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第29話 忍び寄る影

【異常な尾行】


 朝の空気はまだ涼しく、通学路には早起きの学生たちが点々と歩いていた。  黒のセダンが静かに学園の来客用駐車場へと滑り込む。運転席に座っているのは、服部倉子。助手席には真田真子。  後部座席には、制服姿で静かに目を閉じる澪お嬢様。


「今日の天気は晴れ。最高気温は19度。午後から風が少し冷たくなるみたいっす」


 助手席で真子がタブレットを見ながら報告する。


「ふーん。傘はいらなさそうね」


 倉子は軽く相槌を打ち、車を駐車枠に停めてエンジンを切る。ここは、学園側の正式な許可を得て使用している来客用スペースだった。


「さ、今日も始まるわね」


 3人は順に車を降りると、並んで校門をくぐった。


 すでに校内では、彼女たちが“単なる生徒”でないことは広く知れ渡っていた。  転入当初こそ“少し年上の謎の転校生”としてひっそり警護していた倉子と真子だったが、1年以上にわたる学校生活、数々の騒動や事件、そして文化祭での劇によって、今や“制服姿のSP”という事実は、公然の秘密となっていた。


「先輩、今日も朝から注目されてるっすよ」


「朝のルーティン。スキャンされる視線も板についたわ……」


 すれ違う生徒たちの視線を軽く流しながら、3人は教室棟へ向かう。


 とはいえ、本業はあくまで澪の警護。  教職員もすでに理解と協力体制を築いており、2人が校内で行動することに誰も驚かなくなっていた。


 だが、その“日常”の裏で、倉子はずっと胸騒ぎを覚えていた。


「……今日もいる」


 校門に入る寸前、ルームミラーに映っていたのは、白の軽バン。  信号のタイミング、走行ライン、停止位置。  3日連続で、同じ場面でこの車と遭遇している。


「先輩、確認っす」


 真子が即座に助手席モニターを操作し、ドラレコ映像を巻き戻す。


「完全一致。ナンバー、ステッカー位置、汚れの具合まで全部。プロの尾行っすよ」


「ストーカーとは思えないわね……」


 教室に澪を送り届けたあと、2人は人気の少ない資料準備室へと移動し、社に報告を入れる。


 数分後、社長からの返信が届く。


『状況は確認した。今後1週間、予備車両を配置してダブル警護体制とする。必要に応じて武装警備に移行せよ』


「やっぱり、ただの通りすがりじゃないっすね」


「澪お嬢様が狙われてる……その可能性が高いわ」


 文化祭で笑いをとった制服姿の2人。だが、今まさにその制服の内側で、SPとしての戦闘感覚が研ぎ澄まされていく。


 教室内で、澪はいつも通り静かに窓の外を見ていた。  だが、倉子と真子の視線は、その窓の外——“影”の存在に向けられていた。


「真子、今日は全神経を張っていくわよ」


「了解っす。今日の影は、笑って流せる相手じゃない気がするっす」


 澪の“日常”を守るため、制服姿のSPふたりは、再び本業の戦場へと向かっていた。




【交錯する車影】


 数日後の下校時。  秋の日差しはすでに傾きはじめ、校門を出る生徒たちの影が長く伸びていた。


 澪は今日も静かに、黒のセダンの後部座席へと乗り込んだ。  運転席には倉子。助手席には真子。車は定時、定ルートで学校を出発する。


 だが今日、倉子はわずかにルートを変更していた。これは社内で策定された“警戒レベル上昇時の回避ルート”のひとつ。尾行があると仮定した場合、意図的に狭い通りや一方通行の多いエリアを通ることで、相手の動きや意図を探ることができる。


