「ん~……。やっぱり、あの店が気になるな……。一見、真っ当な商売をしてるようには見えるんだが……」
水の都の商店通りにて。水を売る店に集まる人々を見て、ぼそりと呟く男性が一人。
一見少年と見紛う程度の背丈をしているものの、彼はれっきとした成人だ。
名はウォル。現在は一人で行動をしているが、少し前までソラたちと共にアクアリムの街を走り回っていた。
現在の水の都は、汚水があふれ出るという異変が発生したことで、混乱の渦中にある。
普段から騒々しい商店通りだが、この日は水が使えなくなることを恐れた人々でごった返し、貶す、罵るなどの怒号が飛び交う混沌の地と化していた。
買占めを行おうとする者だけでなく、他者から無理矢理奪おうとする者もおり、暴動が起きていると言ってもいいだろう。
「なーんで、狙ったがごとく水が汚れるんだ? 異変が起きる前からたっけぇ売値をつけていたのは、こうなることが初めから分かってたんじゃないか?」
この日初めて商店通りを訪れた際、ウォルはずいぶんと強気な値段設定をする店を見つけていた。
水の汚濁事件と何かしら接点があるのではないかと考え、調査をしに来たようだ。
「客がはける様子はねぇか……。ちっと無理矢理だが、強制捜査をさせてもらうぜ!」
ウォルは壁に寄せるように積み重ねられた木箱を登り、各店舗の屋根を伝いながら目的の店へと近づく。
平時であれば不審な行動を取る人物でしかないが、この時ばかりは彼に気付く者もおらず、悠々と目的地へとたどり着くのだった。
「店員は客を捌く奴と商品を入れ替える奴が二人――両方男か。そんじゃ、窓から失礼させてもらって……。ちーっす! ちょっと話を聞かせてもらっていいか?」
「な!? あ、あんたどこから入ってきた!? い、いまは商売中だぞ!」
ウォルの出現に驚き、水を運び出そうとしていた男が大声を出して威嚇をする。
だが彼は、微塵も気にした様子を見せず、どかどかと足音を立てながら男へと近寄っていく。
「気になってたんだよ。他の店より遥かに高い値段を付けてる上に、値下げ交渉を受ける様子もねえ。店先で客寄せをする様子もなかったよな?」
「な、何が言いたいんだよ……!」
笑みを浮かべるウォルに対し、男はどこか挙動不審な様子を見せている。
そんな中、二人の会話に気付いたのか、客を捌いていた男が室内へと入ってきた。
これ幸いと彼は大きく深呼吸をし、推理した答えを口にしていく。
「最初から知ってたんだろ? 水が汚れること、どのタイミングで街の奴らが慌てだすのかを。そうすりゃ、いくら高くても買ってくれる。大儲けできるって考えたんだよなぁ?」
「う……。そ、それは……!」
「馬鹿野郎、動揺すんな! コイツをさっさと叩きだすぞ!」
うなずき合った男たちはウォルに飛び掛かっていく。
その行動を見た彼はぴょんと飛び退り、近くに置いてあった棒をつかみ取る。
素早い身のこなしで攻撃をかわし続け、男たちが息切れを始めた瞬間を狙って一気に急接近し、商品の入れ替えをしていた男の首筋に棒を当てて床へと押し倒す。
「攻撃を仕掛けてきたってことは、やましいことがあるんだな? 見逃す訳にゃいかねぇが、水をタダで配るっつーんなら、お役所に口利きしてやってもいいぜ?」
「ぐ、ぐぐ……!」
ウォルに拘束された男は諦めたらしく、両手を床に投げ出して服従の姿勢を取る。
だが、もう一人の男の方は提案を飲み込めなかったらしく、店先に並んだ客たちを押しのけ、逃げ出すのだった。
「ったくよー! おい、お前は逃げんなよ!? 逃げたらどこまでも追っかけて、ボコボコにしてやるからな!」
「わ、わかった……」
ウォルはこの場に残った男を手早く拘束し、逃げた男を追いかけていく。
だが、商店通りにごったかえした人の波は、小柄な彼には押しのけ難く、少しずつ距離が離されてしまう。
「ちっくしょ~! こんな時じゃ無けりゃ、簡単に追いつくってのによ! 待ちやがれ~!」
建物の上に移動しようとしても、押し返されて人の多い中央部へと押し込まれてしまう。
まともに追いかけることができなくなるが、それでももがき続けるウォル。
だが、逃げる男の姿は彼の視界から消え去ろうとして――
「ぐあ!? ぐ……!」
「きゃあ!? な、何!? どうしたの!?」
「男が急に倒れたぞ!」
突如として男は地面に倒れ、拘束から逃げ出そうとするがごとく動きだす。
その異変に恐れを抱いた人々は、クモの子を散らすかの如く道を開けるのだった。
