「だ、誰……?」
「誰でもいいさ」
レイカの質問にフードの人物は短く答え、踵を返してこの場を去ろうとする。
僕はその背に声をかける。体を震わせながら。
「あなたは……。あなたは……! ウェルテ先輩なんですか……?」
質問に、フードの人物は足を止める。
そして、再びこちらに顔を向けて口を開いてくれた。
「二年間だけだったとはいえ、お前ならば分かってしまう……か」
謎の人物は顔元からフードを外し、目元以外に巻き付けていた布を取り外してくれる。
そこには黒い長髪を短くまとめ、背中側に垂らした女性がいた。
「久しぶりだな、ソラ。元気そうで安心したぞ」
「ウェルテ……先輩……!」
僕のもう一人の先輩――ウェルテ先輩の変わらぬ顔を見て、涙がこぼれだす。
ずっと行方不明だった先輩が目の前にいる。とても、とても嬉しかった。
「全く……。相変わらず泣き虫だな。そこにいる少女たちはお前の後輩なのだろう? みっともない姿を見せてどうするんだ」
「そ、それは……! でも、五年間も行方不明だったあなたとまた会えたんです! どうしても涙は流れちゃいますよ……!」
どこにいるのか分からなかった。生きているかどうかすら分からなかった。
そんな人が目の前に現れたというのに、涙を流すなと言われても無理がある。
「……まあ、私も安心したというのは確かだがな。それより、さっさと退治したモンスターの処理をしろ。お前のことだ。どうせ、洞窟外に持ち出すとか言うんだろう?」
「そ、そうでした! みんな、急いでオクトロスを海水から引き上げよう。先輩、色んなことの説明は処理をしながらで!」
茫然と僕たちのやり取りを見ていた少女たちに指示を出し、オクトロスの体を分解していく。
同時に、この間を利用してお互いの近況報告と少女たちの紹介を行うのだった。
「そうか、お前が話に聞いていた幼なじみなのか……。レイカと言ったな?」
「あ、はい! えっと、よろしくお願いします!」
レイカは緊張しつつも、先輩に挨拶を返してくれた。
相手がヒューマンだからという理由ではなく、これまでに先輩の思い出話をいくつか聞かせてきたことで、憧れに近い感情を抱いているようだ。
「ソラは――きちんと、年上らしい行動ができていたか?」
「もちろんです! 私の心を癒してくれただけでなく、たくさんのことを教えてくれています! この大陸のことも、魔法剣士のことも、いっぱいです!」
嬉しそうに僕のことを説明してくれるレイカに、先輩は優しげな笑みを浮かべていた。
だが、その横顔はどことなく寂しそうに思える。
笑っているのに寂しそうとは、どういうことだろうか。
「ミタマか……。まさかルペスの奴が後輩の育成をしているとはな……」
「魔法や剣だけでなく、色んなことを教えてくれますよ! 海都での遊び方とか!」
ルペス先輩との日々をミタマさんから教えられ、溜息を吐いていた。
五年経っても大きく変わらない彼の行動に、呆れてしまったのかもしれない。
「最後に――イデイアだったな。誰の下で鍛錬を積んでいるんだ?」
「……マスターインベル」
先輩のことを既に受け入れかけているレイカとミタマさんに対し、イデイアさんは警戒心を抱いている様子だった。
違和感を抱きはしたものの、先輩に会えたことへの喜びが上回り、頭の片隅へとあっという間に流されていく。
「すごいおっきな傷……。剣でこんな傷を付けられるなんて、ウェルテ先輩ってすごい人なんだね!」
オクトロスの胴体を両断した傷を調べていたレイカが、先輩に尊敬のまなざしを向ける。
どこかで見た記憶がある傷だが、いつのことだっただろうか。
「ところで、先輩はなぜここに? いままで姿を見せず、何をされていたんですか?」
「一度に質問をするな。私がここにきたのは、近くにモンスターが住みついた村があるという情報を耳にしたからだ」
どうやら先輩も、ピスカ村の人々を助けるために来ていたようだ。
たった一人だというのに、やはり彼女はすごい人だ。
「もう一つの質問だが、今回ここに来た理由と同じようなものだ。私は、モンスターに苦しめられている人々を救う旅をしている。姿を見せなかったのは、五年前に負った傷の治療もあるが、個人で動いた方が楽だったからだな」
魔法剣士ギルドの皆が心配していたというのに、無情に思える考え方だった。
気持ちは分かるが、何かしら情報を残してくれても良かっただろうに。
「モンスターで思い出したが、先ほどのお前たちの戦いはなんだ? なぜとどめをさせたというのに、それをしなかったんだ?」
「あれは……。僕たちもダメージを受けていたので、追撃するのは危険と判断しました。触腕をすべて斬り落としたので、人に危害を加えられないだろうという判断もありますが」
レイカとミタマさんは動くことができたので、彼女たちに討伐を任せても良かったのだろう。
だが、まだ経験が少ない二人では、オクトロスの最後のあがきに対応できない可能性もあった。
あそこは無理をするべき場所ではなかったはずだ。
「なるほど、負傷を考えての判断であれば妥当だろう。だが、後者の判断は受け入れがたいな。モンスターが逆上し、人の集落を故意に襲う可能性がある。中途半端に生かすのは危険なだけだ」
「それは……そうかもしれませんが……」
その時は最善だと思った行動が、必ずしも最良に至るとは限らない。
理解はしていても、自身が尊敬する人物から批評をされて心が落ち込んでしまう。
「……いや、すまない。私は一人だけで戦い続けていたせいか、どうにも討ち漏らすことを忌避してしまうんだ。お前には三人も守るべき後輩がいて、導かねばならない。諸々変わってくるというのにな」
「先輩……」
やはり、先輩も魔法剣士ギルドに復帰するべきではないだろうか。
皆と共に行動し、戦えば――
「そうしてあんたは、いくつものモンスターの縄張りを破壊して回っていたのか?」
イデイアさんが発した言葉の意味が分からず、首を傾げてしまう。
モンスターの縄張りを破壊――先輩が?
