「ナナ! 大丈夫かい!?」
ホワイトベアーへの警戒を続けつつ、ナナのそばに移動する。
彼女は僕の姿を見て、少しだけ安堵したような表情を浮かべてくれた。
だが、呼吸は激しく乱れ、額には大粒の汗が浮かんでいる。明らかに様子が変だ。
「だ、大丈夫です。皆さんが励ましてくれましたから……。それなのに、私は……」
やはり、ナナも五年前の出来事を想起しているようだ。
周囲に目を配ると、離れた場所で腕を押える船長さんの姿があった。
ホワイトベアーとの交戦で、ケガを負ってしまったようだ。
「船長さんも頑張ってくれたんだ……。ナナ、君は彼の治療をしてあげて。後は僕たちが変わるから」
「ソラさんだって辛いのに……。分かりました、レン君も頑張ってね……」
船長さんの元に歩み寄っていくナナを見送りつつ、前線で戦っている皆の元へ駆け寄る。
そこにはアニサさんやウォル君、義父さんにレイカの姿もあった。
「怖い……。けど、やらなくちゃ。もう、あんな景色は見たくない……!」
ホワイトベアーの巨体と村の惨状を見て、どうしても五年前の記憶が蘇ってくる。
ケイルムさんを助けられず、ナナの両親を救えず、彼女の故郷――アルティ村の人々を見捨ててしまった記憶。
目の前の事象を乗り越えられれば、きっと心も解放されるはずだ。
「はあああ!!」
変われることを願いつつ、大声を上げてホワイトベアーに突っ込む。
凶悪な爪の攻撃が、僕に襲い掛かってきた。
その攻撃を滑り込む形で回避しつつ、腹部に向けて斬り上げる。
「ゴアアア!!」
攻撃が命中したというのに、ホワイトベアーは身じろぎ一つせず、僕に向けて爪を振り下ろそうとしてきた。
なんとか防御魔法が間に合い、攻撃を受けることには成功したのだが。
「たったの一撃で……! まともに喰らってはいられない……!」
防御魔法が、あっという間に消滅してしまう。
とっさだったせいで不十分だった可能性はあるが、一撃で破壊されてしまうとさすがにへこみそうだ。
それだけ目の前にいる個体が、危険かつ強力な存在なのだろう。
「おらあ! お前の相手はそいつだけじゃねぇぞ!」
大きく飛び上がり、ホワイトベアーの背中に剣を突き刺すウォル君。
この攻撃には身をよじらせたので、斬撃よりは突きを主に戦うほうが良さそうだ。
「おわ!? うお、くっそ……! のわああ!?」
「ウォル!? おっと、追撃はさせないわよ!」
ホワイトベアーが大きく体を動かしたことで、ウォル君は大きく吹き飛ばされる。
何とか地面には着地できたものの、追撃を受けそうになったところを見たアニサさんが地面に魔法弾を発射し、土煙を発生させて目暗ましを行う。
「ヒューマンたちがこんなにも頑張ってくれてるってのに、俺たちは見てるだけってのは違うよな!? ほら、喰らえ喰らえ!」
「私だって! それ!」
義父さんが率いる狩人たちや、レイカが攻撃を行う。
あまり有効打にはなっていないようだが、それでもダメージは与えられている。
「うわ……! ぐあ……!」
「あ……! きゃあ!?」
巨体を生かし、ホワイトベアーは高威力の攻撃を僕たちに振りまいていく。
こちらから攻撃ができたと思ったら、奴の攻撃を受けた味方が戦線を離脱する。
相手はたった一体だというのに、苦戦しているのは僕たちの方だ。
時間をかければかけるほどこちらの被害は増してしまうので、何かしら大ダメージを与えたいところだが。
「これならどうだ!」
義父さんが弓を引き絞り、ホワイトベアーの頭部めがけて矢を発射する。
だが、放たれた矢は突如発生した風にあおられ、無関係の方向に飛んで行ってしまった。
