「おっきい畑……。ここに生えている葉っぱが小麦になるんだ……」
正面に広がる広大な畑を見ながら、レイカが小さくつぶやく。
畑には、これから小麦となっていくであろう無数の植物が植わっていた。
「農家の方は居ませんし、お話は聞けそうにありませんね」
ミタマさんは、人の影を探して畑の周囲を見渡している。
農家の方々にウィートバードのことを聞こうと小麦畑にやって来たのだが、ちょうど休憩の時間だったらしく、畑に人の姿はなかった。
「僕たちが食事を始めるのはお昼より前だったから……。ちょうど、食べ終わった時に農家の方々は休憩に行っちゃったのかもしれないね」
タイミングが悪かったのは仕方ないので、いまできることをやるとしよう。
カバンからとある物を二つ取り出し、レイカとミタマさんに手渡す。
「遠眼鏡ですね。私たちはウィートバードを探すと言うことでしょうか?」
「そういうこと。ただ、ちょっと離れたところで観察をしてくれる? 畑のそばで遠眼鏡を使う観光客なんて変だからね」
僕の言葉を聞き、レイカとミタマさんは畑から離れた場所に移動していった。
休憩中の農家の方々に話を聞きに行くのは迷惑になる。
畑に近づき、様子を見ることくらいはできるだろうか。
とはいえ畑の土を踏みたくはないし、農家の人に疑われるわけにもいかない。
あくまで観光客が畑を見物していると思われるようにしなければ。
「これが育ちきると小麦になるのかぁ……。ふふ、こうやって見てるとなんだか可愛い――」
「何やってんだ、お前さんは」
「うわ!?」
背後から聞こえてきた声に驚いて振り返ると、いつの間にか男性が立っていた。
つばの広い帽子を被り、土汚れがついたタオルを首に巻く、いかにも農家といった容姿だ。
「えっと、畑を見ていたんですけど……」
「畑を? もしかして観光客か? いまの時期に畑を見ても面白いことなんかありゃせんよ」
そう言うと男性は畑の中へと入り、植わっている小麦を調べ始めた。
ここは彼の畑なのだろうか。
「ああ、そうだぜ。俺はこの畑で小麦を作ってるんだ。この村のパンはもう食ったか?」
質問に、大きくうなずいてから口を開く。
「先ほど食堂で食べてきました。とっても美味しかったです」
「おお、そうか! あれはこの村の自慢だ!」
男性は嬉しそうな表情を僕に向けた。
丹精込めて作った物を褒められるのは、やはり嬉しいことのようだ。
「生産地で出来立ての物を食べるのは最高でした。ぜひ、また食べに来たいですね」
本音を喋っているとはいえ、情報を聞き出そうとしていることに心がチクリと痛む。
事情を挟むことなく、この言葉を言いたかったものだ。
「そうか……。じゃあ、来年も頑張って作らないとな。アイツらに負けてられんぜ」
男性は畑に生えている草を掴むと、力を込めて抜き取った。
いまの植物は雑草の類だろうか。
「アイツらというのは?」
「去年の収穫時期に、ウィートバードっていう鳥型のモンスターに小麦を荒らされちまってな。今年も荒らされるかもしれないって、みんな不安になってんだ」
ここまでは、魔法剣士ギルドで受領した依頼書と一致している。
求めるべき情報はこの先だ。
「何か対策は考えられているのですか?」
「魔法剣士ギルドに依頼を出しているんだ。だが、俺は――」
男性は、言い切る前にグラノ村の方角へと顔を向けた。
視線の先を追ってみると、どうやら村ではなくその先にある森を見ているようだ。
「ウィートバードを退治してほしくはない。村の奴らも同じ考えだと良いんだが……」
「退治してほしくない……? モンスターなんですよね?」
そういえば、依頼書には退治してほしいとは書かれていなかった。
確か、ウィートバードの数を減らしてほしい――と。
「なぜ、退治してほしくないんですか?」
「お前さん、なかなか知りたがりだなぁ。本当に観光で来てんのか?」
男性が疑いの目をこちらに向けてくる。
少しばかり踏み込みすぎただろうか。
「まあいい、それより退治したくない理由だったな。簡単だ。ウィートバードもこの村の一員みたいなもんだからな」
「村の一員?」
スラランやルトとコバのこともあるせいか、この村に親近感が湧いてきた。
同じような集落が、アマロ村以外にもあるとは。
「こっちに来てみな。ほら、ここに虫がついてるだろ?」
男性のそばに近寄り、指さしている小麦の芽を注意深く観察すると、茶色い小さな虫が茎にへばりついていた。
それを見たことで体がぶるりと震え、鳥肌が立つ。
「ハハッ、虫は苦手か? コイツは成長途中の小麦をかじっちまうんだ。んで、傷ついた小麦は大きく成長しなくなる。場合によっちゃ枯れることもあるな」
「なるほど、害虫と……。もしかして、ウィートバードはこの虫を食べてくれるんですか?」
「ご明察。ウィートバードがこいつらを食うことで、小麦は立派に成長すんのさ」
男性の説明でようやく合点がいった。
この村の人たちは、ウィートバードと共に暮らしている。
収穫時期に小麦を荒らされないか心配だが、彼らの命を奪うようなことはしたくはない。
だから、退治だとか討伐という言葉を依頼書に使用しなかったのだろう。
「去年から急に増えやがってな。一昨年まではそれほど多くなかったんだが、他の群れと合流しちまったのか、増えやすい状況が森の中にできたのか」
男性は森から目を離し、再び小麦の手入れをし始めた。
森の中に増えやすい状況ができたのなら、それを解消すれば爆発的な増加は起こらなくなるだろう。
