「泉のそばに建てられた家……。日差しも良くて、落ち着けそう」
「アマロ村の私たちのお家みたいだね!」
里の見学と食事を終えたのち、僕たちはとある建物の前にやって来ていた。
木造と石造りという違いはあるが、雰囲気は僕たちの家に似ている。
僕たちが体を休める場所として、これ以上のものはないだろう。
「掃除等は行ってありますが、食料の準備はできていません。申し訳ありませんが、そちらの方は皆さんで準備をお願いします。お金は、里長から預かったこちらをお使いください!」
「貰って良いんですか? 両替とかした方が良いんじゃ……」
「パナケアちゃんの葉っぱを頂いたお礼だそうです! あれはそうそう手に入る物じゃないので、私たちの間でも大きな価値があるんです!」
パナケアの葉を売ったと考えれば、金銭で返されるのは至極当然のことか。
納得した僕は、モミジさんから皮袋を受け取る。
袋の入り口を広げて中を見てみると、そこには木彫りの貨幣が詰め込まれていた。
表面には『世界樹』と思しき大樹が刻まれており、これがエルフの間で流通している貨幣のようだ。
「では、私はこれでお暇させていただきます! レイカちゃん、レン君、またね!」
「うん! またね!」
「バイバイ」
僕たちに手を振り、モミジさんはどこかへと去っていく。
残された僕たちは、荷物を持って家の中に入ることにした。
「お邪魔しま~す。あ、木の香りが……」
玄関を開けると、中から優しい香りが漂ってきた。
廊下を抜けてリビングに入ると、そこには暖かい日光に照らされるテーブルと四つの椅子が置かれていた。
埃が被っている様子は全くなく、常日頃から清掃が行われていたようだ。
「いっぱい日が入ってきて気持ちいいね~。パナケアちゃんも、ここなら気持ちよく過ごせそうだね」
「ま~う~」
ナナに返事をしつつ、パナケアは日のあたる床にころりと寝ころぶ。
その行動を見たスラランやルトたちも真似をし、日向ぼっこを始めるのだった。
「ふふ、みんな気持ちよさそうだね。それじゃ、早速買い物に行ってこようか?」
「ぜひついていきたいところですけど、キッチンのチェックもしないといけません。私はそっちを担当しますね」
ナナの言う通り、生活環境を整えるのも大切だ。
部屋やベッドの確認はレイカたちに行ってもらい、僕は一人で買い物に行くとしよう。
「じゃ、出かけてくるよ。そっちはよろしくね」
「ええ、任せてください。行ってらっしゃい」
貨幣が入った袋を持ち、モミジさんに紹介してもらった店に向かうことにした。
景色や雰囲気を楽しみながら歩いていると、エルフの人々が集まる建物が見えてくる。
彼らの肩にかけられた袋には、様々な色の野菜が姿をのぞかせていた。
「お、あんたがイチョウの言っていたヒューマンの客かい? その様子を見るに、買い物に来てくれたみたいだな?」
「ええ、モミジさんからここの野菜は最高と教えてくれたもので。よろしければ、何品か見繕っていただけませんか?」
店主さんは嬉しそうにうなずき、野菜の選定を始めてくれた。
僕も軒先に並べられた野菜を見つめ、食べてみたいものを探してみる。
どれも瑞々しく輝いており、とても美味しそうだ。
「む……。ソラか?」
「あ、その声は……」
聞き覚えのある声に振り返ると、そこには手提げカバンを肩にかけるイチョウさんの姿があった。
彼も買い物にやって来たのだろうか。
「もう少し、人の少ない時間帯を選ぼうとは考えないのか? お前に厳しい言葉をぶつける者がいるかもしれないというのに……」
「え? ああ、そっか。皆さんいい人ばかりですから、すっかり忘れてました」
里に来た時は厳しい言葉や視線をぶつけられたが、いまでは警戒心は微塵も感じられない。
受け入れてくれているというのに、遠慮をするのは逆に失礼だろう。
「折角ですから、ここの野菜について教えてきただけませんか? 店主さんに選んでいただいてますが、あなたのおすすめも聞いてみたいので」
「まあ、構わないが……。じゃあ、俺たちが良く買う野菜を説明するかな」
イチョウさんは、店頭に置かれている野菜たちをじっと見つめる。
最初に手を伸ばしたのは、薄緑色で球状の野菜だ。
「これはエルキャベツ。緑色の葉の部分であれば、水洗いをするだけで食うこともできるが、火を通すことが多い食べ物だな。他の野菜と混ぜ合わせたものに火を入れ、野菜炒めにするのが基本だ」
