「申し訳ありません、主様。説明していませんでしたが、僕の周りには防音魔法が張ってあって――」
ナナを背負って森の主を追いかけると、彼は少し進んだ先で耳を抑えてうずくまっていた。
防音魔法の範囲から抜けたタイミングで、謎の音が流れてきてしまったらしい。
「――ですので、半透明の膜の外には出ないよう、お願いします」
防音魔法が効果を発揮できていることが分かったのは良いが、説明するのを失念してしまうとは。
話を理解してくれたのか、森の主は移動速度を緩めて歩き出した。
僕たちと歩調を合わせることにしたようだ。
「く……う……」
視界が揺らぎ、若干の吐き気に襲われた。
魔力の消費が著しい。少し抑えなければ。
せっかく原因が分かっても、僕が倒れては意味がない。
防音魔法に意識を向け、魔法の範囲を縮小させる。
膜は僕たちを覆う程度の範囲にまで縮まり、それと同時に視界の揺らぎと吐き気も収まった。
これでもうしばらくは持ちそうだ。
「……大丈夫ですか?」
「これくらい大丈夫さ。それより君はどうだい?」
ナナは僕が調子を崩しかけたことに気付いたらしく、声をかけてきた。
何でもないと返すが、心配は収まらなかったようで。
「私も……歩きます……。あなたのおかげで、少しは良くなりましたから……」
僕の背から降りようと小さく体を揺らすナナ。
その行動を制止させ、再度彼女の体を背負い直す。
「二人ともダウンするより、君だけでも本調子に戻っていた方が良いでしょ? 君の方がこの森にはよく来てるんだし、何かしらの異常に気付きやすいからね」
「それを言ってしまったら、あなたの方が体力もありますし、原因への対処を行いやすいじゃないですか……。凶暴なモンスターと戦えと言われても、私には無理ですよ……?」
お互いを慮るがゆえに、小さな言い合いへと発展してしまう。
地面に降りようとする動きも止めないので、僕は本心を伝えることにした。
「君が苦しそうにしているのに、何もしないなんてあり得ないよ。僕は君と一緒に歩むと決めた。君が歩けなくなった時は、代わりに僕が歩いてあげるから。たまには僕の背中で休んでいてよ」
受け入れてくれたのか、ナナは動くのを止めてくれる。
そして再び腕が僕の体に巻き付き、彼女の頬も背中に当てられる感覚があった。
「じゃあ、あなたが歩けない時は、私が歩かないといけませんね……」
「そういうこと。一緒に、歩き続けようよ」
僕の体が強く抱きしめられる。
その温もりを活力とし、力強く足を踏み出す。
「森に入ってきた時は、静かで平和だと思っていたけど……。音のせいで、森の生き物が動けなくなっていたのか……?」
いま思えば、森に入った時点で異変は起きていたのだろう。
一体いつから、それが始まったのか。
レンを助けた後に起きたのは確実だが。
「あれ? ここは……」
考えながら森の主と共に歩き続けていると、地面に色とりどりの草や花が咲いている土地に出た。
この一帯は、樹々が生えない花畑となっているようだ。
「ナナ。危険があるかもしれないから、降りてくれるかい?」
「わかりました。よいしょっと……。ソラさんのおかげで元気いっぱいですよ!」
背中から降りるナナの顔を見てみると、本人の言う通り元気がみなぎっているように思えた。
対する僕は好調どころか不調寄りの状態だが、この場を包む香りのおかげか気分は穏やかだ。
「ここって、いつも薬草を採っている場所じゃないよね?」
「ええ、違います。森のさらに奥に、こんなに草花が咲き乱れている場所があるなんて……。しかも、この香りは……」
ナナはこの場所の観察を行いながら、スンスンと鼻を鳴らしていた。
匂いの元は地面に生えている植物たちのようだ。
「ここに生えている草花たち、みんな薬草の類です。しかも、強力な薬の材料になる珍しいもの……」
「そうなのかい? でも、そうなると普通のモンスターの仕業じゃないってことだよね?」
大体のモンスターは薬草の香りが苦手らしく、こういった地には近寄ろうとしない。
強力な薬になる薬草の群生地とならば、なおさらモンスターは寄ってこないだろう。
「植物系のモンスターであれば、こういった場所にいる可能性はあるんですけど……。そういうモンスターが現れること自体が珍しいですし……。う~ん……。まさかね……」