 数百メートル走った地点で、ルームミラーに映った。


 白の軽バン――またしても、だ。


「ついてきたわね」


 倉子が低く呟く。


「確認っす。尾行確定。間に挟まれないよう車間距離調整中。動きに無駄がないっす」


 真子も冷静に応じた。軽バンは巧みに距離を保ち、目立たない位置で追尾している。


「お嬢様、少しだけ揺れます」


 倉子の言葉に、澪は微笑んで頷く。


「ええ、大丈夫です。……いつもありがとうございます」


 その言葉を背中に受けながら、倉子はハンドルを切った。  目的地をわずかに外れた道へと進む。


 そして、通称“狐坂”と呼ばれる住宅地裏の細い坂道へ差し掛かったとき——。


「前方、塞がれたっす!」


 真子が声を上げた。道の先、突如現れたのは、斜面に無理やり停められた軽バン。ナンバーは違うが、構造は酷似している。


 倉子がブレーキを踏むと同時に、後方からエンジン音が近づいた。


「後ろも塞がれました」


 バックミラーには、フルフェイスのヘルメットをかぶったバイクの男が1名。完全に包囲された形だ。


「お嬢様、後部座席の足元に伏せて」


 真子が静かに指示すると、澪は驚きもせず従った。


 次の瞬間、    ――ガンッ!


 助手席側の窓に、何かが叩きつけられる。  音からして銃撃ではないが、固い何か。もしくは工具。


「確認。威嚇行動。侵入目的は不明っす!」


 真子が即座に警備バッグを開き、催涙ガス付きの簡易防衛スプレーを取り出す。


「倉子、前進可能?」


「無理ね。急坂+バン+人影あり……でも、右側に少し空きがある」


「切り抜けるっす?」


「やるしかない!」


 倉子は素早くギアをバックに入れ、一瞬後退、即座にハンドルを切って前進。  右側の狭いスペースをタイヤがこすりながら滑り込む。


「窓際、注意!」


 真子が催涙スプレーを構え、接近してくる影に向かって噴射。  何か叫び声が上がる。


 車は急な坂道をきしみながら抜け出し、道幅のある大通りへと滑り込んだ。


「社に連絡。緊急事案発生。推定襲撃意図あり。対象車2、実行犯少なくとも3名以上」


 真子がハンズフリーで報告を入れる。


「澪お嬢様、ケガは?」


「大丈夫です。……でも、これは本当に……」


「はい、お嬢様。明確な“意図”が見えました」


 倉子の手がまだ震えている。  だが、それを感じさせない冷静さでハンドルを握る。


「これで間違いないわね」


「澪お嬢様は、狙われてる」


 2人は顔を見合わせ、緊張を分かち合った。    この瞬間から、任務は“警戒”から“防衛”へと変わったのだった。


【浮かび上がる動機】


 翌日、倉子と真子は、澪を送り届けた後、警備会社アテナ本社のブリーフィングルームにいた。  プロジェクターには、前日の襲撃に関わった車両とバイクのナンバー、そして解析中の顔認識データが次々と表示されている。


 社長も出席し、重々しい空気が室内を包んでいた。


「結論から言う。昨日の襲撃犯は、澪嬢を狙っていた可能性が極めて高い」


 社長の言葉に、倉子は静かに頷く。


「犯人の1人は、海外からの渡航履歴があった。しかも、過去に政治関係の警備対象者に対して威嚇行動を取った前歴持ちだ」


 モニターには、モザイク処理された過去の事件映像が流れる。


「つまり、ただの愉快犯じゃないってことっすね」


 真子が口を挟むと、情報担当者がタブレットを手に補足した。


「この人物を含めたグループは、実際には“政治的動機を持つ過激派”の可能性が高いです。活動拠点が不明瞭ですが、資金の流れからある組織が浮上しています」


「組織名は?」


「『アトラス・ノクターン』。国内ではあまり知られていませんが、国外では複数の政財界関係者への妨害行動でマークされています。今回の件も、澪嬢の父親が現在進めている公共プロジェクトへの妨害ではないかと……」


