王宮の中を歩く。ここに居ても得られるものなど何も無い。足早にロイーズを伴って歩く。
「バーンスタイン侯爵閣下。」
その声を聞いて、足を止める。足を止めない訳にはいかない相手だ。振り返って頭を下げる。
「ルーセル王太子殿下。」
ルーセル王太子殿下は俺のところまでゆっくり歩いて来る。俺が頭を下げている時間を少しでも長くしようとでもいうように。
「こんなに早くから王宮に来られるとは。」
俺が王宮に来た事は既に知っていた筈だ。俺は真正面からこの王宮に入ったのだから。
「陛下と何かお話を?」
そう聞かれて俺は頭を下げたまま、言う。
「陛下にお呼び頂き、侯爵家の働きをお褒め頂いたのです。」
ルーセル殿下は少し笑って言う。
「顔を上げてくれ、それ程、かしこまるような間柄では無いだろう?」
そう言われて俺は顔を上げる。ルーセル殿下は相変わらず、貼り付けたような笑顔で俺を見上げる。
「何やら面白い噂を耳にしたんだよ。」
そう言って俺の肩に手を置く。
「何でも1級魔法師が君の屋敷に居るそうだな。」
この男はいつもそうだ。軽薄で薄っぺらい正義感しか持たず、女性にだらしない。王太子という地位に胡坐をかき、その権力を以って人々を従わせている。人徳や人望がある訳では無い。そもそも王宮というのはそういう場所だ。
「会ってみたいものだ、なぁ、侯爵閣下。」
そう言えば俺が彼女と王太子を会わせるだろうと思っているのだろうか。失笑しそうになり、顔を少し背ける。俺のその態度が気に入らなかったのか、ルーセル殿下が言う。
「その魔法師を王宮に連れて来いと命じる事も出来るんだぞ。」
俺は表情を落とし、真顔でルーセル殿下に向き合う。
「どうぞ、出来るものなら。」
俺の顔を見たルーセル殿下は少し怯えた様子で後退る。
「我が屋敷に滞在している魔法師を王宮に連れて来いと命じる事、それ自体が荒唐無稽なのですよ。殿下はもう少しこの王国の事について学ばれた方がよろしいでしょうね。」
俺がここまでルーセル殿下に強気に出る事が出来るのには理由があった。俺は殿下の顔を見つめ視線を下げ、言う。
「それでは失礼致します。油を売っている暇は無いので。」
そう言って歩き出し、すぐに歩を止めて言う。
「あ、そうでした、殿下。」
振り返り、殿下を見る。
「またいつでもお相手致します。手袋の替えのご用意をお忘れなく。」
ルーセル殿下とは今まで幾度となく殿下から手袋を投げ付けられ、決闘を行って来た仲だ。俺が気に食わないのか、ただ単に無謀なのか…その両方か。自身が王太子であるという事を盾に最初から無い圧力を掛けようと、自身の親である国王陛下や王妃殿下に泣き付いたりもしたようだけれど、俺は絶対に手を抜かなかった。騎士道精神に反するからだ。最近になりやっと、絶対に適わない相手が居るという事をようやく理解したのか、手袋を投げ付けられる事は無くなったが。
「圧倒的な力の差があるのに、殿下もよく閣下に喧嘩を売りますね。」
呆れたようにロイーズがそう言う。俺は笑ってロイーズに言う。
「仕方ないだろう、弱い犬程、良く吠えると言うじゃないか。」
実際の所はそうでは無い。俺が誰にも文句を言わせない程には、仕事も鍛錬もし続け、自身の立場を確固たるものに押し上げて来たのだ。誰にも文句を言わせない、そして今や誰にも文句が言えない人間になった。王太子自身も決闘を申し込むくらいには、強い。俺が居なければあの我儘はもしかしたら暴走していたかもしれない。まぁあの王太子なら国王陛下も王妃殿下も決闘となったら庇わない事は分かり切っていたが。
