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湿地帯を越えて

「ジメッとしてるし、地面はぬかるんでるで体に良くない場所ね……。寒いのも嫌だったけど、ここはそれ以上だわ……」

「おまけに暖かくなってきたな……。いまの季節は冬だろ? なんでこんなに暖かいんだ? 上着なんてなくていいくらいだぞ」

 足元を水に浸からせながら、ウォル君とアニサさんが会話をしている。


 歩く道には雪が無くなり、かわりに僕たちを迎えるは緑の草原と大量の水たまり。

 ステリア村から離れ、雪原を幾日も歩いた僕たちは、『アイラル大陸』の湿地帯を進んでいた。


「『アイラル大陸』は、南部と北部で正反対の環境になるのが特徴なんだけど、真ん中あたりはかなり湿気が多い気候になっているんだ。ここから先は温かくなるだけでなく、乾燥もしていくよ」

「ここから先は寒さに震える必要はないってことか。へへ! 動きやすいことは良いことだぜ!」

 僕とウォル君は上着を脱ぎ、それをカバンの中にしまい込む。


 皆も着替え始めたのを横目に見つつ、周囲の偵察を行うことにした。

 あちこちに存在する水たまりは、太陽の光を浴びて美しく輝いている。


 それらを覗いて見ると、小魚が大きく口を開けて水中にいる生物たちを食べている姿が。

 緑の草原からは様々な虫が飛び出し、動き回っている。


 木々は生えていないが、栄養は豊富な土地なのだろう。

 だが、不思議と大型生物の姿が見つけられない。


 これほどの環境であれば、草を食む草食生物と、それを食料とする肉食生物の争う姿がありそうなものだが。


「にしても、足場が悪ぃな。連日の野営もあるし、そろそろ綺麗な寝床で休みたいが、湿地帯を抜けるにはどれくらいかかるんだ?」

「あと一時間程度は必要かな。抜けてから少し歩けば人が住む集落があるはずだから、今日はそこで休むことになると思うよ」

 ステリア村からこの場に至るまでにそれなりの日数が経過しているが、間には集落が一つもない。


 気候が落ち着いたので、いままでよりは負担が小さくなるはずだが、野営ばかりで疲労が蓄積している状態でモンスターと遭遇するのは非常に危険。

 可能な限り素早くこの土地を抜け、人が住む集落に移動した方が良いだろう。


「あれ? なんだ、このウサギ? どこから出てきたんだ?」

「カワイイー!! こっちにおいで!」

 調査団員たちの声に振り返ると、そこには茶色い毛におおわれた小型生物の姿が。


 体型の割に非常に耳が長く、クリっとした赤い小さな瞳が印象的だ。


「この子はヌマウサギですね。珍しい生物なので、見られるのは幸運ですよ!」

 非常に警戒心が強く、臆病なモンスターなのだが、こんなに接近できるのは非常に珍しい。


 説明を聞いた調査隊の一人が、これまでの調査で見つけてきた果実を取り出し、ヌマウサギにあげようとする。

 ヌマウサギは差し出されたそれの匂いをスンスンと嗅ぐと、小さな両手で果物を受け取って食べ始めた。


 可愛らしさに夢中になっている、調査員たちの背に小さく息を吐きつつ、周囲の警戒を続行する。

 体だけでなく、心の休息にもなるので、彼らの邪魔をする必要はないだろう。


 一人でしばらく様子をうかがっていると、遠方に翼を持った生物を発見した。

 全身が緑の鱗でおおわれており、鋭い爪が目を引くモンスターだ。


 モンスターの正体を脳内から探るのと同時に、ヌマウサギについて義父さんから言われていたことを思い出す。

 肉食のモンスターにとってヌマウサギは最高のご馳走であり、遠方から匂いを辿って強力なモンスターが現れることがある――と。


「まさか、あれは……!? みんな! 急いで荷物をまとめてください! 移動します!」

 僕の声に調査員たちは驚いて振り返り、慌てた様子で荷物をまとめだす。


 彼らが荷物を抱えるまでの間、モンスターの動きを注視し続ける。


「お、おい、ソラ。何を見つけたんだよ――って、まさか、お前の視線の先にいるモンスターは……!?」

「君の想像通り、あれはドラゴンだよ。正真正銘のね……! まだ若い個体みたいだけど、こんな足場が悪いところでやり合える相手じゃない。準備が終わったら、急いで、かつ音を立てないように移動しよう」

