「ソラさーん。お部屋にいますかー?」
「ナナ? うん、いるよー」
満月祭から幾日が過ぎた午前中。聞こえてきた声に返事をすると、ナナが部屋の扉を開けて中に入ってきた。
製薬作業用のエプロンを着たままだが、何の用事だろうか。
「実はお薬を作るのに必要な薬草を切らしてしまって……。採取しに行きたいと思っているんですけど……」
「ああ、僕の傷を治療する時にも使ってたからね……。切れるのも早まっちゃうか……」
右腕の袖を捲り、青く変色していたはずの部分に視線を送る。
現在は元通りになっているが、この状態に至るまでは毎日薬を使用した。
それに加えて満月祭の準備等で採取に行く暇もなかったので、薬草を切らしてしまうのはごく自然のことだろう。
「ソラさんに使っちゃった分、働いて返してもらおうと思いまして。そういうわけで、一緒に行きましょう?」
働かせるような言い分をしている割には、ナナはどこか期待した様子を見せている。
もちろん、僕も彼女と出かけることは大歓迎だ。
家族が増えた分、彼女と話す機会が若干減少してしまったので、こういった時に思いっきり語り合うのも良いだろう。
「そのお誘い、もちろん受けせてもらうよ。すぐ出かけるかい?」
「まだ準備が終わっていないので、それが済み次第ですね。出かけているレイカちゃんたちに、書置きをしないといけませんし」
そう言いながら、ナナはリビングへと戻っていった。
レイカたちは、スラランを連れてアマロ村に行っている。
村人たちが村の案内をすると言ってくれたので、交流もかねて行かせてみたのだ。
「そういえば、一緒に出掛けようって約束してたっけ」
出かける準備を行いつつ、それを決めた日のことを思い返す。
確か、レイカたちがこの家にやって来た日に約束をしたはずだ。
あれから一カ月近く経っていることに気付き、驚くと同時に申し訳ないという気持ちが浮かび上がってきた。
準備を終えてリビングに入ると、そこには上機嫌な様子で小箱にお菓子を詰め込むナナの姿が。
「なるほど。どちらかと言うと、ピクニックって言った方が良さそうだね」
「出かける用事なんてほとんどないんですから、こういった機会を利用しないと。レイカちゃんたちには悪いですけど、今日だけは楽しませてくださいね?」
ナナは自身の唇の前に指を立て、ウィンクをして見せた。
先ほどまで申し訳なく思っていたが、間違いだったかもしれない。
この機会を思いっきり楽しむ。そちらの方が、お互い有意義だろう。
「……まだ書置きはできてないみたいだね。僕がスパッと作るから、お互い準備が終わったら、早速でかけよう!」
「はい! 急いで準備しますね!」
紙とペンを手に取り、出かける場所と理由を明記する。
そうこうするうちにお互いの準備も終わり、僕たちは家の外へと飛び出していく。
目的地はアマロ村南の森。森の主と戦い、レイカたちと絆を結んだあの森だ。
●
「最後に来たときは、レイカたちのことがあって……だったよね」
森の入り口までやってきた僕とナナは、思い出話に花を咲かせていた。
と言っても、あまりいい思い出ではないのだが。
「森の主と会ったのもあれが初めてでしたね。そういえば、あの四人組は連行されて行きましたけど、その後どうなったんでしょうか?」
レイカとレンを攫おうとした四人組。
僕たちは彼らを縄で縛り上げ、検挙隊に突き出している。
「まだ聞き取りが中心じゃないかな? 裏の組織に所属していた人たちみたいだし、その情報を洗い出したいだろうからね」
あの四人組は罪を償い、足を洗ってくれるだろうか?
可能であれば、魔導士の男性とは腰を据えて話をしてみたいと思っているのだが。
「難しいですよね……。五年前の事件で私たちも大きな苦しみを受けたので、彼らの気持ちはよくわかります。ですが、罪を犯すことは……」
「君の言う通り、どんな理由があったにしても悪事を行ったことには違いないし、そこは僕も容認できないさ。だけど……」
理由があったからと言って、レイカたちを攫おうとしたことが良いことだとは認めない。
将来的に正しいことに繋がったとしても、認められるわけがないのだが。
「許すか許さないかを決めるのは、レイカたち次第。僕たちは見守るだけだよ」
僕たちに許されているのは、レイカたちが何を選択するかを見届けることだけ。
その選択に、僕たちが口を挟むことはできないのだ。
「何はともあれ、聞き取りが終わらないと……ですね。二度とあの子たちが狙われないとは限らないんですし、情報は多い方が有利です」
「裏組織なんて関わりたくないし、聞きたくないと思ってる部分はあるんだけどね」
苦笑を浮かべつつ、森の中へと足を進める。
今日の森は一段と静かで、平和そうだ。
「薬草がある場所は泉のさらに奥地。たっぷり時間もあるし、のんびり採取ができそうだね」
頭の裏で手を組み、のんびりと歩く。
すると真横を歩くナナが、不満げな声色で呟いた。
「せっかくなら、手をつなぎたいなぁ……」
おねだりに似た要望に驚いていると、ナナの表情もまた不満げなものになっていることに気付く。
二人きりな上に、今更恥ずかしがるようなことでもない。
そんな彼女に左手を差し出すと、細く美しい手がするりと絡みついてきた。
不満げだった表情も、明るい笑顔へと変化してくれる。
「ナナの手って、ちょっと冷たいよね」
「そうですか? ソラさんの手があったかいだけですよ」
触れ合いをしながら森の中をしばらく歩いていると、草葉の奥から強い光が差し込んでいる場所が見えてきた。
あの奥に、森の主と戦う羽目にあった泉がある。
「せっかくですし、あそこで一旦休憩にしましょうか」
「さんせーい」
呑気に返事をしながら茂みを抜ける。
静かで美しい泉が目の前に現れたが、周囲の草地は以前の戦闘の影響で土がむき出しになっている部分がいくつかあった。
どうしようもないことではあるが、自然に影響が出る戦い方をしてしまったことに心が沈んでしまう。
「……休憩する前に、少しだけでも土をならしておこうか」
「そうですね。きれいな泉の方が私も好きです」
荷物を草地に置き、僕たちは土を戻す作業を行った。
元通りになることはあり得ないだろう。
それでも、少しでも美しい場所に戻ってくれるように願いつつ、土を穴に戻していく。
「とりあえずこんなものかな……。抜かれた岩は元あった場所に戻せないし、不格好な所もあるけど……」
「後はこの森に任せましょう。私たちが手を入れすぎるのも良くありませんから」
泉へと近寄り、美しい水の中に両手を入れる。
ゆっくりと手を擦ると、こびりついた土が水に広がっていく。
いっそのこと、僕の心を蝕む後悔ごと流れて薄まってしまえばいいのに。
だが、いくら手を擦ろうと流れて行くことはない。
いつまでも心にこびりつき、黒く汚し続けるのだ。
「ソラさん。いつまでも手を洗っていないで、休憩しましょう? そのままだと、手だけじゃなくて心も冷えちゃいますよ」
「……うん、そうだね」
泉から手を抜き、ポケットに入れていたハンカチで水分をふき取る。
悲しみにふけるのはここまで。
ここからはナナと楽しむための時間だ。
「んじゃ、シートを引いて、泉を眺めながらお菓子を食べよっか!」
「ええ、そうしましょう」
荷物を置いていた場所に戻り、間食をするための準備を始める。
シーツを草地に引き、カバンからお菓子を詰め込んだ小箱を取り出す。
準備を終えた僕たちは、穏やかな空間で二人だけの幸せを味わうのだった。