:今日だけは、ただの高校生だったはずなのに
「ふふふ……これで今月の補給は完璧っす……!」
真田真子は、自分でも分かるほどテンションが上がっていた。秋葉原のようなオタクの聖地――いや、正確にはその縮小版のような都内のアニメグッズ通りを巡り、手に入れた戦利品をリュックに詰めてほくほく顔。
ガチャガチャの限定缶バッジ、予約していたBlu-rayの特典フィギュア、そして新刊ラノベ。リュックはすでにパンパンだが、満足感のほうが勝っている。
「よし、帰ってから開封の儀っす!」
軽やかな足取りで、駅に向かって交差点の信号待ちをしていたときだった。
「……えっ、真田さん?」
聞き覚えのある声に振り返ると、そこには制服ではなく私服姿の大橋弓子――クラスの委員長が立っていた。
「おぉ、委員長っすか!奇遇っすね!」
真子は笑顔で手を振る。弓子は驚いた表情を浮かべたまま、視線をリュックに落とす。
「えっ、すごい量……それ、全部……?」
「はいっす!アニメグッズの補給日なんすよ。土曜はオフって決めてるんで!」
「意外……いや、ある意味、想像通りかも……」
そんな他愛のない立ち話が始まって間もなく。
「――ッ!?」
バンッ!!
凄まじい衝突音が街に響き、二人の会話が凍りついた。
交差点の中央で、軽自動車とバイクが激しくぶつかり合っていた。
「……っ、事故っす!」
弓子は足をすくませ、動けずにいた。真子は一瞬で状況を把握すると、冷静な声で言った。
「委員長、ここにいてっす。警察と救急車、お願いできるっすか?」
「え、ええっ、わ、わかった!」
真子はそのまま走り出した。グッズが詰まったリュックが揺れるが、今はそれどころではない。
現場には倒れたバイクの男性、助手席エアバッグが作動した軽自動車。ガラス片が散らばり、通行人の悲鳴が飛び交う中、真子は無言で動いた。
「すみません、意識ありますか?」
車のドアを開け、運転手の女性の意識を確認。返事がある。出血も軽度だが、足を打って動けない。
「今、安全なところに運ぶっす。無理はしないで」
続いてバイクの男性。足を押さえ苦しんでいる。
「骨折してる可能性あるっすね。すぐ救急隊が来るっす」
その時、ようやく救急車のサイレンが近づいてきた。
「ここっす!負傷者2名、意識あり。1人は下肢に損傷、もう1人は軽度の打撲っす!」
救急隊員に要点だけを伝え、状況説明と応急処置の引き継ぎを行う。
そこに警察も到着。
「事故の瞬間、見ましたか?」
「はいっす。自分、歩行者信号待ちで、向こうの右折車と直進バイクがぶつかったのを確認したっす」
「助かります、あとで証言お願いします」
一時的に交通整理までこなしながら、真子は最後まで冷静に動き続けた。
ようやくすべての対応が済んだ頃、真子はようやく深いため息をついた。
「……オフ、とは……?」
そんな独り言をこぼしつつ、交差点の向こうで心配そうに待っていた弓子の元へ戻っていった。
:ヒーローは、信号待ちから
秋晴れの空に蝉の声がまだ少し残る、九月上旬の土曜日。信号が青に変わるのを待つ真田真子と大橋弓子の前方で、唐突な破裂音が響いた。
「っ!?」
キィィィィィッ――。
鋭いブレーキ音とともに、軽自動車が交差点内で横滑りし、対向から来たバイクに衝突。そのまま二台とも交差点の中央付近に停止した。
「うそ……今、事故……?」
弓子の顔から血の気が引いていく。
「委員長、ここにいるっす。警察と救急車だけ、お願いできるっすか?」
弓子が呆然とする中、真子の声がはっきり届いた。その目は、まるで授業中のふざけたものではなく、研ぎ澄まされた鋭さを帯びていた。
「は、はい!わかりました!」
弓子が慌ててスマホを取り出し通報を始めたのを確認すると、真子はリュックを地面に放り出し、すぐさま事故現場へ駆け込んだ。
――まずは軽自動車。
助手席側から回り込んでドアを開けると、中には30代くらいの女性がいた。シートベルトで拘束されてはいるが、顔をしかめていた。
「大丈夫っすか?どこか痛むところあるっすか?」
「え、えっと……多分、大丈夫……」
「興奮してて気付いてないだけの可能性もあるっす。ゆっくりでいいので、降りられそうなら安全なとこまでお願いするっす」
女性がうなずき、真子の肩を借りて歩道へ移動。
――次はバイク。
