「ぐすっ……! ひっく……!」
夕日でオレンジ色に染まる医療室。ベッドの上で、レイカは涙を流している。
模擬戦終了直前、彼女は床に倒れこんだ際に頭を打ったらしく、意識を失っていた。
目立つようなケガもなく、目覚めた際に異常を訴えることもなかったので、一安心ではあるのだが。
「ごめんなさい……! 私、ソラさんの期待に……応えられなくて……!」
レイカは言葉を詰まらせながら僕に謝罪をした。
そんな彼女に、静かに歩み寄りながら声をかける。
「そっか、僕のために戦ってくれたんだね。でも、さっき僕が言ったことを忘れちゃったのかい?」
「さっきの……こと……?」
隣に座り、二人っきりで話をした時のことを思い返しながら口を開く。
「自分のために泣けばいいって話だよ。いまこそ君が、君のために涙を流す時なんじゃないのかい?」
「……」
涙を流しながら、レイカはじっと僕の顔を見つめてくれる。
その頭部を、優しく、優しく撫でる。
「戦う前に言ってくれたでしょ? 必ず勝つ――って。その時の気持ちは、僕の期待に応えられなかったっていう想いより小さいのかい?」
「ううん……! 悔しい……! とっても、とっても……!」
「もっと自分の気持ちに、心に素直になってあげて。こういう時は、他の人のことなんて考えなくていい。思いっきり、泣けばいいのさ」
「うん……! う……! うわああん!」
右手でレイカの頭を撫でながら、左手で小さな体を抱きしめる。
この子が再び歩き出せるようになるのなら、服が涙で濡れることなど大したことではない。
「その悔しさがあれば大丈夫、君は必ず強くなれる。僕が保証するから」
「うん……! うん……!」
レイカの涙は後悔や絶望から来るものではなく、前に進もうとする者が流す涙。
この悔しさが、彼女を更なる領域に連れて行ってくれるだろう。
「白雲君。ちょっといいかい?」
「ルペス先輩? ごめんね、レイカ。ちょっとだけ離れるよ」
涙を流し続けるレイカから離れ、声が聞こえてきた医務室入り口へと足を向ける。
そこには、僕に手招きをするルペス先輩の姿があった。
「何かありましたか?」
「何かも何もないだろう。お待ちかねの物を持ってきたんだ」
先輩は扉の陰に隠していた封筒を僕に差し出す。
受け取って確認をすると、中には一枚の紙が入っていた。
「試験の結果ですか……。推薦者として、確認しておかないといけませんね……」
「推薦者というより、あの子の家族として確認しなければダメさ。結果がどうであれ、褒めるのは君の仕事だよ」
その言葉に嫌な予感を抱きつつ、各項目に目を通す。
体力 〇――俊敏性に優れるが、持久力に若干の難あり。
魔力 〇――特に問題なし。
模擬戦 ×――対戦者の攻撃を受け気絶、敗北。
魔法剣士適正 ◎――荒はあるが、将来性あり。
合否 合格――受験者レイカを魔法剣士見習いとして認める。
これが、レイカの適正テストの結果だった。
「……なんだ、合格してるじゃないですか」
「勝ち負け自体は判断基準になっていないことくらい、君も知ってるだろう? それとも、妹ちゃんを信じてあげられなかったのかな?」
先輩は憎たらしい笑みを僕に向けた後、レイカがいるベッドへと視線を向けた。
その表情からは、どこか懐かしいものを思い出しているように感じる。
「君も、あんな風によく泣いていたっけな……。勝てない、うまくできないって」
「最初期のことを思い出させないでくださいよ……。結構しんどかった時期なんですからね」
現在の僕も決して強い訳ではないが、あのころの僕は輪にかけて弱かった。
魔法剣士の戦いに馴染めず、中途半端にしか成長できなかったのだ。
「だが君は、俺たちでは手にできなかった技術を持ちえた。新たな力を手繰り寄せることができたんだ。いまでは君も、立派な魔法剣士じゃないか」
「先輩や、ウェルテ先輩。ケイルムさんの他、多くの人たちのおかげです。皆さんが見てくれたからこそ、いまの僕があるんですから」
