航海六日目。天気良好、波は微弱、冷たい東寄りの風。
『戻りの大渦』を越えたレジナ・ウェントゥス号の乗組員たちは、穏やかな船旅を楽しんでいた。
「よっしゃあああ!! 魚ゲットだ!」
「やるね! お、僕の方にも――ああ!? エサを盗られてる……」
がっくりと肩を落とす僕を見て、ウォル君は大笑いをする。
僕と彼は、共に船の甲板で釣りをしていた。
リーダー二人がお気楽な行動をとっているからか、他の乗組員も堂々と昼寝をしたり、潮風に当たりながら読書をしたりしているようだ。
「ソラは釣りが下手なんだな! お、また来たぞ!」
「こんなに魚を釣れる君の方がおかしいんだって……。なんで、そうもひょいひょいかかるのさ」
ウォル君のそばに置かれている海水入りのバケツの中には、様々な種類の魚が放り込まれていた。
釣り竿も釣り餌も、何も変わる点はないというのに、なぜ彼の釣竿には魚が食いつくのだろうか。
「金がなくて飯に困った時とかには、よく釣りをしてたからな! サバイバルには慣れてるぜ!」
「自慢げに言うことじゃないでしょ。よく今日まで生きてこられたね……」
冒険者という職業柄、必要な物以外を持ちたがらないのは理解できるが、その日もまともに暮らせないような状態になることは理解できない。
冒険者は、ウォル君みたいな人が多いのだろうか。
「いまはまだましになった方よ。このバカと一緒に旅を始める前は、もっととんでもない奴だったんだから!」
「あれ? アニサさんじゃないですか」
声に振り返ると、いつの間にかアニサさんがそばにやって来ていた。
彼女は腕を組みながら、呆れ顔を浮かべている。
「とんでもないとは具体的に?」
「その日稼いだお金を全部使って、宴会を開くの。知り合いを呼び寄せてまで」
なるほど、確かにとんでもない奴だ。
今日は楽しく暮らせても、明日を暮らせないのでは意味がないだろうに。
「アニサも宴会に参加してただろ。それに、貰った金をパーッと使いきる方が粋じゃねぇか!」
「自分の飲み食い分は、自分で支払ってたわよ! それに、自分で粋とか言うな!」
自腹を切ってでも、その宴会とやらに参加していたのか。
よっぽど楽しいのか、それとも。
「楽しんでるウォルは見たいけど、その後で苦しんでるウォルは見たくな――」
「お! また魚がかかったぜ! アニサ、手伝え――って、なんでそんなこえぇ顔してんだ!? モンスターにもそんな顔、向けたことねぇだろ!?」
争い合っている二人の間に存在している特別な絆。
僕が言える義理ではないが、形になるのにはとてつもない時間がかかりそうだ。
「なんで怒られるんだ……。ソラ、オイラなんか変なことでも言ったか……?」
「さぁね? こればっかりは、君がアニサさんの気持ちを理解してあげないと」
返答の意味すら理解できないらしく、ウォル君は首を傾げていた。
そんな彼に呆れつつも、アニサさんとの会話を再開する。
「彼は魚釣りをして日々をしのいでいたって言ってましたけど、本当なんですか?」
「本当よ。たまに食料を確保できなくて泣きついてくることもあったから、お金を貸したこともあるの。いまだに結構な額が残っているから、返して貰う時が楽しみだわ」
あくどい顔をするのかと思いきや、アニサさんは楽しそうな表情を見せていた。
どうやらお金で返して貰うつもりはないらしい。
「それにしても、二人とも急に仲良くなったよね。最初はリーダーさんだとか、ウォルさんだとかって呼び合ってたのに」
「『戻りの大渦』を越えた日に、オイラはソラに命を救われたからな! 命を助け、助けられたらもう親友だ! そこに上下なんてものはない!」
ウォル君はニカッと笑うと、僕の肩に腕を回してきた。
嬉しくはあるのだが、急に引き寄せられたために驚いてしまう。
「ずいぶん一方的な親友ね。あんたは助けられただけだってのに」
「これから助け返せばいいだけだ! そうだろ、ソラ!」
興奮しながら話をしているせいか、ウォル君の腕が少しずつ首を絞めていく。
さすがに苦しくなってしまい、彼の腕を叩く形で止めるように訴えかける。
