「待って! 一人だけで森の奥に行くのは危ないよ!」
「うるさい! ついてくんなー!」
僕たちは、森の中を一人で逃げる少年を追いかけていた。
少年の容姿はレイカとミタマさんより少し幼いように思える。
十歳になったばかりといったところだろうか。
「森のことを知り尽くしているって動きだね……。わざと歩きにくい道を選んで、僕たちに追いつかれないようにしている」
僕たちの方が出せる速度は上のはずだが、一向に追いつかない。
それどころか、少しずつ離されているようにも感じる。
「まって……。ソラさん、速いです……。ミタマちゃんも……」
僕たちより早く走り出したはずのレイカの声が、背後から聞こえてくる。
その呼吸は、かなり乱れているようだ。
「そう言われても、このままじゃ見失っちゃうよ……。追いかけ続けないと……」
言いながらも、ミタマさんは子どもを追いかけるのをやめる。
子どものことも気になるが、レイカのことの方が心配なようだ。
「はい、水筒。飲んじゃっていいよ」
「ごめんね……。ありがとう、ミタマちゃん……」
レイカは水筒を受け取ると、手近な木に寄りかかって中身を飲みだした。
「休憩したらまた追いかければいいよ。ゆっくり休んで」
「ううん、もう平気。急がないと見失っちゃう――」
「いや、追いかけるのはもう無理だと思う」
子どもの姿が消えた方向を確認しつつ、レイカとミタマさんに近寄る。
まさか振り切られるとは思わなかった。
子どもと言えど、身体能力を侮るのは良くないようだ。
「いまから追っても迷うだけ……。一旦、僕たちの居場所を確認しよう」
「と言われても、すぐに把握なんてできるんですか? 子どもを追いかけていたせいで、目印をつけられなかったのに……」
「現状手元にあって有効そうなのは――方位磁針だけだね。方角が分かるだけでも結構違うもんだよ」
カバンの中から目的の物を取り出し、方角の確認を行う。
針の揺れは少しずつ小さくなり、やがて北を指し示してくれた。
「グラノ村があるのは東の方角だから、たどってきた道があるのも……。よし、僕が一定の距離を先に歩いていくから、二人は僕が歩き終えたのを確認してから、順番についてきてくれるかい?」
「一緒には歩かないと? なぜわざわざそんなことを?」
人は歩き続けていると、次第に右か左に重心がズレていく。
短距離では分からないほどの差でも、長距離を移動している内にそのズレはどんどん肥大化し、大きな円を描くように歩き出してしまうのだ。
「ここは森だから円を描くように歩くことはそうそうないけど、木々や葉っぱのせいで方向を見失いやすい。でも、三人で直線状になるように確認しながら歩き続ければ、それだけは防げるってわけさ」
迷った時に一番してはいけないことは、闇雲に動き回ること。
現在地がさらに分からなくなるだけでなく、体力や物資の浪費につながり、ケガを負う可能性も出てくる。
救助の見込みがあるのならば、動かずに待機した方が良いくらいだ。
今回の場合は辿ってきた道に戻れる方角が分かっているので、行動をしても問題ない。
「僕が先にあの太い木に向かって歩いていく。二人は方向を確認しながら、ずれが出ていないか僕に指示を出すこと。分かったかい?」
「了解です!」
ミタマさんがうなずいたのを見て、東の方角にある太い木に向かって歩き出そうとすると。
「さっきの子どもは、どうするんですか……?」
顔をうつむかせながら、レイカが小さくつぶやいた。
まさか彼女から言い出すとは思わず、歩きだすのをやめる。
「レイカちゃん……。気持ちは分かるけど、まずはウチらの安全を確保しなきゃ。土台が整ってなければ、あの子を探すことも――」
「でも、何か起きてからじゃ遅いよ! 早く助けに行かないと!」
ミタマさんの言葉を遮り、レイカは大声を出し始めた。
「さっきから二人とも、自分たちの安全を確保することばっかり……! 私たちは魔法剣士でしょ!? 危険だとしても、立ち向かわないといけないことだって……!」
「できることとできないことはあるでしょ。ここでウチらまで危ない目にあったら本末転倒だよ」
ミタマさんもまたレイカに負けじと自身の主張を始める。
少し様子を見てみるとしよう。
「森からの脱出手段はソラさんが教えてくれたし、それを実践するのは子どもを見つけてからでもいいじゃん!」
「手段があるとはいえ、まだここは理解しきれてない場所! 危険性なんていくらでもあるの!」
意見が思いっきり正面衝突している。
これは、どちらかが折れる前に厄介なことになりそうだ。
「そんなこと言って、この森が怖いだけなんじゃないの!?」
「……なぁに? レイカちゃんより強いウチが、この程度で恐れるとでも思うの?」
想像通り、このままでは確実に喧嘩に至る。この口論は止めなければ。
「おーい、二人とも。そこまでに――」
「「ソラさんは黙ってて!」」
声をかけてみたものの、見事なまでに邪魔者扱いされてしまう。
心がちょっぴり砕けそうになったが、このまま放っておくわけにはいかないので。
「ごめんね、二人とも」
言い争いを続けている二人に右手と左手を伸ばし――
「そりゃ!」
「「ひぎゃ!?」」
頭頂部に向けて手の側面を叩きつける。
彼女たちは、痛みに目を白黒させながら僕に顔を向けた。
「いたた……。何をするんですか……?」
「いきなりは酷いですよ……。びっくりしました……」
