「潮風が気持ちいいね~。ちょっと寒いけど」
「レイカちゃんは、ちょっと前に船に乗って海を渡ったでしょ? そっちの方が気持ちいいんじゃないの?」
客車の窓から顔を出し、潮風を感じているレイカと、どこかつまらなそうに客車の壁に寄りかかるミタマさん。
僕たちは海都ポルトから出る客車に乗り、目的地であるピスカ村に向かっていた。
「『戻りの大渦』を進んでいる最中は、気持ちいいとか気にしてられなかったし、その後は『アイラル大陸』に近づいていたから寒くて……。あまり気持ちいいとは思わなかったなぁ」
「ふ~ん。夏だったらよかったのかもね」
ある程度和やかな会話をしている二人に対し、イデイアさんは客車の隅で一人腕を組んでいた。
海都で買ってきておいた袋詰めのお菓子を手に持ちつつ、彼女の元へ近づく。
「話に混ざらなくていいのかい?」
「……私は友というわけではない。話に混ざりこまれても迷惑するだけだろう」
否定はしたものの、視線はレイカたちに向けられた。
同い年くらいの女の子たちが会話をしていれば、気にならないわけがないだろう。
「聞いてくれる人がいるだけでも、話す人は嬉しいんだよ。もし良かったら、このお菓子を持っていきなよ。一緒に食べれば、きっと……」
袋を差し出しつつ、会話に混ざるよう勧める。
イデイアさんは僕の手に乗るそれを見つめつつ、悩むような素振りを見せてくれたのだが。
「……いや、遠慮する。私は一人でも大丈夫だ」
袋を受け取ることはせず、僕から離れた場所に移動してしまった。
そう簡単に進展はしないかと小さくため息を吐きつつ、元いた場所へ戻る。
ほんの少しでも交流を深められるきっかけになればと思ったのだが、なかなか難しいか。
「時間的には、もうそろそろピスカ村が見えてくるんだよね? どんな場所なのかな~」
「面白いところなんて、ほとんどないよ」
客車の窓から海を眺め、楽しげにしているレイカに対し、ミタマさんは全く面白くなさそうに小さくつぶやいた。
客車に乗る前からどことなく不機嫌な様子には見えたが、故郷を毛嫌いしているのだろうか。
「折角故郷に帰るのに……。嬉しくないの?」
「どうでもいいや。悪いけど、あまりあそのことは質問しないで」
レイカの質問を、ミタマさんは冷たく突き放してしまう。
いつも朗らかな彼女らしくない、ぶっきらぼうな態度を見たことで、レイカは困った様子で僕の元へやって来た。
「私、悪いこと聞いちゃったかな……?」
「僕もナナに質問をしすぎて、不機嫌になられたことはあるよ。こういう時は、そっとしてあげれば大丈夫」
僕の助言にうなずくと、レイカは元いた窓へと近寄って行った。
それからは客車内で喋る声はなくなり、街道を進む車輪がきしむ音だけが聞こえてくるだけとなった。
「もうすぐピスカ村です」
御者さんの声を聞き、レイカは窓から身を乗り出すと同時に、ミタマさんとイデイアさんは客車から降りる準備は始める。
自分の荷物を手に取りつつ、ミタマさんにそっと声をかけることにした。
「ごめんね、連れてきちゃって」
「構いませんよ。魔法剣士内にこの村の出身はウチしかいませんし、案内役を頼まれるのは当然なことですから」
暗に、頼まれなければこの地を訪れる気はなかったと言っているようだ。
故郷に対してこれほど嫌悪感を抱いている理由は、何なのだろうか。
「話を聞いて、モンスターを退治しに行くだけ。普通にやって、普通に帰るだけなんだから」
自分自身に言い聞かせるようにつぶやくミタマさん。
目的地に近付くにつれて調子が悪くなっていくというのであれば、深入りしない程度に話を聞こうと思っていたが、体調面においての変化はないように思える。
大きな不満を抱きつつも、任務をこなす気はあるようなので、見守る程度で良さそうだ。
「イデイアさんも、準備は大丈夫かい?」
「問題ない。いつでも活動できる」
イデイアさんの表情を見る限り、特に気負ってはいない様子だ。
無事、ピスカ村にたどり着いたらしく、客車の動きが停まる。
最初に地面に降り立ち、御者さんの元へ料金の支払いをしに向かう。
お金を手渡しつつ、皆が下りてきたかどうか確認するために、客車の乗降口に視線を向けると。
「あれ? レイカは?」
「まだ客車の中にいますよ」
そこにはミタマさんとイデイアさんの姿しかなかった。
いつもであれば真っ先に降りてくるはずなのだが、何かあったのだろうか。
支払いを終え、乗車口から中の様子をうかがうと。
「レイカ? 何してんの?」
なぜかレイカは、客車の隅に隠れるようにしていた。
返事はなく、顔色が悪くなっている様子。
客車に乗り込み、そばに近寄ると、彼女は悲痛な表情を浮かべながら体を震わせていた。
「れ、レイカちゃん!? どうしたの、そんなに青い顔をして……」
ミタマさんも客車に乗り込み、レイカの背を撫でてくれた。
レイカのこの状態は記憶にある。
僕の家で一夜を過ごし、次の日にアマロ村へ行った時の――
