「あ~、美味しかった。満足、満足」
水筒に入れてきたお茶を楽しみつつ、お菓子を詰め込んだ小箱に視線を落とす。
底に残るは細かく砕けた破片だけであり、正常な形で残っている物は一つもない。
「さすが高級クッキーってだけあるね。すっごく美味しかったよ」
「特にお野菜のクッキーが絶品でしたね。若干の苦みがクッキー自体の甘さを引き立てていて、より味が強調されていたように思います。今度再現してみようかな?」
ナナの作る料理やお菓子は美味しいので楽しみだ。
食べたばかりだというのに、なんだかお腹が空いてきた気がする。
「それにしても、エイミーさんは来るたびに高級なお菓子を置いていくけど、どうやってるんだろうね?」
「特別な依頼なので、経費で落としやすいのかもしれないですけど……。それにしては限度がありますよね……」
先ほど食べていたお菓子は、エイミーさんが置いていったものだ。
彼女は別の場所で働いていたところを引き抜かれたと言っていたので、様々な優遇を受けている可能性は十分にある。
ただ、無理をしていないかの確認くらいはしておいた方が良いかもしれない。
「そろそろレイカたちも家に戻った頃かな?」
「どうでしょう? もしかしたら、共同食堂で何かごちそうになってるかもしれませんよ?」
レイカたちは、アマロ村の村人たちにかなり気に入られていたようなので、そうなる可能性も高そうだ。
置いてきたお菓子を食べきれないかもしれないが、それならそれで別の日に味わえばよいだろう。
「泉と言えば、リトルタイガーたちはどうしたんでしょうね。いつの間にかいなくなっちゃいましたけど……」
魔導士の男が使役していたリトルタイガーたちは、ナナが言うようにいつの間にかこの場から姿を消していた。
検挙隊がやって来たタイミングで移動をしたと思われるが、この森で暮らしているのだろうか。
「縄張り争いとかが起きた可能性を思うとね……。かと言って、成獣を三匹も家に連れ帰るのは無理だし……」
「狩猟を得意とするモンスターですから、食事に困ることはないはずですけど……。何かしてあげられていたらと思っちゃいますね……」
広く深いこの森で、再びリトルタイガーたちと遭遇することはできないだろう。
願わくば、彼らにも穏やかな暮らしを。
「さて、そろそろ動き出そうか。時間には余裕があるとはいえ、あんまり遅くなるとレイカたちに心配をかけちゃうかもしれないしね」
「ですね。目的の薬草がある場所はもうすぐです。行きましょうか」
ナナは小箱をカバンにしまい、立ち上がる。
シートを畳んでカバンの中にしまい、歩み出そうとしたその時。
耳をつんざくような金切り音が、僕たちの耳に襲い掛かってきた。
「うあ……!」
「ひあぁ……!」
音は非常に大きく、耳を抑えなければ耐えられないほど。
それでも音は容赦なく侵入し、意識を歪ませる。
静寂が戻ってきた時には、僕たちの身体からは大量の汗が吹き出していた。
「大丈夫かい……? ナナ……」
「何とか……。でも、まだクラクラします……」
どうやら僕と同じ状態らしく、ナナは自身の耳を気持ち悪そうに抑えていた。
耳鳴り以外で、身体に異常は出ていないようだ。
「さっきの音、なんだったんだろう……。この森であんな音を聞くことなんて、いままでなかったのに……」
「私も初めて聞きました……。一体、何だったんでしょうね……?」
この森をそれなりの頻度で訪れるナナも、原因が分からないらしい。
小さいながら分かっていることは、何かしらの異常がこの森に起きているということだけだ。
「どうする? 今日は諦めて家に帰ろうか?」
薬草を採るだけとはいえ、謎の音の原因が分からないのであれば、危険なだけだろう。
そう思い、ナナにこれからのことを質問する。
「……いえ。次に来る時にも安全とは限りませんし、もっと悪化してしまう可能性があります。原因があるのであれば、いまのうちに調べて解決してしまった方が良いと思います」
確かに、何も分からない状態で先延ばしにする方が危険かもしれない。
先ほどの異音で、森に暮らす生物たちも苦しんでいるはずだ。
問題が解決されない限り、先ほどの苦しみが続くことになるだろう。
「分かった。それじゃあ調べに行ってみよう。効果があるかは分からないし、周囲の様子が分かりにくくなっちゃうけど……。防音魔法を張ってみようか」
魔導書を取り出して目的のページを開き、魔法を詠唱する。
すると僕たちの周りにだけ半透明の薄い膜が出現し、周囲の音が聞こえなくなった。
「これでよしっと。魔力が底をつくまでに原因を見つけないとね。じゃないと、また異音が襲ってきたら防御できなくなっちゃう」
防音魔法を展開できるタイムリミットは、僕の魔力が尽きるまで。
実際にはそれよりも早く魔法を解除しなければならないので、時間に余裕があるとはとても言えない。
「いまの私では、この難度の魔法すら使えませんから……」
「気にしないの。さあ、行こう。原因を探しにね」
落ち込む様子を見せたナナに手を差し出す。
彼女は僕の手を取り、小さくうなずいてくれた。
「……はい、急いで解決しちゃいましょう!」
僕たちは手を握りあったまま、森の奥へと進んでいくのだった。
●
「勇んで森の奥に進んだのは良いけど、音の発生源がどこなのかすら分かってないんだよね……」
