「そ、そんな……。じゃあ、あの日、僕の目の前で命を落としたあの人は……!」
「……そうだ、お前の父だ」
手から力が抜けていく、足に力が入らない、瞳が、頬が熱くなる。
剣を取り落とし、地面に膝を付き、悲鳴がのどをつんざいた。
「落ち着いて、気をしっかり持って! ソラ、ソラ!」
傍らにナナの気配を感じるが、それでも気持ちは落ち着かず、狂ったように泣き叫ぶ。
僕は一度として、ケイルムさんのことを父と呼ぶことができなかった。
僕のことを、実の子どもとして扱わせてあげられなかった。
あげくの果てに、いまこの時まで真実にたどり着けず、のほほんと暮らしてきてしまった。
なんて親不孝な息子なのだろうか。
「……この場で伝えるべき話ではなかったが、もはやその状況にはない。確か、レイカと言ったな。ティアマットのことは私に預けろ。兄のそばにいてやってくれ」
「え……。わ、わかりました……。お兄ちゃん……。元気、出して……」
レイカもまた僕の元へ歩み寄り、励ましの言葉をかけてくれる。
家族も仲間たちも声をかけてくれたが、瞳から流れる涙は止まらず、心が壊れていくのを止められない。
僕の心は、六年前と同じような状況へと戻っていく。
「……ティアマット。お前が行動した結果、この大陸が守られていることは知っている。だが、そのお前が凶暴化し、守ってきたものたちを傷つけることは私が望まない。そうなる前にその命を断ってやる」
ウェルテ先輩は苦しそうに呻くティアマットへ歩み寄り、剣を振り上げた。
そのまま竜の鱗を引き裂き、命を奪い取ると思ったその時。
「ウェルテ、その場から離れてくれ! 時間切れだ!」
「なに!? うぐ!?」
上空から凛々しい声が聞こえてくるのと同時に、先輩の目の前にいるティアマットが悲鳴を上げつつ暴れ出す。
突然の豹変に対処し切れず、彼女は攻撃を受けて弾き飛ばされてしまった。
「ど、どうしたってんだよ急に……! さっきまで動けないほどに衰弱してたってのに……!」
「分かんないけど……! ともかくウォル、私たちでみんなを守るわよ!」
暴れるティアマットを止めようと、ウォルとアニサさんが向かっていく。
戦い始めた彼らのことを呆然と見つめていると、面前に光竜バハムートが舞い降りてきた。
そして僕たち家族の姿を見つめた後、ゆっくりと口を広げていく。
「君たちが当代の英雄の剣を握る者たちか。ティアマットが凶暴化するまでの時間を稼いでくれてありがとう」
「え……。でも結局、凶暴化はしちゃいましたし……」
「いや、私がティアマットと戦い出した時点で変異は始まっていたんだ。剣で魔力の調整を行っていなければ、いまごろ奴はこの大陸に見境なく攻撃をしているはずさ」
レイカと英雄の剣のおかげで、いまこの瞬間までティアマットが完全に凶暴化せずに済んでいたようだ。
だが、僕が先輩の邪魔をしなければ暴れ出すことはなかっただろう。
この大陸のことをもっと守ってもらえるかもしれない、助けられるかもしれない。
そんな僕の考えは、ただただ甘かっただけのようだ。
「ウェルテ、まだ戦えるな? 私は君の代わりに彼を守ろう。君は当初の目的を達成するんだ」
「ああ、もちろんだ……。真に奴が凶暴化するまでに片を付けなければな」
鎧に着いた土を払い落としつつ、先輩がティアマットめがけて歩いていく。
本来であれば僕も戦わなければならない。
だが、砕けかけた心が、肉体の行動を、脳の働きを阻害する。
剣を握ろうとしても腕が伸びず、立ち上がろうとしても足に力が入らなかった。
「大丈夫。ウォルさんもアニサさんも強いし、何よりウェルテさんはとっても強いんでしょ? だったら、ソラはみんなを信じてあげて」
