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憎悪

「ふぅ……落ち着いたかな……。ごめんね、みんな。みっともない姿を見せちゃった」

 ウェルテ先輩が立ち去った後、僕たちはオクトロスの巣で休憩をしていた。


 泣き続けたことでやっと涙が収まったが、心は不安定に揺れているようだ。


「五年前の事件は私も知っている。だが、あんたとあの女が事件の真っただ中にいたとは……」

「魔法剣士のみんなにとっても辛い思い出だからね。特に、マスターにとっては自分の夫と娘が関わっている大事件。あまり話したい記憶じゃないんだ」

 僕たちに何があったのかを詳しく知っている人は、魔法剣士内でもほとんどいない。


 皆それぞれが大変な時期だったため、僕たちにかかりっきりになるわけにはいかなかったのだ。


「まさか、ウェルテ先輩の心があんなに憎悪に染まっているとは思わなかった……。たった一人で、あんなに苦しんでいたなんて……」

 ナナと共に暮らしていた僕ですら元通りになっていないというのに、一人で苦しみ続けたウェルテ先輩の心は、一体どれほど傷ついているのだろう。


 彼女の心が元通りになる日は来るのだろうか。


「……いつまでもウジウジしていてもしょうがない。そろそろ洞窟を脱出しよう。っと、そうだ。オクトロスの卵も回収しておかないと」

 立ち上がり、海水に沈む卵を厳重に保存してから洞窟の入り口へと向かう。


 行きの賑やかさはどこへやら、少女たちは皆、無言でついてきていた。


「お兄ちゃん。一つだけ、聞いていい?」

「ん? なんだい?」

 静寂を破り、レイカが質問をしてきた。


 振り返りつつ許可を出すと、彼女は優しい笑みを浮かべてくれる。


「ウェルテ先輩と会えて、嬉しかった?」

「嬉しい……? うん、とっても嬉しかった。ずっと生きているか分からなかった人が、目の前にいた。喧嘩別れをしちゃったけど、会えただけでも十分って言えるほどに……」

 ルペス先輩や、マスターインベルにも伝えなければ。


 皆、ウェルテ先輩のことを心配していたのだから。


「あの人の心も苦しんでる。いつか、助けてあげようね」

「うん……。そうだね……」

 三人で笑い合える日を想像し続けよう。


 それからは声が発せられることはなくなり、波の音が洞窟内に反響するだけとなった。

 海辺の洞窟から脱出することに成功し、浜辺を歩き、階段を上り、草原を歩き続ける。


 やがて正面に、ピスカ村の姿が現れた。


「さて、レイカとイデイアさんは村の様子が見える程度の場所で待ってて。僕とミタマさんで村に報告をしてくるから」

 レイカは村に恐怖を覚えているので、連れて行くことはできない。


 僕の心理状態もあまり良くないので、ここはミタマさんに同行してもらい、力を貸してもらおう。

 イデイアさんは警戒心が高いので、レイカを見守りつつ周囲を見張ってくれるはずだ。


「う、うん、分かった……。二人とも、気を付けてね」

「ウチの故郷だよ? 気を付けることなんてなーんもないよ。イデイアちゃんも、レイカちゃんのことをちゃんと見といてね」

「ああ、任せておけ」

 二人に手を振り、ミタマさんと共にピスカ村へ入る。


 すると、僕たちの帰りを待ちわびていたのか、この村の村長さんがすぐに出迎えてくれた。


「おお……! そのご様子ですと、オクトロスの討伐に?」

「はい。結果的に……ですけどね。オクトロスの部位を持ってきました。食用なり、他所に売るなりご活用ください」

 担いできた袋を下ろし、縛ってある紐をほどいて中身を見せる。


 オクトロスの新鮮な触腕と皮膜が、これでもかと詰め込まれていた。


「ありがとうございます……! 急なお願いにもかかわらず、討伐をして頂き誠にありがとうございました!」

 袋の口を再度縛り、村長さんに手渡すと彼は何度も頭を下げてきた。


 これで任務は終わりなので、帰還するためにその場を離れようとすると。


「あの……。不躾なお話ですが、援助の件はどうなりましたでしょうか……? 何か、お聞きになっていることは……」

「え? ああ、えっと……。特には何も……」

 一介の魔法剣士でしかない僕にする質問ではないと思うが、それだけ切羽詰まっているという裏返しでもあるのだろう。


 だが、何も聞かされていないので、僕ではどうすることもできない。


「村長、あまり困らせるようなことは言わないでください。ウチらだって、余裕があるわけじゃないんですよ」

「そうは言うがな、ミタマ……。すがれるところにすがらなければ、生きていけないんだ。ただでさえ漁ができなくなったというのに、オクトロスやシロキカミの問題が出て、皆まいっているんだからな……」