「澪お嬢様自身は、全く関係ないはずなのに……」


 倉子が悔しそうに呟いた。


「彼女が無関係であればあるほど狙われやすい。身内に手を出された時、人間はもっとも冷静さを欠く。これは、感情を揺さぶる類の“政治的テロ”だ」


 社長の口調は低く、そして重かった。


「今後、澪嬢への接触は今まで以上に制限をかける。登下校は複数台体制、教室とトイレ以外では常に警護対象に接触できる距離に待機。校内にも情報協力要請済みだ」


「了解しました」


 倉子と真子は同時に返事をする。


 2人の顔には、任務への覚悟がにじんでいた。


  ◆


 その夜。


 倉子のアパートの一室。  リビングには、録画していたバラエティ番組の音声が流れていたが、倉子の手元のスマホには、何度も情報更新の通知が表示されていた。


「……完全に、澪お嬢様が巻き込まれた形になってるわね」


 画面には、“アトラス・ノクターン”のロゴが映る。匿名掲示板には、彼らの主張と思われる声明文も投稿されていた。


 ——『私たちは、理不尽な権力と対峙する。次に狙われるのは、国そのものだ』——


「意味深ぶってるけど、要するに子供じみた政治的テロじゃないっすか」


 真子の声が、テレビの音に紛れて返ってくる。  いつの間にか、自室ではなく倉子の部屋のソファで丸まっていた。


「でも、私たちにとっては、命の責任を問われる事態になってる」


 倉子はリモコンでテレビの音量を下げる。


「……明日から、フル装備で臨むわよ」


「うっす。……でも、先輩」


「なに?」


「これ、文化祭の劇の続きじゃなくてよかったっす」


 倉子は吹き出しそうになってから、無言で真子の頭を小突いた。


「お前、それ言うな……」


 彼女たちの任務は、確かに“劇”ではなかった。  現実の緊張は、舞台の比ではない。  しかし、その緊張のなかでしか守れないものがあると、2人は知っていた。


 そして明日もまた、彼女たちは澪の傍で立ち続ける。  制服姿の、しかし間違いなく“本物”のSPとして。


【襲撃と逆転】


 それは予兆のない午後の出来事だった。


 5限目の授業終了のチャイムが鳴り、廊下に生徒たちのざわめきが広がる。  しかしその瞬間、校舎外からけたたましいエンジン音とブレーキの軋みが響いた。


「来たっす……!」


 教室内で張っていた真子が窓から覗くと、グラウンドの裏手、通常は車両進入禁止の裏門前に、例の白い軽バンが止まっていた。  後部ドアが開き、黒いキャップとサングラスで顔を覆った男たちが3人、素早く構内に突入してくる。