こちらは若い男性。倒れたバイクの下敷きになっていたが、既に自力で上体を起こしていた。
「大丈夫っすか?痛いとこ、動かしちゃダメっすよ」
「足が……折れてるかも……」
真子は慎重に確認しながら、彼を抱えるようにして歩道に移動させた。見ると、右足が変な方向に曲がっている。
「しばらく動かないで。すぐに救急車来るっす」
その頃には周囲に人だかりができ始めていた。
「誰か、バイクが二次災害にならないように押さえててほしいっす!エンジンは切れてるけど、油断しないように!」
誰かがうなずき、バイクを安定した場所へ押していった。
やがて、救急車のサイレンが聞こえ、続いてパトカーの音も近づいてくる。
救急隊員が到着すると、真子はすぐに状況説明に入った。
「こちらの女性、意識明瞭、外傷なし。でも一応、検査お願いするっす。こっちは男性、バイクの運転手。右足の骨折の可能性あり。意識ははっきりしてるっす」
救急隊がそれぞれを引き継ぎ、担架を用意し始める。
「本当にありがとう。あなた、どこの……?」
救急隊員の一人が訊ねるが、真子は首を振って名乗らなかった。
「私は、たまたま通りがかっただけの一般人っす」
続いて警察が現場に入る。
「通報者はどなたですか?」
弓子が挙手する。
「それと、現場で応急処置に当たった方は?」
真子が軽く手を挙げ、事情聴取に協力する。周囲の交通整理は警察が引き継ぎ、現場は次第に落ち着きを取り戻していった。
やがて調書も終わり、ようやく、真子は弓子のもとに戻ってきた。
「委員長、連絡ありがとっす。助かったっす」
「いえ、私なんて……あの、何もできなくて……」
「いやいや、パニックにならずに冷静に通報してくれたのは、かなりデカいっす」
弓子は、真子の姿を見つめながら小さく微笑んだ。
「……また、話してみたいなって思いました」
「え?」
「真田さんって、普段はふざけてるけど、今日見たあなたは……すごく格好よかったです」
「へっ!? そ、そんな照れるっす!」
「でも、本当に。今日はありがとうございました」
その一言に、真子は少し照れながらも頭をかいた。
「ま、まぁ……今日一日、潰れちゃったっすね」
「いえ、私にとっては、有意義な時間でした」
「……へっ? 変なとこに感心するっすね」
二人は少し笑いあいながら、事故処理の余韻とともに、日常へとゆっくり戻っていった。
:プロの顔と、高校生の顔
歩道の安全地帯に負傷者を運んだ真子は、急ぎ足でバイクの方に向かった。
バイクは転倒しており、運転者はうずくまっている。ヘルメットは外れており、腕を抱えている様子から、骨折の可能性がある。
「お兄さん、大丈夫っすか!? 意識あるっすね? しっかりしてほしいっす」
顔を覗き込んだ真子の呼びかけに、うめくように返事があった。
「いてぇ……腕が……」
「了解っす、動かすのは危険だから、そのままに。救急がすぐ来るっす。まず、止血だけするっす」
そう言いながら、真子はリュックから小型のファーストエイドキットを取り出す。
「アニメグッズの間に、こんなもんも入れてるっすよ」
冗談を混ぜながらも、動きは的確で冷静。怪我人の状態を見て、応急処置を施す。
やがて、遠くから救急車のサイレンが聞こえてきた。
「よし、来たっす」
真子は歩道に戻って、サイレンに手を振って救急隊を誘導する。
「こっちっす! 車の運転手が軽傷、バイクの方は右腕骨折の疑いありっす!」
到着した救急隊員に、真子は簡潔に状況を伝える。手際よく救急隊が対応し始めると、真子は少し息を吐いた。
そのまま、制服姿の警察官も現場に到着する。
「こちらの方が、通報者ですね?」
真子は軽く会釈して、事情聴取に応じる。
「はい、目撃者です。私はここの交差点で信号待ちしてたっす。事故は車とバイクの接触、車が赤信号を無視して進入したように見えたっす」
警察は真子の名前や連絡先、当時の位置などを丁寧に確認する。
その間、周囲の野次馬はスマホを掲げて動画を撮っている様子も見えたが、真子は一瞥もせずに対応を続ける。
事情聴取が終わった頃には、すでに現場には立ち入り規制のテープが貼られ、交通は警官により誘導されていた。
真子は、ようやく弓子のもとへ戻る。
「委員長、待たせてしまったっす」
弓子は、真子の姿を見るなり、ほっとしたように息を吐いた。
