「すみません、試験中にみっともない姿を……」
「気にしないの。それより、全部吐き出せたかい?」
「ちょっとしこりが残っているような感じはします。でも、きっと大丈夫です」
涙を拭いたレイカの表情は、完全に吹っ切れたようには見えない。
彼女が言った通り、まだ引っかかっているものがあるのだろう。
「まだルペス先輩が来る様子はないし……。少し、体を動かしておいた方が良いかもよ?」
「ん~……。いえ、もう少しだけお話したい……かな。いいでしょうか?」
お願いにうなずき、僕たちは壁際に寄りかかったまま話を続けることにした。
話は更に、過去の記憶へとさかのぼっていく。
「私の兄のお話なんですけどね? 私が泣き出してしまった時は、必ず頭を撫でてくれるんです。とっても、優しく……」
「そっか、優しいお兄さんなんだね」
何度かレイカの頭を撫でたことがあるが、不思議と彼女が泣いている時はそうしなければと思ってしまう。
一体、この思考はどこからくるのだろうか。
「最近、夢を見るんです。小さな私が、ソラさんのことをお兄ちゃんと慕う夢を……」
「え? 僕がお兄ちゃん?」
コクリとうなずくレイカの表情からは、冗談を言っているようには思えなかった。
それはそれで嬉しくはあるが、しばらく一緒に暮らしたことで近い人物に当てはめられるようになってしまったのだろうか。
「目が覚めると、心がポカポカするんです。またあの夢を見れたって、嬉しくなるんです。これって、私がおかしいんでしょうか……?」
「う~ん……。嬉しいんだったら、別に気にすることはないんじゃないのかな?」
嬉しいことをおかしいと思う必要はないだろう。
それこそ、感じたままに喜べばよいのだ。
「それと一緒に、日に日に強まっていくんです。ソラさんが、いなくなった兄だったらいいのにっていう想いが……」
「え……?」
これも、冗談とは思えなかった。
レイカは僕のことを心から慕ってくれているようだ。
だがそれは、本当の兄を消す行為なわけでもあり。
「ダメだよ。いくら慕ってくれてもいいけど、君には君のお兄さんがいる。それを差し置いてまで僕を兄と呼ぶのは――」
「分かってます……。でも、ダメなんです。ソラさんと日々を重ねるたび、色んなことを教えてもらうたびに兄と重なっていく。夢を見るたび、思い出そうとするたびソラさんになっていくんです」
どうしてレイカはそんなにも僕のことを?
分からないが、彼女に兄と呼ばれることを拒み切れない僕も、心のどこかに存在しているようだ。
それどころか、正しいという感覚すら広がってくるほどだ。
「ソラさんは、この大陸に来る前はプルイナ村に住んでいたと言っていましたよね。私も同じです。プルイナ村に住んでいたんです」
「え……。つまり、僕たちは出会ったことがあるって――」
突然、あの日の、旅立ちの記憶が再生される。
私もついていくと涙を流し、僕の体から離れようとしなかったあの少女。
光に覆われていたあの子の顔が、少しずつ輪郭を取り戻していく。
「最初は、兄のことをホワイトドラゴンだと思い込んでいました。でも、よくよく思い出せば違う……。兄には角がなかった。白い髪じゃなかった。ソラさんと同じ、黒い髪……!」
「僕にも、僕のことを兄と慕う女の子がいた。村から少し離れた場所にある崖で、夜空を見上げている僕の所にあの子はやって来て、色んなことを聞いてきた……」
あれってなあに? これってなあに?
ホワイトドラゴンらしく、無邪気にあれこれ聞いてくる女の子。
血の繋がりは全くなく、ただ同じ村に住んでいるだけだというのに、僕のことをお兄ちゃんと慕ってくれた。
「あの子が、あの女の子が……?」
僕を見つめるレイカの顔と、あの少女の顔が一致する。
離そうとしても離れない。心も記憶も、正解だと叫びだす。
「やっぱり、そうなんだ……! あなたが、私のお兄ちゃ――」
「……まだ、ダメだよ」
レイカが口走ろうとした言葉を遮り、立ち上がって彼女から距離を取る。
いまここで、彼女を記憶のあの子と認めてはいけない。
証拠も何もないうえ、願望が入り混じってしまっている。
「白雲君、いるかーい? 訓練場の扉を開けてくれー!」
「分かりました。……レイカ、このことは後でちゃんと話し合おう。いまは試験に集中して」
「はい……」
背後でレイカが立ち上がる気配があるが、僕はその姿を見届けられなかった。
彼女の顔を見てしまえば、記憶の全てが彼女に変わってしまうから。
「……酷い顔をしているがどうかしたか?」
「……いえ、気にしないでください。こちらがこれまでの試験結果になります」
訓練場の扉を開け、入ってきたルペス先輩に数枚の紙を渡す。
彼はそれに目を通すたび、ほうほうとうなずいていた。
「君の見込み通り、なかなか良い成績を出しているようだね。ま、本番はこれからだ。君もそんな怖い顔をせずに、楽しみたまえよ」
「そう……ですね……」
現在の心理状況で、レイカの模擬戦を見守ることなどできやしない。
あとは先輩に任せ、僕はその辺で時間を潰した方が――
「審判は君に任せるぞ。採点をしながら反則の有無を判定するのは難しいからね」
「え、ええ……?」
軽い雰囲気で外に出るのを禁止されてしまう。
確かに審判と採点者で二人必要かもしれないが、それなら他の人を呼べばよいだけだろう。
「入っておいで、子狐ちゃん。いつまで訓練場の中を覗き込んでいるつもりだい?」
