【文化祭プロローグ】
時をさかのぼること一ヶ月前――。 まだ夏の名残を感じる教室に、文化祭に向けた高揚感が静かに広がっていた。
「では、議題に入ります。文化祭のクラス発表について……」
教壇に立ったのは、2年B組の委員長。
学年初日からその堅実な仕切りで信頼を集めている、学年でも屈指の実力者だ。
「クラス全員一致により、当クラスは“演劇発表”に決まりました」
どよめきも歓声もない。ただ淡々と受け入れられる、既定路線の決定。 そんな空気の中、後方の窓際席では、ひときわ目立つ二人組が静かに座っていた。
服部倉子と真田真子。 護衛対象である澪と同じクラスに“学生として潜入”している彼女たちは、こうしたクラス運営には基本的に口を挟まない。
だが――。
「……さて、肝心の演目ですが――」
委員長は教室の前に立ったまま、何のためらいもなく、こう口にした。
「“実録・24歳SP24時間”で行こうと思います」
その瞬間だった。
「やめろぉおおおおおおおっ!!」
爆発音のごとく叫んだのは、もちろん倉子。
「むしろなぜそれを演劇に!? 実録ってなに!? ドキュメント!? それとも再現ドラマ!?」
隣の真子も、机を叩いて絶叫する。
「やめて! プライバシーの侵害! 任務機密の暴露! 人権無視っすーっ!!」
しかし教室の空気はむしろ楽しげに盛り上がる。
「で、主演はもちろん――倉子さん、真子さん、澪さんの三人で!」
「やめろぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
再び絶叫する三人。
クラスメイトたちはにやにや笑いながら拍手を送る。
「うちのクラスだけ生で警護が見られるなんてずるいって他のクラスから言われたんで、ここは一発やってもらおうかと」
「そんな理由で舞台化しないでええええ!!」
こうして文化祭は、既に始まる前から嵐の予感に包まれていた。
当然、この後正式に“脚本会議”という名のさらなる地獄が待っていることを、倉子たちはまだ知らなかった。
「わがクラスに、こんなおいしい素材が転がってるのに……」
委員長は教壇の前で、胸を張って高らかに宣言した。
「これを発表せずにいられますか!!」
その目はキラキラと輝き、周囲の生徒たちは大きく頷いている。
そう、もはや全会一致の空気。
「で、舞台化するのは……“トラブル大統領来日警護・修羅場編”です!」
「やめてええええええええっ!!!」
教室中に響く悲鳴。
叫んだのはもちろん倉子。
「そ、それは……マジで……トラウマなんだからああああああっ!!」
「むしろ私らが表彰される前より、その一件の方が精神的ダメージやばかったっすからねっ!」
真子も青ざめながら同意する。
だが、委員長は一切動じなかった。
「お三方だけに重役を押し付けたりはしませんよ」
そして、手を挙げて高らかに――
「“トラブル大統領”役は、私がやります!」
「おまえ! 絶対楽しんでるだろう!」
倉子のツッコミはもはや悲鳴だった。
「何をおっしゃいます。せっかくの文化祭、楽しんだ者勝ちじゃないですか」
まるで悟りきったかのような微笑を浮かべる委員長。
「それに、舞台上でも三人には“護衛任務”が発生します。役割としても理にかなってますよね?」
「……突然、正論持ち出しやがった……」
倉子の肩が、ガクンと力なく落ちる。
「先輩、これ……どうやら、逃げられないっす」
「……いや、むしろ逃げる手段がない……っ」
こうして“文化祭の舞台裏劇場”は、正式に幕を開けた。
笑いと涙とトラウマと、ほんの少しの感動を引き連れて――。
【台本、それは暴走のはじまり】
数日後、放課後の教室にて。
「台本の第一稿ができました!」
満面の笑みを浮かべた委員長・大橋弓子が、倉子、真子、澪の3人にコピーを手渡す。
「……ちょっと待って。なんだこれは……」
台本をパラパラとめくっていた倉子の表情が一瞬で曇る。
「メイド服は分かる。制服もまあ、分かる。……だけど、なんでスクール水着のシーンがあるのよ!?」
「ファンサービスということで!」
「ファンなどいない! しかも誰得よそれ!」
隣で読んでいた真子も慌てて突っ込む。
「巫女服シーンまであるっす。大統領の護衛のとき、関係ないっすよね!?」
「なんなら、ポスターに“あの伝説のスク水メイドSP、再び!”ってキャッチ入れようかと……」
「断固拒否する!! 当日休む!」
「私も休みます!」
澪も珍しく強い口調で口を挟んだ。
「それでは、澪さんの当日の護衛はどうなさいますか?」
「代行を頼む。永遠の17歳の先輩に!」
「……24歳の先輩が、17歳なんですか?」
「自称なんだ! そこ突っ込むな!」
ついに澪が静かに声を上げた。
「大橋さん。これは私個人としてだけでなく、生徒会会長としても、スクール水着での演劇は許可できません。文化祭には外部の方々も来校されるのです」
「そ、そうですよ。生徒会としても許可できないっす」
「むしろ文化祭中止に追い込まれるわ、これ……」
強く拒否され、弓子もようやく観念したように台本に赤ペンで大きく線を引く。
「わかりました。スク水シーン、削除しまーす……」
こうして、生徒たちの理性と生徒会の権限によって、ギリギリのラインは守られたのだった――。
【リハの毎日】
「カットーっ!」
講堂に再び響き渡る、委員長・大橋弓子の鋭い声。
ステージの上で硬直したような表情のまま立ち尽くすのは、もちろん倉子と真子。
「倉子さん、真子さん、台詞は完璧なんです!でも、なんでそんなに棒読みなんですか!? それでもプロですか!?」
「プロは警備だけだ。演技は関係ない」
「もともと無茶振りっす」
吐き捨てるように応じる2人に、弓子は頭を抱える。
そう、これは毎日繰り返されている地獄のようなリハーサルの光景だった。
しかも、2人はただでさえ放課後の大半を文化祭準備委員会の生徒会業務に費やしている。企画調整、備品管理、教室配置、来場者対応──。
「SPとしての本業よりハードっすよ、これ……」
真子がぼやけば、倉子も苦笑いする。
「制服着てるけど、これ、絶対ブラック制服だよな……」
気が付けば、文化祭まで残り1週間。生徒会室では、2人がぐったりと椅子にもたれかかり、机に突っ伏していた。
「やっぱ、本番当日は休みたい……」
倉子がうめくように言うと、真子が無情な事実を告げた。
「それが、もう手遅れっす。井上先輩、当日、別件が入っちゃったらしいっす」
「……あの人が当日いないのか」
一瞬の安堵。
「でも、たぶん、いたら演劇も喜んで出てましたよ。しかもスクール水着で」
「……自称17歳のスクール水着……」
二人は顔を見合わせ、静かに呟いた。
「恐ろしい人だ……」
そんなこんなで、日々のリハーサルと準備に追われながら、文化祭本番は、容赦なく近づいていた。