「おっとっと……。『戻りの大渦』に近づいてきたせいか、だいぶ揺れが強まってきたね。これだと、本を読むのは辛いなぁ……」
『アディア大陸』を離れてから数日後。僕たちが乗る潜水艦は、『戻りの大渦』にたどり着こうとしていた。
海上を移動しているためか、海の中と比べると揺れが大きい。
海に入ってしまえば揺れは落ち着くので、各種作業はしばらく止めるとしよう。
「レンも修行はしばらく止めておきな。散らばったのを片付けるの、大変だよ」
「ん、分かった」
室内に置かれたテーブルを、レンとホウオウが見つめている。
テーブルの上にはボードゲームが置かれてあり、彼はそれを利用して使い魔操作技術の訓練をしているのだ。
「身についている感覚、あるかい?」
「ちょっとだけ。最初よりはうまくなった気がする」
そういうレンの瞳には、ホウオウが片付けを行う様子が映っている。
くちばしで駒を咥え、元あった場所に戻していく。
何度か取りこぼしてはいたが、レンが手伝いをすることもなく、床に落ちた駒の回収ができていた。
「これより潜水いたします。少々揺れますので、ご注意をお願いいたします」
艦内放送が聞こえてきたので、席に着いて衝撃に備えることにした。
座ってから少し経つと、普通の波とは異なる揺れに襲われる。
下方向へ進んでいる感覚があるので、潜行が開始されたのだろう。
「揺れが落ち着き次第、修行を再開しようか。今度は僕も手伝わせてもらうね」
「うん。よろしく、ソラ兄」
レンとのんびり会話をしていると、潜行始めの時より揺れが小さくなった気配がする。
早速僕たちはボードゲームを広げ、修行を再開することにした。
「こうしてると、遊びも経験になるのがよく分かるよ。子どもっぽいだとか理屈をつけて、除外してきたのはもったいなかったなぁ……。よし、いっぱい取れたぞ」
「最初にあんまり取らないほうが良いんじゃない? ホウオウ、お願い」
自身の駒で相手の駒を挟むことで、その間にある駒を自分の物にできるという遊びだが、これがどうして頭を使う。
ホウオウの操作をしつつ、盤面を考えるレンにとっては大変なようだが、なかなか良い訓練になっているようだ。
「うげ、隅を取られちゃったか……。でも、まだまだ! これでどうだ!」
「また隅っこ取れる」
「うえぇぇぇ!? 待った! お願い、待ってぇぇぇ!?」
分かりやすいルールだからと言って、簡単に勝てるわけではない。
相も変わらず、こういった遊びはどうにも苦手だ。
「結局大敗かぁ……。レンはすごいね、ホウオウに指示を出しつつ、こうやって勝負に勝っちゃうんだから」
「同時並行で考えなきゃいけないからすごく大変。なのにそれを、モミジさんたちは問題なくできている。僕も負けられない」
レンの口からモミジさんの名前が出てきたことに驚きつつも、口角が上がっていく。
もっと上手に操作できるようになった姿を見てもらいたい。
彼女に認めてもらいたいという気持ちが強いのだろう。
交流を重ねたことにより、彼にとって彼女は大きな存在となったようだ。
「さあ、もう一回やろうか。今度はもっと多く駒を取らせてもらうよ!」
「そこは勝つじゃないんだ。よろしく、ソラ兄」
再び勝負が行われるも、盤面はレンの駒一色に染まっていく。
敗北濃厚の中、勝ち筋を探っていると。
「うわわ!?」
「な、なに……? この揺れ……」
突然、いままでに感じたことがない大きな揺れが、僕たちに襲い掛かってきた。
揺れの衝撃で駒たちは盤面からはじき出され、床に転がっていく。
しばらく大きな揺れが続いたものの、やがて普段通りの揺れへと変わっていった。
「収まったみたいだね。大丈夫かい?」
「うん、ビックリはしたけど。姉さんたちは大丈夫かな……?」
周囲に視線を配るも、家具たちは微塵も動いている様子が無い。
しっかり固定されていたおかげで、僕たちめがけて倒れてくることが無かったようだ。
