「ほら、ミルクだよー。飲めるかい?」
ミルクが溜まっている小皿に指を浸し、それを赤ちゃんコボルトの口周りに付けていく。
赤ちゃんコボルトは小さな舌を動かし、一生懸命舐め取ってくれた。
「人が飲む用ですから、本当は良くないんですけどね。近いものを作れるかな……」
ナナはテーブルに頬杖を突きながら、そうつぶやいていた。
モンスターの赤ちゃんにミルクを与える機会などそうそうない。
人が飲むためのミルクを鉱士の方々に分けてもらえただけ、幸運と思うしかないだろう。
「坑道からモンスターが居なくなったって話、本当か? それならなんで採掘を再開しないんだ?」
「崩落の危険性が無いか確認してから再開するんだってよ。場合によっちゃ、もうしばらく作業はできないかもしれないんだと」
声が聞こえてきた方向に視線を向けると、そこでは椅子に座って会話をしている鉱士さんたちの姿があった。
現在いる場所は、坑道外に置かれた宿舎。
本来であれば、鉱士さんたちが休養を取る場所だ。
僕たちは赤ちゃんコボルトと、子どものコボルトを連れて坑道を脱出していた。
このまま赤ちゃんコボルトを放置していては命に関わるので、採掘などは後回しにすることにしたのだ。
「ソラさん、ソラさん。私もミルクあげてみたいです」
「ん、分かった。優しくしてあげてね」
赤ちゃんコボルトをレイカに手渡し、座っている場を彼女に譲る。
うまくあげられるか、見守っているとしよう。
「指にミルクをつけて、口の周りに……。わあ……。ペロペロしてくれた……! 可愛いです!」
赤ちゃんコボルトを見て、レイカの頬が緩んでいく。
笑顔というよりは、にやけているようにも見えるが、それだけ可愛いと思っているのだろう。
「むぅ……。頭をなでてみたいけど……」
一方に目を向けると、レンが子どものコボルトを撫でようとしていた。
だが、噛み付かれるのが怖いのか、手を伸ばしたり引っ込めたりしてしまい、思うように撫でられないようだ。
「まずはこうやって、目線の下の方から撫でてあげて」
レンの手を取り、コボルトの首をゆっくりと撫でていく。
首、顎、頬、耳、最後に頭へと順番に手を動かす。
この間、コボルトは気持ちよさそうに目を細めていた。
「お、おお……!」
レンもコボルトを撫でられたことに感動したらしく、目がキラキラと輝いている。
分からないと怖いものだが、理解してしまえば怖くなどないのだ。
「おう、戻ったぜ!」
子どもたちの様子を見ながらナナの隣に腰かけようとすると、外へと続く扉が力強く開かれた。
大きな音を立てながら入ってきたのはオーラム鉱山の親方だ。
彼の背後には、シルバルさんとプラナムさんの姿もある。
「親方! 坑道の状態は!?」
「モンスターは居ねえ。だが、コボルトの住処周辺に脆くなってる部分があった。まずは補強工事から始めるべきだろうな」
「おっしゃ! じゃあ、資材を使う許可を。あっという間に補強して見せるぜ!」
親方は、駆け寄ってきた鉱士さんたちに、鉱山内の現状とこれからの指示を出していた。
モンスターがコボルトの住処から鉱山側に侵入しないよう、防御壁をナナに貼ってもらったので、後のことは彼らに任せれば大丈夫だろう。
「お疲れ様です。道中、問題ありませんでしたか?」
「ええ。ソラ様に借りた剣も、使用することすらありませんでしたわ」
プラナムさんは僕の元に歩み寄ると、腰に下げた剣を返してくれる。
彼女たちは、親方と一緒に再度オーラム鉱山に侵入していた。
目的は、鉱山内の安全確認をする親方の護衛だ。
最初は僕とシルバルさんでついていくつもりだったのだが、不調なのだからとプラナムさんに止められてしまい、代わりに護衛をすると言ってくれたのだ。
「折角ソラ様から剣を貸して頂いたというのに、使う機会がなくて残念でしたわ」
「モンスターの命を奪いたかったと言っているようにも聞こえるので、おやめください」
シルバルさんのツッコミに、プラナムさんは苦笑を浮かべていた。
護身用にと渡していたが、武器を使う機会は無い方が良いに決まっている。
何事も起きなくて本当によかった。
「ソラ、礼を言うぜ。お前たちのおかげでこの鉱山は再び稼働できる。ま、いましばらくは休みが続いちまうけどな」
親方は鉱士さんたちに指示を出し終えたらしく、僕たちのテーブルに歩み寄ってきた。
彼の表情には感謝の思いと、採掘が再開できる日を待ち遠しく思う期待が込められているようだ。
「コボルトの住処に鉱脈があったら、使ってあげてください。使わないのも、コボルトたちに失礼だと思うので……」
「ああ、もちろんだ。補強を終わらせ、コボルトたちをしっかり弔ってから採掘をしようと思っているぜ」