「……すごいね、真田さん。本当に冷静だった」
「いやー、ちょっと訓練受けてるだけっすよ。委員長が連絡してくれて助かったっす」
弓子は少し俯きながら言う。
「私、何もできなかった……すぐ動けなかったし、声も出なかったし」
「最初は誰でもそうっす。でも委員長は、頼んだ通りにすぐ通報してくれた。大きな助けだったっす」
その言葉に、弓子は少しだけ笑顔を見せた。
「また……話してみたいなって、思いました。今日、偶然だったけど」
真子はポリポリと頭をかきながら苦笑する。
「結局、1日つぶれちゃったっすね」
「いえ、私にとっては、すごく有意義な時間でした」
「……へっ? 変なとこに感心するっすね」
二人は、再び交差点の信号を渡る。
一瞬の出来事が、少しだけ二人の距離を近づけていた。
その日は、ただの休みの日になるはずだった。
けれど、真子にとっても弓子にとっても、忘れられない土曜日になったのだった。
: ほんとのオフはいつ来るの
救急車が去った交差点に、ようやく静けさが戻った。 パトカーがもう一台来て、交通規制を本格的に始めたこともあり、現場に残るのは警官と事故処理のスタッフだけ。
真子はふぅっと小さく息を吐いて、やっと弓子のもとに戻ってきた。
「お待たせっす、委員長。警察への説明、思ったより時間かかったっすね」
「ううん、全然。私、何もしてないし……それに、真田さんの姿、かっこよかった」
弓子は心からの拍手を送るように微笑んだ。 けれど、その目は少し潤んでいるようにも見える。
「いやいや、誰かがやらないと、ってだけっすよ。委員長が冷静に通報してくれたから助かったっす」
「でも……あの場で私は、足がすくんで何もできなかったから……」
「そりゃ、普通っすよ。むしろ、すぐ通報に切り替えたの、すごいっす。完璧っす」
真子はそう言って、弓子の肩をぽんと叩いた。
午後の陽射しはもう傾き、空気が少しだけ冷たくなってきていた。 事故のあった交差点の周囲には、いつのまにか人もまばらになっている。
「じゃ、そろそろ帰るっすか? 委員長、電車?」
「うん、駅はあっち……真田さんは?」
「うちはこのまま商店街通って、バスっす。あ、途中まで一緒に歩くっすか?」
「うん」
並んで歩き出した二人。 会話が途切れがちだったのは、どちらも今日の出来事を反芻していたからだ。
しばらくして、弓子がぽつりと呟いた。
「……ねぇ、真田さん」
「ん?」
「もしよかったら、また話してみたいなって思ってるんだけど、迷惑じゃない?」
一瞬、真子の足が止まった。 けれど、すぐににっこりと笑って返す。
「もちろんっすよ。友達になるのに、許可は要らないっす」
「そ、そうなんだ……ふふっ、ありがとう」
弓子の頬が少し赤く染まる。
ふと、信号待ちで立ち止まったとき、弓子が小さく呟いた。
「……私、一つだけ不安なんです」
「何っすか?」
「来年卒業したら……もう、こうやって話すこともなくなっちゃうのかなって」
真子はちょっと考えてから、にかっと笑った。
「学生は卒業して終わるかもしれないっすけど、友達には卒業ないっす。永遠に友達っすよ」
「……うん。ありがとう」
***
その夜、真子は自宅のベッドに寝転びながら、スマホで倉子に電話をかけた。
「やっほー、先輩。今日も1日、災難だったっす」
『聞いたわよ。事故に遭遇したんだって?』
「うん、事故ってもらったっす。おかげでオフがパァっすよ」
『そりゃ災難だったわね』
「全くっす。事故は本人も周りも迷惑だから、気をつけてほしいっすよ」
『だな! ……で、先輩は今日はどんなオフだったんすか?』
『私? ……私も1日潰れたわ』
「何かあったっすか?」
『寝て終わった。今日1日、寝て潰した』
「それ、いつものことじゃないすか(笑)」
『うるさい』
「明日はお互い、有意義に過ごせるといいっすね」
『そうね。……でも、真子』
「なんすか?」
『今日、いいことあったんじゃない?』
「……うん、そうかもしれないっす」
真子は窓の外を見上げた。 星がぽつぽつ瞬いていた。
「親友が一人、増えたかもっす」
『ふふっ、よかったじゃない』
明日は、きっと晴れる。 ほんとのオフはまだ先かもしれないけど、今日のこの一日が、悪くなかったと思えたなら、それでいい。
「おやすみっす、先輩」
『おやすみ』