そう言われてバーノンが微笑み、小さく会釈をしてから、言う。
「私がマイヤー家に執事として雇って頂いたのはジャスミン様が婚約者としてマイヤー家でお名前が出た頃です。あの家で執事を長年、務めていたエジットとは旧友でした。」
そう言われて思い出す。そういえば私が自分の実家に居た時、クレマンとの婚約が私の伯父によって決められ、それを伝えに来た人物はバーノンでは無かった。ただ伝えに来るだけの人物なのだと思っていたけれど、あれがもしかしたらその人物だったかもしれない。
「エジットはマイヤー家当主になられたクレマン様を正そうと、日々、苦言を呈していたのですが、クレマン様の逆鱗に触れ、追い出されました。」
クレマンなら簡単に怒らせる事が出来るだろうなと思いながら、お茶をまた一口飲む。
「エジットは微弱ですが魔法が使えます。伝令魔法です。」
伝令魔法…それは手紙のようなものだ。テレパシーのように脳内に直接響くものでは無く、手元に光り輝く球体が現れ、それに触れるとその球体からまるで手紙のような文字が浮かび上がるもの。
「その伝令魔法によって、エジットがマイヤー家を追い出された事が分かりました。」
バーノンはそこで侯爵様を見る。侯爵様は微笑んで頷く。
「その時に侯爵様も一緒にいらっしゃっていて、事の次第を知ったのです。」
ふと、不思議に思い、聞く。
「その、エジットさんはどこへ?」
聞くとバーノンが微笑む。
「バーノンは第一執事であったと、そう申し上げましたね。」
そう言ったのは侯爵様だ。侯爵様は背後に居るアーレントに目配せをする。アーレントがまた指をパチンと鳴らす。数秒の後、ドアがノックされる。
「入れ。」
侯爵様がそう言う。入って来たのはバーノンと同じくらいの年の方。バーノンと同じ執事服を着ている。
「彼がエジットだ。今はここバーンスタイン家で第二執事をやってくれている。」
エジットは丁寧に私にお辞儀すると、言う。
「ジャスミン様、お目にかかるのは二度目でございます。」
そう言われて私は微笑む。
「えぇ、覚えているわ。」
やはりエジットが私にクレマンとの婚約を告げた人物だ。
「覚えていてくださって恐悦至極でございます。前にお会いした時はほんの数分でしたのに。」
私は少し笑って言う。
「人の顔を覚えるのは得意な方なの。」
そしてバーノンを見る。バーノンは微笑み、続ける。
「すぐさま、私はマイヤー家へ向かいました。侯爵様の提案で。」
そう言われて少し驚いて、侯爵様を見る。侯爵様が微笑み、言う。
「ここからは私が説明しよう。」
侯爵様はそう言って、何だか楽しそうに話し出す。
「バーノンを向かわせたのはマイヤー家が執事を辞めさせた事で、執事が必要になると思ったからだが、一番の理由はジャスミン嬢、あなたがマイヤー家に婚約者として入る事を知ったからだ。」
侯爵様は優雅な所作でまた一口、お茶を飲む。
「マイヤー家とは先代の当主と私の父上が顔馴染みでね。それなりに交流が昔はあったんだ。だが先代の当主が亡くなって、クレマンが当主になった途端、マイヤー家の醜聞が聞こえて来るようになった。顔馴染みの、それも伯爵家が落ちぶれて行くのを見過ごせなかったのもあるが。」
そこで言葉を区切って、侯爵様が私を見る。
「1級魔法師であるジャスミン嬢がクレマンの婚約者としてマイヤー家に入ると聞いて、それならば、手を貸そうと思ったんだ。」
私の顔を見て察したのか、侯爵様が笑う。
「何故、自分に手を貸そうと思ったのかと、そう顔に書いてあるようですね。」
侯爵様はクスクスと笑ってそう言う。自分の表情など、気にしていなかった私は少し恥ずかしくなり、下を向く。
「ジャスミン嬢、あなたはご自分が思っているよりも、その名は知れ渡っているのですよ。」
そう言われて思う。いや、別に知らない訳では無かった。1級魔法師ともなれば、その名は国中に知れ渡る事くらいは知っている。この国には1級の魔法師は数えられる程しか、存在しないのだから。
「クレマンはあなたという婚約者を手に入れる事が出来たのに、その幸運に胡坐をかき、手に入れた持参金で遊び惚ける事しかしなかったと聞いています。」
元々、マイヤー家はそれ程、裕福な家門では無かった。マイヤー家に入る事になった私は一応、マイヤー家の事について学んだのだ。それでも堅実に伯爵家として、その執務を全うしていれば、贅沢は出来なくても、それなりに生活は出来ていただろう。
「男爵家であるあなたの伯父は、それなりに持参金を持たせたようだが、それはクレマンの豪遊に使われてしまった。」
そう、だから私は自分の持ち物まで売ったのだ。借金がかさんで、家計は火の車だった。私が婚約者としてマイヤー家に行った時には、既にそうなっていた。それでも何とか立て直そうと努力はしたのだけれど。
「そんな状況の中にあなたを放り込む気はありませんでした。」
侯爵様がそう言って微笑む。
「折を見て、マイヤー家を出るように、そうバーノンには伝えてありました。」
侯爵様を見る。
「折を見て、というのは…」
そう私が言うと侯爵様が頷く。
「クレマンならあなた以外にも女を囲うだろうと踏んでいました。そしてあなたはそれに甘んじる程、弱くは無い筈だ。」
まるで私の事を分かっているような口ぶりだった。けれどそれは嫌なものでは無い。
「1級魔法師ですからね、一人で身を立てようと思えば、そんな事、造作も無い事です。」
侯爵様の後ろに控えていたアーレントがそう言う。
「マイヤー家は放って置いても没落するでしょう。あなたの手腕と我が自慢の第一執事をもってしても、その借金を無くす事は出来なかったのだから。」
確かに、バーノンは優秀な執事だった。完璧なまでに私の補佐をしてくれていたのだから。侯爵様がバーノンを見て言う。
「あれを持って来てくれるかい?」
バーノンが頷いて言う。
「かしこまりました。」
◇◇◇
しばらくしてバーノンが戻って来る。手には宝飾品店で良く見る、高価なものを載せる為のトレーを持っている。そしてそのトレーが私の目の前に置かれた時、目を疑った。
「これは…」
そう侯爵様を見ながら聞くと、侯爵様が微笑む。
「あなたの御父上の懐中時計と御母上のブローチです。」
マイヤー家の家計が火の車で、持って来ていた形見の懐中時計とブローチを質屋に流してしまったのだけど、それが今、目の前にある。
「質屋に流してしまった事はバーノンから聞き及んでいました。なのですぐにエジットに命じて買い取らせました。」
形見の懐中時計とブローチを前にして、私は言葉が出なかった。仕方の無かった事とはいえ、やはり後悔していたから。
「どうぞ、お手に取ってください。」
そう言われて私はそれらに手を伸ばす。触れると懐中時計もブローチも輝きを取り戻す。私の保護魔法が、私に触れた事で増強されたのだ。壊れずにどこかでその形を保っていてくれていれば、そのうちに取り戻す気持ちではいたのだ。
「やはりジャスミン嬢の保護魔法は素晴らしいですね。」
侯爵様が目を細める。
「それはそうでしょう! ジャスミン様は1級魔法師なのですよ?」
アーレントが誇らしげに言う。そんな二人に笑い、私は改めて侯爵様に頭を下げる。
「買い戻してくださってありがとうございます。」
そう言うと侯爵様が言う。
「礼には及びません。私がしたくてやった事なので。」