「いやはや、クレマン様は何も知らないと見えますな。」
一緒に乗っていたバーノンがそう言う。思わずクスクス笑ってしまう。
「本当にね、何も知らないのでしょう。今までずっとそうやって生きて来た人なのですから。」
私がそう言うとジェーンも笑って言う。
「ジャスミン様が1級魔法師だという事も、最初にお伝えした筈なんですけどね。」
そう、私は1級魔法師だ。この国では魔法師の数は年々、減っていると聞く。
「まぁそのお陰であの屋敷を出る事が出来たのですから。」
バーノンがそう言う。
「そうね、その通りだわ。」
今までは契約に則り、あの屋敷を出る事が叶わなかった。
━━言葉による制約━━
これを破棄する為には制約を結んだ相手からの契約を破棄するという「言葉」が出ないといけない。今回はクレマン自身が撤回はしないと言った上でその発言をした。私はその言葉を自身の魔法により記録として残し、保存した。それによって今後はクレマンが何をどう言おうと破棄を撤回する事は叶わない。
「侯爵家まではまだまだ時間がかかります、馬車での移動は不便ですが、堪忍してくだせぇ。」
ミッチが大きな声でそう言う。
◇◇◇
ミッチの言う通り、侯爵家まではかなり長い道のりだった。途中、食事の休憩を入れながら、丸一日、馬車を走らせた。ミッチは昨日のうちからこんな距離を誰も乗っていない馬車を走らせて来たのだろう。昨日から侯爵家で奉公していると言っていたから、奉公を始めた初日に私を迎えに行くようにと、そう命じられた事になる。誰か魔法師でも居るのかしら? と馬車の窓から外を眺めながら考える。
━━魔法師━━
それは不思議な力を使える者。魔法はそれぞれその人の特性によって変わる。治癒魔法が使える者、物を動かす事が出来る者、水属性魔法や火属性魔法、風属性や氷属性など様々だ。そんな多種多様な魔法がある中で、それぞれ5級から1級までクラス分けがされている。私が持っている1級魔法師という階級にもなれば、使える魔法が多種である事が第一条件になって来る。私も保護魔法や治癒魔法、言葉による制約魔法なんかが使えたりする。保護魔法は魔法師の中でも希少だと、母から聞いた覚えがある。
◇◇◇
「さぁ、到着しますよ!」
ミッチがそう言う。見えて来た大きな御屋敷。まるでお城のような御屋敷だ。門扉をくぐって、馬車が進む。手入れの行き届いた庭園、今まで居たマイヤー邸とは天と地ほどの差がある。馬車が止まる。大きな玄関前だ。バーノンが先に降り、私に手を差し出してくれる。その手に自身の手を乗せて、馬車を下りる。その時、バタン! と大きな音がして玄関扉が開く。姿を現したのは背の高い筋骨隆々な方。その方は真っ直ぐ私の所まで来ると、手を差し出し、言う。
「お待ち申し上げておりました。私はこの屋敷の主、レイノルド・バーンスタインです。」
私はその手に自身の手を乗せる。
「ジャスミン・リシャールと申します。」
私がそう言うと、バーンスタイン侯爵様は私の手の甲に軽く口付ける。そして軽くウィンクをして、失礼と言って歩き出すと今まで馬車を引いていた馬たちに駆け寄る。
「お前たち、頑張ったな。ゆっくり休んでくれ。」
そう言って馬たちの鼻を撫でている。
「ミッチ、君も疲れただろう?馬たちを厩舎に入れたら、君も休んでくれ。」
ミッチは嬉しそうにバーンスタイン侯爵様に微笑むと言う。
「ありがとうございます。そうさせて貰います。」
その様子を見ていて、あぁ、この人はちゃんと感謝を人に伝えられる人なのだなと思う。バーンスタイン侯爵様が私たち一行を見て言う。
「さぁ、中へ。それぞれ部屋の用意は済んでいます。」
そして侯爵様は屋敷の中に入って大きな声で言う。
「マーサ!! マーサ!!」
大きなお声が響く。玄関から中に入ると、奥からパタパタと掛けて来る音。その足音をさせていた人物が現れる。大きな体の恰幅の良い女性。侍女服を着ているけれど、エプロンが付いていない。という事は…そう考えていると、その女性が来て、私たちに深々と挨拶する。
「はじめまして、私はここバーンスタイン邸の侍女長のマーサと申します。」
やはりこの人が侍女長なのかと思う。
「ジャスミン・リシャールです。こちらはマイヤー邸で執事をしていたバーノン、そしてこちらは私付きの侍女ジェーン、そしてこちらがマイヤー邸の料理人だったオットーです。」
そう言うとマーサが顔を上げて、紹介した人物たちを見ていく。
「今日はもう遅い、話は明日にしましょう。」
侯爵様がそう仰る。
「そうですね、そうして貰えると助かります。」
私がそう言うと、侯爵様がまた私に手を差し出す。
「ジャスミン様はこちらへ。」
その手に自身の手を乗せる。
「では、ジェーンとオットーはこちらへ。」
マーサがニッコリ笑い、そう言う。ジェーンは少し不安そうに私を見ていたけれど、この人たちなら大丈夫だろうと私は思った。
「ジェーン、大丈夫よ。」
私がそう言うとジェーンも頷き、マーサに付いて行く。侯爵様は私の手を引き、二階へ上がる。
「屋敷の案内なども明日、致します。」
侯爵様がそう仰る。階段を上がり、長い廊下を歩き、いくつもの扉を過ぎ去る。屋敷の随分奥の方まで来たなと思っていた時、歩みが止まり、侯爵様が言う。
「お部屋はこちらです。」
そう言って部屋の扉を開ける。とても広いお部屋…温かみのある調度品、天蓋付きのベッド。侯爵様を見上げる。
「ここが…?」
聞くと侯爵様が頷く。
「そうです、ジャスミン様の為にご用意したお部屋です。」
フカフカのカーペット、真新しいベッドに調度品。
「お気に召しませんか?もし気になる事があれば…」
そう言われて私は言う。
「いえ! とんでもございません。」
侯爵様はそう言う私に微笑み、言う。
「今日のところはお休みください、お疲れでしょう。」
そして後ろを付いて来ていたバーノンに言う。
「君は私と一緒に。」
バーノンは微笑んで頷く。
「承知致しました。」
そして侯爵様は私に軽くウィンクすると言う。
「何かあればベルを。マーサが駆け付けます。」
持って来ていた荷物をバーノンが置いて部屋を出て行く。とても綺麗なお部屋だった。天蓋付きのベッドなんて、マイヤー家ではクレマンの部屋にしか無い。ベッドに腰掛ける。幾重にも重ねられた薄いヴェールのようなカーテン。フカフカのベッド。今まで気にもしていなかった自分の格好が恥ずかしく感じる。そしてそれを恥ずかしく感じるくらいには、まだ私の恥じらいはあるようだ。横になると、体が沈む。温かいものにくるまれて、そのまま眠りに落ちる。