「落ち着いたみたいだね」
「はい……。すみません、ソラさんの服を汚してしまって……」
「いいって、いいって。君が元気になってくれることのほうが大切だから」
父からの手紙を読み、涙を流し続けていたナナ。
泣き止んだ彼女の顔には涙の跡がついているものの、これまでで一番と思えるくらいに晴れ渡っていた。
「そう言えば、お母さんからの手紙とかはなかったね。ここにないとしたら上だと思うけど……。燃えちゃったかな……」
「たとえ元からなかったとしても構いませんよ。お父さんの手紙を読んだことで、お母さんの気持ちも改めて理解できましたから」
ナナは一連の紙束から手紙の部分だけを取り外し、僕に古代文字の部分が書かれた資料を手渡してきた。
それを受け取ってカバンの中にしまっていると、彼女は僕に背を向け、ゆっくりと出入り口の扉に歩み寄っていく。
「ソラさん。私、お父さんのお願いを叶えようと思うんです」
「そっか……。一応聞いておこうかな。何を叶えるの?」
「意地悪ですね。もちろん、全部です。古代文字も、歴史も、大魔導士に成ることも、旅をするのも……。全部、叶えます!」
ナナが言葉として口に出したことで、自らの真の意思として成り立っていく。
「私の名前はナナ。ナナ=ジェイドス! ジェイドス家の一員として、ナナという一個人として、私は大魔導士になります!」
宣言と共に、激しい魔力の渦がナナの周囲を包み込む。
目の前にいるのは、もはや過去を嘆き、泣き出してしまう少女ではない。
とても強い、立派な志を持った女性だ。
「うん、一緒に行こう。君の夢に向かって歩き出そう!」
ナナの前に右手を差し出し、心の中で小さく願う。
僕も、君みたいに立派な意志を持てますように。
「ソラさん。私から一つ、お願いがあるんですけど……。良いですか?」
「もちろん。聞かせてほしいな」
ナナは僕の手を取り、どことなく恥ずかしそうにしながら願いを口にする。
「ソラさんのこと、ソラって呼びたい。ダメ?」
「え……? も、もちろん構わないよ! 構わないけど……」
ナナに呼び捨てにされただけで、僕の心は大きく跳ねる。
ドキドキと鼓動が強まり、体温までもが上がっていきそうだ。
「ソラ……。ソラ、ソラ! うん! これからもよろしくね!」
「う、うん。よ、よろしく!」
何度も聞いてきたはずの声なのに、全く異なる印象を受ける。
本当のナナの声、いままで聞くことができなかった声。
とても素敵で、魅力的な声だった。
「それと、あと一つのお願いも叶えないとダメだよね……」
「あと一つ? 他に何かあったっけ?」
「いまは言わない。言うべき時は、きっと来るから」
話し終えた瞬間、僕の頬に暖かく柔らかい何かが押し付けられた。
何をされたのか分からず、呆然としていると。
「えへへ~。ソラの真っ赤な顔、初めて見たかも!」
ナナもまた赤い顔をしながら、いたずらっぽい笑みを浮かべていた。
呆けたまま指を頬に当てると、彼女の温もりを感じた気がした。
「さあ、外に出ようよ! お片付け、終わらせなきゃ!」
「う、うん。そ、そうだね」
痛みを乗り越え、一人の女性へと成長したナナ。
美しく、可憐で、素敵な人だ。
「もう、私は泣かない。ソラに見せるのは、笑顔だけにするから!」
僕はそんな人物にとって、相応しい存在になれるだろうか。
●
「さて、地上に戻ってこれたわけだけど、どうしようか。だいぶ時間も経っちゃったし、片づけはまた明日にしようか?」
秘密の階段を上って地上に戻ってくると、既に日が傾き始めていることに気付く。
朽ちかけた建物内で、しかも暗くなってからの作業は危険だ。
野営の準備もしなければならないので、今日の作業はここまでにすべきだろう。
「……ううん、いまここで処理する。私の魔法で」
「え? 君の魔法……って、もしかして炎の魔法で?」
僕の質問に、ナナは大きくうなずいた。
確かに、彼女の強力な魔法であれば一息に処理ができるはずだが。
「本当に良いのかい? 君の実家が無くなっちゃうわけだし……。それに歴史書は残しておかないとダメでしょ?」
「元々かけられてた結界を再構築して、書庫ごと本を守るの。昔の私のこと、知ってるでしょ?」
杖を手に不敵な笑みを浮かべるナナを見て、彼女の能力が真の意味で元通りになったことに気がつく。
だが、家の方は破壊してしまってもいいのだろうか。
「私が住んでいるのはここじゃないもの。ソラの家、アマロ村の家。だから大丈夫!」
僕が止めることも気にせずに、ナナは上級魔法の詠唱を始めた。
彼女の体から溢れ出した魔力が、杖の力をも帯びて形を成していく。
それは次第に熱を帯び、近くに立っているだけでも息苦しさを感じるほどに高まっていった。
「いままで住ませてくれてありがとう、さようなら。インフェルノ!」
放たれた業火は、巨大な炎柱となって家を飲み込んだ。
窓も、家財も、支柱たちも、残っていた全てが飲み込まれ、一瞬で蒸発していく。
炎柱が消滅する時には全てが燃え去っており、黒く焼け焦げた大地が露出しているだけとなった。
「あの高威力の魔法を受けて、全くの無事だってのもなぁ……。僕の防御魔法も型落ちかぁ……」
一方に視線を向けると、そこには書庫が無傷のまま残っていた。
高威力の魔法を労せず放てることもとてつもないが、その魔法を受けても全く損傷しないようにできることが何よりも驚愕に値する。
これが将来を有望視された稀代の魔導士、ナナの本当の姿だ。
「念のために保護もしておこうかな。それ!」
ナナはさらに魔法を使用する。
大地が大きく揺れ動き、書庫を入り口だけ残して土で覆いつくしてしまう。
さらに炎の球を出現させ、土を焼き固めていく。
高難度の魔法を自在に操る彼女の姿を、僕は大きく口を開けて眺めることしかできなかった。
「……完全復活どころか、六年前より上達しているんじゃ?」
「威力が弱まっていた魔法を駆使しなきゃダメだったからね。魔力、魔法の操作技術共に成長してないと!」
想像以上の成長ぶりに思えるが、これも六年間の努力のたまものだ。
ナナはずっと、元に戻る――いや、それ以上の力を得るために動き続けていたのだから。
「いまは無理だけど、そのうち書庫に眠る本たちを誰かに譲らないとだね。当てとかありそう?」
「なら魔法剣士ギルドに預けちゃおうか。歴史とかに興味がある人もいるから、きっと有効活用してくれるさ。ただ、運ぶのがとんでもなく大変だね……」
ラピス渓谷の荒れた道を進む形では、大量の本を運ぶことなどできるわけがない。
渓谷を直接乗り越えられる、吊り橋なり近道なりを作らなければならないだろう。
「その辺りも考えないとだけど……。まずは野営の準備をしようか。しっかり休んで、明日の帰路に備えないとね」
「りょーかい! 私はご飯の準備をするから、ソラは拠点の――」
「お、あそこにいるのは……。おーい、白雲君!」
突如聞こえてきた第三者の声にそろって振り返ると、遠景に二人の人物が見えた。
僕のあだ名を呼んだことから、一人はルペス先輩だろう。
そしてもう一人は――
「はるばるお疲れ様です!」
「ああ、難所に次ぐ難所でくたびれたよ。ソラ、ナナ、久しぶりだな。お前たちも墓参りか?」
先輩と共に現れたのは、魔法剣士ギルドマスター、インベルさんだった。