「クレマン様、これからどうするのです?」
マデリンがそう聞く。庭師も料理人も執事も皆、居なくなってしまった。
「誰か! 誰か居ないのか!」
大声でそう言っても誰も返事をしない。屋敷の中を歩き回り、執事の部屋に入る。部屋には机しか無く、その机の上には書類が置かれている。屋敷の経済状況なんかが書かれた帳簿、管理帳簿…そこに雇用契約に関する書類もあったが、確認すると雇用期間は既に切れていて、契約更新のサインもされていない。
使用人は奴隷では無い
そんな言葉が頭の中でこだまする。奴隷じゃないだと? 奴隷のように働けばそれで良いじゃないか。何が不満なんだ。住む家も着るものも、食べる物も与えてやっているじゃないか。辞めて行く奴なんか放っておけば良い。働きたい者など、すぐに見つかる! そう思って部屋を出る。だがしかし、問題は今だ。今、この屋敷には俺とマデリンしか居ない。料理などやった事も無いし、掃除など以ての外だ。人を雇うにはどうしたら良いんだ? 誰かに聞いてみれば良いのか、そう思ったが、屋敷の使用人が全員辞めてしまったなんて恥ずかしくて誰にも言えない。
「マデリン!」
呼ぶとマデリンは服を一人で着るのに、苦労していたようで、部屋から声がする。
「こちらです、クレマン様。」
部屋に戻るとマデリンが困ったように俺を見る。
「後ろ、結んでくださる?」
俺は忌々しく思いながらも、誰も居ないのだから仕方ないと思い直して、マデリンの背後の紐を結ぶ。少し不格好だが仕方ない。
「マデリンの家の使用人は何人居る?」
聞くとマデリンが少し考えて言う。
「えーと、うちは子爵家なので…侍女が二人くらいです。家もそんなに広くありませんし。」
侍女が二人、か。
「マデリンの家の侍女二人から誰か紹介はして貰えないだろうか。」
そう言うとマデリンは意外そうな顔をする。
「マイヤー家は伯爵家でしょう? 紹介とか他にもしてくださる方がいらっしゃるのでは?」
俺は苛立ってマデリンに言う。
「それが出来ないから君に言っている!」
正直なところ、俺は伯爵家の当主となってから、それらしい働きはほとんどして来なかった。やって来た事と言えばギャンブルや女遊びがほとんどで、屋敷の事はジャスミンに任せっきりだったのだ。マデリンは少し怯えたように言う。
「聞いてみます…」
そしてそそくさと髪をそれなりに直して、言う。
「今日のところは帰りますね。」
◇◇◇
全く! 冗談じゃないわよ! 使用人が全員辞めた? 伯爵家なのに、現状使用人が4人しか居なかったなんて知らなかった。髪だってボサボサのままだし、いつもなら侍女にやらせる事も自分でやらないといけないなんて、有り得ない! やっとの事で追い出した婚約者だったのに! やっとの事で得た伯爵家の婚約者という立場だったのに! 振り返ると今までキラキラと見えていた筈のお屋敷が曇って見える。それにしても、あのジャスミンとかいう女。1級魔法師? 目の前で見た魔法。キラキラと金色の光を操って、割れそうだった花瓶を割らずに床に着地させ、何やら呪文を唱えて、屋敷全体を包んでいたものを剥がして行った。魔法が何だって言うのよ! きっとその魔法でクレマン様を誑かしていたんだわ。でも、と思う。振り返ってまたお屋敷を見る。ここももう終わりかもしれないと、何となく思えて来る。だって伯爵家なのに使用人が居ないなんて恥ずかしくて、誰にも言えないわ。情を通じてしまった事を悔やむ。見せつけてやろうと思っただけだったのに。悔しい。
◇◇◇
目が覚める。朝陽が眩しい。体を起こす。こんなに熟睡したのはいつぶりだろうか。背伸びをしてベッドを出る。さて、ベルを鳴らすべきだろうかと考える。その一瞬で、ベルが鳴る。
え? 私、鳴らしてない…
そう思ったけれど、ベルの音を聞いたのか、ノックが響く。失礼しますと言って入って来たのはマーサだ。
「おはようございます、ジャスミン様。良くお眠りになられましたか?」
マーサは爽やかにそう聞く。
「えぇ、もうグッスリ。」
そう言うとマーサは朗らかに笑い言う。
「そうですか、それは良かったです。湯浴みの準備が出来ております。どうぞ。」
◇◇◇
部屋に併設されているお風呂。広くて綺麗で清潔。ジェーンが来て、お風呂の手伝いをしてくれる。湯浴みの手伝いをしながら、ジェーンが言う。
「こんなふうに湯あみのお手伝いは初めてですね。」
ジェーンがそう言うのも仕方ない。マイヤー家では湯浴みをするお風呂場なんて小さいものしか使っていなかったから。朝からこんなふうに湯浴みをするなんて贅沢、出来なかったのだ。マーサが籠を持って入って来て、言う。
「さぁさぁ、お花のシャワーですよ。」
そう言って籠から花びらを湯船に撒くように散らす。色とりどりの花びらが湯船に浮かぶ。こんなに贅沢なお風呂、生まれて初めてかもしれない。
◇◇◇
湯浴みを終わらせ、支度をする。
「この服は?」
着替えを手伝ってくれているマーサに聞くとマーサが朗らかに言う。
「これはレイノルド様がご用意したんですよ。」
水色のドレス、小さく白い小花柄。可憐で素敵なドレスだ。
「ジャスミン様の髪色と良くお似合いです。」
マーサが微笑む。
「本当に素敵。」
ジェーンが感嘆のため息交じりに言う。
「あなたは昨日はどこに?」
私がジェーンに聞くとジェーンが嬉しそうに言う。
「侍女たちの住む区画があって、そちらに。とても広くて素敵なお部屋なんです。」
マーサがまた笑い出す。
「ジェーンを案内した部屋はここ、侯爵家では普通のお部屋ですよ。オットーは男性の住む宿舎の方に案内しました。」
ここ侯爵家では男性と女性の住む宿舎が別の区画になっているのかと思う。
「朝食に参りましょう。」
マーサがそう言う。
◇◇◇
朝食の席に着くと、すぐに侯爵様がいらっしゃった。
「おはようございます、侯爵様。」
立ち上がってそう挨拶すると、侯爵様は笑って言う。
「立ち上がっての挨拶はしなくて良いですよ。もっと楽に。」
侯爵様をそう言って席に着く。
「さぁ、食事をしましょう。」
侯爵様がそう言うと、侍女や侍従たちが食事を運んで来る。運ばれて来る食事はマイヤー邸に居た時とは比べ物にならないほどの豪華な物だった。朝からこんなにたくさんのお料理が出て来るの? そう思いながら私は目を白黒させてしまった。侯爵様がクスっと笑うのを見て、私は自分が驚いているのを自覚する。
「すみません、こんなにお料理が出て来るとは思っていなくて…」
そう言うと侯爵様が笑う。
「良いんですよ、たくさん食べて、たくさん話しましょう。」
朗らかにそう言う侯爵様を見て思う。あぁ、こんなに朗らかで爽やかな朝は久しぶりだ、と。