「ナナ……。ごめん、こんな時に……。レイカとレンにも、みっともない姿を見せちゃってるね……」
「ううん……! お兄ちゃんは私が同じ状態になってた時に、いっぱい言葉をかけて助けてくれた……。なのに、私は何にも思いつかない……! ごめんね、ごめんね……!」
「いっぱい、いっぱい教えてもらったのに……」
家族にこんな顔を浮かばせてしまうなんて。
僕は兄としても、家族の長としても失格だ。
「ぐあ!? うおらああ! ったく、以前戦ったドラゴンが可愛く思えるほどにつえぇな! さすがは『聖獣』の代わりに大陸を守っているモンスターだぜ!」
「ソラ君からの強化がもらえないのは辛いわね……! ウェルテさん! あなたは強化魔法を使えないんですか!?」
「私はソラと違い、他者に対しての使用は不可能だ。悪いが、自前の力だけで何とかしてくれ!」
ウォルたちと先輩は共同戦線を張り、ティアマットと戦っている。
闇雲に振り回される翼、力の枷が外れたせいで岩をも容易く噛み砕く顎。
どの攻撃を受けてもケガでは済まず、一撃で命を落としかねない危険な代物だ。
「思ったよりも凶暴化の進行速度が早い……! すまない、君の家族の力も借りさせてくれないか!」
「え……。で、ですが、いまのソラは――」
「行ってあげて……。ケガもしてないのに動けない僕なんかのために、力を余らせちゃいけない……。戦っているみんなのために使ってあげて……」
バハムート様と僕の言葉を聞き入れてくれたらしく、ナナたちは自身の武器を手にティアマットの元へ向かって行った。
守る能力を持つ僕が皆に守られるとは、なんと皮肉な状態だろうか。
「ホウオウ、みんなと一緒に!」
「圧縮魔の力で……! はあああ!」
「ジャッジメント!」
各々が手に入れた力を駆使し、攻撃を仕掛けるナナたち。
鱗を砕き、肉体を斬り裂くことに成功しているものの、ティアマットはひるむ様子を微塵も見せずに破壊を振りまいている。
ダメージは確実に入っているはずだが、正気を失っているせいで、痛みを感じる能力が消え失せているのだろう。
「倒すのなら、一撃で消滅させるような攻撃がいる……。僕が守りに入れば、ナナが魔力を貯める暇を作れるのに……。僕の圧縮魔で、倒せるはずなのに……」
右手に魔力の塊を生み出し、それに圧縮をかけようとするも、上手くいかずに砕けてしまう。
こんな情けない状態だとしても、何かしらできることをしたい。
一人で腐り続けるなど、できるわけがない。
「心を痛めようとも、できることを探す……か。私にも、その心の強さがあればな……。これから私は、ティアマットに向けて攻撃を仕掛ける。ソラ君、君にはその攻撃に対して圧縮魔をかけてもらいたいのだが、頼めるかい?」
「え……。圧縮魔のことをご存じなんですか……? いや、それ以前にいまの状態では……」
自身の魔法すら圧縮できないのに、他者の攻撃に圧縮をかけられるとは思えない。
それに、攻撃の規模が分からない以上、限界を超えた圧縮をしかねないのだが。
「小さな攻撃を圧縮するよりも、大きな攻撃の方が大雑把に圧縮できるはずだ。圧縮を止めるタイミングは私が分かっている。指示通りに圧縮をしてくれればそれでいい」
「圧縮を止めるタイミングが分かる……? あなたは、一体……」
バハムート様が大きく口を開けると、その内側に小さな光が出現した。
白く発光するそれは、少しずつ、少しずつ膨張していき、大きな光の塊となって口内から離れていく。
「さあ、頼むよ。君の中に眠る力を信じるんだ」
「僕の中の……力を……」
これまでに幾度となく、圧縮魔は僕たちを助けてくれたが、その圧縮魔をこの時代に再誕させたのはこの僕だ。
父を目の前で失ったことに気付かなかった自分と、ナナを救うことができた自分。