 ――警備対象、澪。


 真子は即座にインカムで連絡を入れた。


「警戒レベル4、校内侵入確認!対象3、位置Aブロック北側から南へ向かって移動中!」


「了解、こっちは2階廊下。すぐに接触できる。教室内、澪の位置は?」


「黒板前。教師の横に立ってるっす」


「よし。迎えに行く」


 廊下を駆ける倉子。ジャケットの内ポケットには非殺傷防衛器具が仕込まれていた。校内用の制圧スプレーと、小型電磁式スタンロッド。


 廊下に出た瞬間、正面から駆けてくる不審な男と遭遇。


「立てこもる気か、最短距離で教室を――!」


 倉子は構えもせずに、男の膝裏に足を滑り込ませ、強制転倒させる。


「ぐっ……!」


 地面に這いつくばった男の手から金属の鈍い音がした。スタンガンの類だ。


「……やっぱりガチのやつか」


 倉子は倒れた男の手首を蹴り飛ばし、道具を遠ざけ、即座に教室の扉を開ける。


 「澪、こちらへ」


 澪は、教師の指示を仰ぐことなく、倉子のもとに走り寄った。


「真子、2階廊下。お嬢様、確保!」


「了解!正面入り口方面、2人移動中。手薄な通用口を狙ってきてる!」


「進路、グラウンドを経由して講堂裏へ。脱出用ルートBを確保。車はもう向かわせてる」


「よっしゃ!こっちは“お見送り”に回るっす」


 真子は階段を駆け下り、構内の中央庭園へ。


 1人目の襲撃者を確認。


「そこまでっす!」


 小型の閃光スプレーを男の足元に投げると、白い閃光とけたたましい音が爆発。  男は目を覆い、思わずその場に膝をついた。


「威嚇目的……いや、誘拐だ」


 その場で制圧するには人数が足りない。


 真子は制圧よりも“時間稼ぎ”を選択し、通路の奥へと走る。  襲撃者の注意を引きつけ、別方向へ誘導していく。


 一方、倉子は澪を連れてグラウンド裏の非常口から外に出た。


 すでにそこには警備会社から派遣された第二警備車がスタンバイしていた。


「澪お嬢様、こちらです!」


 スーツ姿の男性SPがドアを開ける。


 後部座席に澪を押し込むと、倉子は真子へと連絡。


「お嬢様、保護完了!回収地点移動、指示Bへ!」


「了解っす!」


 真子はそのまま、敷地裏の別門から車に乗り込んだ。



 その日の夜。


 警備会社本社にて、社長による総括報告が行われていた。


「襲撃者のうち2名は現場にて確保。1名は逃走、現在警察と連携中」


 社長の言葉に、倉子は深く息を吐く。


「澪お嬢様にケガがなかったのが、なによりです」


「お前たち2人がいなければ、どうなっていたか分からなかった」


 真子は、紅茶を一口飲んでから、ぽつりと呟く。


「でも、これでハッキリしたっすね」


「ええ。澪お嬢様は、狙われている」


「これからは、本当に一瞬も気を抜けませんね」


 倉子は腕を組みながら頷いた。


 警備の任務は、これからさらに苛烈になる。  だが、それでも彼女たちは立ち向かう。


 守るべき“日常”のために、制服姿で戦うSPたちは、再び新たな決意を胸に、翌日の警備プランへと目を向けていた。


【エピローグ:偶然という名の必然】


 都心から少し外れた住宅街の幹線道路。  そこでは、老朽化した水道管の交換工事が行われており、通行車両は片側交互通行に制限されていた。


 その最前線で、赤い誘導棒を掲げながら通行車両を制止していたのは、警備員の制服を着たひとりの女性だった。


「はい、そこのお車、一時停止お願いしまーす。ただいま、対向車優先ですので、しばらくお待ちくださいね~」


 やわらかい声で笑顔を浮かべるその警備員は、長い髪を後ろでまとめた、やけに落ち着いた雰囲気の女性――井上喜美子。


「おいおい、急いでるんだよ、早く通せ!」


 先頭の黒い乗用車の窓が開き、イラついた中年男が声を荒げた。


「ん~……でも~、今はまだ対向車の番なんです~。危ないから、お待ちくださいね~」


 そう言った瞬間、彼女はふと手を止め、ポケットからスマホを取り出して画面を確認した。


「……あらあら、これは大変」


 慌てた様子でインカムのボタンを押す。


「時子ちゃん、ちょっとしばらく、そっち流しっぱなしでお願い~」


『え?……了解です。トイレですか?井上先輩?』


「違うの違うの~、トイレじゃないけど……藤木くん、そっちの車両側、ちょっと交代してくれる?」


 現場の奥で工事車両の側を警備していた若い男性警備員が小走りにやってくる。


「はい、今行きます。もう少し我慢してください……って、トイレじゃないんですよね?」


「そうなの~、でも大問題があるのよ~」


 藤木が到着するや否や、井上は真っ直ぐ先頭の黒い乗用車へと歩いていき、何の躊躇もなくドアを開けた。


「えっ、なにっ? おい、何して……うわっ!?」


 次の瞬間、運転席の男は力強く引きずり出され、地面に押さえつけられていた。


「ちゃんとドアロックとシートベルトしてれば、こんなに簡単には捕まらなかったのに~」


 男が呻き声をあげながらもがく。


「な、なんのつもりだ……! お前、ただの警備員だろ!」


「残念~、あなたの手配書が今朝、私のメールに届いてたのよ~」


 井上は自分のスマホの画面を男の顔の前に突き出す。そこには、逮捕状が出ている逃走中の犯人の画像がはっきりと写っていた。


 しばらくして、現場には警察のパトカーが急行し、犯人は静かに引き渡された。



 その日の夕方。


 倉子と真子は、学校から帰る途中のコンビニ駐車場で車を停めていた。  そのとき、2人のスマホに同時にメール通知が届いた。


「……犯人1名、先ほど確保……交通誘導中の井上によって……」


「井上先輩……交通誘導……?」


 倉子が信じられないという顔をする。


「欠員が出て、急に呼ばれたらしいっす……」


 真子がメールの文面を読みながら呟いた。


「偶然、欠員が出て、偶然、井上先輩が呼ばれて、偶然、その工事現場に犯人が通りかかって……?」


「井上先輩が強運なのか、犯人が不運なのか……」


 しばし沈黙。


 そして、2人は同時に呟いた。


「……恐ろしい人だ」


 空には、秋の夕焼けが染まりつつあった。  しかしその色は、今日も日常の中で非日常をねじ伏せた、“制服の戦士”たちに、ささやかな安堵を告げていた。



















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