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『戻りの大渦』

「波が船首に直撃しないよう、舵を維持し続けろ! 腹に大波を受けても沈没だぞ!」

「了解!」

 レジナ・ウェントゥス号の船長と、船の舵をとる操舵手のやり取りが聞こえてくる。


 空も風も穏やかだというのに、波だけは大きく荒れている歪な光景。

 僕たちが乗る船は、『アヴァル大陸』の周囲を巡る巨大海流、『戻りの大渦』に入ろうとしていた。


「アッハッハッハ!! いいねぇ、困難! これこそ冒険って感じだぜ!」

 ウォルさんは、船の帆を張る仕事をしながら大笑いをしていた。


 航海をするのは初めてのことだろうに、彼は率先して皆の手伝いをしている。

 その姿を見て、彼に負けじと多くの人たちが活動をしているようだ。


「僕も負けてられないな」

 積み荷を縛っている紐が緩んでいたようなので、固く結び直す。


 小さいことから少しずつ。

 航海を失敗へと結びつけるほころびは、小さなことから広がっていくのだから。


「ソラさん! やっぱり、私にもできることを何か……!」

 甲板で忙しく働いていると、レイカが船室の扉を開けて僕に声をかけてきた。


 自分だけ休んでいることに納得がいかず、出てきてしまったようだ。


「いや、まだいい! 君は休んでて!」

 言いつつも、人が不足している個所を探す。


 特に人員が足りなくて困っている場所は無いように思える。

 これからが航海の本番なので、いまから問題があるようでは先が思いやられるわけだが。


「『戻りの大渦』に突っ込むぞ! 振り落とされないよう、踏ん張れよ!」

「「「おーう!!」」」

 足に力を入れて衝撃に備えていると、いままでよりもさらに激しい揺れが船に襲い掛かってきた。


 揺れに転ばされそうになるも、なんとか船のマストにしがみつくことに成功する。

 まだ航海が始まったばかりだというのに、この揺れに数日間悩まされると思うと辟易してしまう。


「いたたた……。ソラさん、大丈夫ですか?」

「大丈夫だよ。さあ、これ以上体をぶつけないうちに船室に戻ってて。いずれ交代の時間は来るから、その時頑張ってくれれば――」

「すまん……。誰か、見張りを替わって――うっぷ……」

 頭上から、調子の悪そうな声が聞こえてくる。


 僕が掴まっているマストにある見張り台から声を発しているようだ。


「私が行きます!」

「あ! ちょっと、レイカ!?」

 僕が止める間もなく、レイカは見張り台へと掛けられている縄梯子を、あっという間に登って行ってしまう。


 登り終えた彼女は、見張りの段取りを聞いているようだ。


「あの嬢ちゃんもすげーな。魔法剣士は、みんなあれができんのか?」

「いえ、さすがにあそこまでは……。彼女が登るだとか走るといった瞬発的な力に、特に優れているんですよ」

 僕と同じマストにしがみついていたウォルさんが、興味深そうに質問をしてくる。


 だが、僕の返答に納得ができない部分があったらしく、疑問を浮かべた表情を見せていた。


「魔法剣士は何でもできるんじゃないのか? 戦闘は何でもござれ、知識も並の学者以上に網羅してるって聞いたぞ」

「それ、どこで聞いた話なんですか……?」

 そんな超人は、さすがに見たことも聞いたこともない。


 大きく広がりすぎた噂でも聞いたのだろうか。


「ちょっと前に、魔法剣士と共闘したことがあるって奴から話を聞いたんだ。それなりに腕が立つ冒険者ですら手を焼くようなモンスター相手に、何もさせずに倒しちまったって」

