目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第30話 2年目のクリスマス

【聖夜の微笑み】


 12月24日、クリスマスイブの夜。


 澪の自宅――格式ある旧家の屋敷は、今年も柔らかい灯りと慎ましやかな装飾に包まれていた。


 この家でのクリスマスパーティーは毎年恒例だが、倉子と真子にとっては2年目の参加である。


「……今年も呼ばれてしまったわね」


 倉子は、落ち着いたボルドーカラーのワンピースを着て、深く息をついた。真子も紺色のリボンワンピに袖を通し、ちょっと気恥ずかしそうに笑っている。


「去年は“これは仕事じゃない”って何度も言い聞かせた記憶があるっすけど……今年は、なんかもう、割り切れてきたっす」


 澪の親族が静かに談笑する中、邸宅内の洋間で催された小規模なイブの会食。華美な演出は一切ないが、そのぶん家庭的で、どこか懐かしい雰囲気が漂う。


 そして、そこに澪がワインレッドのドレスをまとって現れた。


「お二人とも、ようこそいらっしゃいました。今年もお越しいただいて、嬉しいです」


「私たちは“警備”じゃなくて、“友人枠”なんだよね?」


 倉子が念押しするように言うと、澪はくすりと笑ってうなずいた。


「ええ。去年と同じく、今日は“プライベート”ですから。どうかごゆっくり」


「……その言葉を信じて、今日は飲みます」


 シャンデリアの下には、さりげなく飾られたクリスマスツリー。その根元には澪が自ら用意したプレゼントが積まれていた。


「お二人に……これ、今年の分です」


 差し出されたのは、小さな巾着袋。


 中には、ホッカイロ、胃薬、ミニボトルのエナジードリンク、そして『今年もありがとうございました』と手書きされたカードが添えられていた。


「……これはもう、なんか……沁みるわ」


「手紙の文字、去年よりも丁寧っす……」


 澪は2人の様子を見て、少しだけ照れくさそうに微笑む。


「毎年こうして感謝を伝えられるのは、私にとっても大切な恒例行事なんです」


 そんな中、澪の幼い従兄弟――まだ小学生の男の子が、真子のドレスの裾を踏んで転びそうになり、ワッと泣き出す。


「あわわっ!だ、大丈夫っすか!?」


「……子供は、予測不可能……」


 真子のフォローに入る倉子。澪はそんな2人を見て、温かく笑う。


 その後、全員で「きよしこの夜」を合唱し、ケーキのろうそくを囲む時間。


 この1年、いろいろなことがあった。


 爆弾処理のシミュレーション訓練、文化祭での舞台出演、SPとしての誇りと羞恥心のはざまで揺れた日々。


 だが、今この瞬間だけは、そのすべてを包み込む静かな幸せが、部屋いっぱいに満ちていた。


「来年もまた、こうして集まりたいですね」


「……そのためには、また一年、無事に終えないとね」


「……がんばるっす」


 聖夜の静寂は、2年目の“招かれざる警備員”たちにとって、少しだけ嬉しい、特別な夜だった。





【休暇一日目、駅前カフェにて】


 12月26日、朝10時。クリスマスの余韻が街中にまだ漂う中、駅前のカフェでぼんやりとホットカフェラテを啜る2人の姿があった。


「ふー……久々の完全オフ……って感じね」


 倉子は深々と椅子に体を預け、テーブルに片肘をついてラテを口に運んだ。その動きに疲労がにじんでいる。


「昨日まで澪さんの誕生日パーティーやら、年内最終登校日やら、生徒会の雑務やらで、なんかもう……心のエネルギーが切れてたっす」


 向かいの席に座る真子も、髪を後ろでゆるく束ねた私服姿。学生に見えなくもないが、その目元のクマは決して高校生のそれではない。


「まぁ、こうやってのんびり過ごせるのも、ほんの4日間だけだしね……」


 倉子がスマホを確認する。


「31日から三が日までは、大日神社での警備。巫女服、今年もあるらしいわよ」


「巫女服……いやーっ、もう嫌っす。なんで毎年、うちらがやらされるんすか!」


「社長の趣味だとしか思えないわよ……」


 嘆きながらも、2人はラテを飲み干す。今日だけは、何の予定も入っていない。珍しく、完全に仕事から解放された一日。


「先輩、なんか、予定とかあるんすか?今日は」


「ないわよ。家に帰って、ひたすら寝る。スマホもテレビも見ない。目覚ましもかけない。人としての機能を全停止して、ただひたすら冬眠するの」


「……最高じゃないっすか、それ」


「真子は?」


