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第39話 真子と弓子

:今日だけは、ただの高校生だったはずなのに


「ふふふ……これで今月の補給は完璧っす……!」


真田真子は、自分でも分かるほどテンションが上がっていた。秋葉原のようなオタクの聖地――いや、正確にはその縮小版のような都内のアニメグッズ通りを巡り、手に入れた戦利品をリュックに詰めてほくほく顔。


ガチャガチャの限定缶バッジ、予約していたBlu-rayの特典フィギュア、そして新刊ラノベ。リュックはすでにパンパンだが、満足感のほうが勝っている。


「よし、帰ってから開封の儀っす!」


軽やかな足取りで、駅に向かって交差点の信号待ちをしていたときだった。


「……えっ、真田さん?」


聞き覚えのある声に振り返ると、そこには制服ではなく私服姿の大橋弓子――クラスの委員長が立っていた。


「おぉ、委員長っすか!奇遇っすね!」


真子は笑顔で手を振る。弓子は驚いた表情を浮かべたまま、視線をリュックに落とす。


「えっ、すごい量……それ、全部……?」


「はいっす!アニメグッズの補給日なんすよ。土曜はオフって決めてるんで!」


「意外……いや、ある意味、想像通りかも……」


そんな他愛のない立ち話が始まって間もなく。


「――ッ!?」


バンッ!!