僕が指摘するよりも早く、先輩は訓練場の外へ声をかける。
すると金髪の少女が、扉の陰からぴょこりと顔を出した。
「初めて会う人たちなんですから、観察をしないといけませんよね? 人に対しても知ることは大事。ウチはそう思ってますから」
先輩が連れてきたのは、先ほど受付で見かけた少女のようだ。
やはり彼女が、これから行われる模擬戦の相手か。
「別に物陰に隠れて調べる必要はないだろう。相手はごく普通の人であり、モンスターではないのだから」
「そうですか? ルペスさんの目の前におるお兄さんもそうですけど、奥にいる子は特に雰囲気が違うように思えるんですけど」
なるほど、この子も違いを機微に感じ取れる人物のようだ。
先輩が彼女を選んだ理由がよくわかる。
「ではお互い、自己紹介をしてから最終試験に入るとしようか。子狐ちゃん、君からお願いできるかい?」
「はーい。ウチの名前はミタマ。ルペスさんからは子狐ちゃんって呼ばれてます。以後、よろしくお願いします!」
子狐ちゃんと呼ばれた少女――ミタマさんは、トコトコとこちらに歩み寄ってから自己紹介を始めた。
年齢はレイカより少し上だろうか。身長もミタマさんの方が高いようだ。
ゆっくり喋っているせいなのかは分からないが、のんびりした性格のように思える。
「よろしくね、ミタマさん。……レイカも、お願いできるかい?」
「は、はい!」
僕の促しに対し、レイカも一歩踏み出してから自己紹介を始める。
「れ、レイカです! えっと、その……。よ、よろしくお願いします!」
もう少し話したそうな様子を見せていたが、うまく内容がまとまらなかったらしく自己紹介を辞めてしまう。
もったいないところは多いが、自ら話そうと思えるようになっているのは良い変化だ。
「レイカちゃんかー。うん、よろしくねー! ウチもここに入ったばかりだから、そのへんあまり気にしないでいこうねぇ」
朗らかな雰囲気を出しながら、ミタマさんはゆっくりと右手をレイカに差し出す。
レイカはその手を取れるだろうか。
「う、うん。よろしく……ね」
体を震わせてはいたものの、ミタマさんの手を握ってくれた。
やはり同い年くらいの女の子同士の方が、付き合いやすいようだ。
「うん、うん。魔法剣士内に同じくらいの女の子がいなくて、寂しかったんだ~。レイカちゃんが来てくれて嬉しい! ところで、お兄さんのお名前はなんていうんですか?」
「え? 僕?」
気の抜けた返答に、ミタマさんはコクリとうなずく。
僕も自己紹介をしなければ、レイカのそばにいる謎の人になってしまうか。
「僕の名前はソラ。レイカの家族で、ルペス先輩の後輩さ」
僕のことよりも、レイカのことを知ってもらいたい。
自己紹介はこんなものでいいだろう。
「ルペスさんの後輩……? そういえば、白雲君って……!」
ミタマさんから向けられる視線が、より熱のこもったものに変化する。
なんだろう、このまなざしは。
「ルペスさんからたっくさん聞いてます! あなたが白雲さんなんですね!」
「そ、そうだけど……。なんでそこまで……?」
訳も分からず先輩に視線を向けると、彼はそっぽを向きながら口笛を吹いていた。
「まさかとは思いますけど、話を盛ったりしてませんよね……?」
「何のことかわからないな」
僕に視線を向けることもせず、白々しい言葉を吐く先輩。
何のためにかは分からないが、話を盛ったのは確実なようだ。
「味方を強化する魔法が得意で、剣術も魔法も一級品だと! ありとあらゆるモンスターをなぎ倒し、数えきれないほどの武勇伝を持ってるお方だって!」
「想像以上に盛っているじゃないですか!? 僕は剣術も魔法も二級品以下ですよ!」
「子狐ちゃんも強い先輩がいると思った方が、やる気も上がるだろ? それに、再び会う時には君もそれぐらい強くなってると考えていたからね」
口笛を吹くのをやめ、先輩はハッハッハと笑い出す。
相も変わらず口も頭も回る人だ。
「つまり、全部嘘と……? 古代遺跡の調査において、絶体絶命の際にソラさんの強化魔法で、全員生還したってお話も……?」
「絶体絶命は盛られているけど……。僕の強化魔法でピンチを切り抜けたことがあるのは本当だよ」
僕の言葉により、幻滅しかけていたミタマさんの瞳が一瞬で明るくなる。
「先輩のお話で一番好きだったんです! ほとんどでたらめだと思っていた中で、これだけは本当だと信じ続けていたんです! いつか詳しいお話をお聞かせくださいね!」
ちらりと先輩の様子をうかがうと、彼は軽くうなだれていた。
こればかりは話し方が悪いとしか言えないので、反省してもらおう。
「とりあえず、最終試験を始めるなら始めましょう。いつまでも訓練場を占領しているわけにはいきませんから」
「ああ、そうだな……。子狐ちゃん、すまないが、訓練用の剣を二本持ってきてくれるかい……?」
明らかにルペス先輩のテンションが下がっている。
模擬戦が始まれば復活してくるはずなので、いましばらく放っておこう。
「はーい。そうだ、レイカちゃんも一緒に行こうよ。どうせなら、自分で選んだ方がいいでしょ?」
「う、うん。ソラさん、行ってきてもいいですか?」
「……わざわざ許可を取るほどじゃないよ。でもま、行っておいで」
苦笑を浮かべながら許可を出すと、レイカは嬉しそうな顔を見せながらミタマさんの後を追いかけていく。
離れていく二人の背を見つめながら、これからの彼女との付き合い方を考えるのだった。