『世界樹』は巨大な樹ではあるが、外見はごく普通の樹と変わらない。
だがその内側は、人が容易に移動できるほどの空間が広がっている。
内部は上層から下層までいくつかの層に分かれており、自由に登っていける道があるとのことなのだが。
「これまた急な坂だねぇ……」
上層へと続く道は、油断すれば滑り落ちかねないほどに急な坂道だった。
これを足と手を使ってよじ登るのは骨が折れそうだ。
「だいぶ登ってきたもんね……。だんだんと勾配は急になっちゃうよね……」
僕の真横で、口をへの字に曲げながら坂道を見つめるレイカ。
僕は彼女と二人だけで、『世界樹』を登っていた。
「今回は君がやってみるかい?」
「うん! じゃ、強化魔法とロープを持って……。それ!」
自身に強化魔法を使ったレイカは、ロープを手に天井めがけて飛び上がる。
『世界樹』の壁を蹴って反転し、無事に上の階にたどり着いたようだ。
「括りつけられそうなところは……。これで良し! ロープ、下ろすね!」
しばらくして上階からロープが垂れ下がってきたので、それを手に取り腕の力だけで上っていく。
まさか巨大な樹の、それも内部を登るためにこの技術を使うことになるとは。
「しょっと……。久しぶりにやると疲れるな……。鍛え直した方が良いかな」
「ここまで休憩なしだったし、ちょっと体を休めようよ」
穴から離れた場所で腰を下ろし、だるさを感じた両腕をぐるりと回して筋肉をほぐす。
調査を行う上で必須の技術だが、少しばかり強化魔法に頼りすぎていたのかもしれない。
「失礼かもしれないけど、レンやナナさんがついてきてたら大変だったね……」
「『世界樹』に魔力を奪われるせいで、強化魔法の付与が難しいからね。他人への使用ができないなんて、そうそうない出来事だよ」
『世界樹』内部にいるため、樹の特徴である魔力の吸収は僕たちの体にも起きている。
そのため、常人では樹の内部に足を踏み入れた瞬間に魔力を吸いつくされ、あっという間に動けなくなってしまうとのこと。
僕とレイカだけがそれから逃れられているのは、圧縮魔に要因があるらしい。
「魔法や物体の圧縮だけじゃなく、魔力の流出を抑える効果もあるとはね」
「本当に、いろんな力があるんだね。一つの魔法陣では発動できない理由かぁ……」
レイカは圧縮魔の開発期間を思い出しているようだ。
別大陸の大樹の中を進むのに圧縮魔が必要になるとは、あの時の僕は想像すらしなかった。
この魔法を復元しようとしたケイルムさんも、こうなることは予想しなかっただろう。
「この上に、一体何があるんだろうね?」
「『世界樹』に膨大な魔力を集めさせ、それを吸収し続けるモノ……。想像なんてできやしないよねぇ……」
たった一つのそれに魔力を集めるために『世界樹』が植えられ、大陸の魔力が枯渇しないようにニーズヘッグ様が樹の根にかじりついている。
遠大な目的があることだけは理解できるが、何のためにそれが行われているのかは分からない。
「この依頼が終われば、教えてくれるかもしれないね!」
「だね。よし、そろそろ休憩は終わりにしよう。時間をかけすぎると、下で待ってるナナたちに心配をかけちゃうからね」
立ち上がり、再び『世界樹』内部を登っていく。
途中で力尽きて倒れてしまえば、救助に来れる人は誰もいない。
いまだ魔力はこの体にみなぎっているが、補給ができない状態では余裕があるとは言い難い。
余裕があるうちに目的の階にたどり着き、地上へと戻らなければ。
「あ! あそこに上に行くための穴が開いてるよ。今度も私が先に登る?」
「その方が良いかもね。いざ魔力が無くなった時に、僕が動ける方がいいしね」
早速レイカは自身に強化魔法をかけ、上層へと飛び上がろうとするのだが。
「え!? わ、わ、わ!」
