「さて、みんなの気分も元に戻ったわけだし、海都に帰ろうか。マスターもやきもきしていることだろうしね」
空に浮かぶ太陽が大地に向けて傾きだした頃、僕たちは海都ポルトに向けて歩き出そうとしていた。
道草を食わなければ、日が落ちきる前に海都にはたどり着くだろうか。
「でもお兄ちゃん。ピスカ村のことはどう報告するの? オクトロスはともかくとして、村と確執ができちゃったのに……」
「全部報告するさ。それが僕の役目だからね。もちろん、君たちに責任を負わせるなんてことはしない。そこは心配しないで」
レイカたちに責任を取らせようとする声が上がったとしても、僕は徹底的に抗議するつもりだ。
新人や若い子たちを守れないような組織では、存在する意味がない。
新世代を成長させていくことで、組織もまた成長し続けるのだから。
「えへへ……。期待されてるってことですよね!」
「そういうこと。さあ、海都に帰ろう。しっかりリフレッシュして、次の任務へ――」
三人を先導しながら歩き出そうとしたその時。
「お待ちください!」
突然、背後から僕たち以外の声が聞こえてきた。
ピスカ村の人たちが追って来たのかもしれない。
警戒しながら背後へと振り返ると、そこには肩で息をする金髪の女性がいた。
「何か用ですか。この子たちを差し出せというのなら――」
「ソラさん。心配しなくても大丈夫です。この人はウチのお母さんです」
「「「え!?」」」
ミタマさんと近寄ってくる女性を交互に見つめると、確かに顔立ちが似ているような気がする。
親子だという話は信じて問題なさそうだ。
「すみません。少しだけ、ミタマと話をさせてもらえないでしょうか……?」
「も、もちろん、構いませんが……」
女性は僕たちに向けて頭を下げ、娘の元へ歩み寄っていく。
僕たち部外者は、少し離れたところで様子を見ることにした。
「あんたの怒鳴り声が家の中にまで聞こえてきたよ。大声を出してまで、守りたいと思える友達ができたんだね」
「うん、ウチの大切な友達だよ」
ミタマさんは、僕のそばにいるレイカたちに視線を向ける。
その視線に対し、レイカは嬉しそうな笑みを浮かべ、イデイアさんは居心地が悪そうにきょろきょろと視線を動かしていた。
「それでこそあの人の娘。その強い心を失わずに、誰かのために使ってあげて」
ミタマさんの頭を、彼女のお母さんが優しく撫でる。
それに対しミタマさんは、どことなく切なげに見える表情を浮かべた。
「お母さんも一緒に行こう……? あんなとこにいても、心に悪いだけだよ」
心細げに訴える声に対し、ミタマさんのお母さんは娘を抱き寄せる。
「ごめんね、それはできないの。お父さんのお墓を守らなくちゃいけないし、ここは私たちの故郷。いまが苦しいからと言って、見捨てるわけにはいかないの」
その言葉で、なぜ人は故郷を恋しく思ってしまうか、一つの考えに至る。
大切な両親、良くしてくれた人々、長い時を過ごした家。
それら一つ一つの思い出が、心の支えとなっているからだろう。
だからこそ、故郷を壊しかねない存在に怒りを抱き、排除しようとしてしまう。
自分たちの思い出を、思い出を作った場所が壊れないように立ち上がるのだ。
「それにね、もしもあんたが辛くなった時に帰る場所は必要でしょ? いくら大好きで、大切な人たちがいても、苦しくなってしまう時はどうしてもある。そんな時にはこっそり帰ってくればいいの。思いっきり抱きしめてあげるから」
「お母さん……」
自分の帰りを待ってくれる人がいる。
それだけで、苦しくても日々を生きていこうと思えるのだ。
「分かった! また、お母さんに会いに来るよ。もっと強くなって、もっとたくさんの事を知って!」
「うん、いつでも待ってるから。皆さん、とてもわがままな子ですけど、どうかよろしくお願いいたしますね」
「ええ。ミタマさんのこと、大切に預からせて頂きます」
ミタマさんに向ける優しげな顔と、僕たちに向けられた娘を心配する表情。
どちらも、親が子に抱く愛情の形なのだろう。
「元気でね、ミタマ。みんなと仲良くね!」
「うん! お母さん、行ってきます!」
ミタマさんを連れ、僕たちは海都に向けて歩き出す。
僕の義理のお父さんとお母さんが愛してくれたように、産みの両親もどこかで僕のことを想ってくれているのだろうか。
●
「ピスカ村との間で軋轢が生じた……か。よく、イデイアとレイカを守ってくれた。感謝するぞ」
「いえ、それが僕の役目ですから。でも、これからどうしますか? 変な噂でも立てられたら……」
魔法剣士ギルド、マスターインベルの執務室にて。僕はマスターとルペス先輩に、討伐任務で起きた出来事を報告していた。
ピスカ村といざこざがあった件について話をしているが、当然ながらマスターは面白くなさそうな表情を浮かべている。
信頼、信用に関わる話なので、彼女も大きな問題として見ているようだ。
「言っておくが、お前も責任を感じる必要はないぞ。仲間を守るのは大切なこと。もしも見捨てるような真似をしていれば、私がお前を処罰しただろうし、信頼はさらに落ちているはずだ」
「仲間を何が何でも守るという意思を見せておけば、白角ちゃんたちが化け物ではないか? という疑念も落ち着くさ。変に話を合わせ、間違った確信へと至ることだけは防がないとね」