 視線の先にいるドラゴンはそれほど大きい個体ではないようだが、それでも僕たちの身長と同等程度の体格を誇っている。


 空を自在に飛び交う筋力で攻撃されてしまえば、足場が悪い僕たちではなすすべはないだろう。

 ここは見つかる前に逃げる一択だ。


 準備も終わり、僕たちは風下に向けて移動を始める。

 移動を開始した時には、ヌマウサギの姿は既に無くなっていた。


 ドラゴンが追ってこないか警戒をしつつしばらく歩き続けていると、次第に足場が草地へと変化していく。

 水たまりもほとんど見当たらなくなったところを見るに、無事に湿地帯を越えることができたようだ。


「ここまでくれば安心だな! 肝心のドラゴンも追ってきてないみたいだ。オイラとしては、ちょっと残念だが……」

「地面が安定していても、ドラゴンと戦いたくはないけどね。彼らに対する情報は、ホワイトドラゴンですらほとんどない。知識もなく戦うのは危険さ」

 いずれはドラゴンたちを知っていく必要もあるだろう。


 その時には戦い方だけでなく、警戒の仕方なども情報として集めなければ。


「あれ? ソラ君、あそこに見える畑みたいなものは何だろう? いまは何も植えられていないみたいだけど」

「ああ、あれは田んぼですね。皆さんもすでに味わっていると思いますが、お米はあそこで作られているんです」

 アニサさんが視線を向けている先には、あぜで四角く囲まれた田んぼがいくつもあった。


 この大陸の人々が食べている米は、主に大陸中央部から南部にかけて作られている。

 収穫された物をホワイトドラゴンたちが購入し、日々の主食としているわけだ。


「いまは栽培時期じゃないってことか。小麦に似た植物だって聞いたし、どんな風に生えてくるのか見てみたかったぜ」

「ウォルはお米のことを気に入ったって言ってたもんね。ここで作り方を覚えて、向こうで栽培してみたらどう?」

 ウォル君やアニサさんだけでなく、多くの調査隊員たちが興味深そうに田んぼを眺めている。


 それでもヌマウサギを見つけた時ほどの感動はないらしく、次第に飽きて周囲の様子をうかがう者が増えてきた。

 実際に生えている所が見られるわけではないので、こればかりはしょうがない。


「人の手が入ったところがあるってことは、近くに集落があるってことだな! 早く行って飯でも食おうぜ!」

 キョロキョロと周囲を見渡しつつ、ウォル君はずんずんと歩いていく。


 やがて僕たちの視界に集落の姿が映りこむ。

 草原の上に石造りの家が複数立てられ、人々が交流をしている様子が遠目に見えた。


「どことなく、ヒューマンが建てる家に似てるな! 早速行って――」

「ストップ、ストップ。ちょっと待って」

 駆けだそうとしたウォル君を呼び止めると、彼は不服そうに口を尖らせながらこちらに戻って来た。


 早く集落に行きたい気持ちは分かるが、念のために注意をしておかなければ。


「あの集落に住む種族はホワイトドラゴンではないんです。ブラックドラゴンという、力を追い求めることを主とする種族です」

「力を……? ホワイトドラゴンが知識を追い求める種族で、私たちが村にたどり着いた瞬間に質問攻めにされたわけだから……。まさか……?」

 どうやら、アニサさんは僕が言わんとしていることを理解したようだ。


「ええ。集落にたどり着いた瞬間、詰め寄られて力比べをしないか聞かれる可能性があります。もちろん、きちんと断れば問題はないのですが……」

 ちらりとウォル君へと視線を向ける。


 彼は僕に視線を向けられたことに首を傾げていた。


「ああ、特にウォルは一も二もなくうなずくでしょうね」

「ちょっと待て。お前たちはオイラが戦闘狂だと言いたいのか?」

 ウォル君の呆れたような質問にうなずいたのは、僕とアニサさんだけではなかった。


 ほぼ全員が一斉にうなずき、うなずかなかった者ですら苦笑を浮かべている。


「んだよ、お前ら……。オイラだって、いきなり戦わないかって聞かれたら困惑するぞ?」

「情報が無い相手だろうと構わず近寄って行くくせに、どの口が言ってんのよ。ドラゴンが追ってこなかったことに、残念だって言ったのも聞き逃してないんだからね」

 呆れ気味に答えるアニサさんに対し、ウォル君は不満げに口を尖らせていた。


 自覚があるのかないのか、いまいち判断しきれないのが何とも。


「ま、とりあえず集落に行ってみましょうか。いいこと? ウォル。とりあえず落ち着くまでは、村の人たちがそばにいる時に喋るのは禁止させてもらうからね?」

「なんでだよ。喋るくらいならいいじゃ――」

「分かったわね?」

 ウォル君の言葉を遮り、アニサさんは笑顔で確認をする。


 優しく、美しい表情だというのに、僕の背を一筋の汗が流れていくのはなぜだろう。

 ウォル君はうつむきながら体を震わせ、小声で同意をするのだった。


 歩くにつれ、集落の人々の声や暮らしの音が聞こえてくる。

 何かがぶつかり合うような音に加え、はやし立てるような声もあるようだ。


 僕たちが集落へとたどり着くのと同時に、僕たちの接近に気付いた若い女性がこちらに近寄ってくる。

 その人物の頭部には、一切の混じりがない艶やかな黒髪と黒い角が二つ生えていた。


「見たことがない髪色の奴らが来たな……。黒と白が混ざった奴に、黄色に茶色。白髪のホワイトドラゴンもいるみたいだが……? 角がない奴なんて初めて見たぞ」

 どうやら、僕たちのことを何かしらのドラゴン族と勘違いをしているようだ。


 『アイラル大陸』には、ホワイトドラゴンとブラックドラゴンしかいないというのに、一体どういった発想なのだろうか。


「えっと、僕たちはヒューマンという種族の者で――」

「ヒューマンドラゴンか……。全く聞いたことがないな。まあ、村の奴らを呼んでくるから少し待っていろ」

 勘違いをしたまま、女性は村の中に入っていく。


 一連の会話を聞いた調査隊員たちは、ざわざわと小声で話を始めたようだ。


「なんか、話が全くかみ合ってないように思えたぞ。さっきの奴は、オイラたちのことをなんかしらのドラゴン族と勘違いしちまったのか?」

「そういうことでしょうね……。私の想像と違ったら彼女に申し訳ないんだけど、もしかしてブラックドラゴンって……」

 皆の困惑した視線が僕に向いてくる。


 想像通り、ブラックドラゴンは――


「力を求めるあまり、ちょっとだけ知識や一般常識に難ありなんです……」

 その後、集まって来た村人たちにも勘違いをされ、僕たちがドラゴン族ではないということを理解してもらうのに、少しばかり難儀するのだった。

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