凄まじい衝突音が街に響き、二人の会話が凍りついた。


交差点の中央で、軽自動車とバイクが激しくぶつかり合っていた。


「……っ、事故っす!」


弓子は足をすくませ、動けずにいた。真子は一瞬で状況を把握すると、冷静な声で言った。


「委員長、ここにいてっす。警察と救急車、お願いできるっすか?」


「え、ええっ、わ、わかった!」


真子はそのまま走り出した。グッズが詰まったリュックが揺れるが、今はそれどころではない。


現場には倒れたバイクの男性、助手席エアバッグが作動した軽自動車。ガラス片が散らばり、通行人の悲鳴が飛び交う中、真子は無言で動いた。


「すみません、意識ありますか?」


車のドアを開け、運転手の女性の意識を確認。返事がある。出血も軽度だが、足を打って動けない。


「今、安全なところに運ぶっす。無理はしないで」


続いてバイクの男性。足を押さえ苦しんでいる。


「骨折してる可能性あるっすね。すぐ救急隊が来るっす」


その時、ようやく救急車のサイレンが近づいてきた。


「ここっす!負傷者2名、意識あり。1人は下肢に損傷、もう1人は軽度の打撲っす!」


救急隊員に要点だけを伝え、状況説明と応急処置の引き継ぎを行う。


そこに警察も到着。


「事故の瞬間、見ましたか?」


「はいっす。自分、歩行者信号待ちで、向こうの右折車と直進バイクがぶつかったのを確認したっす」


「助かります、あとで証言お願いします」


一時的に交通整理までこなしながら、真子は最後まで冷静に動き続けた。


ようやくすべての対応が済んだ頃、真子はようやく深いため息をついた。


「……オフ、とは……?」


そんな独り言をこぼしつつ、交差点の向こうで心配そうに待っていた弓子の元へ戻っていった。


:ヒーローは、信号待ちから


秋晴れの空に蝉の声がまだ少し残る、九月上旬の土曜日。信号が青に変わるのを待つ真田真子と大橋弓子の前方で、唐突な破裂音が響いた。


「っ!?」


キィィィィィッ――。


鋭いブレーキ音とともに、軽自動車が交差点内で横滑りし、対向から来たバイクに衝突。そのまま二台とも交差点の中央付近に停止した。


「うそ……今、事故……?」


弓子の顔から血の気が引いていく。


「委員長、ここにいるっす。警察と救急車だけ、お願いできるっすか?」


弓子が呆然とする中、真子の声がはっきり届いた。その目は、まるで授業中のふざけたものではなく、研ぎ澄まされた鋭さを帯びていた。


「は、はい!わかりました!」


弓子が慌ててスマホを取り出し通報を始めたのを確認すると、真子はリュックを地面に放り出し、すぐさま事故現場へ駆け込んだ。


――まずは軽自動車。


助手席側から回り込んでドアを開けると、中には30代くらいの女性がいた。シートベルトで拘束されてはいるが、顔をしかめていた。


「大丈夫っすか?どこか痛むところあるっすか?」


「え、えっと……多分、大丈夫……」


「興奮してて気付いてないだけの可能性もあるっす。ゆっくりでいいので、降りられそうなら安全なとこまでお願いするっす」


女性がうなずき、真子の肩を借りて歩道へ移動。


――次はバイク。


こちらは若い男性。倒れたバイクの下敷きになっていたが、既に自力で上体を起こしていた。


「大丈夫っすか?痛いとこ、動かしちゃダメっすよ」


「足が……折れてるかも……」


真子は慎重に確認しながら、彼を抱えるようにして歩道に移動させた。見ると、右足が変な方向に曲がっている。


「しばらく動かないで。すぐに救急車来るっす」


その頃には周囲に人だかりができ始めていた。


「誰か、バイクが二次災害にならないように押さえててほしいっす!エンジンは切れてるけど、油断しないように!」


誰かがうなずき、バイクを安定した場所へ押していった。


やがて、救急車のサイレンが聞こえ、続いてパトカーの音も近づいてくる。


救急隊員が到着すると、真子はすぐに状況説明に入った。


「こちらの女性、意識明瞭、外傷なし。でも一応、検査お願いするっす。こっちは男性、バイクの運転手。右足の骨折の可能性あり。意識ははっきりしてるっす」


救急隊がそれぞれを引き継ぎ、担架を用意し始める。


「本当にありがとう。あなた、どこの……?」


救急隊員の一人が訊ねるが、真子は首を振って名乗らなかった。


「私は、たまたま通りがかっただけの一般人っす」


続いて警察が現場に入る。


「通報者はどなたですか?」


弓子が挙手する。


「それと、現場で応急処置に当たった方は?」


真子が軽く手を挙げ、事情聴取に協力する。周囲の交通整理は警察が引き継ぎ、現場は次第に落ち着きを取り戻していった。


やがて調書も終わり、ようやく、真子は弓子のもとに戻ってきた。


「委員長、連絡ありがとっす。助かったっす」


「いえ、私なんて……あの、何もできなくて……」


「いやいや、パニックにならずに冷静に通報してくれたのは、かなりデカいっす」


弓子は、真子の姿を見つめながら小さく微笑んだ。


「……また、話してみたいなって思いました」


「え?」


「真田さんって、普段はふざけてるけど、今日見たあなたは……すごく格好よかったです」


「へっ!? そ、そんな照れるっす!」


「でも、本当に。今日はありがとうございました」


その一言に、真子は少し照れながらも頭をかいた。


「ま、まぁ……今日一日、潰れちゃったっすね」


「いえ、私にとっては、有意義な時間でした」


「……へっ? 変なとこに感心するっすね」


二人は少し笑いあいながら、事故処理の余韻とともに、日常へとゆっくり戻っていった。




:プロの顔と、高校生の顔


歩道の安全地帯に負傷者を運んだ真子は、急ぎ足でバイクの方に向かった。


バイクは転倒しており、運転者はうずくまっている。ヘルメットは外れており、腕を抱えている様子から、骨折の可能性がある。


「お兄さん、大丈夫っすか!? 意識あるっすね? しっかりしてほしいっす」


顔を覗き込んだ真子の呼びかけに、うめくように返事があった。


「いてぇ……腕が……」