マスターと先輩に肯定してもらったことで、心が少し救われる。
さすがに責任を感じるなというのは無理があるが。
「ピスカ村の件は我々に任せておけ。お前が持ち帰って来たオクトロスの卵と併せ、考えている事業があるのだが、人手が足りなくてな。うまく話がまとまれば新たな道を見出せるかもしれん」
「そうなんですか……! 僕の力が必要であれば、いつでも言ってくださいね!」
マスターはうなずき、机の上に置かれているもう一つの報告書を手に取った。
嬉しそうにしていた表情がみるみる暗くなり、悲しそうな表情へと変わっていく。
「それにしても、モンスターたちの命を無暗に奪っていた魔法剣士が、ウェルテだったとはな……。あの子は何か言っていたか?」
「はい、実は……」
なぜモンスターを襲うのか、その目的の果てにあるものは何かを二人に伝える。
ウェルテ先輩から、否定の言葉をぶつけられてしまったことも併せて。
「生きていたことは喜ばしい。が、五年前の出来事はアイツでも払拭できなかったか……」
ルペス先輩は嬉しそうでもあり、悲しげでもあるという複雑な表情を浮かべる。
彼とウェルテ先輩は、僕の修行時代より前からペアを組んで戦っていた。
二人は幾度となく喧嘩を繰り返していたが、大切な絆で結ばれていたようなので、僕以上に辛いはずだ。
「実を言うと、その魔法剣士がウェルテではないかという疑念はあった。イデイアが持ってくる情報が、あの子と一致する部分があったからな。だが、信じられないという想いが強く、お前たちに伝えられなかった。すまないな」
「いえ、教えられていたとしても、僕は先輩のことを止められなかったと思います。それほどまでに、彼女の心を蝕む憎悪は凄まじかったので」
ウェルテ先輩があれほどの怨嗟の言葉をぶつけるなど、普通の状態ではあり得ない。
他者に厳しい部分もあったが、その分、優しい人だったのだから。
「ウェルテをここに連れ戻すことも、我々の目的の一つとして定めるとしよう。共に戦える未来を取り戻すためにな」
「「分かりました」」
先輩と共にうなずき、ウェルテ先輩を見つける決意を抱く。
一人で戦い続けていれば、心体共にますます摩耗していく。
これ以上の過ちに堕ちないうちに、連れ戻さなければ。
「さて、ルペス。ソラと二人で話をしたい。少し席を外してもらっていいか?」
「分かりました。では、俺はここで」
資料を手に取り、先輩は執務室から出ていった。
マスターは席から立ち上がり、窓際へと移動していく。
「……私がやらせたとはいえ、お前が進む道はいばらの道だな」
「初めてのことをするわけですから。多くの壁が存在しているのが当然ですよ」
モンスター図鑑。今回の件で、それを作り上げることがどんなに大変なことなのか、改めて理解できた。
モンスターとの融和を望まない者。異種族を恐れ、知ろうとしない者。
いざ直面するとなると、ショックは大きかった。
「お前に頼んだ者の一人として、手伝いたいことはいくらでもあるのだが……。あまり深入りをすると周りがうるさくてな。手伝えずにすまん」
「気にせずとも、不満なんてありません。次はどんなモンスターに出会えるのかなって、楽しみにしているくらいですから」
不安がないと言えば嘘にはなるが、その不安をかき消すほどに図鑑作成の旅は面白い。
見慣れているモンスターでも、観察を続けている内に普段とは異なる姿を見せることもある。
自分がそうだと思ったことでも、手伝ってくれるナナたちの意見を聞けば違う考えが返ってくる。
旅に出れば新たな出会いもあり、それらの繰り返しが面白いのだ。
「それならよかった、安心したよ。ここの任務はあらかた落ち着いた。お前も帰りたい場所、帰るべき場所に行って良いぞ?」
「僕の帰りたい場所……」
瞼を下ろし、帰りたい場所を思い浮かべる。
アマロ村の僕の家。ナナ・レイカ・レンの三人と、モンスターたちと暮らすあの家が僕の心に浮かび上がってきた。
「それと同時に頼みたいことがある。ソラ、お前は魔法剣士レイカの師となり、導いてやって欲しい。本来であればここで修行をさせるべきなのだが、あの子は前例のない存在。我々では育て方を間違える可能性があるのでな」
「……僕も、最初はここで鍛えてもらえればと思っていました。でも、いまはあの子のそばにいたい。一緒に強くなりたいと思っていたので、そう言っていただき助かります」
僕とレイカの関係を受け入れたこと、ピスカ村の一件のこと。
目の届かない場所に居させたくないという気持ちが、強まってきていた。
「帰った後も、何かあればいつでも連絡をしろ。大切な家族と一緒に居ても、辛くなることはいくらでもあるはずだからな。どうしても無理な時は、こっそりとここに帰ってくればいいさ」
「マスター……。ありがとうございます!」
マスターの優しさに感謝しつつ、執務室の外に出る。
帰ろう、家族と共にアマロ村の家へ。
いくつもの思い出がある、もう一つの故郷へ。
「あれ? マスターが浮かべてたあの顔、どこかで……?」
優しげで、どこか心配したような表情。
なぜマスターはあんな表情を浮かべたのだろう。
どうして、僕の心は切なさを抱いているのだろうか。