「なるほど……。恐らく、こう言うことですね」

 モンスターを退治した魔法剣士というのは、複数人で事に当たったのだろう。


 それぞれの長所を生かして戦えば、モンスターを行動させずに倒すこともできるはずだ。


「ん~? 一緒に戦った魔法剣士は、たった一人だったって聞いたぞ?」

「さすがにそれは……。嘘か冗談だったんじゃないんですか?」

 そこまでの強さを誇る魔法剣士が居るのであれば、僕たちの間でも話題になっているはず。


 だが、魔法剣士ギルドにいる間にそのような話は聞いたことがない。


「オイラも実物を見たわけじゃねぇから、よく分かんねぇ。それよりも、いまは目の前の困難に立ち向かわなくっちゃな! あっちを手伝いに行こうぜ、リーダーさん!」

「了解!」

 問題を見つけ、マストから離れていくウォルさんを追いかける。


 その後、ある程度の仕事に携わった僕たちは、交代の合図を聞いてから船室へと引っ込むのだった。



「お疲れ様です。とても休憩ができる環境ではありませんけど、飲み物をどうぞ」

「ありがとう、ナナ。はい、ウォルさんも」

 僕たちに割り当てられた部屋に入ると、ナナとアニサさんが飲み物を用意してくれていた。


 揺れに注意しながらコップを受け取り、中身を口に含む。


「サンキュー! んぐ、んぐ――ぷはぁ。もちっと温かいもんが飲みてぇなぁ……」

「こんな大揺れの状態で火の魔法なんて使えないわよ。熱湯を顔にかけたくないでしょ」

 ウォルさんとアニサさんの応酬に笑いつつ、ナナの隣の席に座る。


 頑丈な作りになっているとはいえ、船が揺れるたびに壁や扉がきしむため、船内には不気味な音が鳴り響き続けている。

 早くこの音が聞こえなくなると良いのだが。


「『戻りの大渦』を抜けるにはどれくらいかかるんだっけか?」

「二、三日は必要ですね。それも航海が上手くいったらの話です。渦に押し返され、逆戻りしてしまう可能性もあるので」

 予定航海日数は約二週間であり、そのうちの約三日間が『戻りの大渦』を越えるために必要となる時間。


 海を渡ることに強い期待を抱いていたウォルさんも、この事実にはさすがに困惑しているようだ。


「これでも波は弱い方なんだろ? 他の季節に船を出したらどうなるんだろうな?」

「いくら頑丈なこの船でも、渦を越えるのは不可能でしょうね……。渦に乗って大陸を一周するくらいが限度です」

 『戻りの大渦』は非常に速い海流なので、遠方に向かう場合は陸路よりも海路の方が素早く移動ができる。


 レジナ・ウェントゥス号と併せ、大陸各地への迅速な移動に利用されているのだ。


「外に出るには邪魔なのに、別の視点から見れば有用なんて、なかなか考えられないわよね。本当に、魔法剣士の人たちはよくそういう発想に至ったものだわ」

「おかげで五年前はたくさんの奴らが助かったわけだしな! オイラの故郷も、魔法剣士に助けられたって言ってたぜ!」

 故郷を救ってくれたからこそ、ウォルさんたちは僕たちに好意や好奇心を抱いてくれているのか。


 だとしても、彼が魔法剣士たちに向ける視線には、あまりにも強い熱がある気がするのだが。


「なあ、リーダーさん。あんたはどんな魔法剣士なんだ? 剣が主体か? それとも魔法なのか? 他に変わった戦い方とか、あったりするのか?」

「教えるのはやぶさかではありませんけど……。いったいなぜ、僕たち魔法剣士にそれほど強い興味を?」

 僕の返答に、ウォルさんは小さく笑い出す。


 そして勢いよく椅子から立ち上がり、僕のことを指さしてきた。


「オイラはな! 魔法剣士を仲間に加えたいと思ってんだ!」

 予想だにしなかった宣言に、呆然としてしまう。


 まさか冒険者であるウォルさんの口から、魔法剣士をスカウトしたいという言葉が出てくるとは。

 彼は興奮した様子のまま、演説を始める。


「オイラたちの最終的な夢は、世界中を冒険することだ! そのために新たな仲間を探している! 今回の調査に加わったのも、目的の一環ってわけだ! オイラは剣士で魔法を使えない。アニサは魔導士で直接戦うことは苦手。だから中間の存在が欲しい! オイラと共に戦いつつ、アニサと共に魔法を撃てる奴が!」

 なるほど、確かに魔法剣士であれば、両方に精通している人物もいる。


 僕たちを強く認められていることに対し、自ずと口角が上がっていく。


「室内で高らかに宣言するようなおバカに、ついて行こうと思ってくれる人が本当にいるのかしらね~」

「いるに決まってんだろ! じゃなきゃ、お前は何なんだよ!」

 ウォルさんのツッコミに、アニサさんは大きく慌てながらそっぽを向く。


 チームとしてだけでなく、パートナーとしてもなかなかの関係を築けているようだ。


「んで、リーダーさんはどんな魔法剣士なんだ?」

「中間の魔法剣士と言えば良いでしょうか。皆さんを勝利に導くことが僕の役目です」

 ウォルさんの瞳は、僕の説明が進んでいくにつれて輝きが増していく。


 特に強化という言葉が出た瞬間の彼の表情は、おもちゃを買ってもらった子どものように見えるほど無邪気だった。


「なるほどな! 戦うことができて、オイラたちを強化できる魔法剣士なんて最高じゃないか! ちゃんと唾つけとかないとな!」

「やめなさいよ、汚らしい。ったく……。ソラさんも気にしないでいいですよ。誰彼構わずに勧誘することがちょくちょくあるので」

「あはは……。そうですか……」

 苦笑を浮かべていると、ウォルさんとアニサさんが口喧嘩を始めだす。


 彼らの様子に半ば呆れつつ、隣にいるナナに視線を向ける。


「面白い人たちだね。ちょっとお気楽な一面もあるみたいだけど」

「でも、彼らくらい気軽でいるほうがいいかもしれませんよ? あまり気を張りすぎても苦しくなるだけですから」

 違いないとうなずき合いつつ、ウォルさんたちに視線を戻す。


「お前だって、オイラが誘わなけりゃ一人ぼっちの冒険者だったんだろ!」

「はぁ!? 頭筋肉、無計画剣士なんかよりは、引く手数多ですぅー!」

 『戻りの大渦』による揺れも気にせず、二人は長々と睨み合いを続けている。


 『アイラル大陸』への航海は、まだまだ始まったばかりだ。

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