「これが、アラーネアの……。不気味な空間ですね……」
樹々の間に貼り付けられた白い糸。この場には、僕たちが知る物よりもはるかに大きいクモの巣がそこら中に張り巡らされていた。
いくつかのクモの巣には、大小さまざまの繭が括りつけられている。
「あの中で、捕らえたモンスターたちを保持しているんですよ。言うなれば、ここはアラーネアたちの保存庫ですね……」
「となると、ここからほど遠くない場所に住処があるのかもしれませんね。里からもそれほど離れた場所ではありませんし、下手をすると大事になりかねない」
ケラスの里に、アラーネアが大挙して襲撃する可能性もあるだろう。
思ったよりも、切羽詰まった状況に瀕しているのかもしれない。
「急いで戻りましょう。時間がかかるほど危険になります」
「ですね。戦力を整えて、改めて討伐に出た方が良さそうです」
アラーネアの保存庫から背を向け、里に向かおうとすると。
「時間をかけると危ないのなら、早く退治したほうが良いと思う。それに……」
珍しくレンが意見を出してきた。
彼の言う通り、ここで退治ができれば万事解決ではあるのだが。
「ここにいるのは三人だけだし、僕と君はこの森に対する理解が全くできていない。そんな状態でモンスターの縄張りに入り込むなんて、命を落としに行くだけだよ」
相手の数を把握するどころか、アラーネアの姿すら確認できていない。
巨大な個体がいる可能性があることを考えれば、少人数での行動は危険なだけだ。
「で、でも、オーラム鉱山の時も戦いに行った。今回だって……!」
「……レン、君の考えは分かってるよ。でも、今回はできない。君の兄として、それは認められない」
「……ソラ兄ならうなずいてくれると思ったのに……」
レンは肩を落とし、僕から離れて行く。
その後ろ姿を見ながら頭を掻いていると、モミジさんが小声で話しかけてきた。
「レン君、どうしたんですか?」
「……ちょっとね。まさかあそこまで思い詰めていたとは思わなかったな」
ここでアラーネアを討伐し、森の平和を取り戻せば、使い魔を呼び出す魔法を教えてもらいやすくなるかもと考えたのだろう。
だが、焦って手にした力が、自らの助けになることがないのは身をもって知っている。
兄として、弟の無茶は止めなければ。
「そうだ、モミジさん。この場所のことを、連絡だけでもしておきましょうか? ナナから言伝を頼む形でも大丈夫ですよね?」
「ありがとうございます! 通話石かぁ……。うらやましいなぁ……」
エルフの人たちに、通話石を使う文化はないらしい。
それが採掘できないこともあるが、使い魔が存在するために他の連絡手段を持つことを考えなかったそうだ。
「ちょっと待っていてくださいね……。あ、ナナ。いま、大丈夫かい?」
「はい、お喋りはしてましたけど、大丈夫ですよ」
カバンから通話石を取り出して魔力を込めると、ナナの声が聞こえてきた。
彼女に里長さんか、イチョウさんに言伝を頼むようにお願いをしていると。
「イチョウさんですか? いま、私たちの目の前にいますけど」
「お、それならちょうどいいや。イチョウさんと替わってもらえるかな? こっちもモミジさんと替わるから」
了承の言葉が返ってくると同時に、通話石が他人の手に渡る音が聞こえてきた。
こちらもモミジさんにそれを手渡し、連絡をしてもらう。
手持無沙汰になってしまったので、いまの内に情報収集をしておくとしようか。
イチョウさんたちが動くことになった際に、役立つ情報を得られるかもしれない。
「レン、こっちに来て一緒に調べてみようよ」
「……」
レンは僕の言葉に反応を示すことはなく、地面に落ちた小石を蹴っていた。
肯定されなかったことが寂しかったのか、認められなかったことが悔しかったのか。
冷静かつ判断力に優れている彼が、あのような行動を取るのは初めてだ。
「――分かりました。後程、守り人全員で調査を行うということで。はい、はい。では、我々は里に戻りますね! 失礼いたします~。ソラさん、ありがとうございました!」
通話が終わったらしく、モミジさんが通話石を手に近寄ってきた。
彼女からそれを受け取りつつ、情報の共有を始める。
「守り人の皆さんで調査を行うことになりました! お二人は里にお連れするように言われたので、早速戻りましょう!」
「ええ、分かりました。レン、帰るよ――って、あれ? レン?」
先ほどまでいたはずの場所に、レンの姿がない。
目を離した隙にどこに行ってしまったのだろうか。