全く飛び上がることができず、つんのめって床に倒れてしまう。
そばに駆け寄り声をかけると、レイカは驚いたような表情を浮かべていた。
「私、強化魔法をかけたよね……?」
「うん、ちゃんとかけられてたよ。多分だけど、魔力を吸う力が強まってきたんだ」
ここから先は、強化魔法を駆使しての移動はできない。
体力と魔力が尽きるまでの勝負ということだ。
「目的の階がもうすぐということでもある。ここからは僕が先に登っていくから、君はロープを伝ってついてきて」
「分かった。お兄ちゃんも注意してね」
軽くストレッチを行った後、『世界樹』の壁に向かって全力疾走する。
速度を乗せた状態で飛び上がり、壁を蹴った反動を利用して上階に続く穴に手を伸ばす。
何とか右手が届き、上階に這い上がることに成功する。
「よいしょっと……! レイカ、ロープを――」
いままで通りロープを括りつけられる場所を探し、下ろそうとしたその時。
それは僕の瞳に映りこんだ。
「剣……? 台座に剣が突き刺さってる……」
『世界樹』の丁度中心辺りに石造りの台座が置かれており、一本の剣がその上に突き刺さっていた。
不思議と目が離せず、ロープを下ろすことすら忘れてしまう。
それどころか、一歩、一歩とそれに向かって足が進んで行く。
「お兄ちゃーん? 早くロープを下ろしてよー!」
レイカの声を聞いて正気に戻り、慌ててロープを下ろす。
だが、その間も剣に目が釘付けとなってしまい、登ってくる彼女の心配が全くできなかった。
「よいしょっと……。どうしたの、お兄ちゃん。らしくない――」
僕の視線の先にある物に気付いたレイカもまた、それをじっと見つめだす。
共に誘われるがごとく剣に歩み寄り、その形を瞳に焼き付けていく。
「これと言った特徴は無いように思えるけど……。なんだろうね、この剣……」
「うん……。何というか、引っ張られる……?」
この引き寄せられる――いや、呼ばれている感覚は幾度も抱いたことがある。
遠方から『世界樹』を見つめた際に抱いた、呼ばれているような感覚。
あれは『世界樹』が呼んでいたわけではなく、この剣が僕たちを呼んでいたようだ。
「これが、『世界樹』に収められたモノでいいんだよね……? できたら持ってきてほしいとも言われてたし……。抜いて……みる……?」
「……やってみようか」
台座に立ち、両手で剣の握りを掴む。
レイカも僕の上から剣を握り、共に引き抜く体勢を取る。
「抜けて……!」
「ぬ……!」
二人で力を込め、台座から剣を引っぱり続ける。
少しずつ、少しずつ剣身が露わになっていく。
僕たちはうなずき合い、一気に剣を引き抜いた。
「抜けた……」
「これが、『世界樹』の秘密……」
レイカと共に剣を握り、『世界樹』の頂上に向けてそれをかかげる。
大樹の隙間から差し込んだ光によって、剣身がキラリと輝く。
その瞬間――
「え……」
周囲が暗闇に包まれ、剣を握っているのは僕だけとなっていた。
目を凝らしても、気配を探っても誰もいない。
「ここが全ての始まり。君は、この時点で選んでくれていたんだね」
振り返ると、そこには人の姿があった。
見たこともない機構がついた剣を片手に、灰色の髪に青いコートのような服をまとう男性。
暗闇をじっと見つめているようにしか見えないが、彼はそこに何かがあるかのように視線を送っていた。
「さあ、行こうか。みんなが――待っている」
男性が手に持つ剣が輝きだした。
眩しさに目がくらみ、瞼を下ろす。
再び瞼を開いた時、僕は『世界樹』内部に戻っていた。
特に変わった様子はなく、二人で剣をかかげた状態のままだ。
「お兄ちゃん? どうかした?」
「い、いや……。何でもないよ」
かかげるのをやめ、剣をじっと見つめる。
美しい銀色の剣身には、僕とレイカの顔が映っていた。