だが、現在の総数も減らさなければ収穫時期に問題が発生するだろうし、減らしすぎても害虫に悩まされやすくなる。
これは森の中の調査も行った方が良さそうだ。
「ウィートバードは、グラノ村の奥にある森から来ているんですか?」
「ああ、そうだが……。やっぱりお前さん、観光客じゃないな?」
「ええ!?」
ただ質問しているだけなのに、なぜこうも疑われるのだろうか。
僕の質問の仕方が悪いのか、それとも男性の洞察力が長けているのか。
「ハッハッハ! いや、本当に観光客なのかどうかはどうでもいいんだ。お前さんを見ていると、俺が若い頃に別の仕事をしていたことを思い出しちまってな」
「別の仕事? ずっと農家をしていたわけじゃないんですか?」
もしかすると、グラノ村の出身ですらないのかもしれない。
別の仕事をしていた最中にこの村を訪れ、何かしら気に入る様子があって移住したのだろう。
「想像通り、俺はこの村の出身じゃねぇ。この村に来る前の俺は、この大陸のあちこちを旅していた。いまでいうところの冒険者ってやつだ」
「冒険者!?」
男性の言葉に驚いてしまう。
確かにガタイは良く見える。
だがそれは、農家として働いているからだと思っていた。
「ある日、偶然この村にやってきた俺は、村を悩ますモンスターを退治した。んで、謝礼として幾ばくかの金銭とパンをご馳走になった。笑っちまうよな、モンスター退治の礼がパンだぜ?」
何も知らない状況でパンがお礼として出てくれば、僕も驚いてしまうかもしれない。
「モンスター退治の礼がパンだと? もっといいもん食わせろよ。若い俺はそう思った。だが、食い終わった時には真逆になった。こんな美味いパンをごちそうしてくれたのか。ってな」
男性は再びグラノ村の方角へと目を向けた。
今度は森ではなく、村を見つめているようだ。
「俺がなぜ、この村で小麦を作っているか分かるか?」
「理由……。村にお詫びをしたいから、でしょうか?」
見ただけで判断してしまったことを謝罪したいから、心の中で馬鹿にしてしまったことを償いたいから。
僕に思いつくのはそれくらいだ。
「確かにそれもある。正解は、冒険を続けることに意義を見出せなくなったからだな」
「意義を……。価値観を変えるほどの出来事だったと……」
男性はコクリとうなずいてから、更に言葉を紡ぐ。
「冒険して得てきたものたちには、確かにとてつもない価値があった。だがそれは、冒険をしてきた奴だからこそ価値を見出せただけだ。その他大勢にしてみれば、ただのゴミの可能性だってある」
見知らぬ土地を旅し、人と出会い、新たな遺物を見つけることで得られることは無数にある。
だが、冒険をしたことがない大多数の人からすれば、価値を見出せない可能性は十分にあるだろう。
「ここで作っているパンに、金銭的な価値はないに等しい。お宝基準で見ちまえば、塵芥も同然だ」
「それは――金銀財宝と比べてしまえば、そうかもしれませんが……」
「パンなんて、そこら中の街や村にたくさん売られている。言っちまえば、誰でも手に入れられるもんだ。生活に困り、買えない奴らもいるけどな」
貧困にあえいでいる人々はたくさんいる。
突然そうなった人もいれば、代々続く借金に押し潰されてしまいそうな人も。
「だが、そんな大した価値がないもんでも、人は美味い、美味いと笑顔になりながら頬張るだろ?」
先ほど味わった、パンの味を思い出す。
きっと僕も、食べていた時に笑顔になっていたのだろう。
「大勢の人々に笑顔を与えられる物を作ることの方が、冒険をすることよりもずっと価値があるんじゃねぇか。俺はそう思ったからこの村に住み、小麦を作り始めたんだ」
「大勢の人々に笑顔を……。とても良い想いですね」
僕たちが作っているモンスター図鑑も、いつかそうなってくれるだろうか。
「お、ウィートバードが飛んできたみたいだな。ほら、森の方を見てみな」
男性に促されて振り返ってみると、小麦畑に黒い雲が近づいてきている様子が見えた。
雲にしては移動が速すぎる。よくよく見ると、細かい隙間が空いているようだ。
「まさか、あれ全部がウィートバードなんですか……?」
「ああ、そうだ。んじゃ、後はアイツらに任せるかな。ほら、お前さんも畑から離れな」
「あ、待ってください!」
畑から離れていく農家の男性を慌てて追いかける。
移動しながら背後へと振り返ってみると、いつの間にか農家らしき人々が畑の周辺に待機していた。
少し離れた場所で立っている所を見るに、ウィートバードの監視をしようとしているのだろうか。
「そら、降りてくるぞ」
男性の言葉と共に、ウィートバードの大群が畑に向かって舞い降りてくる。
着地した彼らは、畑に生えている小麦の周りを歩き回りつつ、獲物である虫をくちばしで突き始めた。
「俺たちは、奴らのおかげで暮らしてこれている。できれば、奴らを傷つけるのは避けたいのさ」
「村の一員、でしたっけ」
男性は、虫をついばむウィートバードたちを優しいまなざしで見つめている。
人とモンスターの共存を、この村はできていた。
だが、何かがずれてしまったせいで人側に影響が出てきている。
魔法剣士がどう動くべきかはまだ分からない。
だが、僕の動き方は見つけられた。
「お話、ありがとうございました。美味しいパン、皆さんに届けてあげてくださいね」
「ああ、頑張らせてもらうぜ」
それ以上語らず、村へと歩みだす。
人とモンスターの暮らしが元通りになれるよう、僕は調査を続けよう。