「僕たちの大陸にあるアヴァレタスという野菜に似てますね。そっちはほとんど火を入れないで、サラダや主食に挟んで食べることが多いんですよ」
イチョウさんから話を聞いている間に野菜の選出が終わったらしく、店主さんがカバンを返してくれた。
彼から聞いた野菜も複数入っている。これから調理するのが楽しみだ。
「相場は分かるか?」
「皮袋の中にメモがあったので大丈夫です。一、二の――これでお願いします」
「ちょうどだな! 毎度あり!」
支払いを終え、店から少し離れた場所でイチョウさんの買い物が終わるのを待つ。
彼もまた野菜を選び終え、店主に支払いを終えると僕の元にやって来てくれた。
「……すまんな、わざわざ待ってもらって」
「色々聞きたいことがありましたので、このくらいなら問題ありませんよ。ずいぶんたくさんのお野菜を買われたみたいですね」
「他の守り人たちの食料だ。有事の際に誰かが必ず行動できるよう、同じ場所で暮らすようにしているからな」
今日はイチョウさんが買い出しの当番だったようだ。
彼らは夕食に何を作るのだろうか。
「それで、聞きたいこととはなんだ? まさか、今日の献立を聞きたいとか言うんじゃないだろうな?」
「あはは……。それもいいですけどね」
食料品店から離れながら二人で会話を始める。
会話の内容は、この森に住むモンスターのことや、エルフたちの文化についてだ。
「里を見て歩いている間で気付いたと思うが、彫刻や絵画をたしなむことが多いな。時折、鑑賞会などを行うこともあるぞ。モンスターは、そうだな……。植物系や虫系が多いか」
虫系が多いという言葉を聞き、ぞわぞわと嫌悪感が湧いてくる。
だが、モンスターの調査は是非とも行いたいので、気を強く持ってことに当たるとしよう。
「その顔……。もしや、虫が嫌いなのか? よくそんなので旅ができるな」
「一つくらい苦手なものはありますよ……。そういうイチョウさんは苦手なものはないんですか?」
僕の返しに、イチョウさんは明らかに動揺を見せた。
どうやら、何かしら苦手なものがあるようだ。
「僕の苦手な物を教えたんですから、教えてくださいよ~」
「勝手に自白したようなものだろう? 言っておくが、俺に苦手な物など――」
「あ、イチョウ君! 丁度よかった!」
聞こえてきた声に振り返ると、緑髪の女性がこちらに歩いてくる姿が。
イチョウさんに用があるらしいが、肝心の人物はなぜか大きく慌てていた。
「え、えっと……。な、何か用……ですかね……?」
「今度薬草を取ってきて欲しいだけど……。お願いできるかな?」
「ま、任せてください。た、たくさん取ってきますね……」
女性は嬉しそうな表情を浮かべると、イチョウさんに手を振りながら去っていった。
僕はニヤリと笑みを浮かべつつ、彼に視線を向ける。
「お気持ちは分かりますよ。僕もナナと出会うまでは、同い年くらいの女性と話すのは苦手だったんです」
「……彼女は、俺の幼なじみだと知っても同じ感想を抱けるか?」
上がっていた僕の口角が、一気に通常の状態に戻る。
苦手という言葉で片付けるには難しいほどに、不得意なことのようだ。
「でも、ナナとは話せていたようですけど……」
「お前たちがやって来たという緊張感の方が上回っていたからな。有事にすら話せない方がどうかと思うぞ」
なぜか女性との会話についての話が弾んでいく。
まさか、出会って間もない人物とこのような話をすることになるとは。
「何をどう話していけばいいんだろうな? 幼い頃から訓練に明け暮れていたせいか、いまいち勝手が分からなくてな……。やはり、準備が必要なのか?」
「場数を踏むしかないですよ。知識がない状態でいくら準備をしても、緊張に押されてしまうだけですから」
僕の返答に、イチョウさんはがっくりと肩を落とす。
こればかりは頑張れとしか言うことしかできなかった。
「……出会ったばかりで、しかも他の種族だというのに、いきなり何を相談しているんだろうな、俺は」
「誰に相談したって良いじゃないですか。僕はしてくれて嬉しいですよ」
イチョウさんは鼻を鳴らし、不満そうな表情を浮かべてしまう。
だが歩く速度を上げ、この場から去ろうとする様子はないので、一定の信頼をしてくれたようだ。
「……お前は不思議な奴だな。普通、警戒を持たれている人物に近寄ろうとする奴はいないぞ?」
「僕たちの目的は、あくまで知ることですから。話さなければ、聞く機会なんて生まれませんからね」
目で見るだけでも知ることはできる。
