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第8話-クレマンの思いつきー

不意に目の前に水色に輝く蝶が現れ、ふわふわと私の目の前に来る。手を出すと蝶は私の指に止まり、羽が広がる。羽には文字が浮かんでいる。


『 ジャスミン様

  よろしければ、お話をしたく存じます。南の温室へ来て頂けますか   レイノルド 』


私がそれを読んで微笑むと、蝶はふわっと消える。これが伝令魔法なのだろうか。手紙のようなものしか見た事は無かったけれど。こんなふうに形を変えられるなんて知らなかった。


◇◇◇


目覚めると、日は高く昇っている。誰も起こしに来ないので、起きるのが昼近くになってしまった。昨日、マデリンにはマデリンの家の侍女から使用人の紹介を頼んだが、それはうまくいっているだろうか。こんなに広い屋敷の中で、誰も使用人が居ないなど、あってはならない事だ。俺は昨日着ていた服を脱ぎ捨てて新しい服に着替える。タイもちゃんとは結べないが、それも仕方ない。屋敷から出て街へ行こうにも御者も居ないのだった。


今までは侍従が起こしに来て、俺の着替えを手伝い、その間に食事の支度が出来ていて、広間に行けば食事が用意してあったのだ。それを食べているうちに出掛ける旨を執事に言えば屋敷の前に馬車が用意されていた。今ではこの屋敷に居る人間は俺しか居ない。何から手を付ければ良いのか、全く分からない。途方に暮れる。


◇◇◇


どうにかこうにかして、やっとの事でマデリンの家までは来た。

「クレマン様!」

俺を見てマデリンが駆け寄って来る。

「どうなさったのです?」

そう聞かれて俺は何も言えなかった。使用人が誰も居なくて、何も出来ないなどと、口が裂けても言えない。

「マデリン、使用人の件はどうなっている?」

とにかく、誰でも良いから、身の回りの世話をしてくれる人間を見つけなければならない。

「使用人ですか…」

言葉を濁すマデリンを見て、これは話をしていないなと察する。そこで俺はハッとする。そうだ、その手があるじゃないか。

「マデリン、君は伯爵邸で暮らしたいと言っていたな。」

そうだ、このままマデリンをこんな狭い屋敷じゃなくて、俺の屋敷に使用人ごと、引っ越しさせれば良いじゃないか。

「それはそうですけど…」

歯切れの悪いマデリンに俺は微笑む。

「君は何も心配しなくて良い。俺から話そう。」


◇◇◇


この男、本当に大丈夫なのかしら。服すらきちんと着る事も出来ないような男…きっと使用人が誰も居なくなって、自分で着たのでしょうけど。それでも、伯爵である事は確かだ。今までだって散々、良い服や宝飾品を買ってくれていたもの。お金はある筈よ。そう言い聞かせて私はクレマン様を家の狭い応接室に案内する。父もクレマン様が来た事で慌てて支度している。普通ならば前触れを出すのがマナーだけれど、急を要すると言って、それは切り抜けた。どうせ、私の家は子爵家。貴族といっても平民に近い。


クレマン様の提案には驚いたけれど、これで私は大手を振って伯爵家へ入る事が出来る。伯爵夫人という立場を手に入れられるところまで来たのだ。

「クレマン様の元婚約者さんはどこへ?」

我が家の馬車でクレマン様の屋敷に向かいながら聞く。確かあの時、何だか見た事も無いような豪奢な馬車に乗って行ったように見えたけれど。

「ジャスミンなら、侯爵家の馬車に乗って、どこかへ行った。」

クレマン様は不満そうにそう言う。侯爵家! クレマン様よりも更に高位の方の元へ行ったと言うの?! 地味で女としての魅力も無いような、そんな女が何故! 私よりも上に居るのよ!

「侯爵家といっても、いくつかありますけれど、どなたの馬車に?」

そう聞くとクレマン様が言う。

「バーンスタイン家だ。」

バーンスタイン侯爵様といえば、この国の孤高の英雄とも言われている方。見目麗しく、筋骨隆々でまさに社交界の子女たちに人気の高い方だ。どんな高貴な御令嬢から求婚状が届いても袖にされる方だと噂されている。馬車に揺られながら、私は嫉妬に狂いそうだった。やっとの事で追い出したのに! でもそこで私は考え直す。そうよ、クレマン様でさえ、ジャスミンとかいう女よりも私を選んだのよ。この私に出会えば、出会うチャンスさえ手に入れば、バーンスタイン侯爵様だって私を選ぶ筈だわ!


◇◇◇


マデリンを屋敷に連れ帰った事で、使用人の方は何とかなりそうだった。マデリンの父上に使用人の方は頼んだのだから。今日のところはとりあえず、凌げそうだった。それもこれも、ジャスミンのせいだ。ジャスミンがうちの使用人たちを連れ去ったのだから。何が雇用契約だ。何が使用人は奴隷じゃないだ。伯爵家に仕える事が出来るならば、それで良いじゃないか。ジャスミンが何か入れ知恵したに違いないんだ。


◇◇◇


「レイノルド様、こちらを。」

バーノンが書類を見せて来る。その書類にはマイヤー家が執事及び、その他使用人を募集していると書かれていた。

「使用人募集、か。」

笑いが込み上げて来る。通常ならば、使用人の募集などしないのが一般的だ。使用人は屋敷の中の事を把握する、いわば家の弱点にもなり得る。だからこそ、身上の確かな者しか雇わないのが常識だ。通常であれば、紹介状などを持って来て、初めて雇い入れるかどうかの検討を始める。それが募集ともなれば、食いついて来る者はたかが知れている。そこでふと、思い付く。

「バーノン、イザクを呼んでくれ。」

私がそう言った事でバーノンは全てを察したようだった。

「かしこまりました、閣下。」

微笑みをたたえてそう言うバーノンは本当に有能だ。さぁ、南の温室へ向かわないと。


◇◇◇


南の温室には色とりどりの花々が咲き誇っている。温室というだけあって、暖かい。温室の真ん中にテーブルと椅子がセッティングされている。花々を見ながら侯爵様を待つ。

「ジャスミン嬢。」

そう声を掛けられて振り向くとそこに侯爵様がいらっしゃった。

「侯爵様。」

頭を下げて挨拶する。

「そんなにかしこまらずに。」

侯爵様はそう言ってくださるけれど、そうもいかない。

「さぁ、お座りください。」

侯爵様がそう言って椅子を勧めてくださる。侯爵様と一緒にバーノンも来ていて、バーノンはサービングカートを押している。椅子に座るとバーノンが控え、侯爵様自らがお茶をいれてくださる。

「侯爵様がお茶を…?」

そう聞くと侯爵様が笑う。

「お茶をいれるのも好きなんですよ。こう見えてバーノンに仕込まれましたからね。」

控えているバーノンも微笑んで、その光景を見ている。あぁ、きっとバーノンは侯爵様の腹心の部下なのだろう。互いに信頼関係がきちんと構築されているのを感じる。優雅な所作でお茶を入れ終わると、侯爵様は私にお茶を勧めて、自身も私の向かい側へ座る。一口お茶を飲むと、香しい風味が口の中に広がる。

「ジャスミン嬢。」

侯爵様が私を見る。

「あなたをここへお呼びしたのは、お話があったからです。」

ティーカップをソーサーに置いて、私は侯爵様を見る。

「お話とは、何でしょうか。」

そう聞くと侯爵様が話し出す。

「マイヤー家の事です。」


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