必要なんて、これっぽっちも……無いんだ!」
四人の男たちが森の中に入ってきさえしなければ、森の主は静かに森の奥で暮らしていたはず。
操られることもなく、こうやって僕たちと戦うことすらなかったのだ。
「悪いのは、勝手に住処に入ってきた僕たち人……! 彼は、何も悪くないんだ!」
「ソラさん……」
ギュウギュウと、大きな手が僕の体を握り続ける。
抜け出せない。主を傷つけずに、ここから抜け出すにはどうすれば。
痛みに意識が消え始めたその時、悲痛な声が聞こえてきた。
「このまま握り潰されるのが正しいのだとしても、私にはそんなこと認められません……! あなたは言ってくれたじゃないですか……。私のことが必要だって……!」
ナナが握る杖に、魔力が集まっていく。
「私だって、同じなんです……! あなたが居なければ生きていけません……! もう、あんな思いはしたくないんです!」
集められた魔力は激しい熱へと変化し、さらに形を変えていく。
「あなたが必要としてくれたように、私にはあなたが必要なんです! ここで終わるなんて、絶対に認められません!」
大きな火の玉へと変化した魔力が、森の主の手に直撃する。
激しい熱を受けたことによる反射行動で、僕は投げ捨てられるようにして拘束から解放されるのだが、体勢を整えることができず、背中から地面に落下してしまう。
「ぐあ……! あう……!」
「ソラさん……! ソラさん……!」
ナナが駆け寄り、回復魔法を使ってくれる。
体の痛みが穏やかになり、動かせなくなっていた部分に力がみなぎっていく。
だが、完治に至るよりも早く、森の主は行動を開始してしまった。
攻撃を受けたことにより怒りを抱いた主が、這いつくばりながら近寄ってきたのだ。
拘束魔法の効果が残っているようだが、現状では何の意味も無い。
「僕はいい……! 早く逃げて……!」
「そっちこそ何を言っているんですか。逃げる時は一緒に、ですよ」
僕たちの周囲が、黒い影で塗りつぶされていく。
もう間もなく、森の主の攻撃範囲内に入ってしまう。
「ダメ……! ダメだよ……!」
「私だって、押し潰されるのは嫌です。でも、私はあなたから絶対に離れませんから」
森の主は腕を振り上げ、僕たちに狙いをつける。
力を込めきれない現状では、ナナを突き飛ばすことすらできない。
このままでは、僕たちはそろって押し潰されてしまう。
「最後まで、一緒にあがきましょう。そのほうが後悔しませんから」
ナナは僕の体を起こし、攻撃範囲外へと引きずろうとしてくれる。
しかし、非力な彼女の力では僕を連れて逃げるのは不可能だった。
「ダメ、みたいですね……。ソラさんと一緒なら、怖くないって思ったんだけどな……」
ナナの瞳から、涙がこぼれだす。
その涙は、この場を逃れる術はないという事実を突きつけるものだった。
「ゴメン……。やるべきことは、まだたくさんあったのに……」
「良いんです……。ソラさんが悪いんじゃないんですから……」
僕たちはそろって主を見上げ、その時を待つ。
レイカたちには悪いことをしてしまった。
信じてくれたのに、約束もしていたというのに。
やりたいことも、やるべきこともまだまだあった。
図鑑の作成も、魔法の研究も、何もかも中途半端なのに。
記憶の中のあの子たちにも、もう会えない。
何より、ナナに思いを伝えられなかった。
頭上から風を切る音と共に巨大な拳が落ちてくる。
瞼を下ろし、その瞬間を受け入れ――
「え……? うわぁ!?」
「きゃあ!?」
何かがぶつかるような音が聞こえた一瞬後に、森の主の拳が落着する。
だが、殴られる痛みは感じなかった。
主の攻撃は、僕たちからわずかにそれた地面を砕いていたのだ。
「主が攻撃を外した……? 一体どうして――」
目を見開き、砂埃の中でそうなった要因を探す。
砂埃の切れ目の先、その人物は立っていた。
「ソラさんとナナさんは、私たちを助けてくれた……! 今度は……私が助けます……!」
フードが外れ、白い髪と白い角があらわになった一人の少女。
大粒の涙を流しながらも、森の主を見上げるレイカの姿がそこにあった。