馬車に乗る。ジャスミン嬢は元気だろうか。昨日告げた内容はきっと衝撃的だっただろう。自分の両親の事故が人為的なものだったと知ったのだから。王城を離れながら俺は王城を睨み付ける。大きな力によって捻じ伏せられたのならば、こちらも容赦はしない。その事実を知った時の俺の憤りを思い出す。陛下は影が動き出していると言っていた。陛下ですら制御出来ない何かが動き出しているのは確かなようだ。こちらも駒を動かすとするか。
◇◇◇
何もせずに部屋で過ごす事に慣れていない私は、とりあえず、ここを出た時の為に、自分に出来る事を考え始める。保護魔法はどんなものでも保護出来る。それが形を有していれば。侯爵様が持っていた、私が幼い頃に作ったシロツメクサの指輪でさえ、今でも咲いているのだ。言葉による制約魔法は契約時に良く使われる。これは国家間でも使われるものだ。契約や約束を違えないように、互いを縛るもの。そして治癒魔法はどんな怪我でも癒せる…けれど、限界はあった。使い過ぎれば魔力が枯渇する事もある。そして治癒魔法でも治せないものがある。それは呪術による「呪い」だ。
この国には数は少ないけれど、魔法師が居る。そしてその対極に居るのが呪術師たちだ。
呪術師たちは魔力を持たない。魔力を持たない人間が編み出したのが呪術だった。呪術は自身や他者の「何か」を犠牲にして成り立つ事から、忌み嫌われて来た。そしてその犠牲が大きければ大きい程、得るものも大きいと聞く。
とりあえず私に出来そうなのは…そう考えていると、にわかに屋敷内が賑やかになって来る。窓から外を見ると、侯爵様の馬車が帰って来ていた。お帰りになられたんだわ。どうすべきか、考える。昨日は気を失って…気が付いたら朝だった。昨日の失礼を詫びるべきだろうか。そんな事を考えて、何となく部屋を出られずにいた。
不意にノックが響く。
「はい。」
返事をするとバーノンが失礼しますと言って入って来る。
「ジャスミン様。」
バーノンは入口に立ち、言う。
「閣下より、お渡ししたいものがあるそうです。」
お渡ししたいもの…? 一体何なのだろう。
「そう、分かりました。」
そう返事をするとバーノンが言う。
「閣下の執務室までお願い致します。」
◇◇◇
執務室の扉をバーノンがノックする。
「入れ。」
侯爵様の声。バーノンが扉を開け、中に入り、言う。
「ジャスミン様をお連れ致しました。」
バーノンが私に微笑み、中に入るように促す。
「失礼致します。」
そう言って中に入る。ふわっと香る花の香り。部屋はたくさんの花で溢れている。
「ジャスミン嬢。」
その花の中に立っていても尚、その麗しさ、優雅さはかえって際立つのだなと思わずにはいられない程の立ち姿で、私を迎える侯爵様。
「どうですか、この花たち。」
そう問われて何だか可笑しくてクスっと笑う。
「えぇ、とても綺麗です。」
侯爵様はふわっと笑い、言う。
「お気に召して頂けたようですね。」
そして私の後ろに控えているバーノンに言う。
「この花たちをジャスミン嬢の部屋へ。」
バーノンがかしこまりましたと言うと、数人の侍従たちが入って来て、花を運び出す。
「どうしたのです? このお花は。」
そう聞くと侯爵様が笑う。
「ミッチです。」
そう言われて私は納得する。ミッチはマイヤー邸に居た頃から、私の花好きを知っている。マイヤー邸ではそれ程多くの花を植える事すら出来なったけれど。
執務室から花が運び出される。いくつかのお花は私が選んで、執務室に置く事にして頂いた。侯爵様はソファーに座って、私を座るように促す。私が座るとバーノンがお茶を入れてくれる。侯爵様が口を開く。
「王宮に行って参りました。」