この森に到着するまでにも巨大な樹だと思っていた『世界樹』だが、近くによればその雄大さがよくわかる。
高さはとても見上げられないほどに、幹もいままでに見たどの植物たちよりも太い。
あちこちから生えている枝からは、周囲に生えている樹々よりも多くの葉が茂っているようだ。
一方に視線を向けてみれば、人が作る家々よりも高さがありそうな樹の根を、これまた巨大なドラゴンがかじりついている。
ドラゴンは以前にも見たことがあるが、まがい物だったのではないかと思えるほどに、圧倒的で威圧的な容姿だ。
あれが『聖獣』の一翼、大地の竜ニーズヘッグなのか。
「ニーズヘッグ様。ヒューマンのお客人をお連れ致しました」
ニーズヘッグの体は黒い鱗に覆われ、頭部には二本の角が生えていた。
背中には巨大な二対の翼が存在し、これまた巨大な四肢からは凶悪な爪が伸びている。
もしも戦えと言われたら、相対しただけで戦意を喪失してしまいそうだ。
「ご苦労……。よくぞ参られた、ヒューマンとホワイトドラゴンの子らよ」
「え……。え!? 僕たちの言葉が分かるんですか!?」
ニーズヘッグの口からは、僕たちもよく喋り、よく聞く言葉が飛び出してきた。
ドラゴンは知能が高いとされているが、まさか人の言語を扱える存在もいるとは。
『聖獣』の一翼を担うだけの存在ということだろうか。
「む……。もしや、フランク寄りの話し方の方が良かっただろうか?」
「い、いえ……。そのままで結構です……」
ヤッホー! 元気? などと話しかけてくるドラゴンはあまり想像したくない。
だが、こういった提案をするということは、見た目に寄らずおちゃめな性格なのだろうか。
「すごい……。これが本物のドラゴン……」
「圧倒的……」
レイカとレンは、ニーズヘッグの容姿をぽかりと口を開けながら見つめている。
ドラゴンの名を冠する種族に生まれたためか、目の前にいる存在に僕以上の感情を抱いているのだろう。
「このままの体勢では少し話がしにくいな。吹き飛ばされないよう、注意をしてくれ」
ニーズヘッグは『世界樹』の根から口を離すと、二対の翼を用いて空に浮かびだす。
彼の言う通り、油断すると容易に吹き飛ばされそうな大風が巻き起こる。
「羽ばたくだけでこの風圧……! 比較するのもおこがましいや……」
目の前に下りてきた黒い巨大な瞳に、僕たちの姿が映りこむ。
その瞳に見つめられるだけで、金縛りが起こりそうだ。
「そこの娘がマンドラゴラを連れ、我に薬として分けてくれた者か。礼を言うぞ」
「は、はい……。ど、どうも……」
落ち着かない様子でニーズヘッグのことを見つめるナナに対し、彼女に抱かれているパナケアは笑顔を浮かべながら手を伸ばそうとしている。
恐ろしいという感情よりも、好奇心の方が勝っているようだ。
「もしや、その炎の鳥は……! 少年が使役をしているのか?」
「そ、そうです……。えっと……ホウオウって言うんですけど……」
レンの感情を機微に察知したいのか、ホウオウは彼を守るかのように立ちふさがる。
彼が慌てながら敵ではないと指示したのだが、どことなく警戒をし続けたまま僕たちの背後へと移動していった。
彼らのやり取りを見て、ニーズヘッグの表情が少しだけ緩む。
ドラゴンの笑みを見たことはないが、それが笑顔ではないとは不思議と思わなかった。
「さて、残りの二人だが……。なるほど、そなたたちが我が――いや、我らが待ち望み続けた者たちか。同時期に同じ場所に現れるとは思わなかったが……。さて、どちらかな」
ニーズヘッグは僕とレイカを見つめ、何やら意味深な言葉を呟いた。
話から察するに、僕たちに用があるらしいが。
「エルフの子らよ。道すがら、説明は終えているな?」
「はい。あなた様の役目と、『世界樹』についての説明は終えております」
ニーズヘッグの確認に、スイレンさんが真剣な表情でうなずく。
大陸から養分を吸い上げる『世界樹』と、それを抑制するニーズヘッグの話だったか。
「では、我から続きを説明するとしよう。『世界樹』が大陸中から吸い上げているモノ、何のためにそれを吸い上げているのかについては、聞いていないだろう?」
「え? 確かに、何のためにかは聞いていませんが、吸い上げているのは養分と聞いてますが……」
放っておくと、大陸中から養分を吸い上げてしまうと聞いている。
それを防ぐため、ニーズヘッグが『世界樹』の根をかじっているとも。
「養分か……。確かに、その通りではある。が、正しいとも言い難いな。この樹が吸い上げているのは、魔力だ」
「まりょ……く……?」
魔力を栄養とし、吸い上げる樹など聞いたことがない。
普通の栄養とは異なる物を吸い上げるからこそ、ここまで巨大になったのだろうか。
「……あ、本当だ。『世界樹』の根を魔力が移動していく気配があります。上に、上に昇っていって……。途中で消滅していく……?」
「消滅? 霧散とかじゃなくて?」
魔力の流れを調べ出したナナが、困惑した表情でうなずく。
魔力が急に消滅するようなことは起こり得ない。
水にインクを落とした時のように、ゆっくりと広がり、希釈されていくのが普通なのだ。
「消滅というのも正しくないな。正確に言えば、とある物に飲み込まれたのだ」
「とある物? 『世界樹』の中に、大量の魔力を飲み込む何かがあると?」
「そうだ。今回そなたたちを呼んだのは、それについての依頼を受けてもらいたいと考えたからだ」
ごくりと生唾を飲み込み、ニーズヘッグの発言を待つ。
「そなたたちには、『世界樹』内部に置かれている、とある物の様子を見てきてもらいたいのだ」
未知の存在からの依頼に、僕たちの首が横に動くことはなかった。