「ルトたちは怯えちゃってるね……。レン、僕が艦内の様子を聞いてくるから、君はこの子たちのそばにいてあげてくれるかい?」
「うん、分かった」
レンに指示を出しつつ、向かいにあるナナたちの部屋へ向かう。
閉ざされている扉の奥からは、パナケアが泣く声が聞こえてきた。
「ナナ、レイカ? 大丈夫かい?」
「あ、お兄ちゃん。ちょっと待っててね」
扉をノックしながら声をかけると、レイカが扉を開けてくれる。
出入り口から部屋の中を見てみると、ナナがパナケアをあやしている姿が見えた。
「私たちは大丈夫だったけど、パナケアちゃんが揺れに驚いちゃって……」
「こっちもルトたちが怯えているよ。でも、だいぶ泣き止んできているみたいだし、とりあえずは問題なさそうだね」
家族たちに、これといった問題が発生しているとは思えない。
ならばこの艦の乗組員たちを探し、事情の確認とこちらが無事であることを報告しに行くとしよう。
「これから乗組員の人たちを探してくるよ。もしかしたら非常事態になるかもしれないから、いつでも動けるように準備をしておいてくれるかい?」
「わかった。お兄ちゃんも気を付けてね」
僕たちの船室を離れ、乗組員の姿を探して廊下を進む。
プラナムさんやシルバルさんがいれば話を聞くのも容易だっただろうが、こればっかりはどうしようもないか。
しばらく歩いていると、計器を確認している乗組員を発見した。
何が起きたのか、聞いてみるとしよう。
「すみません。先ほどの揺れは一体……?」
「ソラ様! 先ほどは大きな揺れを与えてしまい、申し訳ございません! 実は奇妙な海流に捕まってしまいまして……。既に抜け出せていますが、再び揺れが起きないとも限りません。いましばらくお部屋で待機をお願いします!」
そう言って、乗組員は駆け足で廊下を進んで行った。
艦に損傷が無いかチェックして回っているのだろう。
横から声をかけたのは失敗だったかもしれない。
とりあえず、情報が出そろうまでは言われた通りの行動を取るとしよう。
「奇妙な海流か……。行きにこんな揺れはなかったんだけど……」
『戻りの大渦』に引っかかったわけではないように思えるが、海流がいきなり発生することなどあるのだろうか。
考え込みながら僕たちの部屋そばに戻ってくると、レイカがキョロキョロと周囲の観察をしている姿が見えた。
焦っている様子には見えないので、単に警戒しているだけのようだ。
「戻ったよ。また揺れる可能性が無いとは言えないから、部屋に戻っててほしいって」
「そうなの? あの揺れがまた来ると思うとやだなぁ……」
不安そうな表情を浮かべるレイカと共に、僕たちの部屋前へ移動する。
どうやら泣き止んだくれたらしく、パナケアの泣き声は聞こえなくなっていた。
「……何が何だか分からないけど、とりあえずできることに目を向けよう。ナナとパナケアのこと、見ていてあげてね」
「うん。そっちも気を付けてね」
部屋へと戻って待機をしていると、乗組員が現れて先ほどの揺れについて報告をしてくれた。
艦や機関に損傷はなし。念のため、減速して航海をするとのことだ。
「ふぅ、一安心。海の中で動けなくなったかもしれないなんて、考えたくもないや」
「何も補給できないから怖い」
沈没するよりかは遥かにマシな出来事だろうが、密室の中にしばらく閉じ込められていた可能性を考えると身の毛がよだつ。
何か問題が起きると、途端に命の危機に陥りかねないのが、潜水艦の欠点なのだろう。
「ソラ兄。続き、お願いしてもいい?」
「おっと、訓練をしてたんだったよね。今度こそいい勝負をさせてもらうよ」
「そこは次こそ勝つって言うんじゃないの?」
レンが操作するホウオウを相手に、ボードゲームを再開する。
それにしても、先ほどの揺れは何だったのだろうか。
仮に海流を生み出せるほどの存在が海に住んでいるのだとしても、それの正体を知ることは難しそうだ。