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食事

「皆さーん! ご飯できましたよー!」

 テントを張る作業をしていると、食事の時間を知らせる声が聞こえてきた。


 組み立てる手を止め、声を発したナナの元に向かう。

 食欲をそそる香りの中で働いていたので、お腹はペコペコだ。


 早速皿に料理を盛ろうと、調理器具に触れるのだが。


「ダ~メ! 手、洗ってないでしょ? ちゃんと綺麗にしてからね!」

 ピシリと右手を叩かれる。


 痛みは全くないが、熱を発する物がそばにあったためか体を大きく跳ねさせてしまう。

 驚くままにナナへと視線を向けると、彼女は笑みを浮かべていた。


「おやおや、お叱りを受けてしまったようだね。ちなみに俺は、もう洗ってきているよ」

 憎たらしい笑みを浮かべながら、ルペス先輩が近寄ってくる。


 彼もテントを張る作業を止め、食事をしに来たようだ。

 盛り付けは彼にお願いすることにし、近場にある井戸へと移動して手に着いた汚れを落とすことにした。


 井戸の底で美しく輝いている水は、自然にろ過された物ではなく、地下にあった機械で浄化された物。

 自然物だと思って使っていたものが、実は人工的に作られたものだったとは。


 のどが渇きを訴えるものの、心のどこかでは本当に使っていいのか不安を感じている。

 長年この水を使ってきたアルティ村に、何も影響が出ていないのだから、問題は全くないはずなのだが。


 自然に任せるよりも、手早く確実に浄化できることは想像に難くないのだが、どうにも。


「これが不安から来る恐怖……か。これを払拭するには一つだけ。ゴクン――うん、冷たくて美味しい」

 水を口に含み、一気に飲み下す。


 冷え切ったそれが胃に向かって落ちていく。

 乾いていた体内に水分が行き渡ると同時に、不安が解消された。


 この体が、もう一杯――いや、もう二杯と水を求め始めたほどだ。


「お、いい飲みっぷりじゃないか。アルティ村の水はそんなにうまいのか?」

「マスター。ええ、冷たくてとても。飲まれますか?」

 どこからともなく歩み寄って来たマスターインベルに、新品の水を入れた容器を手渡す。


 彼女はコクリとうなずくと同時に口に含み、満足そうな笑みを浮かべた。

 僕が飲ませた側ではあるが、魔法剣士のリーダーとしてもう少し警戒した方が良いのではないだろうか。


「既にお前が飲んでいるだろう? ならば、毒などあるわけがないさ」

「毒見ですか……。じゃあ、マスターの分の食事も少々いただかないといけませんね。当然、おかわりはダメですよ?」

 僕の冗談に対し、マスターは大笑いをしながら手を洗っていく。


 彼女は容器に水を汲みなおすと、自ら持ち上げて食事の場へと持ち運び出した。

 急いで後を追いかけ、それを受け取ろうとしたのだが。


「これくらいはやらせろ。ギルドでの身分はマスターだが、いまはお前たちと同じく墓参りに来ただけの者。ふんぞり返っているわけにはいかんさ」

 マスターはそう告げ、僕に容器を渡そうとはしてくれなかった。


 彼女と共に食事の場に戻った僕が、先輩から軽くいじられたのは言うまでもない。


「ではいただくとするか。……うむ、美味いな。野営中にこれほどの料理を味わえるとは思わなんだ。我々の携帯食、あれも悪くはないが、もう少し何とかならないものか」

「青薔薇ちゃんがすごいんですよ。むしろ今回以外の方が普通なんです」

 ナナが作った肉入り野菜スープを飲み、笑みを浮かべるマスター。


 無意識に吐いたであろう不満に、ルペス先輩は淡々と返していた。


「それもこれも、ソラと一緒に勉強したおかげです。たくさん、作ってきたもんね!」

「だね、失敗にめげずに……。いまでは、アマロ村の人にも褒めてくれるほどになったんですよ」

 アマロ村の祭りに参加する時などに腕を振るうわけだが、村人からの評価はお互い共に上々。


 特にナナは、時折村の人から教えを請われることすらあるほど。

 最初は僕が教える側だったというのに、とてつもない成長力だ。


「はっはっは。心を癒しただけでなく、花嫁修業までさせていたというわけか。私はそういったものには一切触れてこなかったからなぁ……」

「は、花嫁修業……。そんなつもりは微塵もなかったけど……。マスターはご両親から教わったりしなかったんですか?」

 マスターの両親の話など、これまで聞いたことが無かった。


 こうして顔を突き合わせながらの食事もほぼできないので、聞く機会としては最適だろう。


「年頃になった時にはうるさく言われたものだが……。魔法剣士の修行に夢中になっていた私には、微塵も入ってこなかったな……」

 何というか、マスターらしい答えが返って来たような気がする。


 らしいと言えばらしいのだが、もう少し他に目を向けようとは思わなかったのだろうか。


「まあ、少し事情があってな……。どうしても止めたくはなかったんだよ」

 どことなく、寂しげな表情をしているように見える。


 プライベートな事情に踏み入ってしまっただろうか。


「なに、やさぐれ娘が勘当されたというだけの話さ。それより、私は腹が減ってしょうがない。食事のおかわりを貰えるか?」

「……ええ、分かりました」

 マスターから受け取った皿に、まだ残っているスープを移していく。


 家からは追い出され、伴侶となったケイルムさんは亡くなり、娘のウェルテ先輩は行方知れず。

 明るく振舞っているが、その実、彼女は寂しさを抱いているのだろう。


 多くの人に尊敬はされているが、心から愛した人たちは去っていってしまう。

 悲しみに浸りきることは許されず、前を見続けなければならない。


 その苦しみを、僕では推し量ることはできなかった。


「お待たせしました。まだ熱いので、気を付けてくださいね」

「ああ、ありがとう。ふふ、本当に美味いなぁ」

 先ほどまでとは打って変わり、スープをすするマスターの表情はとても嬉しそうだった。


 まだ、彼女は笑顔を作ることができている。

 寂しさと悲しみに堕ち切らずにいられている。


「ごちそうさま。ああ、腹だけでなく、胸もいっぱいになった気分だ。ありがとうな、二人とも」

 マスターの満足そうな表情を見て、僕とナナは小さくうなずき合うのだった。

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