結局コボルト問題は、僕たち人が奪う形で終わった。
彼らの居場所だけでなく、命すらも。
何もかもを奪ってしまったが、こうなってしまったことにはどうしようもない。
僕たちにできることと言えば、感謝をして大切に使い続けること。
そうすれば、コボルトたちも浮かばれるだろう。
「んで、そのコボルトたちはどうすんだ? 生き残りなんだろ?」
親方の視線が、子どもコボルトと赤ちゃんコボルトに向く。
一番の問題はこの子たちだ。
二匹も僕たちと同じように生きており、この先も生きていかなければならない。
だが、この子たちはまだ幼い。放っておいたらどうなるかは、考えるまでもないだろう。
「この子たちは、僕たちが連れて帰ろうと思います。せめて、一人前の大人になるまでは……」
椅子から立ち上がり、二匹のコボルトに近寄って体を撫でる。
人もモンスターも生きなければならない。生きるためには奪わなければならない。
それだけは絶対の理。覆せるものではない。
「プラナムさん。坑道内であなたとレイカの言い合いを聞き、僕はレイカの想いを尊重しようとしていました。過去、似たような経験をしており、それは無事に解決へと至ったので」
巨大スライムを倒した僕たちは、生き残りのスライムたちのために住処を探し始めた。
理由を探ることもせず、奪ってしまったことへの罪滅ぼしでもあったそれは、無事に解決へと至り、アマロ地方に住まう多くの存在が幸せになったのは確か。
だからこそ、今回もきっと同じ結末に至れるだろうと思ってしまったのだ。
「されど今回、コボルトの群れがほぼ全滅という形で終わってしまい、人とモンスターの両者が納得できる形にはできませんでした。でも、これが普通なんですよね。前回のことの方がうまく行き過ぎていたんですよね」
最良を目指して行動するのが基本ではあるが、必ずしもそれに至れるとは限らない。
今回のようにコボルトたちが全滅してしまう場合もあれば、オーラム鉱山そのものが閉山に至る可能性すらあった。
人の生活に影響が出ずに終われただけ、幸いなことなのだ。
「でも、最善に至れなかったからこそ、より厳重に後処理をしなければいけないと思います。被害者を加害者へと変えないために……」
脳裏に浮かぶは、森の主と戦った時の記憶。
彼を操った四人組の男たちは、五年前の事件で大きな被害を受けた。
そのせいで罪を犯すことへの抵抗が大きく減り、レイカたちに害を与えてしまったのだ。
事件そのものが無ければ、加害者になることはなかっただろう。
もしくは被害を受けていても、適切な支援が行われていれば、犯罪をしようという思考に至らなかったかもしれない。
「僕は、被害を受けた存在に幸せを与える者になりたいと思います。偽善、傲慢と言われようと、被害者が悲しみを抱いたまま、生き続けるよりかはずっと良いと思うので……」
どんな道をたどったとしても、必ず過去が苦しみとなり、思い出を蝕む。
ならば、辛い過去をも包み込めるくらい、楽しい過去を作り出せばいい。
「一緒に暮らすことになるんだから、君たちの名前も考えないとね。コボルトの姉弟だから、そうだね……。ルトとコバ、どうかな?」
「ウワウ!」
元気に返事をしてくれたお姉ちゃんコボルト、ルトと、生まれたばかりの弟コボルト、コバ。
苦しみに蝕まれた思い出だけを抱えたまま、生きるなんてことにはさせない。
この子たちに、生きていてよかったと思える幸せを送ってあげよう。
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コボルト 獣系 オオカミ族
体長 標準 約 1.0メール 最大 約 2.0メール
体重 標準 約15.0キロム 最大 約80.0キロム
弱点 なし
生息地 高山地帯および草原地帯など広く分布
大陸各地に生息している、白い毛皮を持つオオカミ型のモンスター。
食料を求めて狩りをする姿や、果物を集めている姿を見ることも。
人も狩りの対象に見られることがあるが、一度懲らしめることで、二度と人を襲わなくなるなど知性もかなりのものがある。
ただし襲われた場合には、強力な足の筋力を用いて飛び掛かりつつ、爪や牙で引き裂こうとしてくるので注意が必要。
飛び掛かり攻撃をしている間は無防備になっており、大きく吹き飛ばすことができる風属性の魔法などに弱くなる。
吹き飛ばして気絶させてしまえば、後は放っておいても大丈夫だ。
鉱石と何かしらの因果関係があるらしく、コボルトが住みつく鉱山は、良質な鉱石を末永く採れるという逸話が存在する。
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