「竜巻が収まってる……。あんなに荒れ狂ってたのに、嘘みたいに静かだ……」
「フェンリル様が収めてくれたようですわね。飛空艇を着陸させる程度の広さもあったはずですし、直接そこに乗りつけると致しましょうか」
飛空艇を利用し、『インヴィス空中大陸』中央の大地に戻ってきた途端、行きとは全く異なる光景が広がっていることに気付く。
激しく吹き荒れていたはずの竜巻が消え去っており、フェンリル様の姿が露わとなって見えていたのだ。
彼は僕たちの乗る飛空艇に気付くと、こちらに顔を向け、優しげな笑みを浮かべた。
「どうやらお待ちかねだったみたいだな! んでもよ、どうやって話を進めて行くよ?」
「どうも何も、報告と謝罪から始めていくしかないでしょ。ティアマットを連れてこれなかったこと、凶暴化してしまったこと、バハムート様と共に現れたウェルテさんのこと……」
どことなく心配そうな視線が、僕の横顔に突き刺さる。
アニサさんの心配どおり、ウェルテ先輩の話題が出るだけで心がずきりと痛みだす。
彼女から教えてもらったこと全てが嘘であってほしい、勘違いであってほしいと思ってしまっている。
僕は彼女の弟だったこと、目の前で亡くなった人物が、僕の本当の父親だったこと。
それらを認めるには、もう少し時間がかかりそうではあるのだが。
「この先、僕の感情も事情も、必要になることはありませんよ。問題が降りかかるのなら、それを払いのけるために行動するだけです」
心が砕けそうな痛みも、僕の出生の秘密も、世界が廻り、命が生き続けることにおいて必要なことではない。
最も先頭を歩いている以上、足を止めるわけにはいかないのだ。
「……なあ、ソラ。お前、少し雰囲気が変わってねぇか?」
「え? そ、そう? 変わっているような感覚はないけど……」
「命の瀬戸際に陥ったわけだし……。価値観の変化が起きたのかもしれないわね。その白髪の浸食と併せて……」
いまは電源がついていない真っ暗なモニターに視線を送ると、頭部の髪が黒と白で半々となった僕の姿が映っていた。
この姿になったのは、命の危機に瀕したからか。
それとも、何かしらを抱えてしまったからか。
「皆様。着陸準備を始めますので、お近くの席にお座り下さいませ。着陸時の衝撃で体を痛めぬよう、ご注意を」
プラナムさんの注意通り、飛空艇は飛行時とは異なる揺れを発しながら大地へと下りていく。
着陸時の大きい揺れとエンジンの停止音をこの身に受けつつ、飛空艇の外へと出ると。
「良く戻ってきてくれたね、人の子たち。まずは東の大地へと向かってくれたことに感謝しよう。同時に、ティアマットの件で君たちに被害を与えてしまったことへの謝罪を……」
目の前に現れたフェンリル様が、感謝と謝罪の言葉をかけてくれる。
こちらからも報告と謝罪を行い、情報のすり合わせへと入っていく。
「いくら魔力結束点があの場にあったとはいえ、強力なドラゴンであるティアマットがあれほど早く凶暴化するとはね……。これまでのケガや無理が祟ったのだろうか……」
「ティアマットは。外敵から自身の縄張りを守っていると仰っていましたよね? 外敵とは何なのですか?」
ナナの質問に、フェンリルは首を上げて天上を見上げた。
ここより上から襲ってくる生物でもいるのだろうか。
「ティアマットが戦っていた相手、それは星屑さ。ここは地上から遥か上空にある土地なのは承知のことだろう? 地上であれば落着前に消滅してしまうそれも、ここにはほんの少しだけ落ちてきやすいんだ。ほら、いまも」
「あん? うおおお!? 火の球が落ちてくるぞ!」
ウォルの悲鳴どおり、遥か上空から赤い火の玉が落ちてきている。
僕たちがいる場所に落着するわけではないようだが――
「おいおい……。あれ、アウェスの村辺りに落ちるんじゃないか……!?」
「む、村の人たちが……! プラナムさん、飛空艇は飛ばせますか!?」