「アニメの一挙配信を観る予定だったっすけど……たぶん途中で寝落ちしますね」


 2人は顔を見合わせて、ふっと笑った。


 カフェの店内は、年末らしく、ちょっとしたお正月飾りが始まっていた。世間はすでに“新年モード”に移行しつつあるが、彼女たちには関係ない。


「……本当に、学生だったら、冬休みって自由なんだろうね」


「うちらの場合、“学生に扮してるだけ”だから、休みの概念もないんすよね」


「なんなら、校外学習も警備だしね」


「修学旅行も護衛任務。体育も拷問。文化祭も地獄。青春どこいったって感じっすよ……」


 倉子が、思わず苦笑する。


「でも……それでも、この時間だけは、なんか悪くないって思えるのよね」


 真子も同意するようにうなずいた。


「倉子先輩が言うと、ちょっとエモいっすね……」


 店内のBGMは、まだクリスマスの残り香を引きずるように、ジャズアレンジの「Silent Night」が流れていた。


 ラテをお代わりし、スコーンをシェアしながら、2人は久しぶりにただの“年相応の女性”として時間を過ごした。


 そこに、着信音が鳴る。


「……社長?」


 倉子の顔が強張る。


「いやいやいや、今日からオフのはずっすよ!?」


「……いや、違う。井上先輩から」


「……あの人は……ダメっす。絶対、ろくな話じゃないっす」


 しかし、着信には出ず、代わりにメールが届いた。


『お二人へ。完全休養期間中ですが、くれぐれも健康第一で。年越し勤務に向けて英気を養っておいてください。あと、巫女装束のサイズは昨年と同じでよろしいですね?』


「……もう、勘弁してくれ」


 コーヒーカップを口に運びながら、2人は同時にため息をついた。


 しかしそれでも、この日だけは、平穏で静かな“休日”だった。




【交差する視線】


 12月30日、午後。


 都内から少し離れた山間の街道を、黒塗りの高級セダンが滑るように走っていた。運転席には、執事然とした中年男性。後部座席には、年末を祖父の家で過ごすために向かっていた澪の姿があった。


「おじいさま、喜んでくださるといいのだけれど……」


 澪は小さく呟きながら、膝の上に置いた手提げ袋を見つめていた。その中には、祖父の好物である栗羊羹が綺麗に包まれていた。


 そんな折、ふと信号待ちで車が止まった瞬間――澪の目に、歩道を並んで歩く一組の男女の姿が映った。


「……あれ?」


 セミロングの黒髪にダウンコート姿の女性と、長身のスーツ姿の男性。ごく自然に会話しながら歩くその様子に、澪の目が大きく見開かれた。


「倉子さん……?」


 声には出さなかったが、確かに彼女だった。そして、その隣を歩いているのは、見知らぬ男性。


 澪は思考を停止させかけた。


「倉子さんに……男性? 恋人? えっ……いや……でも……」


 気づけば、車は発進しており、ふたりの姿は遠ざかっていた。


「倉子さんに恋人……? ありえない……」


 澪はその瞬間、自分の胸の内で浮かんだ言葉にハッとした。


「……私、なんて失礼なことを……25歳というお年を考えれば、恋人がいてもおかしくない。というか……いなかったほうが不自然……」


 頬に軽く手を当てて、顔を逸らす。


「……でも、やっぱり、信じられない……あの倉子さんが……そんな……でも、ただの友人って可能性もあるし……」


 脳内で言い訳を並べながらも、澪の胸の奥では何かモヤモヤとした感情がくすぶっていた。


「……いずれにしても、お二人のプライベート、個人情報に踏み込むのはよくないわ。何も見なかったことにしましょう……」


 そう決意したように、澪は一つ深呼吸をして、視線をまっすぐ前に向けた。


 しかしその晩。


 今度は、祖父宅からの帰り道。別ルートを走る車窓の向こうに、またも見覚えのある人物がいた。


「……真子さん?」


 今度は、真子が見知らぬ男性と並んで歩いている。


「……えっ……もしかして……連続で?」


 澪の頭は完全に混乱していた。


 しかし、やはり澪は何も言わず、スマホのメモ帳を開いてそっと一行だけ書き記す。


『倉子さん・真子さん デートらしき現場 二件。未確認。調査不要。記録のみ。』


 まるで、生徒会の報告メモのように、事務的に、しかしほんの少し寂しそうに――。






この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?