「くそ! 炎が強まってきたせいか、変な風が発生してやがる! これじゃ頭を狙えねぇ!」
丁度昼時だったせいか、破壊された家屋のほとんどから火の手が上がっている。
冷え切っているはずの空気は肌が焼けるように熱くなっており、積もっていた白い雪はむき出しとなった地面をドロドロと濡らしていく。
「ウインドショット!」
拙いながらも、レンが風の魔法をホワイトベアーに向けて発射する。
それは黒く変色した毛皮に命中し、大きく毛を散らしていた。
「なるほど、あそこだったら……! はあああ!」
ホワイトベアーの隙を狙い、レンの攻撃が命中した場所に剣を突き刺す。
硬くしなやかな筋肉に阻まれ、体の奥深くまでには届かなかったものの、傷を負わせられたようだ。
「ウォル君! 僕が攻撃した場所に!」
「おう! 任せな!」
僕がホワイトベアーの攻撃を抑えている間に、ウォル君が攻撃態勢を整えていく。
彼が大きく飛び上がった音を聞き、素早く退避しながら彼に向けて身体強化の魔法を使用する。
威力を増した斬撃が、奴の傷を大きく斬り裂いた。
「グオオオ!?」
大きな悲鳴をあげ、初めて巨体が大きくのけぞる。
かなりのダメージを与えられたようだ。
「よっしゃ! このまま攻めろ!」
「まっかせなさい!」
アニサさんたち魔導士の魔法がホワイトベアーの体に直撃し、毛皮を変色させると同時に剥ぎ取っていく。
「ここ!」
「そら、そら、そら!」
レイカや狩人たちが、現れた皮膚と筋肉を傷つけていく。
「くらええええ!!」
「どりゃあああ!!」
力自慢の剣士たちが傷口を斬り裂き、大きなダメージを与えていく。
こちらが流れをつかみ、このまま討伐に向かえるかと思ったその時。
「まずい! 魔導士たちに注意を向けやがった!」
近くにいた剣士たちを吹き飛ばしながら、ホワイトベアーは魔導士部隊に向けて突進していく。
満身創痍だろうに、それでも暴れようとする奴に恐怖を抱きつつも皆に指示を出す。
「みんな! 防御体勢を――」
「いや、違う! 攻撃をするんだ!」
僕とは真逆の指示をウォル君が発する。
いくら手負いとはいえ、ホワイトベアーの攻撃は皆で防御をしたところで止まるわけがない。
間違った指示を出してしまったことに気付くも時すでに遅く、奴の腕が大きく振り上げられ――
「うわあああ!?」
「きゃあああ!?」
防御体勢を整えてしまった仲間たちは、渾身の攻撃を受けて浮き飛ばされてしまう。
防御をしてしまった剣士たちが倒されたことで、魔導士たちがむき出しとなる。
ホワイトベアーは彼らにも腕を振りおろしていき、戦える人々が一気に減ってしまう。
「気にすんな! まだ戦える奴はいるんだ! ソラ、強化を頼むぜ! ――ソラ?」
ウォル君が皆を鼓舞し、強化を求める声が耳に届く。
だが、僕には彼の要望を聞く余裕は無くなっていた。
「間違えた……! また、やっちゃった……! 今度こそ、うまくいくって思ったのに……!」
大地に膝をつき、頭を抱えてうずくまる。
瞳からは涙があふれ出し、動悸のせいで強い吐き気を催してしまう。
「ソラ兄!? どうしたの、しっかりしてよ!」
「ソラさん! 立って! 戦わないと!」
レイカとレンがそばにやって来て、僕を励まそうとしている。
その声に応えようと体に力を込めるのだが、腕も足も震えてしまい、立ち上がることができなかった。
「やべぇ! お前ら、早く逃げろ!」
大きな足音を立てて、ホワイトベアーが接近してくる。
ウォル君が奴の前に踊りだし、僕たちが逃げる隙を作ってくれるのだが。
「ぐあっ!?」
攻撃を抑えきれず、ウォル君も爪に引き裂かれてしまう。
地面に倒れ、赤い液体が彼の体から流れていく。