「了解っす、動かすのは危険だから、そのままに。救急がすぐ来るっす。まず、止血だけするっす」


そう言いながら、真子はリュックから小型のファーストエイドキットを取り出す。


「アニメグッズの間に、こんなもんも入れてるっすよ」


冗談を混ぜながらも、動きは的確で冷静。怪我人の状態を見て、応急処置を施す。


やがて、遠くから救急車のサイレンが聞こえてきた。


「よし、来たっす」


真子は歩道に戻って、サイレンに手を振って救急隊を誘導する。


「こっちっす! 車の運転手が軽傷、バイクの方は右腕骨折の疑いありっす!」


到着した救急隊員に、真子は簡潔に状況を伝える。手際よく救急隊が対応し始めると、真子は少し息を吐いた。


そのまま、制服姿の警察官も現場に到着する。


「こちらの方が、通報者ですね?」


真子は軽く会釈して、事情聴取に応じる。


「はい、目撃者です。私はここの交差点で信号待ちしてたっす。事故は車とバイクの接触、車が赤信号を無視して進入したように見えたっす」


警察は真子の名前や連絡先、当時の位置などを丁寧に確認する。


その間、周囲の野次馬はスマホを掲げて動画を撮っている様子も見えたが、真子は一瞥もせずに対応を続ける。


事情聴取が終わった頃には、すでに現場には立ち入り規制のテープが貼られ、交通は警官により誘導されていた。


真子は、ようやく弓子のもとへ戻る。


「委員長、待たせてしまったっす」


弓子は、真子の姿を見るなり、ほっとしたように息を吐いた。


「……すごいね、真田さん。本当に冷静だった」


「いやー、ちょっと訓練受けてるだけっすよ。委員長が連絡してくれて助かったっす」


弓子は少し俯きながら言う。


「私、何もできなかった……すぐ動けなかったし、声も出なかったし」


「最初は誰でもそうっす。でも委員長は、頼んだ通りにすぐ通報してくれた。大きな助けだったっす」


その言葉に、弓子は少しだけ笑顔を見せた。


「また……話してみたいなって、思いました。今日、偶然だったけど」


真子はポリポリと頭をかきながら苦笑する。


「結局、1日つぶれちゃったっすね」


「いえ、私にとっては、すごく有意義な時間でした」


「……へっ? 変なとこに感心するっすね」


二人は、再び交差点の信号を渡る。


一瞬の出来事が、少しだけ二人の距離を近づけていた。


その日は、ただの休みの日になるはずだった。


けれど、真子にとっても弓子にとっても、忘れられない土曜日になったのだった。




: ほんとのオフはいつ来るの


 救急車が去った交差点に、ようやく静けさが戻った。  パトカーがもう一台来て、交通規制を本格的に始めたこともあり、現場に残るのは警官と事故処理のスタッフだけ。


 真子はふぅっと小さく息を吐いて、やっと弓子のもとに戻ってきた。


「お待たせっす、委員長。警察への説明、思ったより時間かかったっすね」


「ううん、全然。私、何もしてないし……それに、真田さんの姿、かっこよかった」


 弓子は心からの拍手を送るように微笑んだ。  けれど、その目は少し潤んでいるようにも見える。


「いやいや、誰かがやらないと、ってだけっすよ。委員長が冷静に通報してくれたから助かったっす」


「でも……あの場で私は、足がすくんで何もできなかったから……」


「そりゃ、普通っすよ。むしろ、すぐ通報に切り替えたの、すごいっす。完璧っす」


 真子はそう言って、弓子の肩をぽんと叩いた。


 午後の陽射しはもう傾き、空気が少しだけ冷たくなってきていた。  事故のあった交差点の周囲には、いつのまにか人もまばらになっている。


「じゃ、そろそろ帰るっすか? 委員長、電車?」


「うん、駅はあっち……真田さんは?」


「うちはこのまま商店街通って、バスっす。あ、途中まで一緒に歩くっすか?」


「うん」


 並んで歩き出した二人。  会話が途切れがちだったのは、どちらも今日の出来事を反芻していたからだ。


 しばらくして、弓子がぽつりと呟いた。


「……ねぇ、真田さん」


「ん?」


「もしよかったら、また話してみたいなって思ってるんだけど、迷惑じゃない?」


 一瞬、真子の足が止まった。  けれど、すぐににっこりと笑って返す。


「もちろんっすよ。友達になるのに、許可は要らないっす」


「そ、そうなんだ……ふふっ、ありがとう」


 弓子の頬が少し赤く染まる。


 ふと、信号待ちで立ち止まったとき、弓子が小さく呟いた。


「……私、一つだけ不安なんです」


「何っすか?」


「来年卒業したら……もう、こうやって話すこともなくなっちゃうのかなって」


 真子はちょっと考えてから、にかっと笑った。


「学生は卒業して終わるかもしれないっすけど、友達には卒業ないっす。永遠に友達っすよ」


「……うん。ありがとう」


***


 その夜、真子は自宅のベッドに寝転びながら、スマホで倉子に電話をかけた。


「やっほー、先輩。今日も1日、災難だったっす」


『聞いたわよ。事故に遭遇したんだって?』


「うん、事故ってもらったっす。おかげでオフがパァっすよ」


『そりゃ災難だったわね』


「全くっす。事故は本人も周りも迷惑だから、気をつけてほしいっすよ」


『だな! ……で、先輩は今日はどんなオフだったんすか?』


『私? ……私も1日潰れたわ』


「何かあったっすか?」


『寝て終わった。今日1日、寝て潰した』


「それ、いつものことじゃないすか(笑)」


『うるさい』


「明日はお互い、有意義に過ごせるといいっすね」


『そうね。……でも、真子』


「なんすか?」


『今日、いいことあったんじゃない?』


「……うん、そうかもしれないっす」


 真子は窓の外を見上げた。  星がぽつぽつ瞬いていた。


「親友が一人、増えたかもっす」


『ふふっ、よかったじゃない』


 明日は、きっと晴れる。  ほんとのオフはまだ先かもしれないけど、今日のこの一日が、悪くなかったと思えたなら、それでいい。


「おやすみっす、先輩」


『おやすみ』




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