「喧嘩になりそうだったから止めただけだよ。言っても聞いてくれなかったし」
両手を引っ込めつつ、二人の瞳を覗き込む。
両者の視線には、僕への不満が込められていた。
「喧嘩なんて……。ただちょっと、ヒートアップしそうになっちゃったけど……」
「そうです! こんなに可愛らしい女の子たちに手を上げるソラさんがどうかと……」
「ふ~ん、そっか。今度は握りこぶしがいいかい?」
僕の脅しに、レイカとミタマさんは顔をうつむかせながら黙り込む。
確かに手を上げるのは男女問わずどうかと思うが、そんな悠長なことは言っていられないのだ。
「君たちは、モンスターに襲われそうになっても、同じような言い争いをするのかい?」
「「……え?」」
二人の視線が僕の瞳に向けられる。
やはり、そこまでは考えられていなかったようだ。
「別に口論をするなって言っているんじゃない。むしろした方が良いくらいさ」
「ええ……?」
「じゃあ、叩く必要なんてなかったじゃないですか……」
確かに、正しい口論を続けているのであれば、叩く必要はこれっぽっちもない。
「自分が何をしたい、どう思っているかまでを言うのは良いんだ。でも、君たちはお互いのことを貶しだした。それは口論と言えるのかな?」
レイカとミタマさんは、お互いの顔を不服そうな表情で見つめ合っていた。
異なる意見が出されれば、自身の意見を通したいと思うのは当然のこと。
口論が過熱し、無意味な言葉を使ってしまうこともあるだろう。
「ここは森の中。先輩魔法剣士が居るからって、安全とは限らない。そういった場所で喧嘩をするのは非常に危険なことなんだ。意固地になって、他者の声が耳に入らなくなる。大切な指示を貰ったとしても……ね」
僕の言葉に、二人はハッとした表情を見せてくれる。
口論中の彼女たちは、僕の仲介に全く耳を貸そうとしなかった。
これに気付くことができれば、大丈夫なはずだが。
「私、ソラさんの声に意識が行きませんでした……。ごめんなさい……」
「ウチも……。邪魔するなって思っちゃった……。すみません……」
「分かればよろしい。んで、今度は二人の言い分についてだけど、簡潔に言えば森を進むか出るかっていう話だね」
邪険に思われてしまったことは悲しいが、いま思慮すべきことではない。
指を顎につけ、考えながら話をする。
「まずレイカの案である、急いで助けに行く。これはとっても大切。いままさに危機が訪れている可能性はあるしね」
僕の言葉に、レイカは嬉しそうな表情を見せてくれる。
「でも、ミタマさんが言った通り、この案は僕たちも危険な目に合う可能性がある。情報もないし、準備も何もできてないからね」
僕たちの現在位置と、逃げた子どもの居場所が全く分からない。
把握ができていない状態で行動するのは、危険が付きまとうだけだ。
「一方のミタマさんの案は、危険を排除してから行動をするというもの。把握ができてさえいれば、僕たちが危ない目に合う可能性は大きく減らすことができる」
今度はミタマさんが嬉しそうな表情を見せてくれた。
「だけどレイカが言ったように、逃げた子どもがいままさに危ない目に合っているとしたら、把握してからの行動では間に合わなくなる可能性がある」
レイカとミタマさんは、僕の言葉を聞いて悩みだしていた。
二つの案の長所と短所を聞いて、思うことがあるようだ。
「案が相反しているのに、どう決めればいいんだろう……?」
「どっちも合ってて、どっちも間違いがあるんじゃ……」
この問題には正解も間違いもない。
現状を鑑みて、より良い方を判断するしかないのだ。
「そこで、僕たちが持っている情報。これに考えを至らせるんだ」
カバンから紙とペンを取り出し、レイカとミタマさんに手招きをする。
二人は顔を見合わせてから僕に近寄り、紙を覗き込んだ。
「いまの僕たちが知っている、もしくは分かっていると言える情報は何があるかな?」
「知っていること……? 子どもが森の奥に逃げて……」
「ウチらが道に迷ってて……」
あまり情報が出てこない様子だ。
初めてのことなので、こんなものだろう。
「難しく考える必要はないよ。ここは森で、とか、ウィートバードが居るはずで、とか。一見全く関係ないことや、どうだっていい情報でも挙げていけばいい」
ペンを走らせ、現在の僕たちが理解している情報を書きだす。
ある程度記したところでそれを手渡すと、二人は内容を読み上げ始めた。
「ウィートバードの調査のために森を探索中……。子どもを発見したものの逃げられる……。逃げ切られたところを見るに、子どもはこの森に何度もやって来ている可能性が高い……。ウィートバードの住処を知っている可能性あり……」
「両者および、自分たちの現在位置不明……。目印はないが、脱出法あり……。飲食料の準備、問題なし……」
断片的な情報であろうと、つなぎ合わせると意外な答えにたどり着ける場合もある。
これらを利用して、レイカたちはどのような考えに至るだろうか。
「ウチらの主目的はウィートバードの探索だけど、この森の中から子どもを探すのも同じことだね……」
「この森に対する知識が子どもにあるんだったら……」
二人はしばらく話し合いをし、うなずき合ってから僕に顔を向けた。
どうしたいか決まったみたいだ。
「ソラさん、どうするか決めました。ウチらは――」
僕は、後背たちの決定に大きくうなずいた。