「向こうにいますよ。アラーネアの糸の前で……何をしているんでしょうか?」
モミジさんが指をさした方向に視線を向けると、拾った木の枝を使い、アラーネアの糸を取り除こうとしているレンの姿が見えた。
どうやら、もう少しお叱りが必要のようだ。
「おーい! そんなことをしても、僕たちはその奥には――」
「危ない! レン君!」
突然、モミジさんが大声を出しながらレンに突撃していく。
彼女の行動に慌てたものの、僕の目にも危険な生物の出現を確認できた。
レンの背中に、こぶし大のクモが張り付いていたのだ。
「動いちゃダメだよ! おいで、サラマンダー!」
モミジさんはレンの背中からクモを引きはがし、上空に投げ上げると同時に、火の玉からサラマンダーが出現する。
宙に浮かぶそれに炎を羽ばたきかけると、あっという間に黒焦げとなり、地面に落下して動かなくなった。
「レン! 大丈夫かい?」
「う、うん。大丈夫。ありがとう、モミジさ――」
「にげ――くださ――」
レンにはケガ一つないが、モミジさんが異常を訴えだす。
彼女は口から泡を吹きだしつつ、地面に倒れてしまう。
飛んでいたサラマンダーも地面に落ち、火の粉となって消えていった。
「モミジさん!? しっかり! ゆっくり息をするんだ!」
「体――動かな――!」
モミジさんがクモを掴んでいた手を調べると、指先に小さな噛み傷が付いていることに気が付く。
恐らく、麻痺性の毒を打ち込まれてしまったのだろう。
「レン! 麻痺性の毒だ! 僕が解毒剤を飲ませるから、君は和らげる処置を――」
「あ……ああ……!」
レンの表情が真っ青に変化していく。
だがこれは、彼が毒を受けたからではない。
自分がやってしまったことを後悔し、絶望に落ちかけている時になる表情だ。
「レン! しっかりするんだ! モミジさんはまだ生きている!」
「うう……うう……!」
レンは震える手をモミジさんの体に乗せ、魔法を発動し始める。
だが、全く効果が出ている様子がない。
集中ができず、治療に至るほどの魔力を込められていないのだろう。
「な……! くそ、こんな時に……!」
クモの糸が張り巡らされた樹々の奥から、人の子どもと同じくらいの背丈を持つクモが十数匹現れた。
先ほどレンの背に張り付いていたのは、アラーネアの幼体だったのだろう。
子どもに危害を加えられ、仕返しに来たと言ったところか。
「気持ちが悪い……! けど、ここで退いてたまるか!」
素早く剣を抜き取り、一体のアラーネアに飛び掛かる。
剣を振り下ろすと、その攻撃だけで問題なく退治することができた。
攻撃が通じると分かり、二体目、三体目と同じように斬り裂いていくのだが。
「あ……! だ、ダメ! 何してるの……!?」
レンの声に振り返ると、他のアラーネアたちがモミジさんに白い糸を飛ばす様子が見えた。
彼が懸命に振り払ってくれているが、それでもどんどん糸が絡みついていく。
クモの糸なのだから炎には弱いはずだが、直接炎の魔法をぶつければ、モミジさんに燃え移る可能性がある。
ここは糸を吹き付けるアラーネアを狙って――
「うわ!? ぐ……!」
モミジさんだけでなく、僕にも糸を吹きかけてきた。
身動きが取れないほどではないものの、それでも動きは阻害される。
糸を振り払っている間に、ますます彼女に糸が巻き付けられていく。
「ダメ! 止めて!」
レンの頑張りもむなしく、モミジさんの体は糸だらけにされてしまった。
しかも、アラーネアの一体が大きく太く束ねた糸を彼女に括りつけている。
このままでは、暗い森の奥に連れ去られてしまう。
「モミジさ――く……! 邪魔をするな!」
他のアラーネアたちが、僕に立ちはだかるように移動してくる。
吐きつけてきた糸を躱し、威嚇をするアラーネアの背に剣を突き刺す。
これだけで動かなくなってくれるのだが、相手をすべき個体はまだまだ多い。
「うう……! ダメ……ダメ!」
アラーネアが、モミジさんを森の奥に連れ込もうとしている様子が見える。
レンも負けじと彼女の背を引っ張っているが、アラーネアの方が出せる力が強いらしく、ズルズルと引きずられていた。
「うう……! ううう……! あうっ!」
とうとうこらえきれなくなり、レンは地面に顔から倒れてしまう。
その拍子にモミジさんの体から手が離れ、軽くなった獲物をアラーネアは悠々と森の奥へと連れ去ってしまった。
「そんな……モミジさんが……! うあ……あああ……!」
レンは涙を流しながら、何度も何度も地面を殴りつけるのだった。