「マンドラゴラの幼体……。こんなに人とそっくりなんだね……」
頭に葉が生えたモンスター――マンドラゴラは、ナナと僕と森の主を順番に見つめていた。
地面に半分埋まっていることと頭の葉がなければ、ごく普通の幼児にしか見えない。
本当に、この子が異音の正体なのだろうか。
「危険を感じたりすると奇声を発します。聞いてしまうと泉にいた時の私たちのようにまともに動けなくなり、その間を利用して逃げてしまうんです」
「なるほどね……。さっきブツブツ呟いていたのは、マンドラゴラじゃないかと疑っていたってところかい?」
「そうなります。すみません、もう少し早く気付けていれば……」
ナナの謝罪に、僕は無言で首を横に振る。
いくら情報を持っていたとしても、希少なモンスターとなれば判断に困るのは当然だ。
この程度のことで彼女を責める気は微塵もない。
「それにしても、まさか子どもを見られるなんて……。成体のマンドラゴラは時折発見されますが、幼体が発見されたことは一度としてなかったんです。大きくなるまでのほとんどを土の中で過ごすので、発見が難しいんでしょうね」
先ほど、マンドラゴラは土を掘り返しながら移動をしていた。
奇声という攻撃的な部分、擬態という防御的な部分を駆使して、外敵から身を守っているのだろう。
「あ、手を伸ばして……。可愛いねぇ」
マンドラゴラは土の中から両手を抜き取り、ナナに向かって伸ばす。
彼女に触れたいというわけではないらしく、両手で何やら輪を作り始める。
そして、大きく息を吸い込むようなしぐさを取り――
「――ィィヤアァァ!!!」
とてつもない衝撃が走った直後に、大音量の声が僕たちの耳に襲いかかってきた。
「うわあああ!?」
「ひゃあああ!?」
「ゴガアアア!?」
三者三様の悲鳴をあげ、僕たちはその場に崩れ落ちてしまう。
耳鳴りと頭痛がするひどい状態だが、幸いにも気絶には至らなかった。
ナナも森の主も辛そうにしているが、とりあえずは無事のようだ。
「キャッキャ!」
僕たちが倒れる姿を見たマンドラゴラは、喜びながら土の中から飛び出して走っていく。
薬草群生地からは出て行かなかったが、離れた場所に移動してしまったようだ。
「ううぅ……。音で壊れることはないと言われている防音魔法が、一撃で破壊されてしまうなんて……。これがマンドラゴラの……」
「うあぁ……。でも、おかげで助かった……。逆に言えば、マンドラゴラの反応が悪かったのはそれが原因か……」
周囲を見てみると、先ほどまで僕たちを覆ってくれていた半透明の膜が消滅していた。
声だけで防音魔法を破壊するとは、幼い見た目によらず強力な力を持っているようだ。
「まうー。まー」
防音魔法が無くなったことにより、離れていったマンドラゴラの声が聞こえてくる。
その方向に顔を向けてみると、その子はこちらに体を向けていた。
再度手で輪を作りながら。
「うわわ! 待って、待って! 耳を塞いで!」
慌てて防音魔法を展開するのと同時に、耳を手で塞ぐ。
半透明の膜が僕たちの周囲を覆い、音が聞こえない状態になるのだが。
「――ヤアアァァ!!!」
再び奇声は発せられ、とてつもない衝撃と共に膜が破壊されてしまう。
直後に奇声が僕たちの耳に届き、悲鳴をあげながらうずくまってしまった。
「な、ナナぁ……。あの奇声にはどう対処すればいいのかな……?」
マンドラゴラを止めるため、ナナに助言を乞う。
彼女は少し考える様子を見せた後、僕に顔を向けてこう言った。
「防音魔法は張りなおせますか……?」
「あと、一回くらいだね……。それも長時間は張れないと思う。とてもあの奇声を耐えられるものは作れないよ……」
恐らく、僕たち全員を包み込むようなものは作れないだろう。
誰か一人を、一度だけ守るので精いっぱいだ。
「それで十分です。主様、私にお力をお貸しいただけませんか? あのマンドラゴラを捕まえたいのですが」
起き上がろうと体に力を込めている森の主に、ナナは声をかける。
彼もまた、彼女のことを見て大きくうなずいた。
「そして、ソラさんですけど……」
「よしきた。何をすればいいんだい?」
手を叩き、いつでも行動ができるとアピールするのだが。
「少し離れて待機してください」
「え……?」
ナナの言葉に、僕は落胆してしまった。
まさか、戦力外と言いたいのでは――
「何で悲しそうな顔をしているんですか? 私が指示を出したら防音魔法を張ってくれればいいだけなんですけど」
「あ、ああ、そう言うことね……」
今回は僕が支援役ということらしい。
ホッと胸をなでおろしながらナナと森の主から離れ、マンドラゴラを含めた全員を視認しやすい場所に移動する。