ホワイトベアーは、僕たちに攻撃を仕掛けようとゆらりゆらりと歩み寄ってくる。
「息子を狙うんなら、まずは俺を狙うんだな! おら、おらぁ!!」
義父さんもホワイトベアーの前に飛び出し、時間稼ぎをしてくれるのだが。
「ぐ……ああああ!!」
ただ一人では戦いにもならず、吹き飛ばされてしまう。
皆が僕を守るために戦い、倒れていく。
五年前と変わらない、何も変えられていない。
皆は戦っているというのに、僕は倒れているだけ。
このままではダメだ。戦わなくては。
「うう、うう……!」
「ソラ兄、平気……!?」
「ソラさん……!」
フラフラとしつつも立ち上がり、剣をホワイトベアーに向ける。
奴は、まだ動こうとする僕に標的を定めたようだ。
「ここで、負けていられないんだ……! 僕は、越えなきゃいけないんだ……!」
脳裏には、あの時の光景が何度もフラッシュバックする。
全てを投げ出して倒れてしまいたい。楽になりたい。
だが、すぐそばには大切な家族がいる。大切な――人がいる。
「もう、負けたくない……! 失いたくないんだ!」
腕を大きく振り上げたホワイトベアーに突進する。
剣は奴の腹部に突き刺さり、巨体が痛みに大きく揺れた。
「うわ……。わあああ!?」
大きく身をよじられたことで、刺さった剣が抜けてしまう。
レイカたちがいる場所から離れた場所に投げ飛ばされ、起き上がろうとした時には――
「ソラ兄!」
「ソラさん!」
僕に向け、鋭い爪が落ちてくる。
無意識に剣を構え、防御魔法を使用するのだが。
「が……!」
防御魔法は砕け散り、斬撃が僕の体を引き裂いた。
激しい痛みと共に、生温かいものが体を伝っていく。
同時に、体温が下がっていくような感じがする。
「ナナ……! ナナ……!」
回らない頭が考えたのはナナのことだけ。
自ずと視線は、彼女がいるはずの方向へと向いていた。
「お兄ちゃあーん!! 早く逃げてぇ――!!」
レイカの声で、まだ危機が迫っていることに気付く。
僕にとどめを刺そうと、ホワイトベアーが再び腕を振り上げたのだ。
「フレイムバースト!」
ホワイトベアーの後頭部が爆炎に包まれる。
ナナが奴の気をそらそうと魔法を使ってくれたようだ。
彼女の狙い通り、奴は僕を狙うのをやめたが、次の標的は――
「ナナ……逃げ……て……」
ゆらりゆらりと、ナナに向けて巨体が移動していく。
大切な人が、狙われようとしている。
「お兄ちゃん! レン、早く治療してあげて!」
「う、うん! ソラ兄、ちょっと我慢してて!」
レイカとレンが僕のそばに駆け寄り、回復魔法をかけてくれる。
痛みは大きく引き、傷も塞がっていくが、完全には治りきらなかった。
その間にもホワイトベアーはナナの元へと近寄って行く。
体を起こし、奴に再度突撃しようとするのだが。
「ぐ……あぐ……!」
治り切らなかった傷が痛みを発し、体が思うように動かない。
立ち上がるどころか倒れてしまい、更に体が悲鳴をあげた。
「やめろ……! 待て……!」
ホワイトベアーに手を伸ばして懇願するも、奴の足が止まることはない。
無力感に苛まれ、顔を歪ませながら視線を落とすと、そこには――
「三魔紋の紙……」
僕の体液で赤く染まった、魔法陣を描いた紙が落ちていた。
願いを込めながら、その紙に触れる。
「一度だけでいいから……。力を貸してよ……!」
指先から魔法陣に向けて魔力が流れていく。
魔力が満ちていくことで、それはうっすらと輝きだす。
「魔法は、望みを叶える力……。だったら、僕の願いを叶えてよ……!」
少しずつ、少しずつ、輝きが増していく。
「みんなを守りたいんだ……! ナナを、守りたいんだ!」
魔法陣から光があふれ出した。