「さ、さすがにこの短時間では……! 艇に積んである大砲でも届きませんわ……!」
魔法を使ったとしても、ここからあの火の玉を破壊することはできない。
ほんの少しとはいえ、お世話になった人たちが砕け散る様子を想像してしまい、心に絶望が襲ってくる。
「この大陸の子らを心配してくれてありがとう。だが、今度からあの子たちを守るのは私の仕事さ。吹き飛ばされないよう、注意しているんだよ」
「え……。うわぁ!?」
とてつもない強風が発生するのと同時に、目の前にいたはずのフェンリル様の姿が消え失せる。
彼の姿を再び見つけた場所は――
「一瞬で火の玉近くに……! 大丈夫なのかよ!?」
落下していく火の玉の真下に、フェンリル様の姿が見えた。
彼は強力な風を爪に纏わせ、火の玉めがけて大きく振る。
風の刃となったそれは、火の玉を引き裂いた上に暴風を引き起こし、大陸外へと破片たちを弾き出してしまった。
「す、すごい……。あれが、『聖獣』の力……」
「自身を外界から閉ざしていた理由が分かりますわね……。いくら災いが起きようとも、あれほどに強大な力を振るっては大陸を、そこに住まう者を傷つけてしまう……。過ぎたる力を抑えるため、ですか……」
フェンリル様と同等、もしくはそれ以上の能力を持つ『聖獣』たちが各大陸に存在する。
ここまで行くと、もはや尊敬を超えて畏怖の感情が心に浮かんできそうだ。
「よっと……。話を中断してしまい、すまないね。とまあ、これが『インヴィス空中大陸』が抱いている問題だ。ティアマットの力を借りていたことも含め、理解してくれたかな?」
一瞬で戻ってきたフェンリル様からの問いかけに、皆で一斉にうなずく。
しかし、これから先も火の玉が落ちてくるのであれば、いずれは余波で被害が出てしまうだろう。
そうなれば、この大陸に住むリリパットたちは暮らしていけなくなってしまうはずだ。
「ソラ様の防御魔法がありますわよね。あれを機械で再現できれば、もしかしたら……」
「おいおい。プラナムんとこの技術はそこまで再現できんのかよ? だが、どうやって大陸全土を包むんだ? 他の大陸と比べたら小さいが、それでも結構な広さがあんぞ?」
「要所、要所に機械を設置するだけで可能だと思いますわ。それぞれの防御壁が重なり合うように展開させ、大陸全土を覆うのです。維持をするための膨大な魔力も、目の前のお方が抱えているようですしね」
プラナムさんの提案を聞き、皆がフェンリル様を見上げる。
彼が力を振るう必要が無くなり、僕たち人の力も併せて大陸を守れるのであれば、それが何よりだろう。
「……ふふふ。私たち『聖獣』が見守っていなければ、人の子らは生きていけないと思っていたというのに。まさか人の側から大陸を守る方法を提案してくれるとはね。だが、本当に可能なのかい?」
「何をおっしゃっているのですか。我々は、地上からここまで上がって来ることができたのです。 できぬことなど、何一つとしてございませんわ。もちろん、開発期間は必要ですが」
プラナムさんと共に成してきたことの全て。
それらを思い出すだけで、強い自信と意欲が心の中に浮かんでくる。
きっと彼女なら――いや、僕たちであれば、大陸を守る力すら生み出せるはずだ。
「君たちが抱いた夢、空より高く期待して待っているよ。さて、今回の件が片付いたら、君たちの疑問に答える、贈り物をすると言ったが……。まず、聞きたいことはあるかい?」
フェンリル様の質問に、皆がお互いの顔を見合わせる。
誰もが質問したい事柄を抱いているようだが。
「ここ数日間、色々ありすぎてオイラは頭がいっぱいだ……。何が分かってて、何が分かんねぇのかすら、いまいち分かんなくなっちまった……」
「私も……。いっぱい聞きたいことはあるのに、何から聞いていけばいいか分かんない……」