 そういえば、シロキカミについて解決してほしいという依頼も付属していた。


 小さいながら交友関係ができたので、話を聞けば情報が――


「おーい!! シロキカミどもが現れたぞ!!」

 突如として、後方から大きな声が聞こえてきた。


 なぜこのタイミングで、シロキカミが現れたのだろうか。

 走っていく村の人たちに続き、声を発した主がいる場所へ向かう。


 そこには――


「いや! 離して!」

「お前ら、急に近寄って来たと思ったら、何を……!」

 腕を後ろにして掴まれているレイカとイデイアさんの姿があった。


 なぜこんなことになっているのかは分からないが、このままではマズいと僕の心が騒ぎ出す。


「ちょっと、ちょっと! 子どもたちになんてことをしているんですか!」

 村人たちをかき分け、レイカたちの前に躍り出る。


 僕が出てきたことに安堵したのか、彼女たちは暴れるのをやめてくれた。


「こいつらはな! わしらが苦しむことになった元凶だ!」

 レイカを捕まえている男性が、至って真剣な表情でそう答えた。


 彼女たちが元凶? 一体何を言って――


「見ろ! この白い髪に灰の髪を! 人にはない、白い角を! こいつらがシロキカミじゃなかったら、一体何なんだ!」

 そう言って、男性はレイカが被っている帽子を剥ぎ取った。


 帽子の中から現れた白い髪と白い角を見て、彼が何を言っているのかを理解する。

 この村の人たちがシロキカミと呼ぶのは――


「そうだ! そいつらのせいで、俺たちは!」

「魔法剣士さん! 早くやっつけてよ!」

 あちらこちらから、レイカたちを退治しろという声が聞こえてくる。


 あまりにも異常な状況に困惑しつつも、彼女たちが魔法剣士の一員であること、決して害を与える人物ではないことを説明するのだが。


「はやく! はやく!」

「あんたが倒さないんだったら、俺が倒すぞ!」

 全く聞く耳を持ってくれないどころか、息まく人物まで出てくる始末。


 どうにかこの場を鎮める方法を考えるが、全く思いつかない。

 二人を連れて逃げる思考を始めると――


「いい加減にしてよ! さっきから聞いていたら、女の子たちを寄ってたかって! 大の大人がすることじゃないでしょ!? 信じられない!」

 我慢の限界に達したのか、ミタマさんが大声を上げた。


 彼女の言葉に村人たちの声が鎮まり始める。

 村の住民であるミタマさんだからこそ、止まってくれたのかもしれない。


 だが、村人たちの瞳の奥に宿った恐怖は消えていなかった。


「確かに見た目は女の子だ。だが、俺たちとは全く異なる姿をしているんだぞ!? 危険な存在かもしれないんだ! 現に、俺たちはこいつらに苦しめられて――」

「勝手に被害妄想しただけでしょ!? ウチらが追い払っちゃったから、恨みを持たれたって!」

 両者の言い争いが止まらない。


 口論はますます過熱していき、再び危険な声が浴びせられるようになってくる。


「俺がやる! 武器をよこせ!」

「レイカちゃんとイデイアちゃんには一歩も近づけさせない! 二人を傷つけようとするなんて、ウチが絶対に許さないから!」

 ミタマさんも剣の鞘に手をかけ、一発触発の状況になってしまう。


 だが、最初に怒りが限界を突破したのは彼らではなかった。


「そこをどけ! なんで化け物退治の邪魔をするんだ!」

「化け物……だと……?」

 体がものすごく熱くなり、怒りが一瞬で僕の心を支配していく。


 一番聞きたくない言葉を聞いてしまった。

 決して聞かせないと誓っていた言葉を聞かせてしまった。


「ミタマさん……! 剣を下げろ……!」

「なんで止めるんですか! レイカちゃんたちを守らな――」

「下げるんだッ!!」

 威圧を受けたミタマさんは怯み、剣の鞘から手を離した。


 怖がらせたことを心の中で謝罪しつつ、村人たちを睨みつける。


「そうだ! ミタマは黙っとけ! 魔法剣士さんが退治してくれるんだからな!」

 僕の行動を見た村人たちが、我が意を得たとばかりに喜び始めた。


 その姿を見て、更なる怒りが湧いてくる。


「さあ、早くやってください! 魔法剣士の手で――」

「黙れ……! ここまで我慢したがもう限界だ……! 仲間に、家族を手にかけろだと……? ふざけるなッ!」