「防音魔法がきちんと効果を発揮している証左として、周囲の音が聞こえてきませんからね……。だからと言って、それなしに動き回るのは危険ですし……」
僕たちは、森の中をさ迷い歩いていた。
音を頼れない以上、目に頼るしかないのだが、視界が不明瞭な森の中ではそれすらもあてにならない。
何かヒントでもあればいいのだが。
「あれ? ソラさん、あそこ……」
ナナが何かを見つけたらしく、握りあっていた僕の手を引く。
彼女が見つめる先を追ってみると、木の影に倒れこんでいる何者かの姿を発見した。
「結構大きいね……。大型のモンスターみたいだから、まずは茂みに隠れて様子を見てみよう」
しゃがめば隠れられる程度の茂みに移動し、顔だけ出してその生物の姿を視認する。
なんと倒れていたのは、森の主と呼ばれている巨大なオークだった。
「なんでこんなところに……。さっきの音にやられたのか……?」
ピクリとも動き出す様子を見せなかったので、僕たちはさらに近寄って調べてみることにした。
胸部から背中にかけて、規則正しく動いている。
どうやら呼吸はできているようだ。
「気絶をしているだけのようですね……。回復してあげた方が良いでしょうか?」
「う~ん……」
目が覚めたら、いきなり攻撃してくる可能性がないとは言い切れない。
だが、森の主はこの森を見守る存在なので、今回の異常について何かしら情報を持っている可能性がある。
「よし、回復させよう。僕は防音魔法の範囲を広げておくから、彼の気付けをお願いするね」
魔力の消耗が激しくなってしまうが、四の五の言ってはいられない。
僕たちの周囲を覆っている防音魔法に意識を集中し、範囲の拡大を行う。
半透明の膜は少しずつ僕たちから遠ざかっていき、森の主の巨体を容易に包めるまでの大きさに広がった。
「こんなものかな……。さすがにこの範囲はしんどいね……」
範囲が広がった分、防音魔法を展開し続けられる時間は大きく縮まってしまった。
情報を得られなかった場合、消費した魔力が損になるので、何かしらの有益な情報が欲しいところだ。
「では、起こします。ソラさんもちょっと我慢してくださいね」
ナナはカバンから液体が入った瓶を取り出し、蓋を取り外して森の主に近づける。
瓶の中からは強烈な刺激臭が広がり、少し離れた場所にいる僕ですら不快感が襲ってきた。
「相変わらず酷い臭いだ……」
「離れているだけマシでしょう……? 私なんて……。ううぅ……」
ナナは空いている手で、鼻だけでなく口まで押えていた。
彼女の前で不満を言うべきではなかったかもしれない。
「か、代わるかい?」
「だ、大丈夫です……! ソラさんは、魔法に集中し――うぷ……。ちょ、ちょっとまずいかも……」
見るからに顔色が悪くなっていくナナに近寄ろうとしたその時。
「ゴワアアァァ!?」
雄叫びと共に森の主が跳ね起き、慌てて両手を使って顔を洗い始めた。
体の大きいモンスターにも効果が出るほどに、ナナの気付け薬は強力なようだ。
「ぷはぁ……。よかった、起きてくれた……。私はちょっと休みます……。ソラさん、後はお願い……」
治療を終えたナナは、瓶の蓋を閉めて木の根元へと移動していった。
そこに寄りかかり、気分を休ませることにしたようだ。
「主様。無理に起こしてしまい、申し訳ありません。少々お聞きしたいことがあるのですが……」
森の主は僕に気付くと、顔を洗うのをやめて距離を取るように動いた。
どうやら警戒をしているようだ。
いまは戦っている場合ではないので、何とか落ち着かせなければ。
「僕たちは薬草を探しに森に入ってきました。その途中で謎の音を聞き、その原因を調べるためにここまでやってきました。決して、森に住む皆を傷つけることが目的ではありません」
僕たちは薬草を採りに来ただけ。
決して、狩りや捕獲のために来たわけではない。
「僕たちもこの森の力を借りて生活をしています。何か問題が発生しているのなら、解決のお手伝いをしたい。どうか、知っていることを教えていただけないでしょうか」
この森に暮らす命たちが苦しんでいるのならば助けたい。僕の想いはそれだけだ。
森の主は僕の言葉を聞き終えても、じっとこちらを見続けていた。
僕も彼の瞳を見つめ返し、紛れもない気持ちであることを無言で伝える。
しばらく視線を交わすと、彼は僕から目をそらして立ち上がり、背を向けて森の奥へと進んでいった。
その大きな背に心の中でお礼を言いつつ、木に寄りかかっているナナの元へ移動する。
「ナナ、歩けるかい? ついて行ってみよう。きっと案内してくれるんだ」
「うえ……? 分かりました……。行きます……」
いまだ不調らしく、ナナはフラフラと立ち上がろうとしていた。
ここに置いていくわけにいかないが、かといって歩かせるのは辛そうだ。
「ほら、背中に」
中腰になり、背中を見せる。
幸い、魔法を使ったままでも人を担いで移動することはできる。
負担をかけてしまった分、僕も頑張らなくては。
「平気ですよ……。歩けはしますから……」
「ダメ。そんなフラフラじゃ危険なだけだよ。君の力はきっと必要になるから、いまは休んでて」
何か反論をされる前に、ナナの体を引き寄せて背負う。
すると彼女は僕の首に腕を回し、体を預けてくれた。
「……すみません。ご厄介になります」
「うん、任せて」
僕たちは森の主の後を追い、さらに森の奥へと進んでいくのだった。