「よく分かんねぇけど、いまがチャンス! よっしゃ! これで拘束完了だ!」
もがき続ける男の体に、ウォルはロープを巻いていく。
拘束が完了するのと同時に男の異変は鳴りを潜め、今度はロープをほどこうと動き始めるのだった。
「もう抵抗すんなよ。お前らの負けだ」
「く……! ちくしょう……」
男は抵抗を止め、首を垂れてうなだれる。
「需要があるから値段を吊り上げようって魂胆は理解できる。が、異変が起きることを最初から分かってたってんなら話は別だぜ? それを伝えつつ水を売っていれば、信頼も得られたってのによ」
ウォルは警備を担当する者に二人合わせて突き出すため、放置してきた男の元に戻ろうとする。
すると周囲で様子を見ていた人たちをかき分け、彼の元へ歩み寄っていく人物が一人。
「ウォル~! あんた、こんなとこで何やってんのよ!」
「んお? お前こそ何やってんだ? 試験は終わったのかよ」
歩み寄ってきたのは、魔導士風のローブを纏った女性だった。
彼女はアニサ。ウォルの旅仲間である魔導士だ。
現在は魔導士ギルドで行われている試験を受けているはずであり、ここに現れるはずがないのだが。
「あんな試験、余裕も余裕よ。さっさと終わらせて試験会場から出てみれば、街の水が汚水に変わっているって言うじゃない。情報収集しながら街を移動していたら、あんたが騒ぐ声が聞こえてきたから」
「なるほどな。ま、試験が無事に終わったってんなら良かったぜ! お疲れさん!」
満面の笑みを浮かべるウォルを見て、アニサはぷいと顔をそらしてしまう。
だが、彼女のその口角は引き上げられ、小さな笑みが浮かべられていた。
「それはそうと、この人は何よ。あんたが追いかけてたってことは、今回の事件の犯人なのかしら?」
「いや、こいつらは事件に乗っかっただけみたいだぜ。詳しいことは道すがら話してやるから、警備に突き出すのを手伝え」
ウォルは男を立ち上がらせ、阿漕な商売が行われていた店へと歩き出す。
アニサも男が不審な行動を取らないように注意を払いつつ、ウォルの後に続いて行く。
「そういやナナはどうしたんだ? お前が試験をあっという間に終わらせたってんなら、アイツも終わってんだろ?」
「その言い方はなんかムカつくけど……。ナナちゃんたちも試験を終わらせて、いまは街の問題解決に奔走してるわよ」
アニサは体ごと視線の向きを変え、商店通りの上空にあるものを見つめた。
巨大な石造りの橋、水道橋。
この街と遠方に見える山の水源とはこれで繋げられており、そこから引き込む水のおかげで、人々は豊かな生活を享受していた。
「なるほど、アイツもソラたちと同じで山に向かおうとしてんのか。だけどよ、いまからじゃ色々と遅いんじゃねぇか? もうそろそろアイツらも、事件の解決をする頃だろ」
「私もそう思ったわ。でも、さすがは大魔導士を夢見ているだけあってね。あの子たち、とんでもない方法で山に行くつもりらしいわよ?」
その時、上空の水道橋から大量の水しぶきが降ってきた。
道行く人々は驚き、軒先へと入っていく。
「うえ~……。くっせえなぁ……。やっぱり、山の水に異変があったのか……」
「そうみたいね。ま、ナナちゃんたちも行っちゃったみたいだし、解決は時間の問題でしょうね」
水道橋から溢れる水しぶきは、ものすごい速度で山の方へと移動していく。
その様子を見つめていたアニサとウォルは、この事件は無事解決することを確信するのだった。
「そうそう、さっきの話の続きなんだけどよ。コイツ、急に金縛りにあったみたいに倒れちまったんだよ。魔導士の奴らは全員試験を受けてるはずだよな?
「試験を受けてない魔導士がいないとは限らないけど、いまの時間なら魔導士ギルドにいる確率の方が高いわね。その話しぶりから察するに、追いかけている最中に誰かが手伝ってくれたと考えてるみたいね?」
「ああ。多分、コイツは拘束魔法をかけられたんだよ。でもなけりゃ、地面でのたうち回るなんてことはないはずだからな。誰か魔導士が近くにいたと思うんだが……」
あごに手を付けて考え始めるウォルを見て、アニサは小さく笑みを浮かべる。
そして、とてもとても小さな声でこうつぶやいた。
「また一つ、貸しだからね?」
「んあ? なんか言ったか、アニサ?」
「なーんも。さあ、さっさと行くわよ! 事件を解決して戻ってくるソラ君たちを、労わなくちゃいけないんだから!」
二人の冒険者による、事件の解決には至らない小さな問題の解消。
見えず、聞こえずとも、人々は何かに繋がると信じて行動をしている。