だが、それは表面だけで、本質を知ることには至らないのだ。
「ヒューマンというのは、そんなに好奇心が強いのか?」
「……さあ、僕には分かりません」
「分からない……? お前はヒューマンなのだろう?」
「育ちはホワイトドラゴンなんです。ここ七年はヒューマンとして暮らしましたけど、ホワイトドラゴンとして生きていた時間の方が長いので」
とめどなく湧き上がってくる好奇心の正体は、ホワイトドラゴンによるものなのか、ヒューマンによるものなのか、僕には分からない。
ナナに言わせればヒューマンらしくないとのことなので、ホワイトドラゴン寄りだとは思っているが。
「ヒューマンであり、ホワイトドラゴンか……。複雑な存在なんだな、お前は」
「ええ、そうです。両者との違いに悩んだりして大変ですよ。でも、両方の道を歩いてきたからこそ得られたものがある、それもまた事実です」
ヒューマンとして生まれ、ホワイトドラゴンとして育てられたからこそ、抱ける考えや思いがある。
どちらかだけの道しか進んでいなければ、ここまで来ることもなかったはずだ。
「……ソラ。俺からも聞きたいことがあるんだが、良いか?」
「え、ええ……。構いませんが……」
イチョウさんは真剣な表情を見せつつ、質問の許可を求めてきた。
彼に体の正面を向け、質問が飛んでくるのを黙って待つ。
その間、僕の心の内には強い不安が浮かび上がってきていた。
「お前たちは、何をしにこの森に来たんだ?」
「何を……しに……?」
僕の目的は既に説明してある。
それを再び聞き直すということは――
「どうした。言いにくいことか?」
「いえ、そういうわけでは……」
僕たちの目的の、裏側にある情報を探ろうとしているのだろう。
この森に住む生命たちの情報を集め、図鑑を作るという情報を。
「言えないことであるのであれば、里長や里の意思を度外視してでも然るべき行動を取らせてもらう。納得できない言葉を聞いた時もまた同様だ」
イチョウさんの語気が強くなった。
僕たちにやましい目的は何一つとしてない。
だが、それを伝えたところで、彼は納得してくれるだろうか。
「……僕たちの目的は知ることです。そして、知った情報をとある本に纏め、多くの人々に行きわたらせること」
「俺たちエルフの情報も、その本とやらに記載するつもりか?」
質問に無言でうなずくと、イチョウさんは手を強く握りしめた。
失望させてしまったかもしれないが、嘘を言うことはできない。
それが僕のやるべきことなのだから。
「なぜ、それをしようと?」
図鑑を作る依頼を出してきた人たちが、どんな動機を抱いていたのかは分からない。
だが、僕の動機であるのならば――
「暮らしを守りたいから、ですね」
モンスターも異種族も、ヒューマンの暮らしをも守りたいがために図鑑を作っている。
知らなければ恐れを抱く。
恐れを抱けば、攻撃性をも抱いてしまう。
「不必要な争いを抑えるため、僕は知識を求めています。これが、僕がここまで来た理由です」
紛れもない、僕の想いを伝える。
これで認められなければ仕方がない。イチョウさんの言う通りに行動しよう。
「……お前の言い分はよく分かった。その言葉、信じても良いんだな?」
「大丈夫だと思います。じゃないと、家族に嘘を吐くことにもなりますから」
異種族の情報を本に乗せようと思ったのは、レイカたちを守ろうと思ったことが発端だ。
嘘を吐けば、その想いも、大切な妹たちとの絆をも踏みにじることになる。
だからこそ、自信を持って伝え、理解してもらわなければならないのだ。
「遥か昔のことだが、俺たちは他の種族たちと争っていたという歴史があってな。お前たちが現れたことで、何かしらの争いに繋がるのではと思っていたんだ。疑ってしまい、悪かった」
イチョウさんがした話は、プラナムさんから聞いた奪い合いの争いのことだろう。
大陸内でも軋轢があるというのに、大陸外から見知らぬ種族がやってくれば不安にもなる。
この森の、『世界樹』の守り人である彼が警戒をするのは当然のことだ。
だが、その不安も払拭できたようで。
「……俺はもう行く。お前も、家族に美味い飯を食わせてやれよ?」
「……ええ、ありがとうございます」
背を向けたイチョウさんは、そう口にしてから空中に向けて大きく飛び上がっていった。
家々の屋根を飛び伝い、あっという間に僕の視界から消えてしまう。
荷物を肩に背負い直し、家族が待つ家へと向かうのだった。