「ジャスミン様。」
そう声を掛けて来たのはバーノンだった。
「バーノン。」
彼は侯爵家の第一執事。きっと仕事も多いだろう。
「少し息抜きに庭園へ出られてはいかがでしょう。」
バーノンは私が部屋で物思いに耽っている事を心配しているのだろう。
「えぇ、そうね。」
そう言って立ち上がる。
「それはそうと、バーノン、あなたは侯爵様に付いていなくて良いの?」
そう聞くとバーノンが微笑んで言う。
「閣下は王宮へ向かわれました。」
王宮と聞いて、何故だか少し不安になる。そんな私を見てバーノンが微笑む。
「ご心配には及びません、閣下はお強く
確かにそうだろう。ここ侯爵家へ来てお世話になってみて、侯爵様の偉大さを常に感じている。広大な敷地、その敷地内には侯爵家を支える使用人がたくさん居る。そしてどんな場面でも、どんな時でも侯爵家の使用人は分を超えない。しっかりと隅々まで統制が取れていて、その秩序が乱される事は無い。それもひとえに侯爵様がきちんとこの組織を率いているからだ。
庭園に出る。庭園はきちんと整備されていて、手入れが行き届いている。遠くから騎士団の人たちの号令が聞こえたりもする。不意に控えていたバーノンが聞く。
「少しお耳を傾けて頂いてもよろしいでしょうか。」
そう言われて私は頷く。
「えぇ。」
言うとバーノンが話し出す。
「私は閣下が幼い頃よりお仕えしています。閣下は幼い頃からそれはそれは優秀でいらっしゃいました。時には大人顔負けの意見を臆さず進言される。子供らしくないと言えば、そうだったのかもしれません。」
私が出会った時の侯爵様。警戒心を持って私に接していたのは最初だけだったけれど。確かに子供らしくは無かったかもしれない。
「昨日、お話されたように閣下はあの日、視察からお帰りになられてから、しばらくの間、視察先の事をお調べになっていました。何がそんなに気にかかるのか、私には分かりませんでしたが、昨日のお話を聞いていて、納得致しました。」
バーノンは微笑んで言う。
「ジャスミン様とお会いになっていたのですね。そしてお命を救って頂いた。」
バーノンは深々と頭を下げる。
「閣下のお命を救ってくださった事、改めて感謝致します。」
バーノンとは私がマイヤー家に婚約者として入った頃から数か月、付き合って来た。その数か月でバーノンがどれだけ優秀か、身をもって知っている。そしてそんな私との付き合いの何十倍もの間、侯爵様とバーノンは
「閣下はこれまでたくさんの事をお調べになっています。幼い頃に出会ったジャスミン様の事をずっと気にかけていたのでしょう。」
バーノンは微笑みを絶やさずに言う。
「もちろん、その中には衝撃的な事もございましょう。ですが。」
バーノンはそう言って言葉を区切って、私を真っ直ぐ見て微笑む。
「ジャスミン様ならば、大丈夫だと、このバーノンは確信しております。」
そう言うバーノンに少し笑う。バーノンは優秀だ。何の確信も無く、そんな事を言う人間じゃない事はもう知っている。風が吹き抜ける。
◇◇◇
朝から王室の使者が来て、王宮に来るようにとの達しが来ていた。話の内容はきっとジャスミン嬢の事だろう。
何故、今まで1級魔法師であるジャスミン嬢が王室から声が掛からなかったのか。ジャスミン嬢が山の奥の森の中で生活していた理由は何なのか。そして俺がジャスミン嬢に出会ってから、ジャスミン嬢の事をいくら調べても何も出て来なかったのは何故なのか。大きな陰謀とも言える中で陰の攻防戦が繰り広げられている。リシャール家の秘密、ジャスミン嬢の秘められた力…。全てはそこに起因する。
王宮に入り、大きな応接室に通される。閉鎖された空間での謁見。それが何を意味するのか、分からない訳では無い。
「閣下。」
そう声を掛けて来たのは護衛騎士として俺に付いて来たロイーズだ。
「心配するな、大丈夫だ。王室の連中が俺に何かを仕掛けて来る事は無い。仕掛けられる訳が無い。」
確固たる自信を持ってそう言う。ロイーズは少し笑って言う。
「まぁ閣下に歯向かおうなんて考える人間など、居る筈ありませんからね。」
俺の指に収まっている指輪は変わらず光をたたえている。俺はここまで来るまでに文字通り、血の滲む努力をして来た。今では常人には到達出来ないと言われているソードマスターにまでなったのだ。不意に扉が開いて、国王が入って来る。俺は振り返り、頭を下げる。
「国王陛下。」
国王陛下は俺を見て、手を上げ、従えていた者たちに言う。
「お前たちは下がれ。」
従えていた人間の一人である宰相ダルトンが国王陛下に言う。
「ですが…」
国王陛下はそんなダルトンを一睨みすると、黙らせる。ダルトンは頭を下げ、その時に俺を一睨みしてから、部屋を出て行く。
「ロイーズ、お前も下がれ。」
俺がそう言うと、ロイーズが従う。
「お部屋の前で待機しております。」
国王陛下は部屋のソファーに座ると、俺に言う。
「レイノルド、君も座ってくれ。」
そう言われて俺はそれに従う。国王陛下に向き合う形で座る。この国の中でもこうして国王陛下と向き合って座る事を許されているのは俺ぐらいだろう。
「こんなに朝早くから使者を寄越してまで、したい話とは何でしょうか。」
そう聞くと国王陛下が言う。
「もう分かっているのだろう?」
そう言われて苦笑する。
「そうですね。」
国王陛下は少し笑って言う。
「そう警戒するな、悪い話じゃない。」
それは誰にとって「悪い話じゃない」のかと思い笑う。
「長年、リシャール家についてはどちら側も接触を避けて来た。」
どちら側も、というのは我が侯爵家と王室か、王室とリシャール家の事か。
「だが君は今、リシャール家に関わりを持った。」
国王陛下の表情が硬い。
「何を企んでいる?」
そう聞かれ笑う。
「何も。」
そう答える。実際に俺は何かを企んでいる訳では無い。ただただ、彼女を救い出したかった、あの悪環境から。それだけだ。国王陛下が少し笑う。
「そうか、今はその言葉を信じようじゃないか。」
国王陛下は背もたれに寄り掛かり言う。
「あの環境からだからな、手を差し伸べたくなる気持ちは理解出来る。」
そして一息つくと、言う。
「良からぬ影が動き出しているとの報告を受けている。これは機密事項だがな。」
国王陛下自らが俺にそれを伝える為に王宮に呼んだのか? 神経を研ぎ澄ます。
「私としてもリシャール家の人間が無事で過ごす事を願っているのだよ。」
そう言われて思わず鼻で笑ってしまいそうになるのを堪える。国王陛下が立ち上がる。
「この国の中でどこが一番安全かは、私とて分かっている。ジャスミン嬢の事が知れ渡り始めているのだからな。ソードマスターである君が傍に付いているのが一番だろう。」
俺も立ち上がる。国王陛下が歩き出し、俺に振り返り、言う。
「あの事故は本意では無かったのだ。私の望むところでは無かった、とだけ言っておく。」
俺は頭を下げ、国王陛下が部屋を出て行くのを見送った。本意では無かった、か…。だとするならば何が陛下の本意だったのか。