不満げな顔をされてしまったものの、解放してくれるのだった。
「話を戻すとして……。ウォル君はお金の管理が下手って言っていたけど、いまはアニサさんが?」
「報酬金の内から、お小遣いみたいにして渡してるんだけどね。ちょっと貯めたと思ったらすーぐ全部使っちゃうの! どんだけ宴会が好きなんだか」
どちらにしても、お金の使い方は荒いようだ。
これは、生涯ついて回る問題となるのだろう。
「ナナちゃんが羨ましいな~。ソラ君、お金の使い方が上手そうだし」
「そんなことないですよ。僕だって、使う時は思いっきり使っちゃいます」
魔法の研究で、大金を使うことは幾度もあった。
だからこそ、できる限り自分で素材を集めたりしてきたわけだが。
「ほらな! ソラだって金を大量に使うんだ! オイラの使い方は普通なんだって!」
「「それは絶対普通じゃない」」
ウォル君の発言に、僕とアニサさんは同じツッコミを入れるのだった。
●
航海十日目。天候雨、波は若干荒れ模様、南寄りの湿った風。
『戻りの大渦』を抜けた僕たちとしては大した波には感じられず、あくびをしながら作業を行う乗組員がいるほどだ。
そんな中、僕は次の作業当番が回ってくる時間になるまで、割り当てられた部屋でレイカたちと共に待機していたのだが。
「ソラ兄……。酔ったかも……」
「だから言ったのに。揺れる船内で本なんて読むから」
椅子に座って本を読んでいたレンが、顔を青くしながら異常を訴えだした。
晴れていれば甲板で潮風を浴びながら本を読めるが、今日は雨なのでそうもいかない。
揺れも若干とはいえあるので、酔うのは必然だろう。
「薬湯を用意するから、ベッドで横になってて。手助けはいるかい?」
「大丈夫、歩ける……」
フラフラとしながらも、レンは自分の部屋へと向かって行く。
自分の足で動けるようなので、あまりにも酷い酔いではないようだ。
「薬湯って、私たちがソラさんの家に来た時に出してくれたものですか?」
「そうだよ。レイカも飲むかい?」
「はい! 頂きます!」
ナナが作業道具を詰め込んでいるカバンから、目的の薬草を取りだす。
熱湯から煮出す方が効果は高くなるが、長時間、船の中で火を使うのは避けたい。
水と薬草を同時に火にかける形で、薬湯を作るとしよう。
「食糧庫の確認、終わりましたー」
扉を開け、ナナが部屋の中に入ってきた。
彼女は他の魔導士たちと共に、食糧庫の冷気調整の役目を任されている。
補給が難しい船の上では、氷の魔法を自在に扱える魔導士たちは無くてはならない存在なのだ。
「お疲れ様、寒かったでしょ? 薬湯を作ってるから椅子に座って待っててよ」
「はーい、ありがとうございます。あれ? レン君は?」
「レンは、気持ちが悪いと言ってベッドに行きました」
レイカとナナの会話を聞きながら、火をじっと見つめる。
あくびをしながらのんびり待っていると、調理器具が湯気を吹き出し始めた。
「お水の状態から煮出す場合は、沸騰したらすぐに火から外してくださいね。でないと苦味が出ちゃうので」
「だいじょーぶ、分かってるって」
調理器具を火から外し、四つのコップに中身を移す。
煮出しに使った薬草は、ビンに封入しておけばナナが処理してくれるはずだ。
「レンの分を持っていくから、コップは自分たちで運んでね」
「「はーい」」
レンの分を手に持ち、彼が休んでいるベッドへと近づく。
彼の表情は、まだ青いようだ。
「ほい、薬湯。熱いし、調子も悪いんだからゆっくり飲むこと」
「ありがとう、ソラ兄……」
レンはベッドから起き上がり、コップを受け取ると、薬湯に息を吹きかけながら口に含んでいく。
そして、いつの日か見たのと同じように、顔を歪めながらこう言った。
「やっぱり、苦い……」
「我慢、我慢。ゆっくりでいいから飲んで、しっかり休むこと。みんなの場所に戻るから、何かあったら呼んでね」
「はーい……」
ずっとそばにいられるのもうっとうしいと考え、ナナたちの元へと戻る。
レンは冷静に物事を捉えられる性格ではあるが、ホワイトドラゴンらしく興味がある物にはのめり込んでしまう。