「で、どうすればいいんだい?」
「私と主様でマンドラゴラを捕まえます。その際に――」
「まうー。まうまう」
ナナの説明を遮る形で、マンドラゴラの声が聞こえてくる。
顔を向けてみると、その子は再々度手で輪を作り、奇声を発する準備をしていた。
「いまからじゃバインドも間に合わない……! ごめんなさい、ソラさん! 魔法を発動する準備だけはしておいてください! 主様、行きましょう!」
「グオオオ!!」
そう言って、ナナはマンドラゴラに向かって全力で走っていった。
森の主も咆哮をあげ、巨体を揺らしながら彼女の後を追いかけていく。
「まう? キャハハ! キャー! キャー!」
接近してくるナナと森の主を見て、マンドラゴラは奇声を発するのをやめて逃げ始める。
その声には恐怖の色は微塵も無く、むしろ喜んでいる時に出る声色だった。
「もしかして、マンドラゴラは遊んでいるだけなんじゃ……」
マンドラゴラは笑顔を見せながら、ナナと主の追跡を躱していた。
まるで、追いかけっこをして遊んでいるかのようだ。
「人もモンスターも、子どもは変わらないのかもしれないな……」
ほほえましい気持ちが胸の奥に浮かび上がってきたが、そんなことを考えている余裕はない。
ナナからの指示がいつ飛んできてもいいように、準備をしておかなければ。
「子どもとはいえモンスター……! 思ったよりすばしっこい……! でも、この薬草地帯からは出て行かないのなら! 主様はマンドラゴラの正面に回るように移動してください! 挟み撃ちです!」
「ゴアア!!」
ナナは何かを思いついたらしく、走りながら森の主へと振り返り、指示を出した。
指示を受けた彼は彼女から離れ、回り込むように移動をしていく。
彼女たちの企みに気付くこともなく、マンドラゴラは笑いながら逃げ続けていた。
そして――
「まう? あう……。あ……」
回り込みを終えた森の主が、マンドラゴラの前に立ちふさがる。
進路を阻まれたために足を止め、逃げ道を探そうときょろきょろと視線を動かし――
「いまだ! それえぇぇぇ!!」
「あう? むぅむ!?」
その隙を見逃さず、ナナがマンドラゴラに向かって勢いよく飛びつく。
彼女たちが地面に落ちた衝撃により、草花が舞い散っていった。
「ナナ!? 大丈夫!?」
「大丈夫です! ちゃんと捕まえましたよ!」
ナナは明るい声で返事をしながら起き上がる。
その腕には、マンドラゴラが抱きかかえられていた。
「むぅ……! むー!!」
「こらこら、暴れないの。君の負けだよ」
腕の中で暴れているマンドラゴラをなだめようと、ナナが声をかける。
だがそれが、逆鱗に触れてしまったらしく。
「むー! まう!」
マンドラゴラが輪を作り、ナナに向ける。
彼女に向かって奇声を発しようとしているのだ。
「ソラさん! この子の口周りだけに防音魔法を!」
「口に……? よくわからないけど、了解! 音よ、鎮まれ!」
素早く呪文を詠唱し、魔法を発動させる。
防音魔法がマンドラゴラの口元だけに膜を張るのと同時に、大きく口が開かれ――
「――! ――!!」
奇声は発生しなかった。
ただただマンドラゴラが、輪に向かって声を出すしぐさをしているだけだ。
「うまくいって良かった……。こんな至近距離でもろに奇声を受けたらどうなっていたか……」
腰が抜けてしまったのか、ナナは安堵のため息を吐きながらその場に座り込む。
一瞬でも遅れたら、予想が外れていたらと思うと、動けなくなるのも無理はないだろう。
「――? ――?」
何ごともない様子のナナを見て、マンドラゴラは再び輪に向かって口を開く。
奇声が発せられることはもうなかった。
「ごめんね、君の声をその輪に届かないようにしちゃったんだ。魔法を解除するまで、奇声は出せないよ」
ナナの話によるとこういうことだそうだ。
マンドラゴラが奇声を発するためには、本体の声と両手で作った輪が必要とのこと。
作られた輪を声が通過することで、拡声されて奇声となるのだ。
普通の声量で言葉を発せられること、奇声を発する前に必ず輪を作っていた点が、発生理由の裏付けとなったそうだ。
「でも、なんで防音魔法は壊れなかったのかな? やっぱり、奇声になってないから?」
「そう言うことですね。奇声になる前に声を遮断してしまったので、防音魔法を破壊する威力にはならなかったのでしょう」
防音魔法はあくまで奇声には耐えられないだけで、通常であれば問題ない。
通常の声から奇声に至るまでの間に、とてつもないエネルギーが生み出されていることになるが、小さな体のどこにそんな力があるのやら。