「人々を守るためには、根源から断つ方が手っ取り早いのでな」
先輩は、イデイアさんの言葉を否定するのではなく、むしろそうする理由を説明した。
簡素な説明を聞き、イデイアさんが僕たちの依頼についてきた目的を思い出す。
モンスターを倒して回る、謎の魔法剣士を探すという役目が彼女にある。
「人に敵対的ではない、むしろ益になるモンスターの群れが壊滅したという情報も入ってきている。全て、あんたの仕業か?」
「ああ、その通りだ」
あっけらかんと答える先輩に対し、恐怖心と懐疑心が浮かび上がってくる。
危険なモンスターであれば分からなくもない。
だがなぜ、人の益になるモンスターの縄張りを破壊したのだろう。
「やはり温いな。いまは益であっても、いずれは損になる可能性がある。命が失われてからでは遅いんだぞ?」
先輩の言葉が全く理解できない。
僕がモンスター図鑑を作っているから?
スラランを始め、何体かのモンスターたちと心を通わせてしまっているから?
「人と仲良くしたいと想ってくれるモンスターもいるんですよ……? 人に傷つけられて、苦しんでいるモンスターもいるんですよ……?」
スラランにルトやコバ、それにパナケアと友達に、家族となった僕では、認められない考え方だった。
退治するだけが対処法でなく、良い関係を、仲良くなることで変わっていくことある。
何とかその行動を思いとどまらせようと、自身の経験を伝えていくのだが。
「……本気で言っているのか」
「え……?」
先輩の様子が一変する。
肩をわなわなと震わせ、開かれていたはずの手が硬く握りしめられていく。
「人々の命を奪うモンスターどもと、仲良くなれるなどと本気で思っているのかッ!!」
怒声が洞窟中に伝わっていく。
彼女は僕の胸倉をつかみ、激しい怒りを抱いた瞳で睨みつけていた。
「くあ……! せんぱ……くるし……!」
「答えろッ! お前は、本当にそんなことを思っているのかッ!」
首が締まった状態で激しく揺さぶられ、意識が一瞬遠のく。
「ちょ、ちょっと! 何をしているんですか!」
「ソラさんが苦しんでます! いくら大先輩でも、暴力はダメですよ!」
レイカとミタマさんが、僕から先輩を引き離そうとしている。
だが、そんな二人を気に留めることもせず、彼女は僕に怒りを向け続けていた。
「お前もあの時のことを経験しただろう!? なのに、なぜそんな言葉が口から出るッ!」
怒りが僕に向けられた理由を理解する。
よくよく考えなくともわかることだったはずなのに。
彼女にとっては、何よりも辛いことのはずだったのに。
「マスターケイルムを目の前で失ったというのに……! お前は……!」
「やっぱり、あなたもまだ……!」
最も尊敬する人を、父を奪われた人に向ける言葉ではなかった。
先輩であれば、もしかしたら乗り越えられているかもしれない。
そんな甘い考えで言葉を発した僕の失態だ。
「それで、あんたはどうしたいんだ? 全てのモンスターを倒して回るのか?」
「当然だ……! 全てのモンスターを討滅し、誰も傷つかなくて済むようにする! それでいい……! そうすれば、私たちのような目に合う人は……!」
僕とウェルテ先輩で、たどり着こうとしている最終地点は全く同じだ。
だが、過程があまりにも真逆すぎる。
「僕だって同じです……! 誰にも、決して傷ついてほしくない……! だからこそ、僕たちがモンスターを知らなければいけないんです!」
「そんなことをして何になる!? モンスターなどいらない存在だ! お前にも、斬り捨ててきた奴らはいるだろう!」
先輩の言う通り、僕が退治してきたモンスターは無数にいる。
言い返す資格など、僕にはないのだが。
「悲しんでいるモンスターがいたんです……! 家族を失った子、ひとりぼっちで誰にも頼れなかった子……。そんな子たちを、僕は見捨てたくないんです!」
僕にも一人で苦しんでいた時期があり、そんな時にはケイルムさんが助けに来てくれた。
結局は僕の自己満足でしかない。
だが、僕が苦しんでいる子たちを助けなければ、彼と作った思い出が壊れていきそうな気がするのだ。