僕も同じような部分があるので、強く注意できないのが難点だ。
「レン君、大丈夫そうでしたか?」
「元気ではないけど、そこまで体調は崩れてないみたい。しばらく休めば元通りになると思うよ」
元いた席に座り、コップに入っている薬湯に息を吹きかける。
できたてのため熱いが、外での作業前にはちょうどいい。
「そんなに時間が空いているわけじゃないのに……。なんだか、飲むのが久しぶりな気がします」
「ここしばらくは落ち着いていたから、わざわざ出す必要もなかったからね。全く、あの時に僕たちの関係に気付けていればなぁ……」
もう少し、レイカたちへの接し方を変えられたかもしれない。
心の傷も、より早く癒せた可能性が――
「いや、むしろ後ろめたい気持ちが発生して、ぎくしゃくした関係になっていた可能性もあるのか……」
自身の心に折り合いを付けられず、遠ざけてしまう可能性もあった。
気付けなかったのは、ある意味では良かったことなのかもしれない。
「だとしても、私はソラさんのことを嫌いにならないと思います。私にヒューマンとの交流の仕方を教えてくれて、友達を作るきっかけを作ってくれた優しい人なんですから」
「……そうだね。なんだかんだ言っても、君たちを助けられるように動くはず。仮定の話なんて、する必要ないよね!」
皆で笑い合ってから、コップの中身を口に流し込む。
すると、レイカが小さく咳き込みつつ、コップを口から離した。
彼女の顔は、先ほどのレンと同じように歪められていた。
「なんか、変じゃないですか? 味が苦く感じるんですけど……」
「本当かい? ってことは……!」
「ええ、きっとそうです!」
僕とナナは顔を見合わせ、喜び合う。
その様子を、レイカは不思議そうに見つめていた。
「僕たちが飲んだ薬湯、これには体調を整える効果があるのと同時に、心の状態を教えてくれる効果があるんだ」
「心の状態……?」
「心が傷ついている人がこれを飲むと、ホッとする味に感じるの。逆に健康な人が飲むと、苦みを感じる。苦みを感じたということは、レイカちゃんの心がかなり癒されたってことだよ」
レイカは驚いた様子を見せ、再び薬湯に口をつける。
コップから離れた表情は、やはり苦そうなものだ。
「苦いです……。じゃあ、私の心は……?」
「そういうこと。アマロ村の人たちとの交流や、何よりミタマさんと友達になれたことが大きかったんだろうね。よかった、よかった」
大きく息を吐きつつ、薬湯を口に入れる。
ナナも嬉しそうな表情を見せながら薬湯を飲んでいた。
「で、でも、知らない人と話すのはやっぱり怖いですよ……?」
「そりゃ、僕たちも怖いよ。何度も言っているけど、知らないっていうのは恐怖のきっかけになるんだから」
コップの中身を飲み干し、テーブルの上に置く。
ナナのコップの中身も、空っぽになったようだ。
「……ソラさんたちも、大きな傷を受けたって言ってましたよね? ということは、苦みは感じないんですか?」
「うん、ホッとするだけ。これでもマシになったくらいでね、最初期は本当に酷かったよね」
「ええ、何にも味を感じないんですもの。本当に効果があるのか、疑問に思ったほどです」
この薬湯のことを知り、試しに飲んでみた時は、ただのお湯を飲んでいるようにしか感じられなかった。
現在では落ち着くような味になってきているが、レイカが感じた苦みを知るまでには、まだまだ時間がかかるだろう。
「……今度は、私たちも頑張らないといけませんよね。こうして、心を癒して頂けたんですから」
「気にする必要はないよ。むしろ、君の心は治りたてで壊れやすい状態。いまはまだ、君の心にだけ注目してて。それに……ね?」
「ええ。レイカちゃんたちが来てくれたおかげで、私たちの心も大きく癒されたの。二人がいてくれるだけで、私たちは大丈夫。だから、これからもよろしくね」
「……! はい! よろしくお願いします!」
レイカの心を癒せたのだから、必ず僕たちの心も癒せるはず。
新たな希望を胸に、僕たちは笑い合うのだった。