「石を投げられた……。追いかけまわされた……!」
「そうか、この村が……」
レイカの体を抱きしめつつ、ぎりりと歯ぎしりをする。
まさか、こんな形で連れてくることになってしまうとは。
「私が……。この大陸で、初めてきた村……」
ピスカ村は、レイカの苦しみが始まった村だったのだ。
●
「よかった、落ち着いてきたみたいだね」
「うん……。ごめんなさい、お兄ちゃんにだけお仕事をさせちゃって……」
ピスカ村から少し離れた草原地帯。僕が村を訪れている間、レイカは休憩をしていた。
客車での状態のまま連れて行くことは不可能と判断し、ミタマさんに頼んでしばらく様子を見てもらっていたのだが、とりあえず顔色は戻ってきたようだ。
「ここに近寄って来る者たちはいなかった。モンスターも、謎の魔法剣士も」
周囲の様子をうかがいながら、イデイアさんが歩み寄ってくる。
依頼を優先しているような口ぶりに見えて、その実、レイカに危険が及ばないように周囲の警戒をしてくれていたようだ。
なるほど、マスターが目を掛ける理由が分かった気がする。
「ち、違う……! 私は、一人でも欠けたら任務に支障をきたすと思って……!」
「でも、周囲を警戒してくれたことは確かでしょ? それならちゃんとお礼を言わないと。ありがとう、イデイアさん。ミタマさんもありがとうね、レイカを励ましてくれて」
「いえ……。むしろ謝るべきはウチの方ですよ……。話はレイカちゃんから聞きましたけど、この村がそんなひどいことをしていたなんて……」
ミタマさんは、苦々しく口元を歪めていた。
この村の生まれとして、思うことがあるのだろう。
「ミタマさんは、その時には海都で暮らしていたんでしょ? だったら、気にすることなんて――」
「そんなこと、できるわけがありません」
励まそうとするも、きっぱりと言われてしまった。
故郷の人々が友達に危害を加えたことを思えば、慰めの言葉も受け入れられないか。
「それより村、どうでした? 少しくらい、活気は戻って……」
「ううん。僕から見ても、とても漁師の村とは思えなかった。話に聞いていた以上にさびれているよ……」
ピスカ村で情報収集をしてきた際に村の様子も見てきたが、人々の顔には生気がなく、漁に使われていたであろう網や船は放置されていた。
穴が開いてしまっている物もあり、漁を再開することは不可能と言わざるを得ないほどだ。
「村に対して思うことはあるけど、それとこれとは話が別。レイカも元気になって来たし、今回の目的に入ろうか」
僕の言葉に少女たちは大きくうなずく。
早速彼女たちは得ている情報を用い、話し合いを始めた。
「オクトロスがいるのは海岸の洞窟とのことだ。ただ、そこに行くには、この地域に住む者でないと見つけにくい階段を行かねばならないらしいが……」
「ならミタマちゃんの出番だね。場所は分かるでしょ?」
「もちろん。ウチが案内するから、ちゃんとついてきてね」
ミタマさんが少女たちを先導して歩きだしたので、僕は最後尾を歩き、周囲の警戒をすることにした。
しばらく草原を歩き続けると、切り立った崖にたどり着く。
よく見ると崖下に続く階段があるようだ。
「あまり整備はされていないようだな。階段の痛みがひどい」
「滑りやすくなってるかもしれないから気を付けて。もしも転んだら、崖下まで真っ逆さまだよ」
「う、うん。気を付けるね」
階段にはところどころ小さな穴が開き、大波に打ち上げられたであろう貝や海藻類が張り付いていた。
村に活気があった時は、この階段も綺麗に整備されていたのだろうか。
「海辺の洞窟は、漁に出ない、出られない人たちが貝を取りに来る場所なの。ウチも、ちっちゃかった時に何度か来たことがあるんだ」
「小さい頃の記憶……か。羨ましいな」
ミタマさんの発言に、小さく反応するイデイアさん。
気分が落ち込んでいるように見えるが、どうかしたのだろうか。
「元気になっていくどころか、どんどん落ちぶれていく……。村がこんな状態にならないようにするために、お父さんは漁に出続けてたのにな……」
元気がなくなっていく二人に対し、どう対処してあげれば良いか分からなくなったのか、レイカが階段を下りる足を止め、僕に視線を向けてきた。
「色々聞くのはまずい……よね……?」
「うん、いまは聞かないであげて」
人には人の事情がある。自分から話し出したのならともかく、他人が聞き出すことは基本的に避けた方が良い。
そこからは、皆無言となって下り階段を進んでいった。
「あそこに見えるのが海辺の洞窟です。この奥に、オクトロスが……」
階段を下り切り、海岸沿いに歩いていくと正面に洞窟が現れた。
海水が侵食したことでできた洞窟らしいが、中は明かりが無くても問題ない程度に明るいそうだ。
「三人とも、準備はいい?」
「「はい!」」
「……ああ」
声を掛け合い、四人で洞窟中へと足を進める。
ジメッとした空気と、溜まり切った潮の香りが僕たちを包み込んでいった。