ナナは何か気付いたことがあるようだが、まだ確信を持てていないらしく唸りだす。
僕たちが会話をしている中、森の主が顔を歪めながら薬草の群生地を進んで行く。
彼もこの匂いが苦手みたいだが、解決のために我慢してくれているようだ。
「主様が行動をしているんだから、僕たちも動き出さないとね。周囲の様子を見ながらついて行こう」
警戒しながら花畑を進むも、この場所を包む空気は平穏そのものだった。
ここに原因があるとはとても考えられない。
「主様が気絶してしまう程の怪音……。苦手なのに薬草の群生地に入る主様……。もしも植物のモンスターだったら、その条件に当てはまるのは……」
ナナはブツブツと呟きながら歩いていた。
さすがに心配になり、歩きながら声を掛けようとすると。
「主様? 何かありましたか?」
当然、森の主が歩くのをやめた。
何かが彼の前にあると判断し、警戒しながら前に進み出ると。
「え? 葉っぱ?」
そこには植物が生えているだけだった。
青々としたそれは風に揺られており、特に異常らしき異常は見当たらないのだが。
「これが原因ってこと? ただの植物じゃ……?」
手を伸ばしてそれに触れようとすると。
「ソラさん待って! その植物は……!」
「へ? うわ!?」
なんと植物は、僕の手を避けるかのように地面を掘り返しながら移動をした。
何が起きたか理解できず、呆然と逃げていったそれを見つめる。
「なに、いまの……。もしかして、植物のモンスター……?」
植物のモンスターは種類自体が少なく、警戒心も高いので、人前に姿を現すことは滅多にない。
そのせいで彼らに関する情報はあまり出回っておらず、僕の頭の中にも知識がないのだ。
「あの植物――いえ、あのモンスターはマンドラゴラ。あなたの想像通り、植物系のモンスターです。でもまさか、この森に根を下ろしていたなんて……」
マンドラゴラは頭部に大きな葉が生えた、人に似た姿を持つ植物のモンスター。
彼らが持つ葉を使って作られた薬は、滋養強壮の効果が極めて高いらしく、薬を扱う者にとって、あこがれの存在だという話をどこかで耳にしたことがある。
肥沃な土地にしか根を下ろさないという希少性や、目の前にいる個体のように他の植物に擬態する能力を持つことから、幻のモンスターとも言われているそうだ。
「とりあえず、捕まえた方が良いのかな……?」
「私も初めて見たので、これといったアドバイスはできませんけど……。驚かせないようにゆっくりと近寄って、優しく声をかけてみましょうか」
マンドラゴラの対処法をナナに聞いてみるが、彼女もほとんど知らないらしい。
まずは基本である知ることから始めていくとしよう。
「了解。僕が先行するから、ナナは主様とゆっくりついてきて」
逃げたマンドラゴラに向かってゆっくりと歩き出す。
森の主とナナも後から同じようについてきている。
いまのところ、マンドラゴラが逃げ出す様子はなさそうだ。
「えっと、マンドラゴラ……さん? 僕のお話を聞いてくれませんか?」
手が届きそうな範囲にまで近づいたので、地面に膝をつけて声をかけてみる。
反応は全くなし。マンドラゴラの葉が穏やかに揺れているだけだ。
無視されてしまったことに気を落としつつ、ナナへと顔を向ける。
彼女は困った様子の表情を浮かべつつも、僕の横にやってくるとこう言った。
「私も自信はありませんけど……。代わっていただけますか?」
言われた通りにマンドラゴラから離れ、その場を譲る。
ナナは地面に膝を付け、僕の代わりに声をかけてくれるのだが、やはり反応がない。
彼女でもダメなのだろうか。そう思った瞬間。
「うわ!? 何だ!?」
突然マンドラゴラの周囲から土煙が吹き上がり、葉の周囲が見えなくなる。
ナナに襲い掛かった可能性を考え、警戒態勢を取るのだが。
「そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ。ほら、見てください」
ナナの口から出てきた声は警戒を知らせるものではなく、むしろのんびりとしたものだった。
彼女の肩越しに視線を向けると、そこには可愛らしい生物がいた。
「マンドラゴラの幼体みたいですね。まだ自我を得てからそれほど経っていないようです」
胸から上を土からだしているその生物は、僕たちをじっと見つめていた。
マンドラゴラは、人の幼児に似た姿をしていたのだ。