圧縮魔の力を信じるということは、自分自身の失敗と成功を信じるということだ。
「過去を、現在を信じて……。未来につなぐ……!」
心に発破をかけ、圧縮魔を発動させる。
普段と比較すると不安定ではあるが、光の塊は小さく縮み始めた。
「その調子だ。ゆっくりと、ゆっくりとでいい。よし、そこで維持をしておいてくれ」
手のひら大のボール程度の大きさに縮めたところで制止をされる。
バハムート様は光球を持ち、大空高く舞い上がっていく。
そして再び大きく口を広げ、別の光球を再作成した。
「ウェルテ! 皆の者! その場から退避し、体を隠すんだ!」
「分かった! バハムートから聞いた通りだ! 離れるぞ!」
先輩はティアマットの頭部に強力な攻撃を加えた後、皆と一緒に離脱してくれる。
それを見たバハムート様も、攻撃の準備を完了させた。
「私と人の力の合わせ技を受けてみよ。メガフレア!」
先に大きな光球を落下させ、その後を追うように小さな光球が投下される。
気絶中のティアマットのすぐ真上で、圧縮が済んだ小光球が大光球に接触し――
「うわああああ!!?」
「きゃああああ!!?」
想像を絶する爆発が発生し、強烈な爆風が僕たちに襲い掛かる。
岩の陰に退避していたおかげでダメージはないが、あの爆風をもろに受けるだけで全身が消し飛びかねない威力だ。
「落ち着いたみたいだな……。ティアマットは……?」
「す、すごい大穴……! ティアマットごと地面が吹き飛んじゃったの……?」
ティアマットが居たはずの場所には、巨大な大穴が開いていた。
穴の下、遥か遠方には青い海が見える。
大陸を隠していた雲ごと吹き飛ばしてしまったようだ。
「『聖獣』の力にソラの力が重なったことで、とてつもない威力になったんだね……。ソラ、もう大丈夫?」
「……まだダメさ。でも、バハムート様の手伝いができたことで少しだけ心が晴れた。彼のおかげでみんなを助けられたよ」
上空へと視線を向けると、バハムート様が周囲の警戒をしている様子が見えた。
ティアマットを本当に倒せたのか、確認をしているのだろう。
「……ウェルテ先輩。あなたと僕には、同じ血が流れているというのは本当なんですか?」
「……ああ、それは事実のはずだ。お前が魔法剣士となったあの日、父さんと母さんが全てを話してくれた。『アイラル大陸』に置いて来ざるを得なかった弟は、ソラなんだ……とな。いままで黙っていて、すまなかったな」
出会ってからそれほど立たないうちから、先輩は僕との関係を知っていた。
どうして教えてくれなかったのだろうか。
ずっと押し黙っていて、苦しくなかったのだろうか。
「その辺りは……まあ、あれだ。急にお前は私の弟だと言っても、信じてくれる可能性はなかったからな。それに、私も怖かったんだ。私を見つめる瞳の色が変わってしまうんじゃないかとな……」
先輩の言う通り、一連の出来事により彼女の見方は変わってしまったはず。
だが、尊敬している人であるという事実は微塵も変わっていない。
教えてくれたことへの感謝の言葉を伝え、彼女の名前を呼ぼうとしたその時。
「グギャアアア!!」
「な!? ティアマット! まだ生きていたのか!」
地面に開いた大穴から、ティアマットが勢いよく飛び出してきた。
狂気に満ちた瞳にナナの姿が映りこむと同時に、急速に羽ばたき寄ってきて――
「が……は……」
胸部に熱い何かが当たったと思ったら、手足の感覚が消えていく。
突き飛ばされ、地面に倒れ行くナナに瞳を向けると、彼女は悲痛な表情を浮かべ、僕に手を伸ばしていた。
そんな彼女に笑みを返しつつ、眠気に耐えられなくなった僕は、瞼を下ろして深い眠りへと落ちて行く。