「マンドラゴラの奇声が発生するための条件は三つのようですね。手で輪を作ること、声を発すること、そして、声が輪を通過することで初めて奇声になるようです」
「奇声になる前の声を防音魔法で遮断したことで、それを防いだってことだね。さすがはナナって言いたいところなんだけど……。うう……」
少ない魔力で魔法を維持しているせいか、視界の歪みが襲ってきた。
このまま時間をかけすぎれば、魔法の効果が切れてしまう。
「奇声をやめるようお願いしますので、もう少し我慢してくださいね」
マンドラゴラは奇声を発せないことを理解したらしく、輪を作るのをやめ、悲しそうにナナのことを見つめていた。
彼女は穏やかな表情を浮かべ、静かに語りだす。
「……大丈夫、君の声はすぐに戻るよ。でも、その前に一つだけお願いを聞いてくれてもいいかな?」
ナナの言葉を聞き、マンドラゴラはコクリとうなずく。
この子も人の言葉を理解できるようだ。
「この森にはね、君以外にもたくさんの命が住んでいるの。ここにいる主様みたいにおっきな体を持っているものもいれば、空を飛ぶ鳥さんみたいに小さなものもいるの」
ナナはマンドラゴラを抱きながら、薬草地帯をゆっくりと歩きながら説明をする。
説得にはまだしばらく時間がかかるだろう。
少しでも集中を続けられるように、この場に腰を下ろし、休息をするとしよう。
「みんな、この森で静かに暮らしているの。聞こえるかな? 小さいけどお話している声が」
マンドラゴラの奇声が無くなったからなのか、森の上空からは鳥のさえずりが聞こえてきた。
奇声で気絶していた生物たちが目覚め、普段の森へと戻りだしたようだ。
「そんな小さな声と比べたら、君の声は本当にすごいよ。あんなに大きな声を出せるのは、君以外いないと思う。でもね、いきなり君の大声を聞いたらみんなびっくりしちゃう。びっくりして逃げちゃうんだ。そうしたら、君の周りには誰もいなくなっちゃう」
ナナはマンドラゴラを腕から降ろして地面に立たせ、同じ目線になるようにしゃがみ込む。
「独りぼっちは嫌でしょ? そんなの寂しいよね?」
ナナの言葉を聞き、マンドラゴラは寂しそうにうなずく。
もしかすると、寂しさのあまり奇声を発していたのかもしれない。
自分はここにいると誰かに伝えるために。
「大声を出すのは今日でおしまい。そしたらきっと、この森にいるみんなが君のお友達になってくれるよ」
マンドラゴラの表情がパッと明るくなる。
モンスターと言えどまだ子ども。
子どもに一番必要なものは強力な力ではなく、頼れる存在、共に歩む友だ。
「じゃあ約束しよっか。私たちはこれからお友達。お友達には大声を出さない。良いかな?」
マンドラゴラは笑顔を見せたまま大きくうなずく。
その頭をなでながら、ナナはこちらに振り向いた。
「さあ、ソラさん。防音魔法を解除してください」
「了解。……しょっと」
マンドラゴラの口元から半透明の膜が消え去るのと同時に、視界の歪みが若干収まった。
魔法を使うことはもうないはず。のんびり、ゆっくりと魔力を回復するとしよう。
「まう? あう! あうあう!」
「こらこら。お友達になったんだから、まずはご挨拶だよ」
話せるようになったことに気付き、嬉しそうに周囲を駆け回るマンドラゴラに、ナナは優しく注意をする。
注意をされたマンドラゴラは彼女の真横に走り寄り、その腕に抱き着きながら僕のことを見つめた。
「まう! まうまー!」
笑顔を見せながら、マンドラゴラは僕に向かって声をかける。
恐らく、よろしくと言っているのだろう。
「うん、こちらこそよろしくね。マンド――う~ん……」
返事をしようと思ったのだが、途中で言いよどんでしまう。
その様子を見て、ナナが不思議そうな顔をして声をかけてきた。
「ソラさん? どうされました?」
「いや、ちょっと呼びにくく感じてさ。マンドラゴラって種族名でしょ? スラランにスライムって呼ぶ感じで、なんか気持ち悪いんだ」
せっかく友達になったのに、種族名で呼ぶのは何か味気ないだろう。
マンドラゴラは特に気にしないかもしれないが。
「つまり、名前を付けようってことですね?」
「そういうこと。何か良さそうな名前はあるかな? 僕はあまり思いつかないんだけど……」
マンドラゴラらしい名前と言われても、なじみがないのでよくわからない。
いくつか思いつくものはあるが、どれもこの子には似合わないだろう。
「そうですね、それじゃあ……」
どうやら、ナナには思いついた名前があるようだ。
好奇心をむき出しにしながら、彼女がその名を発するのを静かに待つ。
「君の名前はパナケア。全てを癒すという意味だよ」
マンドラゴラ改めパナケア。僕たちは友達となり、交流を始めるのだった。