【聖夜の微笑み】
12月24日、クリスマスイブの夜。
澪の自宅――格式ある旧家の屋敷は、今年も柔らかい灯りと慎ましやかな装飾に包まれていた。
この家でのクリスマスパーティーは毎年恒例だが、倉子と真子にとっては2年目の参加である。
「……今年も呼ばれてしまったわね」
倉子は、落ち着いたボルドーカラーのワンピースを着て、深く息をついた。真子も紺色のリボンワンピに袖を通し、ちょっと気恥ずかしそうに笑っている。
「去年は“これは仕事じゃない”って何度も言い聞かせた記憶があるっすけど……今年は、なんかもう、割り切れてきたっす」
澪の親族が静かに談笑する中、邸宅内の洋間で催された小規模なイブの会食。華美な演出は一切ないが、そのぶん家庭的で、どこか懐かしい雰囲気が漂う。
そして、そこに澪がワインレッドのドレスをまとって現れた。
「お二人とも、ようこそいらっしゃいました。今年もお越しいただいて、嬉しいです」
「私たちは“警備”じゃなくて、“友人枠”なんだよね?」
倉子が念押しするように言うと、澪はくすりと笑ってうなずいた。
「ええ。去年と同じく、今日は“プライベート”ですから。どうかごゆっくり」
「……その言葉を信じて、今日は飲みます」
シャンデリアの下には、さりげなく飾られたクリスマスツリー。その根元には澪が自ら用意したプレゼントが積まれていた。
「お二人に……これ、今年の分です」
差し出されたのは、小さな巾着袋。
中には、ホッカイロ、胃薬、ミニボトルのエナジードリンク、そして『今年もありがとうございました』と手書きされたカードが添えられていた。
「……これはもう、なんか……沁みるわ」
「手紙の文字、去年よりも丁寧っす……」
澪は2人の様子を見て、少しだけ照れくさそうに微笑む。
「毎年こうして感謝を伝えられるのは、私にとっても大切な恒例行事なんです」
そんな中、澪の幼い従兄弟――まだ小学生の男の子が、真子のドレスの裾を踏んで転びそうになり、ワッと泣き出す。
「あわわっ!だ、大丈夫っすか!?」
「……子供は、予測不可能……」
真子のフォローに入る倉子。澪はそんな2人を見て、温かく笑う。
その後、全員で「きよしこの夜」を合唱し、ケーキのろうそくを囲む時間。
この1年、いろいろなことがあった。
爆弾処理のシミュレーション訓練、文化祭での舞台出演、SPとしての誇りと羞恥心のはざまで揺れた日々。
だが、今この瞬間だけは、そのすべてを包み込む静かな幸せが、部屋いっぱいに満ちていた。
「来年もまた、こうして集まりたいですね」
「……そのためには、また一年、無事に終えないとね」
「……がんばるっす」
聖夜の静寂は、2年目の“招かれざる警備員”たちにとって、少しだけ嬉しい、特別な夜だった。
【休暇一日目、駅前カフェにて】
12月26日、朝10時。クリスマスの余韻が街中にまだ漂う中、駅前のカフェでぼんやりとホットカフェラテを啜る2人の姿があった。
「ふー……久々の完全オフ……って感じね」
倉子は深々と椅子に体を預け、テーブルに片肘をついてラテを口に運んだ。その動きに疲労がにじんでいる。
「昨日まで澪さんの誕生日パーティーやら、年内最終登校日やら、生徒会の雑務やらで、なんかもう……心のエネルギーが切れてたっす」
向かいの席に座る真子も、髪を後ろでゆるく束ねた私服姿。学生に見えなくもないが、その目元のクマは決して高校生のそれではない。
「まぁ、こうやってのんびり過ごせるのも、ほんの4日間だけだしね……」
倉子がスマホを確認する。
「31日から三が日までは、大日神社での警備。巫女服、今年もあるらしいわよ」
「巫女服……いやーっ、もう嫌っす。なんで毎年、うちらがやらされるんすか!」
「社長の趣味だとしか思えないわよ……」
嘆きながらも、2人はラテを飲み干す。今日だけは、何の予定も入っていない。珍しく、完全に仕事から解放された一日。
「先輩、なんか、予定とかあるんすか?今日は」
「ないわよ。家に帰って、ひたすら寝る。スマホもテレビも見ない。目覚ましもかけない。人としての機能を全停止して、ただひたすら冬眠するの」
「……最高じゃないっすか、それ」