僕の言葉に、先輩は小さく顔を伏せる。
やはり彼も、いまだに悩み苦しんでいるようだ。
「さあ、彼女に結果を伝えてあげてくれ。そして、しっかり褒めてやるんだよ」
「もちろんです。採点をして頂き、ありがとうございました」
先輩は僕に手を振りつつ、杖を突きながらどこかへと歩いていった。
僕たちも、これからの話し合いをしなければ。
受け取った紙を手に、レイカがいるベッドへと歩み寄る。
すすり泣く声は聞こえてこない。泣き止んだのだろうか。
「レイカ? 落ち着いたかい?」
「はい……。もう、大丈夫です」
ベッドに座るレイカの瞳は赤く腫れていたが、涙は頬を流れていない。
とりあえず落ち着いてきたようだ。
「試験の結果。ルペス先輩が持ってきてくれたよ」
「結果……。ソラさんの表情を見るに、合格だったんですか?」
なぜか試験の結果を見破られてしまう。
そんなに分かりやすい表情をしていたのだろうか。
「ま、まあ、結果は自分で見てみなよ。もしかしたら、悲しませないように笑顔なだけかもしれないし」
先輩と似たようなことを口走りつつ、レイカに結果が書かれた紙を手渡す。
彼女は少し落ち着かない様子を見せながら内容を読みだした。
「模擬戦は……バツ……。負けたことには変わりないんですよね……」
「うん、そうだね」
レイカが負けたのは事実。曲解できる点は何もない。
「勝ってたら、こんな苦しい思いはしなかった。でもきっと、もっと強くなりたいとは思えなかった。私、ミタマさんに負けて良かったのかもしれないです」
涙声が消え、いつも通りのものに変化してきている。
この子の中で目覚めかけている強さは、僕よりもたくましそうだ。
「負けを認められるのは強さの証。僕が魔法剣士になった頃は、勝てないことを認められなかった。がむしゃらに練習して、勉強して、模擬戦で負け続けた」
当時を思い返すと、身の丈に合わないことをしていたのだろう。
努力はしていても、成長はできていなかったのだ。
「そんなバカと比べたら、君はとっても強い。負けた悔しさを忘れずに、鍛錬を続けて行こうね」
「ソラさんがおバカさんってことはないと思いますけど……。でも、分かりました!」
そこで初めて、レイカは笑顔を見せてくれた。
彼女の笑顔を見て、子どもの頃の記憶が蘇る。
やはり僕は、彼女のことをあの子と認識しているようだ。
「さて、レイカ。僕たちが兄妹じゃないかって話をしようか。あとで話し合おうって約束したからね」
「あ……。そうですね、分かりました!」
レイカが座るベッドに腰をかけると、彼女はわざわざ僕の隣に移動してきた。
まだ調子が完全ではないのだから、いつでも横になれるようにベッドの中央にいればよいというのに。
「まず、僕の考えから言うと……。兄妹として見るのは止めておこう。僕たちには足りないものが多すぎる」
「そ、そうですよね……。いきなり兄妹なんて、おかしいですよね……」
僕の言葉を聞き、レイカは分かりやすく落ち込みだす。
そんな彼女の頭の上に手を置き、言葉を続ける。
「でも、もしも足りないものを満たせた時、僕は君のことを妹だと思うはずさ。血の繋がりも種族の違いも関係ない。正真正銘、僕の妹だと」
「え……」
向けられたレイカの視線には、動揺と期待が織り交ぜられているように見える。
「僕たちには時間がある。足りないものを満たすこともできるはず。いまは兄妹と認められなくても、認めたくなる何かを見つけることができるかもしれない。その力も、僕たちにはあるんだから」
「魔法剣士の……力……?」
「魔法剣士だけじゃなく、家族の力も……ね。一緒にやろうよ。僕たちが兄妹だという証拠を見つけるでも、兄妹と言えるほどの絆を作るでもなんでもいい。新たな時間を、共に生きて行こう」
「……うん! ソラさんと――みんなと一緒に!」
レイカは満面の笑みを浮かべ、大きくうなずいてくれた。
たとえその時が来なかったとしても構わない。
彼女と共に生きることに、変わりはないのだから。