「お前が差し出した手を、モンスターたちは喰らうかもしれないんだぞ!? その時に感謝はすれど、すっかり忘れて他者に襲い掛かる可能性も――」
「じゃあ、なんで子どものコボルトは傷つけなかったんですか!?」
僕の胸倉をつかむ手がわずかに緩んだ。
「オーラム鉱山の坑道が、コボルトの巣と繋がってしまった時の話です……! あの時、先輩はあの場にいたんですよね……? コボルトたちの群れを壊滅させたのは、あなたなんでしょ……?」
オーラム鉱山で倒れていたコボルトたちに付いていた傷と、オクトロスを両断した一撃、これらは同じもの。
ルトとコバが暮らしていた群れを壊滅させた人物は、先輩なのだ。
「そんなことができるあなたなら、子どもなんてわけないはず。だというのに、傷一つ付いていなかった。なぜですか!?」
「……ッ! それは……!」
ルトとコバはケガをしていなかった。
それどころか、ブラッドバッドに倒された他の兄弟たちも、剣による傷はなかったとナナが言っていた。
「斬れなかったんでしょう……? 子どもを残した方が、人を恨む可能性が高いのに……。あなたには、それができなかったんでしょう……?」
僕の胸倉をつかむ手からは、完全に力が失われた。
「僕も、ケイルムさんの命を奪ったモンスターには恨みを抱いています……! でも、無関係のモンスターに恨みをぶつけるのは間違ってます!」
僕も最初は、全てのモンスターを憎んだ。
お前たちがいなければ、ケイルムさんは生きていてくれた。
もっとたくさんのことを、教えてくれたはずなのに――と。
だが、スラランやルトとコバ、パナケアと出会ったことで、その考えは間違っていることに気付くことができた。
このままでは、何も変わらないことも理解できた。
「人もモンスターも、傷つけあわないのが正解です。だから僕は――」
そこで僕は絶句してしまった。
美しかったはずの先輩の黒い瞳。
黒い憎悪の炎がたぎり、闇で塗りつぶされているように見えたのだ。
「ならば、いなくなった者たちの恨みはどうなる……! 私の、この身を焦がすような痛みはどこにぶつければいい! 教えてくれ、ソラ……!」
悲痛な声で訴えかけてくる。
だが、僕にはその答えを持ち合わせていなかった。
「誰かにぶつけることだけはしないでください……。そんなことを続けていたら、あなただって――」
「黙れ……! お前ならば……! 私と同じお前ならば、共に歩いてくれると思っていたのに……! お前を信じた、私が馬鹿だった……!」
先輩は踵を返し、僕から離れていこうとする。
彼女の手を握り、引き留めようとするのだが。
「後悔することになるぞ……! お前のその考えは、必ずお前とお前の家族を苦しめることになる……!」
そう言い残し、僕の手を振り払ってしまう。
僕は先輩の後を追いかけることができず、その場にうなだれることしかできなかった。
「ウェルテ先輩……。もう、あの時には戻れないんですか……?」
止められない自分に怒りが湧く。同時に、共に歩めない自分が情けなくなってくる。
僕は、どうすればよかったのだろうか。
どう、答えてあげるべきだったのだろうか。
どこを間違えたのだろうか。最初からかもしれない。
ケイルムさんの命を奪ったあのモンスターを、彼女と共に退治しに行かなかったあの時から――
「お兄ちゃん……」
レイカの声に振り返ると、悲しそうで、辛そうな表情を浮かべる少女たちの姿があった。
あの時の行動は間違っていたのかもしれない。
だが、先輩と行動を共にしていれば、レイカにもレンにも、スラランとルトとコバにパナケアにも、プルイナ村とアマロ村の人々にも会えなかった。
ナナとも共に歩けなかっただろう。
「ごめんなさい……! ごめんなさい……!」
瞳から涙があふれ出してくる。
あなたと共に歩めない自分を許してください。
あなたを止められない自分を許してください。
「再びあなたと共に歩める時が来るまで……。戦い続けますから……!」
声を出し、涙を流す。
涙は潮となり、声と共に海へと消えていくのだった。