「真子は?」
「アニメの一挙配信を観る予定だったっすけど……たぶん途中で寝落ちしますね」
2人は顔を見合わせて、ふっと笑った。
カフェの店内は、年末らしく、ちょっとしたお正月飾りが始まっていた。世間はすでに“新年モード”に移行しつつあるが、彼女たちには関係ない。
「……本当に、学生だったら、冬休みって自由なんだろうね」
「うちらの場合、“学生に扮してるだけ”だから、休みの概念もないんすよね」
「なんなら、校外学習も警備だしね」
「修学旅行も護衛任務。体育も拷問。文化祭も地獄。青春どこいったって感じっすよ……」
倉子が、思わず苦笑する。
「でも……それでも、この時間だけは、なんか悪くないって思えるのよね」
真子も同意するようにうなずいた。
「倉子先輩が言うと、ちょっとエモいっすね……」
店内のBGMは、まだクリスマスの残り香を引きずるように、ジャズアレンジの「Silent Night」が流れていた。
ラテをお代わりし、スコーンをシェアしながら、2人は久しぶりにただの“年相応の女性”として時間を過ごした。
そこに、着信音が鳴る。
「……社長?」
倉子の顔が強張る。
「いやいやいや、今日からオフのはずっすよ!?」
「……いや、違う。井上先輩から」
「……あの人は……ダメっす。絶対、ろくな話じゃないっす」
しかし、着信には出ず、代わりにメールが届いた。
『お二人へ。完全休養期間中ですが、くれぐれも健康第一で。年越し勤務に向けて英気を養っておいてください。あと、巫女装束のサイズは昨年と同じでよろしいですね?』
「……もう、勘弁してくれ」
コーヒーカップを口に運びながら、2人は同時にため息をついた。
しかしそれでも、この日だけは、平穏で静かな“休日”だった。
【交差する視線】
12月30日、午後。
都内から少し離れた山間の街道を、黒塗りの高級セダンが滑るように走っていた。運転席には、執事然とした中年男性。後部座席には、年末を祖父の家で過ごすために向かっていた澪の姿があった。
「おじいさま、喜んでくださるといいのだけれど……」
澪は小さく呟きながら、膝の上に置いた手提げ袋を見つめていた。その中には、祖父の好物である栗羊羹が綺麗に包まれていた。
そんな折、ふと信号待ちで車が止まった瞬間――澪の目に、歩道を並んで歩く一組の男女の姿が映った。
「……あれ?」
セミロングの黒髪にダウンコート姿の女性と、長身のスーツ姿の男性。ごく自然に会話しながら歩くその様子に、澪の目が大きく見開かれた。
「倉子さん……?」
声には出さなかったが、確かに彼女だった。そして、その隣を歩いているのは、見知らぬ男性。
澪は思考を停止させかけた。
「倉子さんに……男性? 恋人? えっ……いや……でも……」
気づけば、車は発進しており、ふたりの姿は遠ざかっていた。
「倉子さんに恋人……? ありえない……」
澪はその瞬間、自分の胸の内で浮かんだ言葉にハッとした。
「……私、なんて失礼なことを……25歳というお年を考えれば、恋人がいてもおかしくない。というか……いなかったほうが不自然……」
頬に軽く手を当てて、顔を逸らす。
「……でも、やっぱり、信じられない……あの倉子さんが……そんな……でも、ただの友人って可能性もあるし……」
脳内で言い訳を並べながらも、澪の胸の奥では何かモヤモヤとした感情がくすぶっていた。
「……いずれにしても、お二人のプライベート、個人情報に踏み込むのはよくないわ。何も見なかったことにしましょう……」
そう決意したように、澪は一つ深呼吸をして、視線をまっすぐ前に向けた。
しかしその晩。
今度は、祖父宅からの帰り道。別ルートを走る車窓の向こうに、またも見覚えのある人物がいた。
「……真子さん?」
今度は、真子が見知らぬ男性と並んで歩いている。
「……えっ……もしかして……連続で?」
澪の頭は完全に混乱していた。
しかし、やはり澪は何も言わず、スマホのメモ帳を開いてそっと一行だけ書き記す。
『倉子さん・真子さん デートらしき現場 二件。未確認。調査不要。記録のみ。』
まるで、生徒会の報告メモのように、事務的に、しかしほんの少し寂しそうに――。