 怒りをあらわにし、村人たちに怒声をぶつける。


 僕の豹変に驚いたのか、彼らは動きを止める。


「この子たちは魔法剣士の一員であり、化け物なわけがないッ! 僕たちと同じ存在だッ!」

 僕の言葉を理解しようとしているのか、村人たちが顔を見合わせる。


 だが、人々の顔から疑問符が消えていく様子がない。

 それどころか、怨嗟の声まで口から飛び出し始めた。


「化け物を退治する気はないと……? 魔法剣士だというのに、それを蹴ると言うんだな!?」

 とうとう僕にも凶器が向けられてしまう。


 もう、言葉で止めることはできない。


「あんたたちがこの子たちを傷つけると言うのならば、僕は自らの意思で戦う! 仲間を見捨てるなど、絶対にするものかッ!」

 素早く魔導書を開き、魔法を詠唱する。


 ここで完全に手を出してしまえば、僕たちが悪となる。

 この場を切り抜けるには、目暗ましをして時間稼ぎをする程度しかないだろう。


「ウインドバースト!」

 詠唱した魔法を着弾させたのは近くの砂浜。


 強風が発生し、巻き上げられた粉塵が僕たちに向けて飛び散ってくる。


「うわ!?」

「きゃあ!?」

 目暗ましを受けた村人たちは、目を傷つけないように顔を両手で覆い出す。


 その隙に、レイカとイデイアさんを捕えている男性たちに体当たりをし、二人を解放する。

 自由になった二人を先に逃がしつつ、加速魔法を皆に付与した。


 村人たちが見失う程度の距離まで、僕たちは走り続ける。

 呼吸を荒げながら振り返るも、誰かが追ってきている様子はなかった。


 何とか振り切れたようだ。


「……すまない、助かった」

「お兄ちゃん、ミタマちゃん。助けてくれてありがとう……」

 お礼を言う二人の表情は暗かった。


 暴言を吐かれ、危害を加えられそうになった直後では無理もない。

 それにしても、レイカだけでなく、灰色の髪というだけでイデイアさんまで迫害を受けてしまうとは。


 シロキカミに強い恐れを抱いていたのは分かるのだが、あまりにも無茶苦茶だ。


「ごめんね、二人とも。辛い思いをさせて……」

「ううん、いいの。村の人たちの気持ちは分からなくもないし……。お兄ちゃんたちが怒って助けてくれただけ、嬉しいよ」

 異種族への恐れが、ここまで大きくなるとは予想にもしていなかった。


 時間が問題を解消することはなく、より強固にしてしまったということか。


「同じ人だぞ……。なぜ、奇異の目で見られたんだ……。なぜ、凶器を向けられたんだ……」

 イデイアさんはショックが大きいらしく、顔色を暗くして地面を見つめていた。


 彼女はレイカとは違ってヒューマンだ。

 髪色が違うと言うだけで、化け物と判断されるなど許しがたい暴挙。


 先ほど向けられた言葉を思い出してしまい、ふつふつと怒りが再燃してくる。

 この場に留まるのも辛くなり、帰還するために歩き出そうとすると。


「ぐすっ……! うああ……!」

 泣き声に振り返ると、ミタマさんが涙を流していた。


 いつも明るい彼女が涙を流すなど、想像すらしていなかったことだ。


「なんで……? なんでよぉ!? お父さんが守りたかったのは、あんな村なの!? あんな人たちを守るために、お父さんは……!」

 瞳を潤ませながら、大声でわめきながらミタマさんは地面に膝をつく。


 彼女に何があったのかは分からない。

 だが、彼女の失意がとてつもなく大きいものだと言うことは理解できた。


「ごめんなさい……。私の村のせいで、みんなに嫌な思いをさせちゃった……。ごめんなさい……!」

 顔をあげることもなく、大地に涙を流しながら謝罪をされてしまう。


 慌ててミタマさんに近寄り、励ましを始める。


「謝っちゃダメだよ。君が謝る必要なんて、微塵もない。君が悪く思っちゃダメだ」

「そうだよ! 私も、ミタマちゃんが悪いなんて思ってない! だから、顔をあげてよ……」

 二人で声をかけても、彼女は泣き続ける。


 この短時間で、あまりにも多くのことが起こりすぎた。

 ミタマさんが再び顔をあげてくれるのを待ちつつ、心の整理をするのだった。

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