「ギュウギュウ詰め」
空に来て、あまりにも多くのことがありすぎた。
聞いておくべきことはあるはずだが、これ以上に詰め込んでも理解できずに忘れてしまうだけだろう。
だが、この場で聞いておかなければ、再度話を聞きに来ることすら難しいのだが、どうしたものやら。
「そこで、私から贈り物をするとしよう。媒体は――ソラ君、君に与えた私の毛を取り出してくれるかい?」
「ティアマットとの会話のために持たされていた物ですか? これが一体……?」
カバンの中から、袋詰めにしておいたフェンリル様の毛を取り出す。
すると小さなつむじ風が巻き起こり、手の上に乗っていたそれを空中へと運んでいく。
「これをする時が来るとはね。私も長く生きたようだ。さあ、生まれておいで。新たな時代を見守る『聖獣』よ」
「え……!?」
フェンリル様の穏やかな言葉と共に、緑色の毛が変化していく。
耳が生まれ、四つの足が生まれ、凛々しい顔が生まれ。
僕たちの目の前には、出会ったばかりのコバと同等程度の体の大きさをした、緑色のオオカミが出現した。
「……ずいぶんとちっちぇな。こんなんで役に立つのか?」
「こんなんとは不敬な人ですね! ボクは風狼フェンリルの知識を受け継いだ、『聖獣』の子どもなのですよ! 敬うべきです!」
生まれたばかりの小さなオオカミは、牙を剥き出しにしながらウォルの発言に反論をした。
僕たちと同じ言葉を発せられることも驚きだが、生まれたばかりだというのにここまで饒舌に会話ができるとは。
『聖獣』から生まれた存在というだけあり、優秀な子のようだ。
「ほーん。生まれたばっかだってのに、喋れるのか。はは! ちっちぇ癖に態度の方はずいぶんとでけぇ――いってぇえええ!?」
暴言ととられかねない言葉を吐いたウォルに対し、小さなオオカミは彼の指に噛みついて抗議をする。
穏やかなフェンリル様と比較せずとも、血気盛んな性格をしているようだ。
「その子は私の分身であると同時に我が子だ。知識も共有されているから、疑問があれば答えてくれるはずさ。経験を積ませるためにも、連れて行ってくれないかい?」
「ありがとうございます。ご子息のこと、預からせていただきます。えっと、あなたのことはなんと呼べばいいのでしょうか?」
「テペスと呼んでくだされば! 先ほどは敬うようにと言いましたが、話しやすい言葉を用いていただければ結構です! 幼い身空ですが、旅の道中よろしくお願いします!」
テペス君は僕の面前に浮かび上がり、くるりと一回転する。
その愛らしい行動を見て、とある疑問が胸中に浮かび上がってきた。
エルフの人たちは、どのようにしてこの姿を見たのだろうか、と。
「エルフのみんなに見せてもらった、シルフに良く似てる」
「そういえば、使い魔は『聖獣』たちの姿をモチーフにしてるって言ってたよね。こうして子どもを生み出した瞬間を見て、召喚魔法を生み出していったのかもね! あれ? でもそうなると……」
「うん。遥か昔のエルフの人たちは、この大陸に来たことがあるってことになる。それどころか、『アヴァル大陸』や『アイラル大陸』、他の大陸にも行ったことがあるってことだ」
遥か昔は、大陸間の移動が自由にできていたということになる。
飛空艇や潜水艦などの機械が、当時はごく当たり前のように存在していたのだろうか。
「その辺りは、このボクが時に応じてご説明いたしましょう! まあ、この目で見ていない時代の方が多いので、曖昧になることがあると思いますが……」
「おい、おい、こんなんで大丈夫なのかよ。なんか不安だ――いで! やめろ、引っ掻くな! 噛みつくな!」
暴れる我が子をなだめるフェンリル様の視線は、父の目のように穏やかだった。
僕もケイルムさんに、あの瞳を向けられたことが幾度かあった記憶がある。
懐かしさを覚え、小さく笑みを浮かべるのだった。