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第9話ー思惑と過去ー

そう言われて、そうだろうなと思っていた自分に少し笑う。侯爵様は懐から1枚の紙を出して、私に差し出す。それを受け取り、目を通す。

「マイヤー家が使用人を募集しているようです。」

伯爵家が使用人を募集…その紙には執事を含む使用人募集と書かれている。侯爵様が足を組んで話す。

「昨日、ジャスミン嬢がマイヤー家を出た時に、そこに居た使用人全員がこちらへ移りました。なので現状、マイヤー家には一人として使用人は居ない状態です。それが何を意味するのか、お分かりになるでしょう。」

私はその紙を見ながら、思っていた。えぇ、そうでしょうとも。家の事は何も知らず、遊ぶ事にしか興味が無い。家計は火の車だというのに湯水のようにお金を使い、今や借金だらけの家だ。更に使用人を奴隷か何かだと思っていて、雇用契約なんてものには見向きもしない。きっと今日、目覚めた時から自分は自分の事ですら何も出来ないのだと、実感しているでしょうね。服もまとも着られないでしょうし、食事も出来ず、馬車を引く御者ですら居ないのだから、家から出られないかもしれない。それでも募集をかけるという事には行きついたのだから、褒めてあげても良いかもしれない。

「伯爵家ともあろう家が使用人を募集するなど、本来ならば恥ずべき行為だ。」

侯爵様は優雅にそう言う。爵位を持っている家の使用人ならば、自分の出自を偽ってでも、なりたい人間はごまんといる。けれどなりたい人間がなれる程、生易しい世界では無い。通常ならば紹介状を持って来て、初めて門戸を叩けるというくらいには、敷居が高い仕事ではある。なのに募集ともなれば、それは家の品位を落とす事にも繋がる行為だ。

「まぁ、それ程までに焦っているのでしょう。誰でも良いから身の回りの世話をする人間が必要でしょうから。」

優雅にお茶を飲む侯爵様はそれはそれは美しい。

「ですから、助け舟を出す事にしたんですよ。」

侯爵様はそう言って、後ろに控えているバーノンに目配せをする。バーノンはほんの少し会釈して、手を上げる。

「助け船、というのは…?」

そう聞くと温室にふわっと風が入って来る。誰かが温室に入って来たようだ。現れたのは黒い短髪の男性。その身のこなしだけできちんとしたマナーが身に付いているのが分かる。

「この者はイザクと言います。我が侯爵家の第三執事です。」

侯爵様がそう言うと、イザクは私に頭を深々と下げ、挨拶する。

「イザクと申します。お初にお目にかかります、ジャスミン様。」

身のこなしも振る舞いもどうしてこうも侯爵家の人々は優雅なのだろう。

「この者をマイヤー家に送ろうと思います。」

侯爵様がそう言う。イザクが入って来た時点で予想はしていたけれど。

「今回の事でクレマンが良からぬ事を企む可能性が高い。使用人が全員、ジャスミン嬢についてマイヤー家を出た以上、その咎をあなたのせいにするでしょう。あなたが使用人たちに入れ知恵をしたとも思っている筈。あの男なら、使用人たちの気持ちなど、露ほども考えないでしょうからね。」

侯爵様の言う通りだ。これ以上ない程に横暴に振る舞い、ワガママ放題だったのだから。

「ですが、イザクに危険は無いのでしょうか。」

そう聞くと侯爵様が笑う。

「イザクは我が侯爵家の私設騎士団副団長です。何があっても自分の力で切り抜ける事は造作もありませんよ。」

私設騎士団…バーンスタイン侯爵はこの国の立役者とも言われている。その功労者である侯爵家は王国から私設の騎士団を持つ事を許されている唯一の家門だ。

「我が侯爵家は文武両道が家訓であり、基本です。それは私設騎士団も一緒です。」

でも、と思う。

「クレマンは横暴で理不尽です。自分の機嫌が悪ければ、人に当たる事もしばしばあります。そのせいで辞めて行った使用人も後を絶ちませんでしたし。」

私がそう言うと侯爵様が笑う。

「剣を持った事も無いようなひ弱な者に手を上げられる事くらい、何でもありませんよ。そんな事で怯んでいては騎士は務まりません。」

そして侯爵様はイザクを見て、聞く。

「そうだろう? イザク。」

イザクは微笑んで頷く。

「左様にございます。」

そしてイザクは私を見て言う。

「お心遣い、感謝いたします。」

侯爵様は微笑んで言う。

「我が私設騎士団は、公的なものではありません。なので諜報活動なども我が家門独自で行っています。今、こうしている間にも膨大な情報が我が家門に集まっています。それだけ我が私設騎士団が優秀で、機能しているという事です。だからこそ、マイヤー家が使用人を募集しているという情報もいち早く手に入れる事が出来たのです。」

改めてバーンスタイン侯爵家がどれだけこの国にとって絶大な力を持っているのかを実感する。

「イザクを執事として送り込みます。そしてクレマンが何か良からぬ事を企んでいるならば、その情報を誰より早く入手し、阻止または対策する。」

侯爵様は何だか生き生きとしている。

「なのでジャスミン嬢には今しばらく、この侯爵家に居て頂かないといけません。」

侯爵様が何故ここまで私の為に動いてくれるのか、分からなかった。

「何故ここまでしてくださるのですか?」

そう聞くと侯爵様が微笑む。

「あなたが1級魔法師だから、というのもありますが。」

そこで言葉を区切って、侯爵様が私を見る。

「あなたが私の恩人だからですよ。」

そう言われて驚く。

「私が侯爵様の恩人?」

そう聞くと侯爵様が微笑む。

「はい、そうです。これはもうかなり昔の話になりますが。」

侯爵様はそう言って、また懐から何かを取り出す。取り出されたそれはハンカチにくるまれていて、侯爵様はそのハンカチを丁寧に開く。開かれたハンカチの真ん中には小さな指輪と、シロツメクサで作られた何か。シロツメクサは保護魔法がかかっているのか、今もまだ白く咲いている。

「これに覚えはありませんか?」

そう聞かれて私は考える。この指輪…そしてシロツメクサの……不意に流れ込んで来る記憶。


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